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熊本城が壊れたのは朝鮮の建築技術だから

熊本城が壊れたのは朝鮮の建築技術だからだ! と言う声が上がっていますが 確かに加藤清正が朝鮮から連れ帰った技術者が築城に加わっています が…しかし ちょっと待ってください 今の天守閣って確か昭和に入ってからの復元ですよね? って事は日本の技術で作られた天守閣ですよね?

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回答No.4

すぐあちらの国にからめて誹謗中傷する連中のデマですよ。 馬鹿は放っておきましょう。

azuki-7
質問者

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その他の回答 (7)

回答No.8

これだけ何度も揺れたら頑強な建物でも壊れますよ。東京なら大火災になっています。技術者云々は関係ないと思います。大惨事に視点をズラさないようにしましょう。

azuki-7
質問者

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  • ontitan
  • ベストアンサー率12% (27/209)
回答No.7

韓国がいろいろ問題があるいのは事実ですが、これは言いがかりもいいとこですね。言ってるやつはあほです。あの強震では厳しいでしょう

azuki-7
質問者

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回答No.6

ご質問への直接の回答ではありませんが。 今回の地震、新幹線すら再起不能になったものです。 熊本城って、築城された直後にも今回のような地震に見舞われて、ほとんど今回と同じような被害を受けています。 ご質問にあるように昭和の建築技術でしたが、それと、築条当時とで、あまり耐震性に差がなかったんですね。 石垣はいくつかの大名が分担で作ったみたいで、それぞれ工法が違い、当時も、壊れたところと平気だったところがあったみたいですよ。 今回壊れたのは残念ですが、修復を通じてその辺が詳しく分かるといいですね。

azuki-7
質問者

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  • gib45
  • ベストアンサー率26% (160/593)
回答No.5

技術者云々は証明する資料は存在しませんよ。 下記コピペ >熊本城で使用されている武者返しは慶長の役の際に朝鮮に築かれ、難攻不落と呼ばれた蔚山倭城(うるさんわじょう)に使用した築城技術を元にしたものである。 秀吉出兵の際に朝鮮に築城した。 そのときの応用技術を熊本城に反映させた。 この経緯が歪曲されたものでしょう。 ちなみに、当時の朝鮮での「職人」の地位は低く文字を書けませんでした。 無論測量や計算の知識もなく口伝、経験で作るのは不可能です。 徳川幕府の「朝鮮通信使」の経緯でも書かれていますが当時の朝鮮からの職人技術は 日本の技術より低く学ぶべきものがないと称されています。 「日韓2000年の」とかいう書籍で技術者云々という記載がありますが 眉唾の根拠ですね。 天守閣は昭和35年に復元されたものです。

azuki-7
質問者

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  • IDii24
  • ベストアンサー率24% (1597/6506)
回答No.3

小田原城が今耐震工事中ですが、ああいう風に元の建築が残ってないお城ならそうでしょう。中身はコンクリですからね。 熊本城も天守閣はそうです。耐震工事が遅かったのでしょう。指定文化財ではありません。指定文化財は石垣のほうです。 でもこの石垣は清正の性格から敵を陥れるように作られています。迷路のようにして、高くして、つまり崩れるのもあり。まあ石には全部番号を振ってあるらしいので復元は可能だということです。

azuki-7
質問者

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ありがとうございました

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noname#222486
noname#222486
回答No.2

昭和中期にも修復 2007年(平成19年)築城400年に際して、本丸御殿をはじめ、西出丸の塀、戌亥櫓、元太鼓櫓、奉行丸の塀、未申櫓、南大手門などの建造物を数年かけて復元、なお、復元工事中や、工事未着手の建物もいくつかある。

azuki-7
質問者

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ありがとうございました

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noname#219804
noname#219804
回答No.1

敢えて壊れることで全体への被害を防止する構造です。 石垣と瓦が落ちたのは、わざわざそうなるように造ってあることを知らない人が非難しているのですよ。

azuki-7
質問者

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