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戦艦大和を撃沈できる戦艦はあるか

ZX4の回答

  • ZX4
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回答No.4

時期と対戦相手にもよると思いますが・・・ 確かに砲塔前面装甲は米軍装備の40.6cm砲では実戦においては事実上貫通不可能と戦後行われた射撃試験で結果が出ています。 http://www.ships-net.co.jp/detl/201002z/140-141.pdf (米国に現存する信濃に搭載予定だった主砲塔前面装甲の角部分。かなりの至近距離で40.6cmを発射して貫通させたらしいが詳細は不明) ただ当然、船体の全てをこの装甲で覆っている訳では当然無く、大和の場合は前後主砲塔の回転基部より先(船首部分と艦尾部分)は軽防御としていますし、機銃座などは元々が爆風除けの為で弾片防御程度の装甲しかありません。 http://s7.photobucket.com/user/Brad_R/media/SB%20Photos/JPN_BB_Yamato_LD-protection.gif.html (大和型船体装甲の略図。太線で囲まれた艦体中央部以外は25~35ミリ程度の軽装甲も多用されているのが解る) 第三次ソロモン海海戦における比叡の例では、防空巡洋艦アトランタを含む駆逐艦群から至近距離より撃ちまくられ電線や通信ケーブル断線(各砲塔に射撃データや目標を指示する為の物で以後統制射撃が出来なくなった)、艦上に火災が発生、艦尾喫水線付近を巡洋艦に貫通され、操舵室水没で操舵不能となり自沈を余技なくされています。 また戦艦との単艦同士での戦闘と言う事であれば索敵が重要ですが、荒天時に索敵機は出せません。日本海軍の夜間見張り員は昼間でも真っ暗い部屋に閉じ篭り夜目に慣らしてたと言いますが、昭和18~19年頃はレーダーなどの電子戦装備が、そう言った個人の能力を上回りつつあった時期です。 想定する戦闘が大戦末期、荒天もしくは夜間でアイオワ級などの新型艦が相手で彼我の乗員の練度も同等であれば、電子装備の性能と安定性に勝る米艦に先手を取られる確率は増します。それが艦首や艦尾、電気系統の集中する場所に命中すれば大和型が勝てる可能性はかなり低くなるでしょう。(逆も同様ですが) また米軍はSHS(大重量砲弾)や高性能炸薬の開発など砲の口径や炸薬量以外の部分で性能の底上げをしていて、当然対応防御もこれに対しての物です。つまり対応防御と一言で言っても米軍艦艇の場合、求められる防御力が日本のそれより幾分高い訳です。 こう言った周辺技術も含めた開発力が当時の日本とアメリカでは比較にならないほど大きかったと言うのが実情だと思います。 また建造時期的に仕方ないのですが、大和型は船体構造に鋲接を用いています。鋲接は旧式ながら確実な接合法ですが、着弾・至近弾などのショックで鋲がゆるみ、浸水を許してしまうと言う欠点があります。 回航中の大和が潜水艦からの雷撃を受け、魚雷1発を被雷した事がありますが、見た目ではペンキが剥げた程度と言われるくらいで被害は無かったのですが、この時の鋲のゆるみによる浸水は実に3000トンにも及んだと言われています。 これらは排水ポンプで掻き出す訳ですが日本軍艦艇の場合、抗堪性が高まる代わりにスペース効率が悪く建造の面倒な缶(動力。この場合重油燃焼缶と蒸気タービン)のシフト配置を嫌い、松型駆逐艦を除き缶とタービンは同一箇所に配置しています。 シフト配置を採用した米軍艦艇のタフさは太平洋戦争で嫌と言うほど思い知らされる訳ですが、日本軍艦艇の場合、排水ポンプの動力も缶から貰っています。(米軍艦艇は別動力) つまり動力室への直撃があった場合、松型を除外した大和型含む日本軍艦艇は艦の推進力・電力、油圧や水圧ポンプで動かす兵器全ての能力を一度に喪失する上に排水ポンプも使えません。これに加え大和型の浸水隔壁は長門型と同一の23、注水可能範囲は全長の22%ほどに過ぎず、ダメージコントロールに対する考えが非常に遅れている事を示唆しています。(同時期の米軍戦艦は艦全長の半分ほどの範囲に注水が可能だった) 大和型に限った話では無いのですが、旧日本軍艦艇は予備浮力と装甲のみに防御を頼っていて、受けたダメージをどう現場で回復させるか、と言う考えには至っていなかったように思います。 大和型は平賀譲造船中将が設計に携わっていた事が知られていますが、彼は新技術に対して懐疑的で非常に古風な艦の設計を好んだ人物です。 彼が直接指示したとは思いませんが、新造時の大和型は艦橋左右にも副砲を配置した副砲4基12門の構成でしたが、この配置はドレッドノート以降の設計としては非常に古めかしい物です。(主砲を艦橋左右に配置したドレッドノート級登場以前の薩摩型と同一配置) 対して友鶴事件で更迭され、平賀の職務復帰のきっかけとなった藤本喜久雄造船少将は新技術を取り入れる事に意欲的で、ダメージコントロールなどにも良く研究していたと言われます。 アクの少ない藤本に比べ、平賀は軍の要求を無視して突っ走る傾向があり搭載を要求されていた魚雷を全廃、代わりに主砲の数を増やしておいたぜ、のような事を度々やらかし、これが左遷の遠因ともなります。ちなみにこの二人は犬猿の仲だったそうですが、藤本の方が顧客である軍と部下の受けが圧倒的に良かったそうです。 ダメージコントロールについての不見識に加え、復職した平賀が搭載を進めた中央隔壁も手伝い、魚雷一本の被雷で重巡が転覆沈没するなど、戦局が傾くにつれ旧日本軍艦艇は意外なほどの打たれ弱さを露呈して行きます。 大和型戦艦は確かに最強に属する戦艦だと思いますが、狙って撃てる物では無いにしろ艦首部など弱点も内包しており、何より第一次大戦のような旧来の艦隊決戦思想で設計された艦です。(条約開け第一世代の戦艦なので仕方ないですが) 大和の沖縄特攻に際して、スプルーアンス提督は大和を戦艦同士の撃ちあいで沈めたいとの意欲を見せていたらしいですが、幾ら大和の砲弾が37キロ先まで飛ばせると言っても、当時の戦艦では2万メートル先の目標への射撃では命中率が3%に届くか届かないか、と言ったところで結局は互いの射程内に入っての撃ちあいにしかなりません。 米軍では終戦まで大和型を41cm砲搭載艦だと誤認していたようですので、一戦目は大和が勝利するかも知れませんが相手は米軍ですからね。例え単艦縛りであっても次は何らかの対策を取ってくると思いますよ。

popps
質問者

お礼

 重装甲は機関部や弾薬庫などの重要部分のみで 全体を覆ってしまえば重くてスピードが出ません。 それ以外の急所にラッキーパンチが当たると大和とて、 ということですね。 回答ありがとうございました。

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