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異性愛者って自分の容姿に自信がないのでしょうか?

男の人で、「男に興味が無い」と言い切ったり、男の人がセクシーになろうとすることや、セクシーな雰囲気の男の人に「キモい」と言ったりして、その反面女の事ばかりヨイショしているのを見ると、どことなく矛盾を感じます。 あくまで男の人にとって、男というのは自分自身でもあるので、それを「興味が無い」だの「キモイ」だのって言うのって、自己そのものを否定している様に見えるからです。 すっごく卑屈で自己評価の低そうなオーラが漂って来るのです。 俺は不細工でセクシーになることも無理だ。俺は男だ。だから男という物は不細工で、美しさやセクシーさを目指すのは誤ったことだ。 という誤った三段論法を組上げている人に見えるのです。 自分がそんなに不細工じゃないと思っていれば、男の人がもっとセクシーになったり美しくなったりする事に対して、そんなに卑下する必要もないと思うのです。 キモい、興味ない、なんて言ってるの見ていると、なんでそんなに余裕がないのかなと思うのです。 女性がモデルを見て綺麗になろうとしたりお化粧をしたりするように、男性だってもっとこういう面での余裕が欲しいと思っています。 よく異性愛者は同性愛は自然に反すると言いますが、「男キモい」「男興味ない」と自己否定になる様な事を言っている方がよほど自然に反すると思います。 自分の価値を見いだせなくなったら終わりですから。 他の人が男なのにこんな自己否定オーラ垂れ流しな男叩きをしているのを見る中、僕自身男の人のセクシーさには極めて肯定的ですが、これは自分がやっぱ男で自分が美しくなることに肯定的だから、そういう方向に進むことを望んでいることが大きいためだと思っています。 だから、男の人のセクシーな容姿や服装などに関しては、基本的に肯定的に考えています。 女性だけじゃなくて男性だってもっとセクシーにエロティックになっていいと思いますし、女性だけじゃなくて男性の萌えキャラも居てもいいと思うし、女性だけじゃなくて男性がミニスカを穿いてもいいと思うし、女性のビキニをセクシーだというなら男性のビキニ競パンもまたありだと思っています。 こういう価値観について「ホモおかしい」とか「ホモは自然に反する」と言ってる奴の方が、よっぽどなんかおかしいんじゃないかとこちらからは見えるのです。 ナルシズムが全く無い人こそ、それを通じて同性の美しさに否定的な感情しか持たない人こそ、自然に反しませんか? 子孫を残すのも大事ですが、自分というものの存在を否定しだしたら、生物として真っ先にお仕舞いだと思います、自然に反すると思います。 どんだけ自分が嫌いなのかと思います。 どうでしょう?

  • LGBT
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みんなの回答

  • jing0708
  • ベストアンサー率59% (485/810)
回答No.8

返信の仕方が分かりませんでしたので、こちらで失礼します。 >その点、自分が引っかかっている所はこの三段論法だと思うんです。 前提1 自分は男である(不変の大前提) 前提2 男は、男性性はキモい(小前提) 前提1と2故に 自分はキモい(結論) 前提1 自分は男である(不変の大前提) 前提2 男、男性性にもセクシーでかっこいいし美しい所がある(小前提) 前提1と2故に 自分もセクシーでかっこいいし美しい所がある(結論)< まずね、なぜ上記が男性のセクシーさを嫌っている人の理論展開になると勝手に決めつけているんですか?その時点で貴方は他者を排斥する思想に立っているということに気付いてください。 彼らは確かに男性のうち貴方の思うセクシーな男性を嫌うかもしれません。では、男性そのものを毛嫌いしているかといえば、彼らには彼らの理想の男性像というものがあるはずです。それは仕事が出来る男性であったり、家庭人として尊敬される存在であったり、金銭を稼ぐことのできる男性であったり、ケンカに強い男性であったり。 これらは価値観が異なるだけで、彼らには彼らの理想があり良い男性像があるということに想像が至りませんか?否定することに終始して、自分が醜くなっていることに気付かないなら貴方は必死に否定している男性のセクシーさを否定する人たちよりも私には醜悪に写ります。 > 卑屈で自己愛が低過ぎるというのは言い過ぎたかも知れませんが、実質的にこういう事にはならないのでしょうか? 正直、そういう理由で僕は男ですが、男の人のセクシーさだの、美しさだの、エロスだのと言うものに、物凄く肯定的なのです。 男や男性性というものに肯定的になればなるほど、自分自身に対しても肯定的になれるのです。 なぜなら僕は男ですから。< 下らないですね。男性だから、女性だからなどという理由付けを必死にしている時点で自分に自信がないのだと思いますよ。 私も男ですが、同じように男性のセクシーさや美しさには肯定的です。ただ、それは男だからじゃなく単純に美しいものは美しいからです。カテゴリーに執着することなく、相手の人間を評価すればいいだけの話です。 なので自分自身男性として大きな自覚を持つ以前に、”自分”という存在をどうするかということを大切にします。だから、自分のできる最大限のことを努力し、成果を上げ、男性だからではなく”自分”だから好かれるよう努力します。 貴方の意見がくだらない最大の理由は、その男性男性と必死に訴える”男”の部分を”他者”と置き換えたら分かりますよ。それなら私は賛成ですし、そういう立場です。 私は自分にとっては自分ですが、他者にとっては他者です。だから他者を否定しません。なぜなら、他人を肯定することは他人に肯定してもらうことだからです。他人に肯定してもらうことで友人が増え、恋をすることも増え、自分の人生が幸せに彩られます。 他人を否定すれば、自分も否定され、自分の周りには誰もいなくなるでしょう。貴方は貴方が否定している人種と全く同じ匂いしかしません。私は滅多に他人を否定しないようにしてるんですが、貴方の感覚とは相いれません。 >ここまで自分が女よりも男に対して必死で強い思いがあるのも、自分自身に密接に関わりがあるためというのが大きいと思います。< そうでしょうか。単純に他人を否定したいだけでは? >そう思っているのにこちらの事を「ホモだキモい」だの「ホモは自然の摂理に反する」だのと貶す奴が本当に多いんですよ。 これのどこが!?と感じるわけです。 こちらから見ると自分が自分(を表す性別)を貶すのは不自然に見えるのですが。 少し論点がずれてるかも知れませんが、あくまでこの点に関してはどう思われますか? < 貴方は論点がズレてるんじゃなくて、否定されたことに対抗して否定しているだけだと思います。 悔しいのは分からなくありません。腹が立つのもわかるように思います。 男性が同じ男性を否定してどうするの!?と思う気持ちも、分かりはします。でも、そこから彼らを否定する考えは理解できませんし、ましてや彼らを貶すのは最早貴方が否定した人たち以下だとはっきり申し上げます。 人間が、同じ人間を否定してどうするんですか。 彼らには彼らの理想があり、好みがあり、趣味嗜好があるんでしょう。私たちは彼らを熟知してるわけじゃないでしょう?なのになぜ簡単に否定できるんですか。 そんなことに時間を使わないで、ご自分に時間を使うことです。 私はLGBTQを大っぴらに言っていますが、少なくとも否定されたり馬鹿にされることはほぼありません。友人や上司、部下、同僚たちがしっかり理解してくれていますし、私も否定されぬよう努力してきたつもりです。 本当はあなたの気持ちも分からなくはないんですが、そのままだと不幸になってしまうと思うから肯定できないんです。 自分を否定する人が周りに多い時は、自分が醜い時なんだと私は思います。 相手を受け入れ、尊重し、にこやかで幸せそうな人間を誰が否定しますか。 相手を貶し、批判し、必死に叩こうと怒っている人を誰が肯定しますか。 今のままの考えを持っていてもいいですが、そういう方で幸せになった人を私は知りません。だから、幸せになってください。 そして、幸せになったら教えてください。貴方が幸せになることを、本当に、心の底から祈っています。

  • jing0708
  • ベストアンサー率59% (485/810)
回答No.7

そっくりそのままご自分のことだと思ったほうがよろしいと思います。 私もLGBTQの人間です。が、多様性を理解できない人を心から嫌う人間でもあります。 まず >あくまで男の人にとって、男というのは自分自身でもあるので、それを「興味が無い」だの「キモイ」だのって言うのって、自己そのものを否定している様に見えるからです。 すっごく卑屈で自己評価の低そうなオーラが漂って来るのです。< というのはあなたの勝手な想像と解釈です。男性が自分以外の男性を否定することは競争心の表れでもあり、否定されるべきものではありません。 他者を否定し自分を高めようと考えるのは、ある意味では低劣ですがその結果として自身を高めるならばそれで良いのです。 >女性だけじゃなくて男性だってもっとセクシーにエロティックになっていいと思いますし、女性だけじゃなくて男性の萌えキャラも居てもいいと思うし、女性だけじゃなくて男性がミニスカを穿いてもいいと思うし、女性のビキニをセクシーだというなら男性のビキニ競パンもまたありだと思っています。< が認められるように、そういったものを嫌うというのもまた自由なんですよ。 >俺は不細工でセクシーになることも無理だ。俺は男だ。だから男という物は不細工で、美しさやセクシーさを目指すのは誤ったことだ。< は最早卑屈の表れ以外の何者でもないと思います。彼らを否定したいから彼らの心を勝手に醜く作り上げて、それを否定して悦に入る。どちらが醜い行為だと思いますか? そういった人たちを否定するよりも、そういった人たちを鼻で笑えるほどに実力を身に付け、稼ぎ、美しくなり、妖艶になることのほうがよほど大事だと思います。 そんな人間に時間を割き、心を割き、あまつさえネットで一生懸命自分の考えに同調してもらうことになんの意義があるというのですか。 >子孫を残すのも大事ですが、自分というものの存在を否定しだしたら、生物として真っ先にお仕舞いだと思います、自然に反すると思います。< こんな安っぽい理論に踊らされる暇があったら、LGBTQを生物学は否定できないという事実を学んだほうが良いです。私は一応医療系の博士課程に居ますが、LGBTQは生物学上の多様性によって説明できますし、他者否定も同時に説明できます。 必要なのは教養であって、否定ではないのです。 悪いことは言いませんから、そんなことを気にせず、自分が高みを目指すことをのみをしっかり見据えて毎日を過ごすことを強くお勧めします。

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質問者

お礼

回答ありがとうございます。 大変詳しい説明は有難いのですが、うーん、ちょっと難しいです、理解力が足りず済みません。 LGBTQに関して知識が足りず済みません。 その点、自分が引っかかっている所はこの三段論法だと思うんです。 前提1 自分は男である(不変の大前提) 前提2 男は、男性性はキモい(小前提) 前提1と2故に 自分はキモい(結論) 前提1 自分は男である(不変の大前提) 前提2 男、男性性にもセクシーでかっこいいし美しい所がある(小前提) 前提1と2故に 自分もセクシーでかっこいいし美しい所がある(結論) どちらの結論の方が、読んでいて気持ち良いでしょうか? 僕は二番目です。 だから前提2は後者の方がしっくりくるのです。 仮に前者の前提2を支持すると、結論が気持ち悪い物に行き着くと感じるのです。 卑屈で自己愛が低過ぎるというのは言い過ぎたかも知れませんが、実質的にこういう事にはならないのでしょうか? 正直、そういう理由で僕は男ですが、男の人のセクシーさだの、美しさだの、エロスだのと言うものに、物凄く肯定的なのです。 男や男性性というものに肯定的になればなるほど、自分自身に対しても肯定的になれるのです。 なぜなら僕は男ですから。 ひょっとしたら僕が女だったら、あるいは男でも女でもなかったら、男という物に違う気持ちを持ったかも知れません。 ここまで自分が女よりも男に対して必死で強い思いがあるのも、自分自身に密接に関わりがあるためというのが大きいと思います。 そう思い、僕は男の人がよりセクシーに、より美しく、また男性性の美しさと言うものが社会的にも女性並みに受け入れられる様になれば良いと強く思っているのです。 そうなれば自分だってそうなれるからです。 オタク的な話も含めると、女キャラよりも男キャラを愛せるのは、自分のアバターだったり自分の憧れのキャラになり得るからだと思います。 そう思っているのにこちらの事を「ホモだキモい」だの「ホモは自然の摂理に反する」だのと貶す奴が本当に多いんですよ。 これのどこが!?と感じるわけです。 こちらから見ると自分が自分(を表す性別)を貶すのは不自然に見えるのですが。 少し論点がずれてるかも知れませんが、あくまでこの点に関してはどう思われますか?

回答No.6

回答no.2の者です。 お礼への返信の方法が分からなかったため、こちらに再度投稿させていただきます。 お礼を拝見して思った事です。 ・自分磨きをしている人もそうでない人も、同性愛者でも異性愛者でも、男性でも女性でも、自分の容姿にコンプレックスを持っていない人は極めて少ないと思います。 ・男性で男性のセクシーさに興味がなくセクシーになりたいと思わない人は実際にいると思います。 目を背けているわけでも隠しているわけでもなく、本当に興味がないんだと思います。 女性でも皆がよりセクシーになりたいと思っているとは限りません。 ですが、子孫を残すための本能として異性を魅了するセクシーさを身に付けようと思わないことに不自然さを感じるのは理解できます。 ・魅力的な男性を異常に否定する男性はただ妬んでいるだけだと思います。女性でもそうです。 ・1男は~~ 2自分は男だ 3だから自分は~~ この事に関してあなた様がおっしゃるように私も1を変えるべきだと思います。 男だから~~、男のくせに~~ 女だから~~、女のくせに~~ どれも間違っていると思います。 個人は個人として尊重されるべきです。 「みんな違ってみんないい」この言葉が正解だと思います。 私を含め、私の周りには同性愛者を否定したりする人は一人もいません。 ですが、世間にはきっと多くいるのでしょう。 そんなのは哀れな人だなと思っておくのが一番だと思います。 同性愛者を肯定する人もたくさんいますしね! グダグダとまとまらない発言をしてしまいましたが、結論としては ・同性愛者を否定したり、より魅力的になろうとしている人を否定するのは良くないことだと思います。個人は尊重されるべきです。 ・しかし、皆がより魅力的になりたいと思うべきだとは思いません。 私はこんな人間でこのままでいたい!と思うも良し、外見なんて関係ない重んじるべきは中身だ!と思うも良し、これもまた人それぞれ違って良いと思います。 長々と失礼しました。 これもまた、1つの意見としてご覧くだされば幸いです。

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質問者

お礼

ありがとうございます。 どちらかというと同性を頭ごなしに否定して、同性の美しさやそれを愛好する人を卑下する人は、妬みが強いということでしょうか。 兎にも角にも知る限り男が綺麗にセクシーになることには、男性自身が多くが否定的だから頭が痛いのですよね。 僕は自分も他人ももっとそうなってくれれば、そういう文化が流行すればと思ってるんですけどね。 男をキモいというのは、男が自分をキモいと言っているのと同義だから、理解しかねる点です。

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質問者

補足

あ、そうそう。 お礼に返答する機能はOKwaveにはありません(知恵袋とここが違います)。 逆にあちらは返答はできるけど、回答を複数書くことができませんね。

  • mimazoku_2
  • ベストアンサー率20% (1845/8841)
回答No.5

私はそうは思いませんよ。 逆に同性愛者に疑問がわきます。 異性を愛することが自然なのに、なぜ同性を愛する? 同性を性の対象にすると言うことは、異性に対して全く自信が無いか、異性の愛し方を知らない。 なので同性に逃げるのだろうという考えになります。 現実に同性に対して「セクシー」とか「エロティック」って、何を基準にしているのか? どういった部分にセクシーさを感じるのか? 疑問です。 単純にマッチョが『筋肉美』という事は、理解できますが、性や愛を同性に求めるのは、単純に現実逃避であると考えます。

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質問者

お礼

ありがとうございます。 それは、同性というのは自分の中にもあるものだからですよ。 自分の中にある物を誇らしく思ったり、リスペクトするものだというのが自然に思うのです。

  • satouenn
  • ベストアンサー率13% (275/2054)
回答No.4

その方にとっての美やセクシーさは、あくまで女性の魅力を引き立たせるもの、としか捉えていないのではないでしょうか。 女のためのものなのに、と言う発想から入れば、嫌悪感を感じてしまっても仕方がないのかな?と思います。 あ、私は男女問わずセクシーで綺麗な人は好きですが。

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質問者

お礼

ありがとうございます。

  • ta_kuchan
  • ベストアンサー率24% (1287/5162)
回答No.3

別にそこまで熱くならなくても良いんじゃないのかなぁ。。。 世の中にはいろんな考え方があって良いと思うんだよね。 質問者様の考えは質問者様の考え方で良いと思うし そうじゃない考え方だってある。 異性、同性 関係ないと思うよ。 Aさんがとてもきれい・格好良い と 思う人がいれば どこが?好みじゃない格好悪い・ブサイクだ  という人だっている訳だからさ。 もう1度書くけど  色んな考え方・趣味嗜好があって良いんだよ。 ただ・・・自分の考え趣味嗜好を相手に押し付けたり するのはどうかと思う。

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質問者

お礼

ありがとうございます。 ホモキモいとか、同性愛を自然に反するとか言う人が多いけど、間違いだなと思うんです。 自分はあくまで自分の中にある男性性を誇りに思っているから、男のセクシーさやその他諸々をリスペクトしているのに過ぎないのに、同じ様に言われるし、こっちはこっちでなんか男はキモくて興味を持つに当たらない取るに足らない存在みたく言われてるみたいで悲しいのです。

回答No.2

私は異性愛者の女性です。 私は同性愛者か異性愛者かは自己愛に関係があるとは思いません。 異性愛者でも同性愛者でも自己愛が強く自分磨きに力を入れている方もいますし自己愛はあるが容姿は気にならないという方もいます。 もちろん自己愛が弱く否定的な方もいらっしゃるでしょう。 また、容姿をより美しくしようと思うのが余裕があるとは一概には言えないと思います。 容姿をあまり気にしないけれど心に余裕がある偉大な人もたくさん知っていますし、容姿ばかりをきにする心に余裕がない人も知っています。 いろんな考え方があっていいと思います。 どの考え方が自然に反しているということは無いと思います。 皆が他人の考えに寛容になり受け入れることが出来るとより良い社会になって行くのかもしれません。 1つの意見としてご覧くだされば幸いです。

GreenLink
質問者

お礼

ありがとうございます。 余裕というのはここでは、自分の容姿にコンプレックスがあるか無いかという話ですね、言葉足らずで済みません。 セクシーな男性やそれを目指してる人や、そういう所をよく思う事について、ホモホモと言ったり、同性(の容姿を重視したキーワードなど)を貶すようなタイプの人は容姿にコンプレックスがあるんだと思いますよ。 興味が無いというのも、同性の性的魅力などから顔を背けている、みない事にしている、逃げているように見えるからです。 そうでなければ、そういう事を貶さないと思いますし、異性ばっかりヨイショする必要性もない気がします。 自分はセクシーになりたいです。 だからこそ同性のセクシーさはリスペクトしますし、すっごく興味も持ちます。 同性を貶すのは、自分を貶すのと一緒ですからね。 男はキモくて臭い。 俺は男である。 だから俺はキモくて臭い。 の三段論法が成り立ちますからね。 二番目は変えようが無いので、変えるべき物は一番だと思います。 僕にとっちゃ一番目は大間違いなのです。 でも一番目を正しいと思ってる人は、三番目が成り立つわけで、すっごく自己否定に見えるのです。 それをホモで自然の摂理に反してるなんて言われたら、は??なのです。 いかがでしょう?

noname#255857
noname#255857
回答No.1

少数派のあなたの意見を、多数派に押し付けるには説得力が足りませんね。 主観に対して、世間に迎合しろとは言いませんが、少数派の立場が弱いのは仕方ない。

GreenLink
質問者

お礼

ありがとうございます。 自分の中にあるもの(男性にとっては男性性、女性にとっては女性性)をリスペクトしたり誇らしく思ったり、愛したりするのは少数派でしょうか? 僕にしてみればそれができないのはかえって不自然に見えるのですが。

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    • LGBT
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    • LGBT
  • 同性愛と自己愛というのは近いものでしょうか?

    実際の所どうなんでしょうか? 例えば、自己愛とは同性愛の一種の形なのか、それとも逆に同性愛の方が自己愛の一種なのか、あるいは自己愛の一部と同性愛の一部が被っているのか、それとも単に部分的に類似しているだけの所謂「似て非なる物」なのかどれなのでしょうか? というのがそもそもが自己愛というのは、自分自身に対するものなので、自分自身が異性になる訳もないという点がまず主となりますね。 それを踏まえ、自己愛が強い人って、そうでない人に比べて性的要素を含めた関心が異性よりも同性に向いている傾向にあると感じますし、それ以外の感情に関しても普通なら異性に向きそうな感情が同性に向く傾向が強いと感じるからです。 自分の経験も混ぜて、以下に書いて行きます。 まず前提として、コスプレ文化を取り扱うメディアだと、可愛い女の子とかばかりを扱うことが多いですね。 そっちの方が売れるからでしょうし、それを支持する層が多いからでしょう。 その分、男性のコスプレというのはメディアも扱わないし、コスプレイベントでも不遇に扱われることが多めです。 ところが、これに対して不満を言う層もある訳です。 じゃあどこかというと、それはレイヤーの男性層なんですよね。 彼らは自分のコスプレの利害も当然理由にはありますが、他の同性のレイヤーさんを結構大事にしていますし、女性だけを持ち上げまくる様なことをする人はあまり居ません。 一応、これらの人達はレイヤーである以上、多かれ少なかれ自己愛が強い人だとは思います。 普通のオタク系男子とは異なり、異性ばかりを大事にするのではなく、同性のレイヤーさんを応援している辺り、そこらへん正反対だなと感じる訳です。 また、自己愛が強い人って、「なりたい自分」や「こうありたいセクシーな理想の同性」というのを考え、間接的に同性に視点が向きやすいことが多いです。 上で例に挙げたコスプレイヤーという人も、異性装をする人も中にはいますが、どちらかというと女性は女性キャラを、男性は男性キャラをやる人が多めです。 当然、そのキャラが「好き」だからというのには間違いないでしょう。 嫌いなキャラや興味のないキャラのコスプレをするコスプレイヤーは、まずいないでしょう。 当たり前ですよね!? 基本的に、例えば男性で女性の萌えキャラとかじゃなく、男性キャラを愛する人って、ある種の自己愛に思います。 特にRPGなどの主人公キャラクターを愛するのであれば間違いなくそうだと思います。 なぜならRPGの主人公キャラクターというのは、プレイヤーにとっての「アバター」ですからね。 僕自身もプロフィールのアイコンを、ゼルダの伝説のリンクにしていますが、彼のように美しくてセクシーな雰囲気になれたらいいなとよく思いますし、中高生の頃に「耳が尖ったらいいな」と思ったこともあったりします。 基本的に僕は女性キャラよりも、リンクしかり、男性キャラの方が遥かに好きですね。 愛着持てるし、「僕だってこんな風になれればいいのに!」という気持ちが強いです。 Twitterのフォロワーの人で、タイツフェチを自称している方がいますけど、彼の場合もまた「時のオカリナ」の大人リンクが穿いていた「白タイツ」を見てから目覚めて、彼自身もリンクのレイヤーですし、ヒマがあったら白タイツを穿いて外出を楽しんでいる方です。 男キャラを通じて、タイツが好きになり、そして白タイツを穿いている自分自身のことも好きな人なんだろうと思います。 僕にせよ彼にせよ、リンクがもしも女だったらここまで入れ込むことも絶対になかったと思います。 リンクが男だったから、そして男なのにすごくセクシーだったから、ここまで入れ込んでしまい更に「こんなセクシーな男になれたらいい」という気持ちまでもを抱いたと思います。 一種の自己愛だと思います。 また、わざわざセクシーな格好をする人だってそうでしょう。 中には「異性ウケ」を狙ってやる人もるかも知れませんが、正直ここは自己満の方が強いと思います。 特に、相手の性的魅力を「視覚」から得る男性に比べ、女性はそういう傾向は少ないと言われているだけに、女性は兎も角男性がセクシーな格好をした所で、女性ウケは良くないでしょう。 それでもやる人はいる訳です。 じゃあ誰のためかというと、自分のためだとしか思えません。 自分が美しいと思うからやるのに過ぎません。 で、こういう人がなにが美しいかとか、なにに憧れるかと考えると、なんだかんだで同性ですよね。 こんなにセクシーになりたいとか、そう思う訳ですよ、勿論同性に対して。 自己愛の強い人というのは、そうじゃない人に比べて、異性よりも同性の魅力に興味を持ったり、自分という存在を通じて同性に対して「性的に美しい(そして自分もそうなりたい)」という感情を抱くと思います。 そして中には自己愛が強い人だと、同性に性的に興奮する人もいると思います。 自分もそういうところがあります。 どういうことかというと、「自分だってこういうシチュエーションならエロいと思う」とか、そういうのをリアルに感じれるからですね。 男キャラにハァハァする男の人が知人にいますけど、なんだかんだで自己愛かなり強い人ですし、どことなく自分と性別が同じという理由からリアルさを高めているように見えましたよ。 だから、自己愛が強い人って、基本的にそうでない人に比べて同性の性的な物を含めたあらゆる魅力に関心を持ったり、憧憬したり、あるいは性的なシチュエーションに興奮したりする事が多い様ですよ。 特にオタク系の人で人と付き合いの少ない人とかで、マトモに他の人と恋愛をしていない人、経験していない人とかだと、いつのまにか普通の恋愛はどうでもよくなった分、色んな事が内向的になっていって、性的なものまでもが自分の中にある幻想を追い求める様になっていくこと、自己満足こそが一義になっていくことは決して少なくないと思います。 そこを踏まえた上で、同性愛と自己愛の関係というのはどうだと思いますか? 知る限り人によっては意見がものすごくまちまちで混乱します。 同性愛者の人は「同性愛と自己愛は根本的に違うものだと思う」と言う人が多かったです。 かたや異性愛者の人は「いずれにせよ同性に性的魅力を感じていることや、性的に興奮する要素を感じているには間違いないし、自分にはそういうことは理解できないし、同性愛と言って差し支えないと思う」という意見を半分ぐらい聞いた事があります。 こうも意見が分かれてる訳で、実際に自己愛というのは異性愛なのか同性愛なのか、確かに自己愛も同性愛傾向はあるけど同性愛の一種と捉えていいものか、違うのか。 実際同性愛とはどういう物なのか、ある程度詳細に知りたいと思っています。 大雑把に「男が男を好きなら同性愛」「女が女を好きなら同性愛」という感じではなくて、もう少し詳細な面も入れて、自己愛に絡めて説明して頂けると幸いです。

  • 同性愛や異性愛に対して、自己愛について

    同性愛と異性愛の話はよく話題に上がります。 LGBTというカテゴリに関しても、前二つは同性愛、右から二番目は両性愛(同性愛と異性愛両方)ですね。 その点、自己愛という言葉はLGBT+αという言葉に入ってないな、と前々から気になっています。 それだけなんか注目度低い?と感じています。 また、異性愛や同性愛はLGBTという言葉で非病理化されていますが、自己愛に関しては、自己愛性パーソナリティ障害という形で、病理化されてしまっているのが変に思います。 また、異性愛の対義語が同性愛とされています。 ただ、思うのが異性愛(と同性愛両方)の対義語は、自己愛じゃないのか?と思うのです。 なぜこれが気になるかというと、要は異性愛も同性愛も、外向的で他者ありきの恋愛感情だからですね。 自分の「パートナー」なり、恋愛感情として、異性なり同性なりが好き、そして追加要素としてその対象になりうる人がセクシーであって欲しい、という感情です。 性別が同性か異性かというだけの話で、本質はあまり変わらないと思います。 その点自己愛というのは、内向的で他者の要らない感情に思います。 他人受けよりも自分にとって自分がどうありたいか、という感情です。 自分が知る限り、人にウケる格好と、自分がかっこ良くなれる格好は、得てして180度異なります。 僕は男なので男性の場合しかよく分かりませんが、スーツリーマンにせよ、ホストにせよ、基本的に黒やグレーのスーツを着用します。 あれは「人にウケる格好です」。 要は、大人しく見えて人に劣情を抱かせず、客観的に見て好感を抱かせる格好、ですね。 その点自分がかっこ良くなれる格好は異なります。 セクシーさをウリにするなら肌の露出もあり、派手にキメたいなら蛍光色もあり、原色もあり、ってな感じです。 その代わり「なんだこいつ自分がヒーローだと思ってる」「周囲のことはガン無視している」と思われるだけで、ウケは良くないでしょうね。 前者は白や黒のセダン(主に高級車)、後者は真っ赤なフェラーリを想像して貰えると分かりやすいかと思います。 また、対義語が異性愛と同性愛ではなく、異性愛と自己愛だと思った理由は他にもあるのですよね。 僕はゲームが好きなのですが、主人公キャラを同性(男)にするか異性(女)にするかという話や、キャラに異性(女)が多い方がいいか、同性(男)が多い方がいいか、という話をした時に、これを感じました。 ここで、異性(女)を選ぶ人は、基本的に異性愛を理由にした恋愛感情が理由となっていることが多いのに対し、同性(男)を選ぶ人は、主人公を自分のアバターとして愛着が持てるか、主人公や周辺の男キャラに感情移入ができるか、というのが理由になっていることが多いのです。 大抵は同性愛だから同性を選ぶ訳ではありません。 いわゆる自己愛ですね。 だから異性愛に相反する感情は、同性愛ではなくて自己愛だと感じるのです。 あと、草食系とか無性愛者とかいう方、その分自己愛が高いと思われる人いると感じます。 そこを踏まえ質問の要点を再度まとめると、 ・なぜ異性愛の対義語は同性愛であって、自己愛ではないのか ・なぜ異性愛や同性愛は健全な物として非病理化されているのに、自己愛は不健全なものとして病理化すらされているのか(自己愛が異性愛や同性愛などとは対等に扱われないのはなぜか) なんだか不思議に感じます。

  • 男どうしの同性愛は何故人気なんですか?

    男どうしの同性愛、いわゆるホモって二次創作とかで大人気ですよね。でも私には何故ホモがあんなに人気なのか正直理解できません。ホモを否定しているわけではないのですが、純粋に疑問に思うのです。私と同じような質問をされている方がいたので回答を何件か見たんですけど、「禁断の愛」だからはまってしまうという方が多いような気がしました。しかし私にはもっとなにか別の理由があるような気がしてならないのです。「禁断の愛」の他にもホモにはまってしまう理由を知りたいのです。 全部じゃなくていいので下記の質問に答えていただきたいです。 (1)昔から流行っていたのか(いつ頃から流行り出したのか) (2)ホモが好きな女性はどのくらいの割合でいるのか (3)ホモを好きなったきっかけ (4)今ホモを好きな理由(重要) (5)現実に男どうしの同性愛者はどのくらいいるのか (1)、(2)、(5)は予想でもいいんでお願いします。

  • 自分になかんずくホモっぽい所があって人にもそう扱わ

    自分になかんずくホモっぽい所があって人にもそう扱われがちです。 しかしながら実際の同性愛者を見ると、そことも何かが違って感じます。 一体なぜでしょうか? 自分は男なんですが、男の人のセクシーな姿やシチュエーションに萌えを感じることが多いです。 男の人をセクシーに見せるアイテムに執着することも多いです。 なんで男なのかというと、突き詰めると無理やりこれに名前を付けるなら、「自己投影萌え現象」と思います。 男がヒーローものを見るとワクワクしたり、(主に)子供がヒーローごっこをしたりするのは自己投影ですよね。 それと同じような感覚でエロスを消費していると思います。 同性だからリアルに感じられ、それを自身の体験の一部の様に捉えたり、自身の思い出に繋がる物を引っ張り出したり、そういうのが萌えなんだと自認しています。 アイテムに関してはそのようなシチュエーションを作り出せるアイテムとして固執しています。 自分で自分用に所持することも好きだし、男の人がそういうのを使っているのもありです。 ただそういう感情を持っていると、基本的にホモ扱いされるし、大多数の男は女にしかそういうの求めないなって感じます。 でもじゃあ実際の同性愛者の方を見ると、実際にこういうこと考えてるかというと、大抵そうは見えません。 もっとプラトニックな、男性同士の恋愛や共同生活について考えている人や、あるいは真逆に男性同士での具体的な性行為やそれに繋がることを考えている人の方が俄然見ます。 変な話、こういう「萌え」「フェチ」などという中間的なものが一番空白なのです。 どうして異性愛者とも同性愛者とも違う感じになってしまってるのでしょうか? 異性愛者からすると理解不能でホモにしか見えず、同性愛者とはなんか違うという感じでなんやねん!?なってます。 こういう自己投影萌えから出てくる、同性に関連するフェティシズムってなんなんでしょうかね?

  • 同性愛って何故忌み嫌われるのでしょうか?

    何人かの友人が同性愛を心底毛嫌っています。そういう人は多いでしょう。 わたしは同性愛者ではありませんが、同性愛を嫌だとか気持ち悪いとか微塵にも思った事がありません、否定も肯定もしません。俗にいうオカマさんも同様です。 男友達に実際、同性の恋人が出来たと聞いた時も、特に男友達を気持ち悪いとか嫌いにはなりませんでした。 何故、あんなに忌み嫌われるのでしょうか?