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人はパンのみにて生きるにあらず
- 人が生きるのはただ食べて生きることが主目的ではなく、いろいろなこの世の課題と向き合い考え他人や生き物を愛することを覚え、成長することが大切だということかなと。
- イエスが上の言葉に続けて言ったという「神の言葉によって生きるべきと聖書に書いてある」というのは、そういうことじゃないかと考えています。
- 漫画を描いた方の真意はわかりませんが、「真の意味はわかってるけど、子供にはむずかしいのいで面白おかしく書いておこう」と冗談半分にしたのかなとも思います。
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BEACHBOYS1970さん おはようございます。 イエスが荒れ野で悪魔からの誘惑にあった時の聖書の記述ですね。 私は、BEACHBOYS1970さんの質問の投稿を見て、ナチスのアウシュビッツ収容所で、身代わりとなり亡くなった、コルベ神父という人を思い起こしました。 アウシュビッツにおいて、1人の囚人が脱走したのに対し、見せしめとして10人の囚人が殺されることになりました。 その時、選ばれた、フランシスコ・ガヨヴニチョクという人が「私の妻、子供たち」と泣き崩れたのに対し、自分が身代わりになると、コルベ神父が志願しました。 私はガス室に送られ亡くなったのとばかり思っていましたが、送られたのは、餓死室です。 そこでは、生き延びるために、他人の糞を食べるなどという、極限状態においての死場だったそうです。 コルベ神父は、そのようなナチスに対し、「愛だけが創造する」と愛を武器に戦い亡くなったそうです。 同じく、アウシュビッツ収容所に送られた、「夜と霧」を書いた文豪で精神医学者のヴィクトール・フランクルはアウシュビッツにおいて2種類の人がいることに気付いたそうです。 ひとつは、将来に絶望し鬱病にかかり自殺しようとする人達。 もう一方は、自分のかけがえのない人生の意味と責任を見出し、生き続けようとする人達。 フランクルは終戦後、その体験からロゴセラピーという、精神病患者が自分の存在に意味を見出し、価値観を感じるのを助ける治療法を提唱しました。 もちろん、パンなどの食べ物を食べなくては「身体」は機能しなくなり死にます。しかし「心」にも食べ物を与えなければ、病気になります。 心の食べ物とは「愛」と思います。日本において精神病にかかる患者が増えていることに対し、他人への思いやりなどの「愛」が希薄になっているのではないかと危惧しています。 そしてアウシュビッツのような悲劇は二度と起らないような、平和な世界を望みます。
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- kohichiro
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びーちぼーいずさん、貴重なスレをつくっていただき、大層ためになりました。 ありがとうございました。 そのまんがも「あはは、そういうか、きみは、まあ、それでも一応筋はとおっているよね」 といって笑いとばしてしまうだけではない、皆さんおっしゃるようにいろいろ深いものが感じられるエピソードでもあります。 キリスト教がそこにどのような解釈をとっているのか私も不勉強でよくは知りませんが、あたりまえといえばあたりまえ、でもそれを本当にわきまえて生きている人がどのくらいいるのか、私自身反省せねばならないとも思います。 日本が戦後米国にべったりついて金儲けに専念し他国からエコノミックアニマルと揶揄軽蔑されながらも、かつかつ平和憲法を守ってきたのはそれなりに意義のあることだったと思いますが、あべさんのもとでそれらの反省と総括をまったくしないまま憲法そのものを米国向けに改変しようとしているのは、「パンのみで生きるにあらず」という普遍の精神に沿うものなのか、私はよくわかりませんが、日本人がある意味で無宗教国民だということと、この無反省は関係するのではないかと思っています。 変なことを書き散らしてしまいました。ごめんなさい。
お礼
いえいえ、全く変ではありません。私的には「至極真っ当」なご意見です。 表題の漫画については今もよく思い出しますが、書いた漫画家さんは実はかなり哲学的なことを言ってるのかもと考えたりします。 おっしゃるとおり、今の日本の危機的状況も根本原因は、神を信じない人が多いことかもしれません。昔は八百万の神を信心するのが普通であり、誰も見て無くてもお天道様が見てるから、恥ずかしいことはするべきでないという認識が一般的だったような気がします。しかし、戦後、物質主義の権化たるアメリカの属国化してしまい、金儲け至上主義、弱者切捨て当たり前がどんどん進み、環境問題などもはや回復不能に近いところまで来てしまいました。畏れの対象である神を否定してしまい、歯止めがなくなったためと感じます。(なお、神国日本という考えから誤った方向に行ってしまい、戦争で多大な犠牲と迷惑をかけたのも事実ですが、これは戦争ありきの軍部・財界・政治家のせいであり、彼らが国民を駆り立てるのに巧妙に神を利用したためでしょう。天皇を現人神と呼んだりしました。) 先の戦争についても、反省どころか正当化する意見がもてはやされる今の風潮は、平和憲法までアメリカの要求どおり変えちまえというところまで来てしまいました。 もともと、日本人は多様な考えを認めたがらずひとつの方向に流されやすい特徴があると言われますが、これも個人個人が自分の頭で事の善悪を深く考えようとしないためで、イエスの言った言葉のような愛など無用だとなりやすいのかもしれません。
- kazamidori365
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質問文を見直したら、これも新聞の話ですか。 私はなぜか複数の新聞記者から長年、粘着されて 誹謗中傷されているので新聞記者が大嫌いです。 他人を揶揄してお金を稼いでいる賎業です。 しかもそれを受験生に読ませているのですから異常です。 狂っています。 それ以前に、新聞記者がこんなところから 記事のネタを探して、一個人を揶揄しているだけだということに この国の言論は駄目だと思いました。 失望しました。新聞記者は尊敬できません。
お礼
どういう状況なのかよくわかりませんが、新聞社に恨みがおありのようですね。社会の真実を伝えることが第一の使命であり、存在理由だと思いますが往々にして特定の方向へ巧みに世論を誘導しようとすることもあるので、読むほうも妄信せずに判断力を働かせることが大切と思います。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
この言葉は、左派、特にマルクス系の人たちが 好んで使ったので、それを皮肉ったのでは ないですか。 人間が生きる目的はただ食べることではない。 人間には食うこと以上に大切なことがある。 人間はより高い理想の実現のために生きるべきだ。 世界平和のために、搾取のない自由で平等な 社会をつくるために生きるのだ。
お礼
左派の人が好んで使ったかどうかはわかりませんが、真っ当な言葉だと 思っています。 書いた漫画家さんの思想を知らないのでなんとも言えませんが、皮肉で そういうセリフを付けたとしたら、ちょっとがっかりですね。 しゃれで書いたと思いたいですが。
#4です。霊魂や霊の存在について 他の質問者、回答者のことではありません。 神の言葉は自分が持っていれば いいと思いますよ。
>人が生きるのはただ食べて生きることが主目的ではなく、 いろいろなこの世の課題と向き合い 考え他人や生き物を愛することを覚え、成長する など言うまでもない。 カルマとかスピリチュアルなことを 押しつける人がいるから霊魂や霊の 存在が怪しくなったんですね。 質問者さまのことではありません。 ラテン語を知ることも有意義です、 プシュケーです。
- kaitara1
- ベストアンサー率12% (1158/9169)
貧しい人々が日々の食事にも事欠いて苦しんでいるという話を聞いて、マリーアントワネットでしたっけ、それならお菓子を食べればいいじゃないと言ったという話を思い出しました。また当時のアメリカ化政策あるいはその風潮に対する揶揄もいくらか感じられます。少しそれますが、センター試験に英語の聞き取りがあるのも「学生は英語のみにて学ぶにあらず」では。
お礼
フランス革命で断頭台の露と消えた、ルイ16世とマリーアントワネット。 実は、革命の足音を聞いて亡命をはかり、オーストリアとの国境付近まで逃げたのですが、ここまで来れば大丈夫だろうとたかをくくり、のんびりしたのが運の付きで、寸前で追手につかまり・・・ということらしいです。 長く絶対王政の国だったフランスが、以来曲がりなりにも王政を復活させず 比較的民主的にやってきたのは、ドイツなどと比べるといろいろ感慨深いです。海外領土については、帝国主義の中心にいたのはイギリスと双璧でしたのでなんとも言えませんが。 アメリカ化政策は、戦後顕著ですね。今や属国みたいなものですから。 原爆2発落とされて何十万人が焼き殺されて、放射能に苦しめられても 未だ言いなり。沖縄の基地も、いくら反対しても強行。英語を小学校から教える前に、もっと大事な人間教育すべきなのにアメリカ様の機嫌損ねないように、強行。もうアメリカ国日本州です。
- kurione
- ベストアンサー率53% (858/1598)
まさにあなたの言われている通りだと思います。50年前に子供向け新聞があったかどうかはわかりませんが、今よりは宗教的勧誘があまりない時代だと思います。どこでどんな状況で読んだのか、作者がどういう意図で書いたのかより、あなたが言われているとおり感じ方は普遍という事が大切だと思います。宗教的な物が希薄な私でも地面にしっかりと足をつけなさいということかなとは思いますが。 話は逸れますが・・・・。 私にとっては45年前父につれられて行った散髪屋においてあった本、芥川龍之介の蜘蛛の糸が記憶に残ります。 もちろん芥川龍之介なんて知りませんでした。挿絵が多かった。人間の業なんて子供に分かるはずもなく良いことをしなさいということぐらいしか感じなかったが下からあがってくる人々を落とそうとするときの主人公の顔がとても怖かった。今読むと釈迦様が悲しそうな顔をして蓮池から立ち去ったということが心にしみる。感じ方の変化も大切です。
お礼
確か、朝日小学生新聞とかいう名前だった気がします。家で朝日を取ってたので、サービスでくれたのかもしれません。この新聞、今もあるんでしょうかね? おっしゃるように、作者の意図はわかりませんが私がそう感じたことは事実ですから、深読みすれば神様が私にインスピレーションを与えるために読む機会を与えたのかもしれません。この世で起きることは、偶然は無いといいますから。 45年前といいますと、昭和45年の大阪万博のころですね。中学生でしたが、親に万博連れてってくれと随分せがんだ記憶あります。なんせ、新聞の万博特集を保存してたくらいですから。しかし、当時は借家住まいでそんな余裕ないと言われてお終いでした。でも不憫に思ったのか、代わりに熱海に一泊で連れてってくれたのも懐かしい思い出です。 床屋で芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を読まれたんですか。小学校の国語教科書で読んだ記憶がありますが、今は教科書に載ってるんでしょうか。 あらすじもよく覚えていませんが、根本は現世での生きかたであの世での行き先も決まるみたいなことでしたかね。挿絵が怖かったのは、私も感じました。必死で細い蜘蛛の糸につかまる人を容赦なく落としてしまう。 芥川は若くして自殺してしまいましたが、「蜘蛛の糸」を書いたり、子供が生まれたときに「こいつは、なんでこんな世の中に生まれてきたのか」と書いた日記が残ってるそうですから、ある程度死後の世界や霊魂を信じていた気がします。であれば、自殺してしまうとどんな目に合うかも理解してたと思うのですが、残念ですね。
キリスト教の格言をネタにした、ギャグ漫画ですよ。 上田まさしさん(コボちゃん等)やサザエさんのような 格言と子供の勘違いを掛けたものにしか見えないですけど。 元の意味はおっしゃってるようなことでしょうけど 漫画を書いてる人はそんなこと考えてないと思います。 子供相手に書いてるのではなく、「大人が読むと面白い」が主体だと思いますね。 アメリカンジョークの類だと言えば分かるでしょうか。 マンガで見る歴史のように子供向けに難しくなく面白おかしく読ませようと思ったら まず「簡単にわかりやすく描く」って選択になりますから。 普通、教義や格言を茶化したりはしませんよ。
お礼
漫画を描いた人の考えはその程度だったかもしれませんね。 深い思いはなかったかな。だけど、私はその漫画で初めて知ったセリフなので、逆にその意味を考えるようになったから反面教師かもしれません。 考えるきっかけを作ってくれたということでは、今も忘れられない漫画です。
- koosaka
- ベストアンサー率43% (78/179)
キリスト教に入信しなさい、という勧誘のための宣伝パンフのキャッチ・フレーズなんじゃないの? むかし、創価学会も、お題目をあげると功徳があります、と言って盛んに「折伏」して信者を増やしたけど、それと同じ・・・・・・・ 人は食べるだけでは、心が満たされない、だからキリスト教を信じなさい、と。 どっこい、その手には乗らぬ。 わたしゃ、うまいものを腹いっぱい食えれば、それで心も満たされるから、キリスト教なんてお呼びでない。
お礼
人それぞれですからね。キリスト教に限らず、仏教やイスラム教、他にも数限りない宗教や思想があります。 物質主義と精神主義という区分もありますが、要はこの世にいる間(短いですが。たかだか70、80年)に何を求めて生きるのかという問いですね。 食べなきゃ死にますから、もちろん肉体維持のため食事は大事ですが、それだけで満たされるのかということですね。 ただ食うだけなら、犬猫もやってます。しかし、せっかく高度な頭を持つ人間に生まれたのはそれ以上の意味があるのじゃないかなと思ったりしてます。別にキリスト教が全面的に正しいからそれを無条件に信じましょうとは、私も思いません。基本、無宗教ですので。 ただ、死後の世界の存在を確信している立場から考えると、仏陀やキリストなどは乱れきったこの世を直すためにあの世から送り込まれたメシアだということは、十分考えられると思ってます。従って、その教えたるキリスト教や仏教が今も大きな影響力を持つのは偶然ではないと思います。 宗教に対する偏見は、昔の十字軍がイスラム教徒から聖地エルサレムを奪還するという美名の下に侵略して、中東に占領国家を作ったことなども影響してるでしょう。書くのもいやになるような殺戮が行われたことは、当時のことを記した本を読んで知ってますが、昔も今も変わりません。しかし、本来 イエスや仏陀が唱えたことは人類愛が基本です。後の後継者が都合よく理屈をつけて捻じ曲げてしまいました。つくずく、エゴイズムの人間の浅はかさを痛感します。 今の地球が、どちらかというと自分さえよけりゃ他人など死のうが生きようが知ったことじゃない、弱者からは搾り取って「自己責任」のお題目となえてりゃいいという風潮が強いのは、正に地獄的ですね。
お礼
書かれてること、全く同感です。 コルベ神父は名前は聞いたことがありますが、アウシュビッツで身代わりになって餓死された方なんですね。いくら神に仕える仕事でも、本当に愛に満ちた人じゃなければできません。あの狂気のナチスに対して敢然と愛を武器に戦ったという気がします。 フランクルという方は存じませんでしたが、過酷な体験を元に精神を病んだ人を助ける治療法を考え出したんですね。 ナチスにつかまり、いつ死んでもおかしくない状況では、絶望して自殺を図る人も大勢いたでしょうが、そんな時でも生まれてきて生きる意味を考え 前向きに生きようとする人もいたんですね。私なども正直この世が楽しいとは思いませんので、そんな目に合ったらいっそう早く死にたいと考えるでしょうが。とはいえ、自殺はできないですけど。 戦後のドイツがほぼ一貫してナチスを否定し厳しく禁じてきたのは、真摯に戦争責任を考えたからでしょう。それに引き換え、日本はどうでしょうか。 やったことも無かったように言いくるめ、反論すれば「反日だ」と決めつけて、議論すらしようとしない。事実を事実と認めず否定し、過去を正当化する輩が多い。結果、社会全体が非常に右傾化してしまいました。 彼我の違いはどこから来るのかと思います。 肉体の栄養は食べ物ですが、心の栄養は愛ですね。車の両輪のようなもので どちらが欠けても病気になるでしょう。心の栄養が無くても肉体は死にませんが、それでは生ける屍に近い気がします。 おっしゃるように、現代日本で精神を病む人が急増しているのは、社会全体が思いやりを失い殺伐としてることが大きいでしょう。会社では業績第一で尻をたたかれ過労死するまでこき使われ、裁判になっても開き直る会社も多い。学校ではいじめが横行し自殺も多い。先生はクラブ活動の指導に無償で駆り出され、他の仕事も多すぎてとても一人ひとりの生徒と向き合う時間が無い。これでは、他人に優しくする気持の余裕も持てないのも道理です。 もっと人が人らしく生きられるまともな社会を実現したいと心底願います。