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人それぞれ見ている色は誰でも同じ色に見えてるのか?
僕の肌の色は「肌色」という幼い頃教わった色で見えています。 それが別の人ではまったく同じ色に見えてるのでしょうか? もしかしたら別の人は人間の肌の色はアバターのように僕の中での「青」という色で見えてるかもしれません。 しかしその人の中では僕の中での「青」は「肌色」と認識されています。 そうだとしたらこの質問見ている方もアバターの色は「青」と思ってると思いますが、それは僕の中では「ピンク」かもしれません。 今僕の目は今見てるとおりに見えますが、別の人の目は赤いフィルターを通したような色に見えてるかもしれません。 見えてる色が違くても、幼いころからこの色は〇〇色、その色は〇〇色と教わってるのでなにも不思議に思いません。 ある人の中で、りんごは僕の中での「茶色」に見えてるかもしれませんが、幼いころから「赤色」だと教えられてるので、僕の中での「茶色」はある人の中では「赤色」です。 説明が下手なのですが、僕が言いたいことはなんとなく伝わりましたか? 最近すごく気になってます。 みなさんはどうお考えですか? ※カテゴリは分からなかったので「科学」にしてしまいました。
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- kaitara1
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エルグレコという画家がいます。細長い顔の人物を描いたことで有名です。ある人がこの絵を見てエルグレコの目が異常だったのではないかと言いました。隣にいた人が、グレコの目に顔が細長く映っていたとしても彼の手で描いた顔はわれわれが見れば決して細長くないはずであると反論したという話があります。同じ問題なのではないでしょうか。
- doc_weekennd
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人間には普通眼が二つあります。 注意して眼を凝らして下さい。 少なくとも私の両目は色が違って見えます、大きくは違わないが、ブルーに近い冷たい眼とピンクに近い暖かい眼があります。 余り違わない様だ。
- heyboy
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なかなか良い質問ですね! とうぜん人は他の人から見える景色はわかりませんけど おそらくは人によっては色の見え方が 微妙に違う可能性はあると思われます、、、。 ただそれを確かめる術はあまり無いかもしれませんがね。
- bekky1
- ベストアンサー率31% (2252/7257)
日本人は7色の虹といいます。 世界には虹は5色だと、子供が絵に書くとそのようにです。 なので、7色とおしえられるのか、実際にそうなのか、 5色にしかどうしてもみえないのか、そう教えられるかも不明ですが、 目の色で瞳の色で、虹彩の色で違って見えるのは当然だとは思われるでしょう? サングラスの色で違うし、 実勢に、高齢者体験実験などでは黄色のグラスを掛けてどのように高齢者は 世の中が見えるかと実験するのです。 赤を茶色と教えられても、長い年月に、その人の赤も茶色も、元の波長は 同じでも、感覚器として受け取るほうがフィルターの変化もあって、 赤も茶も変化する。 なんとなくですが、60歳で赤いちゃんちゃんこというのは、 60で赤というのは、こういう色だと色調調整させる意味合いもあるのではと。 赤がチャント、血液の赤、火の赤であるとね。 赤ちゃんに戻る、子丑寅・・・が5巡りして、60歳というだけでなく、 赤という色に意味があると何となく、思う次第です。 波長として長くて、色として感知する、長波長の限界だから。 だって、時代劇みても、偉い人の若様・赤子だって、赤色着てないでしょう? 白ですよね、普通。 花嫁も白ですし、元に戻るに白でなく、’赤’に赤を修正するという意味合いが会ったかもしれないと。 たとえ自分としては、これは茶色だと思っても、世間の人はこれを赤だという。 目が変化しても、茶色の少し違うかな?でも、これが’今の赤’という スタンダードを改めて長生きしてしまった人を修正する。
あなたのお話はよく分かります。 リンゴが赤だ、とみんなが言うから「これが、みんなが赤と言っている色なのだろう」と認識しているのだと私は思っています。次にレモンを見せられて、「これは何色ですか?」と聞かれたら、それはみんなが黄色だと言っている色だと"知っている"から「黄色です」と答えます。 ところが、あなたがおっしゃるように、私が見えているようにほかの人が見えているのかどうかは全く分からないわけです。 もちろんそれでも実用上は全く問題なく人どうしで意思の疎通ができます。 私の勤めている会社で塗装工程を担当している同僚は、色を塗った製品を客先に見せに行って、赤みがたりないとか、もっと青みを強くとか、私には見当もつかないようなコメントをもらってきます。でも、それできちんと客先の要望に合う色に仕上げるんですよね。 それは、私は色と色の区別ができるということに寄っているのだと思います。 皆が頭の中で、これは"青"、これは"緑"、これは"オレンジ"というカタログを持っているわけです。仮に青が私の見えているように見えていなくても、緑でも、オレンジでも、赤でも、黄色でも、他のなにものでもない「青という名前の色」を区別できるんですね。 つまり、ある色がその色であるという認識を共通に持っているのではなく、別の色ときちんと区別できる、ということが人同士の意思の疎通を成り立たせているポイントではないでしょうか。 ちなみに色覚異常(色盲とか色弱と言っていたものの、今の正しい言い方)というのは色の区別がつかないことを言います。例えば赤緑色覚異常というのは、赤と緑の区別がつかないことです。区別がつかないから、緑を見て「ほかの人みんながいう赤だろう」と勘違いしたりします。赤が緑に見えたり、緑が赤に見えたりするわけではありません。区別がつかないからそう勘違いするだけです。 ともかく、そういう風に「赤という色は、本当にみんな同じ色に見えているのだろうか」というようなことを考えると、私は言葉という物の無力さを感じますし、ひいては人同士がわかりあうことの難しさを感じます。
- 雪中庵(@psytex)
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物理的には「色」などというものは存在しません。 電磁波の、連続的な波長の変化に過ぎないのです。 「赤は青の反対」などという根拠は、どこにもありません。 その「波長の連続的変化」という一次元に、五感の相関した 多次元の経験の蓄積による特定の波長に対する条件反射 的な(その波長に伴う経験の)印象が付加される事で、 “多彩”さは生じているのです。 赤の印象を分析すると、火や血、肉、花などの異なる原因 による長波長を伴う現象の経験(温かい、危険、食欲など)が、 青には、水や空といった短波長を伴う現象の経験(冷たい、 爽やか、静寂など)が、潜在している事が分かるでしょう。 この「総和機能」において、人生における快適な経験の 総和における、視覚的刺激パターンが「美」です。 それゆえに、成長期で好奇心旺盛な(しかし経験の蓄積の 少ない)子供の頃は、ケバい色や動くものを好むし、世界 各地で美的センスは異なってくるのです(砂漠地域では青や 緑が好まれ、空白恐怖と呼ばれるほど装飾で埋め尽くす、 といった)。 ただ、そうした経験(個人的な)において、地球環境という 共通性、進化における人類という遺伝的共通性において、 「色」や「美」の共通性は生じます。
- kaitara1
- ベストアンサー率12% (1158/9166)
関数で考えたらどうでしょうか。y=f(x)でxが対象の色、yが、そのひと(の脳)が感じる色とすれば、同じxでもその人の持っている脳の構造によってyはいくらでも変化するはずです。xを光の波長、あるいはその波長に対応する単語と考えて、あなたの引用例で色の名前を使われている茶色とか赤色というのは、光の波長に対応させている単語なのでyではなくxです。同一の対象を見て茶色か赤色かを議論しても会話が成立しないのでは。
- fujic-1990
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一応、網膜には、「錐体細胞」というのがあって、青・緑・赤の3色をに反応し、それが脳に伝わって色を認識することになっています。 それの有無、密度を調べると、脳に色に関するどういう刺激が伝わっているか見当がつくことになっています。 あくまでも「感じる」のは脳ですので、どう感じているかは分からないですね。実際、脳に腫瘍ができたために色彩感覚が変わってしまったケースなどもあったと思います。 > りんごは僕の中での「茶色」に見えて・・・ 「赤色」だと教えられてるので・・・ はい、教えの効果は凄いです。 よく出される例は、太陽や虹の色です。日本人は太陽は赤と教えられていますので、子供たちは赤く描きますが、他の国では黄色で描いたり白やオレンジだったりします。虹も、4色くらいで描く国が多いんだったかな。七色は珍しい部類です。 でも、質問者さんの疑問はそういう話ではないような気がするのですが? 例えば、私(回答者)と質問者さんが同じ瞬間に、同じバラの赤い花を見ているとして、私の感じる赤と質問者さんの感じる赤とが、ホントに同じ色なのか、という疑問じゃないのかな? 先日、当地域での再放送だったと思いますが、「相棒」という水谷豊の出るテレビ番組で、紫外線が感じられる目をもった女性の話をやっていました。 数字は忘れましたが、確率的には日本人にも数人はいるハズらしいです。 その時の話では、その女性には一瞥しただけでモンシロチョウの雄雌が判別でき、我々には白一面にしか見えない雪原が色鮮やかなさまざまな色を持つ景色に見えるに違いない、ということを言っていました。 でも、そういう人はそういう人で、例えばモンシロチョウの雌はただの白クレヨンで、雄は(紫外線で灰色に見える)白クレヨンで塗るでしょう。我々普通人にはどっちも白く見えるので、その人の絵を見てもやっぱり雄雌の区別は付かないものと思います。 調べる方法がナイですね。 ちなみに私は、「女性は男性よりもずっと色鮮やかな世界に住んでいるに違いない」と思っています。 女性はほんのちょっとの色の違いに気がつくのは、色が鮮やかに見えて、それゆえ違いが際立って感じられるせいだろうと、学術的な裏付けはナイですが、考えております。 網膜の中の(一定の明るさのあるところで)色を感じる錐体細胞の数はあまりないそうですが、「色を実際に感じるのは、脳だからね」と言い張っています。目から届く刺激は同じでも、脳の反応位置が違うなら、感じ方も違うだろうと。
- technatama
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専門家ではありませんので、適切な回答はそれをお待ち下さい。 私の直感だけでとりあえず回答します。 色調の感覚というものは、電磁波の波長の違いによって、引き起こされます。 760mμ>赤>橙>黄>緑>青>藍>紫>397mμ 色調は、目に入ってくる電磁波の波長によって区分されますので、網膜で感じた色の波長が違えば、赤の波長のものが紫の波長として感じられることはないと思います。 勿論個人差があるので、その色調の濃淡の感じ方に違いはあるかも知れませんが。 「赤」だと見えているものは誰の目にも赤系統であり、紫系統に見えることはないと思われます。
そのために言葉があるんじゃないですか? と、思います。
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