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弱い尾張兵再び

gowasuの回答

  • gowasu
  • ベストアンサー率6% (2/33)
回答No.4

確か、司馬遼太郎の「国盗り物語」に尾張兵について書いてあったと思います。 これについても司馬遼太郎の推察を抜け出さないかも知れませんけど、司馬さんなら裏付けをもって書いてるかも知れませんね。 司馬さん曰く、尾張は肥沃な土地と開けた海のため産業なども発展していることから、人々が裕福であるため、他の貧しい地域に比べるとハングリー精神がない。そのために弱い。 その逆で日頃から厳しい生活を強いられている甲斐の兵などは強い。美濃も尾張ほどに開けていないため同様です。 とのことだったと思います。当然こんな言葉では書かれてはいませんでしたが。 しかし、考えてみれば「そうかもな」という気はしますよね。 戦国時代初期の軍隊は兵農分離も進んでいないわけで、当然、足軽などは普段は農民として働いていたことでしょう。すると、自分の本業で裕福であれば、「戦争なんて洒落臭い」ってなもんじゃないでしょうか? 蛇足ですが、そういう意味では現代では日本兵が最弱かも知れませんね。

yui-fujibayasi
質問者

お礼

ありがとうございます。 司馬先生の作品は説得力がありますからね。あくまで「小説」として読まないといけないのでしょうが、つい、それが真実であるかのような錯覚を起こしてしまいます。

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