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神道について

こんにちは。 神道に興味があるのですが、難しい上に長くて理解できません。 神道は漢字が入ってくる前から日本に土着の信仰形態だと思うのですが、漢字は当て字なのでしょうか? 直霊、荒魂、和魂、幸魂、奇魂の概念もいまいち分かりません。 多分神道の世界観が頭に入っていないからだろうと思うのですが。 神道を簡単に学べる何かを教えて頂きたくお願いします。

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  • takuranke
  • ベストアンサー率31% (3923/12455)
回答No.6

#5です。 >この本だけレビューもなく、説明文も内容がよく分からないものになっています。 「神道の本」の増補版のようなものです。 無くてもいいですがあってもいいです。 たしか、神道の本には記載のない参考分絵kんが数冊あったような記憶があります(神道がわかる本は斜め読みしかしていませんので)。 後、読んでおいたほうがいいのは古事記ですかね。 「古事記がわかる本」もいいと思います。 このような本から初めて、知りたい方向へ進むのがいいと思います。

urbanite
質問者

お礼

ありがとうございます。 とりあえず先の2冊と「古事記が分かる本」にしておきます。 ありがとうございました。

その他の回答 (5)

  • takuranke
  • ベストアンサー率31% (3923/12455)
回答No.5

神道の本―八百万の神々がつどう秘教的祭祀の世界 (NEW SIGHT MOOK Books Esoterica 2) 出版社: 学研マーケティング (1992/03) ISBN-10: 4051060241 ISBN-13: 978-4051060244 古神道の本―甦る太古神と秘教霊学の全貌 (NEW SIGHT MOOK Books Esoterica 10) 出版社: 学研マーケティング (1994/07) ISBN-10: 405600630X ISBN-13: 978-4056006308 神道がわかる本―日本人の心の原風景 (エソテリカ・ライブラリー) 出版社: 学研パブリッシング (2012/01) ISBN-10: 4054052177 ISBN-13: 978-4054052178 出版社で眉をひそめる人もいますが、 神道の入門書としては最適だと思います。 たいていの入門書は最初から神社神道で始まるものも少なくないので。 参考文献も充実しています。

urbanite
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 たぶんこういうのをお待ちしてました(^ ^) 上の2つは中古で安かったのでカートに入れてみましたが、最後の「神道がわかる本―日本人の心の原風景」はどういう本なのでしょうか? この本だけレビューもなく、説明文も内容がよく分からないものになっています。

回答No.4

 【Q:神道を神学するにあたっての手法はなんですか?】   http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6862707.html  わたしは No.2&7の回答を寄せました。  No.2で次のようなところから入っています。    *  まづはご存じのヒトコトヌシ(一言主)のカミが カミでありつつ現実の姿になったところを 雄略ワカタケルは葛城山で見たし 話もしたというそのくだりを出します。そのとき一言主の神は こう名乗ったという。     《あ(吾)は悪事(まがごと)も一言 善事(よごと)も一言     言離(ことさか・言い放つ)の神 葛城の一言主の大神ぞ》       (古事記)    ほかにオホモノヌシのカミもいます。そこで カミとヒトおよびモノとコトの・世界における位置づけを見ておきます。  ○ (モノとコト e = mc^2 ) ~~~~~~~~  モノ(物)―――もの(者)―――――オホモノヌシ(大物主)  コト(事・言)―みこと(美言・命・尊)―ヒトコトヌシ(一言主)   ↓        ↓            ↓  自然・社会・・・・・ひと・・・・・・・・・・・・・かみ  * この範式において 次の図式も得られます。  モノの木――――――ねこ(根子)――――――生命の木  日の移り行くコト――ひこ・ひめ(日子・日女)――日(光源)  ~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ たとえばこんな神学になろうかと考えます。 

urbanite
質問者

お礼

こんにちは。 難解です。。。

  • tonmatang
  • ベストアンサー率18% (40/213)
回答No.3

神道を簡単に学べる何かを教えて頂きたくお願いします。 神道は奧が深いく高次元(七次元以上)を理解しなければ神学を制していくのは難しい。 今の科学 化学(ばけがく)ではとうてい神学(かがく)には及ばない。 神道は簡単に学び簡単に理解するのは難しいと思うが。

urbanite
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 あなたは神道学科で教えている事や、入門書、専門書などに記載されている事は全て全くの無意味な情報としか考えていないということでしょうか。 それならお伺いする事はないかもしれませんが、「これはまー比較的適切に説明しようとしていると言える」という様な本(入門書レベル)などは無いかという質問と捉えて頂いて結構です。

  • hamazo2004
  • ベストアンサー率27% (292/1068)
回答No.2

何が古いかについては、時の為政者によって都合よく書き換えられることもあるので一概には言えないでしょう。それよりもむしろ、その宗教の中身です。他の宗教を見てください。爆弾テロをしたり、他人を許すと言いながらそれ以上の攻撃をしたり、おかまが大手を振って歩いたり、金集めの道具にしたり。私が日本の神道を受け入れても良いなと思ったのは、(話が長くなるのでカット)。質問についてはまず、神社を巡ってみることです。そして何かを感じましょう。感じられなければ自分には合っていないということです。世界観とかは必要ありません。

urbanite
質問者

お礼

こんにちは。 神社仏閣は好きでよく行きます。 自分のコンディションが良い時は神社じゃない普通の場所でも感じる物はありますが、そうでもない時は神社はやっぱ癒されるな~程度にしか感じない事も珍しくなく。 近所に由緒正しい神社があると聞いたので先日行きましたところ、非常に圧力の高い気が満ちていましたが、その圧力が果たして祭られている神霊のものなのか、祭事を行っている神主や巫女のものなのか、はてこの圧力の正体は何かと圧力に感覚を研ぎすませようとしたら消えてしまいました。 以来その神社に行っても特になんら変わった物を感じないので行っていません。 伊勢の皇大神宮にももちろん行きましたが、まあ清々しいな位。 奈良の大神神社の方が感じる物があるといえばあるというような感じでした。 でも神気は霊妙で幽かなものであるとするなら、伊勢の皇大神宮は確かに幽かなのかもしれません。 このように、感じる物はありますが、それが何なのかは全くもって理解ができていません。 また、色々と問題を起こしている宗教は宗教そのものではなくてその宗教を信じている愚か者どもですので、宗教そのものには罪が無い場合も少なくないかと考えています。

  • shiren2
  • ベストアンサー率47% (139/295)
回答No.1

入門書を読みましょうとしか…。 神道も学科があるくらいですから、全容を把握するにはそれなりに勉強するしかないです。 >漢字は当て字なのでしょうか? ほとんどはそうです。 >直霊、荒魂、和魂、幸魂、奇魂の概念も 一霊四魂といって、ナオヒはいわゆる霊、四魂は中国の五行と似た概念で、物質の構成要素を性質を基準に四つに分けたものです。 西洋やインドの四大、五大とも似た概念ですが、分ける基準が違います。

urbanite
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >学科があるくらいだからそれなりに勉強するしか~ 確かに(^^;) とりあえず分かりやすい入門書をご存知でしたらお教え頂けますか?

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