• ベストアンサー

幕末の銃取り引き形態?

oskaの回答

  • oska
  • ベストアンサー率48% (4105/8467)
回答No.2

>龍馬いろは丸事件で銃500丁云々(完全作り話)の納入先調べたところ 質問者さまも理解している通り、政商グラバーから「南北戦争で不要になった、二束三文中古の銃」を、高値で買った訳ですね。 が、いろは丸を引き上げて調査した結果「一切銃部品はなかった」との事です。 ※京都市埋蔵文化財研究所・福山市教委4次調査報告。 500丁もあれば、少しは銃の部品・痕跡が残っているよね。 >当時大阪で買い手捜す流通が主との意見しか出てきません。 大坂は商人の町であると同時に、各藩の米屋敷が存在していましたよね。 つまり、各藩の財政・購買方が居た訳です。 実際には「銃は積んでいなかった」ので、流通先を探す事が主だったのでしようね。 >銃取り引き形態への疑問が残ります。 まあ、紀州藩との交渉を有利にはこぶ為の「竜馬得意の方便」が「積荷の銃」ですね。 取引形態ですが、先に書いた通り「大坂は、全国各般の米屋敷」が存在していました。 つまり、大坂に行くと「そこで、全国各地の藩と交渉が出来る」のです。 幕末でも、大坂は「天下の台所」ですから血なまぐさいテロは案外起きていません。 政治都市でないし、天皇陵も大坂には存在しません。 大阪市茶臼山古墳も、誰を埋葬しているのか不明。古墳でない!との説も有り。 奈良・五條市なんか、神武天皇陵近くなので「孝明天皇から逆賊」と見做され「追討令」が出た天誅組がテロを起こしています。 ※三条実朝の偽勅書を、信じてしまった悲劇。三条実朝も、逆賊追討の対象。 ※何故か、突然孝明天皇は死去します。今でも、暗殺説が・・・。 ※明治維新後、孝明天皇の信を得た者は、朝敵。孝明天皇の意に反した者は、英雄。 話がそれましたが、銃を積んでいなかったので取引は架空のもの。^^;

441moe
質問者

お礼

有難う御座います。 個人的には、海援隊の積荷記録大福帳が公になっておらず、龍馬が、相手構わず銃を売りまくったと想像しています。 積荷とされるミニエー銃も当時既に旧型アウトレットレットの筈、大阪で不特定の客探すのも理解出ます。 未来の日本の姿を夢見た(??)龍馬が内戦の具になる銃を売りまくったのも面白いです。

関連するQ&A

  • 百虎隊記念館

    歴史好きの高知人です。幕末の歴史が好きで、倒幕派や佐幕派にこだわらず新選組や坂本龍馬や百虎隊など、たくさん好きな人物・組織があります。 それらの史跡などを訪れたいと思っているのですが、百虎隊記念館は高知の人は立入禁止だとか、京都の人は新選組や土佐出身の活躍した人々を嫌いだとか聞くのですが、本当ですか?

  • 日本の幕末に似たような時代がある国は?

    日本の歴史を紐解くとペリーの黒船来航から2.30年で大政奉還.明治維新と怒濤の変革がおきたとあります。 私は高校のとき日本史にあまり興味がなく鼻ちょうちんをつくりウトウトするダメ生徒でしたので.最近テレビや本で改めて知る幕末明治がダイナミックでかつ不思議な時代にみえてたまりません。 そんな中ふと疑問におもったのが『ここまで短期間で文化.暮らし.政治.社会がかわった国ってそうあるものか??』と思うのです。 そもそもあの当時.佐幕派.倒幕派.勤皇派.藩の維持が第一派(?)など色々な考え.立場でそれぞれに強烈に時代を駆け後世に名を残した偉人が沢山いたのも特徴的だと思います(研究がすすんでるから登場人物が多いとも思うのですが)。 そこで質問ですが.世界の歴史上.あの時代に似てるなあっていう国や歴史をご存じならば教えてください

  • ゲーム「幕末志士の恋愛事情」のような、恋愛時代小説・漫画はありませんか

    ゲーム「幕末志士の恋愛事情」のような、恋愛時代小説・漫画はありませんか?? 最近、携帯ゲーム「幕末志士の恋愛事情」をやって、とても面白いと思いました。 私は、元々、昔から社会が苦手だったので、歴史の知識は全然頭に入っていません。。。 なので、多少史実と違ったストーリーだったとしても、なんら違和感を感じることもなく読めると思います。 でも、せっかくなので、歴史小説とまではいかずとも時代小説。多少史実の入った背景の中での、甘い恋愛ストーリーを読みたいと思います。 新撰組のような佐幕派、坂本龍馬のような倒幕派。 どちらも興味があります。 特に。。。 土方歳三・斎藤一・高杉晋作・桂小五郎・武市半平太・坂本龍馬 実際の人物像は、本「幕末志士通信簿」で読んだくらいの知識しかありません。。。 ほとんど、上記記載の携帯ゲームと乙女ゲーム「薄桜鬼」からの、勝手なイメージです。。。 検索などで調べてみたのですが、中々見つけられず。。。 もし、お勧めの本があったら、是非教えてください。

  • 『銃』について。「人を殺す道具」?「命を守る道具」?

    私は荒川弘さんの漫画、『鋼の錬金術師』という作品が大好きです。 (漫画自体についての詳細は↓でどうぞ。) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8B%BC%E3%81%AE%E9%8C%AC%E9%87%91%E8%A1%93%E5%B8%AB#.E7.99.BB.E5.A0.B4.E4.BA.BA.E7.89.A9 ハガレンの12巻に収録されている、「第48話 人中の化物」の中に、 印象に残った台詞がありました。 ホークアイという女性軍人が、主人公の15歳の少年錬金術師エドワードに、銃を渡すシーン。 ホークアイ「これを持って行きなさい。」 エドワード「それは…人を殺す道具だ。」 ホークアイ「あなた達の命を守る道具よ。」 エドワードはしぶしぶ銃を受け取る。 『銃』は果たして殺人の道具か?護身の道具か? 歴史の話に置き換えてみます。 銃の誕生。14世紀末にヨーロッパで原型が開発されたといわれる。 戦史上初めて登場したのは15世紀の初期。 火縄銃は、15世紀末にヨーロッパで発明される。 1543年 鉄砲伝来。日本の種子島に火縄銃が伝えられる。 そして戦国時代、いち早く火縄銃を戦闘に取り入れた織田信長。 かの有名な『長篠の戦い』では1,000丁余りの鉄砲を用いた一斉射撃で、 武田軍に圧勝する。 では、もしも種子島にもう少し早く鉄砲が伝来していたら、 そしてもう少し早く織田軍が鉄砲を手にしていたら… 天下を取ったのは信長だったかもしれない! もう一つ歴史の例。 坂本龍馬は『S&Wモデル』とかいう拳銃を愛用していた。 殺人目的ではなく、薩摩滞在時はこれで狩猟などを楽しんだという。 この銃は暗殺された時も携帯していたが、 発砲することなく殺害されてしまった。 ではもしもあの時 、近江屋で暗殺しに来た奴等を銃殺していたら… 龍馬は明治まで生き延びたかもしれない! 火縄銃にしろ拳銃にしろ、それ一つで歴史を大きく変えてしまう可能性を持っている…。 重いですね…。 信長の例では、銃は「人を殺す道具」でしょう。 国取り合戦では、敵軍を殺さなければ自分の支配領域を拡大できませんから。 龍馬の例では、銃は「命を守る道具」でしょう。 幕末の動乱期、暗殺者に簡単に殺されるわけにいきませんから。 そう考えると、時代背景こそ違え、 (漫画の中の時代背景こそ更に違いますが…)、 現在の日本人の感覚ではどちらとも決められないのでは? 銃保有が認められている国の人々は、当然護身のため保有。 マフィアとかだったら護身も兼ねて、敵を倒すために保有。    ↑(あくまで私の考えです。マフィアと接触なんてしてないですよ!) 「それは…人を殺す道具だ。」「あなた達の命を守る道具よ。」 迷いに迷います…。 漫画の台詞ごときに真剣に悩むなんてヘンなやつ、 と思われるかもしれませんが、 皆様の考えをお聞かせください。

  • 坂本龍馬暗殺事件の犯人について

     長文ですが、坂本竜馬暗殺について質問させてください。  私は歴史については素人ですが、興味があっていろいろ勉強している者です。特に幕末の坂本竜馬暗殺事件の犯人について興味があるのですが、私個人としてはやはり会津藩が黒幕で、松平容保が見回り組に指示して実行させたと思うのです。他にも紀州藩説や薩摩藩説、新撰組説などがありますが、以下の理由で違うと思います。 (1)紀州藩説  いろは丸との衝突事件で後藤象二郎や坂本竜馬との交渉で8万両もの賠償金を払わされた腹いせとの説ですが、大金には違いないものの、所詮個人の金ではなく藩の金なので暗殺するほどの強い理由があるとは思えない。記録を見ても紀州藩としては早く金を払って一件落着したい向きがあり、いろは丸事件をほじくり返すようなことはしないはず。 (2)薩摩藩説  武力倒幕派の薩摩としては穏便に解決したい坂本竜馬の存在が邪魔になって暗殺したとの説ですが、確かに坂本竜馬が邪魔だったとしても西郷隆盛と龍馬は個人的に親しい関係にあり、「殺してしまえ」とまではいかなかったと思う。それに薩摩藩は寺田屋事件の時にいち早く龍馬の救出に出向いており、薩摩藩と龍馬の関係は悪くなかったはず。 (3)新撰組説  暗殺の時に伊予言葉で「こなくそ」と言っており、伊予出身者が新撰組にいるからという理由と、新撰組行きつけの料理屋(瓢亭)の下駄が現場に片方残されていたという理由ですが、新撰組という殺しのプロフェッショナル集団が、そんな間抜けな証拠を残すはずがなく、これは新撰組の仕業にしようとした意図がみえみえだと思います。  少なくとも実行犯が京都見回り組だと仮定すると、やはりその直属の上部組織である会津藩がテロリストとして認識していた危険人物の坂本竜馬暗殺の指示をしたと考えるのが一番自然だと思います。そもそも新撰組の芹沢鴨暗殺を命令したのも松平容保であり、邪魔者は排除しようとした思考回路があったのではと思います。  それと決定的なのは、黒幕が紀州藩にしろ薩摩藩にしろ、見回り組が会津藩以外の藩の命令など聞くわけがないと思います。紀州や薩摩が黒幕だとしたら見回り組に暗殺を依頼したわけで、そんな依頼など断っていたはずです。「そう思うならそちらで勝手にやってくれ」と回答していたはずで、「はいそうですか」と簡単に請け負うはずがないのです。  あくまで私個人の見解なので専門家の方たちにはいろんな意見があると思いますが、私の考え方は方向性が間違っているでしょうか。龍馬暗殺の真相は新しい史料でも出てこないかぎり永遠の謎だと思いますが、私の考え方への意見をいただければ幸いです。よろしくお願いします。

  • こういう取引形態って・・・

    諸々の事情により法人名義のクレジットカードを作るのが困難なので、個人名義のクレジットカードを使って商品を購入し、商品はすべて会社に渡して、会社がその個人に代金を支払う(その個人には1円の利益もありません)といった取引をした場合、会社が業者から商品を購入したとみなしてよいのでしょうか?それともやはりその個人から買い取ったと考えないとだめなのでしょうか? もうひとつ、この個人がこの会社の役員や役員の親族である場合と第三者(役員の知人というだけで会社とは関係のない人)である場合とで扱いが違うのでしょうか?

  • 明治天皇はうそなんですか?

    明治天皇の出自及び王統系譜に関する疑問が発せられている。これについては早くより識者が個別に指摘し続けてきていたところ、1999年、鹿島昇・氏が「裏切られた三人の天皇 ─ 明治維新の謎」で精緻に論証したことで衝撃を与えることになった。鹿島氏は、同書に於いて、概要「孝明天皇は、幕末の倒幕・佐幕両派の抗争過程で、岩倉具視と伊藤博文ら長州志士等によって暗殺された。長州藩はその後、南朝光良親王の子孫(血統)である大室寅之祐を擁立し、孝明天皇を後継した睦仁親王(京都明治天皇)にスリ替えた」との説を唱えている。  これを仮に鹿島説とすると、「明治天皇として即位したのは、それまでの北朝系ではなく、熊沢天皇同様の南朝系の末裔にして長州藩が秘匿擁立してきた大室家の寅之祐(おおむろとらのすけ)である」ということになる。倒幕派は、「長州に住んでいた南朝の末裔と称されていた大室寅之祐を擁立し、北朝系に代えて南朝系の大室寅之祐を睦仁親王の名で以て身代わり即位させ、幕末政変で勝利するや東京遷都し、終生本物の明治天皇として振舞わせた」ということになる。  明治天皇の即位前の名前は、睦仁親王である。睦仁親王は、孝明天皇逝去後、「幼君」として擁立されたが、この睦仁親王は暗殺され、長州が仕立てた大室寅之祐が睦仁親王を騙って身分を継承した。従って、明治天皇となって即位したのは睦仁親王ではなくて大室寅之祐であるということになる(「明治天皇すり替え説」)。こうなると、「睦仁親王」と後に「明治天皇」として知られる東京明治天皇は別人であり、「皇家クーデター」が起っていたということになる。実に、明治維新とは、「明治天皇すり替えによる王朝交替だった」ことになる。   「明治天皇替え玉説」の根拠として、睦仁親王時代の即位前の写真と即位後の明治天皇時代写真の様子の違いが挙げられている。一言で云えば、即位前は腺病質な姿が語られているのに即位後は威風堂々としており、とても同一人物とは思えないという説である。  つまり、倒幕派は、当初は攘夷派であったが途中で時代の流れに合わせて「開国維新」に転換した。ところが、孝明天皇は、この時代の流れを拒否し、「鎖国攘夷」に固執しつつ「公武合体的佐幕」を志向した。孝明天皇急逝後を後継したその皇子の睦仁親王(京都明治天皇)も孝明天皇と同じ路線を踏襲した為、共に暗殺された。  補足すれば、孝明天皇の住む御所並びに京都市中の治安維持の総責任者・京都守護職に、会津藩主・松平容保(かたもり)が当たった。この容保公も孝明天皇の信任を得ていた。つまり、幕末維新過程で、最後まで「逆賊」として抵抗した会津松平家は、孝明天皇以来の忠義を貫いたことになる。というか、薩長の不義を告発し続けていたことになる。 ということなのですが、明治天皇になる予定だった人は殺されて、伊藤博文などが都合のいいように天皇を大室寅之祐という人に仕立て上げたのでしょうか? それだと、天皇400年の歴史はやはり途切れていたということになりますが、どうなのでしょうか? 会津藩のしわざともいう噂もありますが、どうでしょうか? 伊藤博文は蛮族の身でもあったとのこと。 http://2002mar.blog.fc2.com/blog-entry-430.html http://www3.ocn.ne.jp/~sigikain/meijisyasin.html

  • 不動産の取引形態について

    はじめまして。今回住宅事業部の広告を担当することとなったのですが、売主の地主と仲介の不動産業者その土地の販売代理を行う住宅業者の3者で話し合いをし仲介及び代理販売に関しての取り決めを行ったとのことでした。売主が個人の場合は販売代理というのではなく媒介(仲介)と思ったのですが、住宅会社の担当いわく販売代理ですと言い切られました。このようなことはあるのでしょうか?取引形態によっては広告掲載内容が変わりますので心配になりまして・・・。 よろしくお願いします。

  • 米国南北戦争 幕末の銃

    幕末に日本にもたらされた銃は、米国の南北戦争の終結によって流れてきたものが多いとかと聞いたことがありますが、何型銃でしょうか。ゲーベル?

  • 幕末

    「壬生義士伝」で初めて幕末をかじりました。壬生義士伝は新撰組の話なので他はあんまりでてこないのですが、あのあたりでの天皇というのはどういう位置付けだったのですか?流れ的には徳川幕府が大政奉還しますよね?(これって誰に奉還なのだろう?)でも、まだ薩長と会津系が戦っている。小説では薩長側は会津や新撰組に対して「錦の旗に弓をはなった」的ないいぐさをします。つーことは天皇は薩長側ってことになる。が、会津系も別に天皇にさからったつもりはなさそう。幕府も会津系も開国も大政奉還もOKで、だからといって薩長がなんで政権にぎんねん!の一点で戦いつづけたのでしょうか?とにかく徳川幕府終焉も開国もみなOKだったのになんで戦ってたのでしょうか?あと、天皇はどこにいたのでしょうか?江戸城?京都?あと、鳥羽伏見の戦いの時徳川慶喜は京都にいたらしいのですがなんででしょう?江戸城じゃないの? すいません、どしろうとむけにお願いします。