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究極の愛とは自己愛である

  親子の愛とか、兄弟愛とか、人類愛とかいろいろ出てくるが、みな勘違いしていますね。 愛の最終形態は自己愛です。 実は他者への愛はかんたんなんです。 人間自分自身を愛することが最も難しいんです。 愛を追求してゆくと最終的には自己愛に到達するんです。 皆が自己を愛せば人は人を愛すことになります。 かんたんな原理だよね。 だから究極の愛とは自己愛。  

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回答No.1

宇宙は、心の内面であり、意識とは自覚ではなく環境認識 である以上、真に「自己を愛する」とは、全宇宙を愛する 事に等しい。 社会生命的自覚において、利己と利他が一致するように、 自己の人生を通算した最大充足量の最大化の追求において、 最大限の認識の深まりと、最大限の社会的貢献の志向に至り、 そこにおいてのみ真の「自己(=宇宙)愛」は果たされる。

hitonomichi35
質問者

お礼

  人類は長年のあいだ階層現象表面的に愛を捉えた結果、真の愛が自己愛であることを忘れ、物質への愛とか、他者への愛とか、会社やチームへの愛とか、はたまた神への愛などとゆーいい加減な愛を持ち出すよーになった。そしてイカサマ宗教が生まれ、イエスキリストが愛の象徴となったり、アラーが愛になったりしたのである。その結果地球上の至るところで血みどろの争いが起こり、魔女狩りやら、ジハードやら、サラ金商法やらが蔓延るよーになったのである。 愛とは自己愛という単純明快なものなのに、これを取り違えたがために地球上にあらゆる不幸が生まれたのである。 人間が最も大切にすべきものは自己愛なのである。  

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  • ways
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回答No.3

自分しか愛せない人もいます。恋人がいても、「この人といる、自分が好き」といった具合です。そのナルシスト的な考えは、ひとつの傾向、性格です。それがエスカレートすると、エゴイストになるでしょう。自分の思い通りになってほしい、など。

noname#260418
noname#260418
回答No.2

人間関係は相手をどう受けいれるかで 成り立っています。 例えば恋人なら「女性(男性)」として 受けいれるから成り立つ。 ただ、愛情と同時に憎しみも生まれます、 愛と憎しみは表裏一体なんです。 だから喧嘩したり、憎しみ合う。 そして愛情が失くなれば同時に憎しみも失くなる。 家族愛は血のつながりが あるからといって自動的に愛情が湧くことはない。 自己愛からでもない。 平等に人を愛することはできません。 偏った愛情は憎しみから生まれます。 >愛の最終形態は自己愛です。 自己愛や他者に対する愛情を 明確に定義や意識はできません。 自分がそう思えばそうです。 自分と外との関係のバランスを とること。技術が必要です。 自己愛は誰にだってあります。

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