• 締切済み

”差別”という意識はどこから来ると思いますか?

 始めに断わっておきます。以下の文中には多数の現在「差別語」とされている言葉を多数用います。しかしこの場合の用い方は決して「誰かを貶める・貶したい」という用法ではなく『現在の社会において言語学上存在している認識記号・発音の集合体』といった非政治的意図で見ていただきたいです。もしそういったことに抵抗がある方は見ない方が精神衛生を害さずに済むと思われます。  差別・差別語という言葉を聞いたときに、漠然と民族や文化圏の違う人々の争いといったイメージを浮かべる方が多いと思われます(そのようにマスコミやメディアが謳う甲斐もあるのでしょうが)。 近年ですと韓国・中国との不和問題に端を発し、ネット上でもわざと融和意思を見せないという意図で「シナ人・チョウセンヒトモドキ・チョン・在日」などの語録を用いて反抗しようとする、いわゆる「ネトウヨ」の活動が目につきます。  少し前だと中国人の日本人の蔑称として「日本鬼子」(後に萌キャラ化されましたが)や、欧・米圏だと数えきれないくらいの差別文化がありますが例示するなら「白・黒・ニガ―・ジャップ・エスキモー・バイキング」などでしょうか?それ以外にも独英伊西仏はジョークの中に「○○するのは××人くらいのものだ」といった使い方で相手国人を貶めたりする文化が未だにあるように感じます。 また日本国内にも日本人同士を貶す意図で使われている語録が多数存在していますよね?「部落・穢多、非人・土方・キチガイ・池沼・障害(ガイジ)・レズ・ホモ」など、日常的に言う人も多いのに実は差別語認定されている言葉も有ったりします。  ここまではある程度の事実確認です。そしてここまで読んで感じた方が居られるか分かりませんが『差別の在り方・社会での使われ方』が変質してきているのではないか、と問いたいのです。  所謂昭和期など、現在の20~30歳までより上の方たちが使う「差別」というのは、「イケメン・優しい・ガサツだ・気が利く」といった表現の様に(1)『文字が(直接会ってもいない誰かの)印象を決定づけてしまう』意味を持っていたように感じます。これは今までにその人の存在・本質を見誤らせる悪しき物差しだとして随分社会的な粛清が与えられ、めっきり見なくなりました。  一方近年においては、上記のような「差別」の使われ方が残る一方で、(2)『コミュニケーション上の印象操作を目的とした、パフォーマンスの一種』としての意味が強いのではないかと感じます。子供が相手を罵りたいときに「バカ」「アホ」と言うように、その「罵りたい気持ちを相手により強く伝えるための手段」としてこういった語が用いられるのでは?と感じるのです。  そしてこれらとは別に、➂『同じ文化背景を持つ相手に意味を伝えさせるためだけに用いる』というのもあると感じます。田舎の祖母は「集落・地域」と同じ使い方で「部落」と言いますし(その地域が過去に部落認定されたことはないのに、です)、未だに外国人をTVで見ると「外人・黒んぼ」といった呼び方をします。  このように、差別という意識を何のために用いるのか・何に起因しているのかは、社会情勢によって変化していると言えないでしょうか?  (1)ならば多くの優位(とされていた)集団が少数の劣位(とされていた)集団を、恣意的にいたぶる事が認められていた中で、「差別をしてもいい」という感覚を植え付けられたのではと考えられます。  (2)では相手と自分、「マクロ対マクロ」や「ミクロ対ミクロ」、文化背景の共有が完全に同一ではない集団同士の衝突も想定されるという点で異なります。(1)の差別感覚を自分らが与える・受ける効果と、相手側のそれが同一か証明する手立てがないのですから。  ➂に関しては使用者が問題を自覚していないという点で「差別意識」発生を使用者意思に置くべきなのか、他者・評価者判断に置くべきなのかということで非常に難しくなりそうです。殺人を褒められることと教育された子供の判決をどう下すか、といった問いに似ているでしょうか。  長くなりましたがとりあえず包括的にまとめますと、「差別を絶対的悪とする社会と、差別することを善しとしていた社会、自ら進んで差別したがる社会、そして差別という意識から抜け出し単なる文字の集合体として語録を扱う社会」に我々は放り込まれている。そして時々自分も相手もどの立場に身を置いているのか分からなくなる・理解する前に話をするがために『差別語を使った』という事実だけを槍玉に挙げて、善か悪かの二元論だけでケリを付けようとしているのでは、ということです。  あなたがなぜ「その語は差別的だ」と思う、もしくは「この語には単なる区別機能しか有していない」と思うのか?それはどこから来た感覚で、もしそれが無かったとしたら今その語を見る目は変わっていただろうか?  何やら唯名論・実在論の話にもなりそうですが、ひとまず社会人・個人意識レベルで認識を見直す一助となればと思います。  なにか持論・解釈について語りたい方がいれば参考にしたいので書き込んでいただけると嬉しいです。返信は出来ないかもしれませんが...  膨大な長文・散文・いまいち纏まりがないと思われるかもしれませんがここまで読んでいただけたなら幸いです。

みんなの回答

noname#209756
noname#209756
回答No.5

しっかり覚えてないですが、不安だとも 国際結婚の少ない地域か何かで。 ホフステッドさんが本で書いてました。 最近は急激に平等に向うからその反動のように無理があるようにも思えます。 2項対立にすると差をかんがえてしまうのでは?

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.4

”差別”という意識はどこから来ると思いますか?"      ↑ 生存本能から来ていると思います。 生存本能、その延長感情で、自己と他人との 優劣を決めたい、そういう 感情がなせる技だと思われます。 ”「差別を絶対的悪とする社会と、差別することを善しとしていた社会、 自ら進んで差別したがる社会、そして差別という意識から抜け出し 単なる文字の集合体として語録を扱う社会」 に我々は放り込まれている。 そして時々自分も相手もどの立場に身を置いているのか分からなくなる”       ↑ 社会が複雑になったので差別の態様も複雑になった ということではないですか。 身分制社会は差別が単純明快でした。 未分が無くなった現代社会では、差別が多様に なった。 財産、地位、性別、人種、国籍、学歴・・・ これらが、互いに入り組んだりすることもある 訳です。 それから、言葉の意味が変遷してきた、という 場合もあるでしょう。 モンゴロイド、というのは欧州人が使い始めたことば ですが、これはダウン症を意味する差別用語でした。

  • kohichiro
  • ベストアンサー率21% (306/1447)
回答No.3

>差別という意識を何のために用いるのか・何に起因しているのかは、社会情勢によって変化していると言えないでしょうか? 原因がどうであれ差別は今もあります。何のためか?といえば、自身を常に他者より相対的に優位に置きたい、それによって他人を蔑視していい気分になりたい(ついでに可能であればその他者を支配したい)ためです(それだけのために様々な理由がでっち上げられます)。その実際のあらわれ方は歴史や社会情勢によって様々ですが、現代ではそれらすべてが正当なものでないことは確かです。 >差別を絶対的悪とする社会と、差別することを善しとしていた社会、自ら進んで差別したがる社会、そして差別という意識から抜け出し単なる文字の集合体として語録を扱う社会」に我々は放り込まれている。そして時々自分も相手もどの立場に身を置いているのか分からなくなる・ 上記まとめでの仰る意味が良く分かりませんので、間違っているかもしれませんが、 差別はよくない(絶対悪である)という社会に私たちが生きているのは明白です。 差別はしてはいけません。 >そして差別という意識から抜け出し単なる文字の集合体として語録を扱う社会」 放送コード(など)としての「差別語」の問題はちょっと複雑ですが、これを使わないで置こうということの動機は「差別をなくそう」ということからはじまったことなので、差別そのものの問題とは次元が違います。差別そのものをまず考えるべきです。これを理解すれば 以下の問題はクリアーに成ると思います。 >理解する前に話をするがために『差別語を使った』という事実だけを槍玉に挙げて、善か悪かの二元論だけでケリを付けようとしているのでは、ということです。  あなたがなぜ「その語は差別的だ」と思う、もしくは「この語には単なる区別機能しか有していない」と思うのか?それはどこから来た感覚で、もしそれが無かったとしたら今その語を見る目は変わっていただろうか

  • KoalaGold
  • ベストアンサー率20% (2539/12476)
回答No.2

自分を中心に考えて自分と反対側にいる人を認識した時に差別になるのだと思います。同じ観点に立てるなら同士ですが、それでも違いが出てくると敵として認識します。 個性があるのは当たり前なのに、違うだけでは飽き足らず優劣をつけたがるのが男性ホルモン。勝ち負けを決めたがるので小競り合いが起きますね。 違いを認識しても穏やかに共生できるグループもいますが内面はどうでしょうね。家族間でも争いがあるのにママ友同士で差別化が無いとは言い切れませんからね。 またお互いが知らない同士だと敵視が激しく出ますが、知り合うにつけ敵愾心が弱まり差別感が消えていき自分の内側の輪に染まっていきます。 世界は愛だ、というのはもっとお互いを知ろうという事でしょうね。

回答No.1

差別というのは、例えでいうとドラえもんと同じようにアイテムを出せと 言うのと同じで、何等かの原因で出来ない人に同じようにやらせるのと同じです。 足の弱い人に対して早く走れというのも相手は走れないのですから差別です。 相手がそれを実行するのが不可能な状態と知っていてやったのは虐待で 知らなければ差別です

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