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驚愕!ナチスドイツと同盟関係だった国が戦勝国に!?

先ほど、中国(中華民国)の歴史を紐解いていて 驚愕しました。。。 1920年~1930年ぐらいまで 中華民国はドイツと軍事的協力関係にあったとのこと。 シナ事変後も、ドイツが中国(国民党)を支援し 対日敵視政策を進めるように指導したようです。 疑問です。 日本はこういったことを知らなかったのでしょう? なぜ、国民党のバックにドイツがいたのに ドイツと同盟を結んだのでしょう? ※史実では日独が同盟を結んでから中国(国民党)は ドイツに宣戦したようです。やがて戦勝国となるようです。 ドイツとの同盟→戦勝国・・・さすが中国だなと思いました。

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  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11128/34636)
回答No.3

毎度どうも。 他の人も書いていますが、ナチスドイツはゼークトさんという軍人を送り込んだり、武器もかなり供与していたりして国民党政府にかなり入れ込んでいたのです。ゼークトさんは上海近辺にいわゆる「ゼークトライン」と呼ばれる陣地ラインを作り、そこにはゼークトさん及びドイツ軍事顧問団直々の指導とドイツ製装備によって固められた精鋭部隊がいたのです。ゼークトさんは「これだけ陣地も強いし精鋭部隊が展開してるし、日本軍は突破できねえよ」と自信満々だったのですが、意外にあっさり日本軍に突破されてしまいました。 ヒトラー閣下におかれましては、中国人は歴史がありますので劣等人種だけどまだマシと思っておられたようで、日本人はさらに格下と思っておられて、日独伊同盟に一番最後まで反対していたのは他ならぬヒトラー閣下だったのです。それをリッペントロップが必死に説得して同盟に持ち込めたのです。 国民党政府は抗日運動で国共合作するまでは反共でしたから、ヒトラー閣下からすれば「反共同盟なら国民党だべさ」ではあったのです。 日本側でも、日独伊同盟になったときに野党からは「ヒトレル氏は国民党支持じゃねーか」という突き上げはあったのです。だけど、「これは対ソ同盟だから」ということで日独伊同盟締結になったんですね。 ところがそのヒトレル氏がよりにもよって独ソ不可侵条約を締結したので、あの「欧州情勢は複雑怪奇」の言葉を残して平沼内閣は倒れてしまったのです。 ドイツとの同盟は、日本にとってはあくまで「対ソ包囲網」のつもりですし、対日(ABCD)包囲網の切り崩し策のひとつでもあったのです。 >ドイツとの同盟→戦勝国・・・さすが中国だなと思いました。 それいうたらフランスはドイツに敗北したのに、ドゴールが自由フランス軍を率いていたからという理由でまんまと戦勝国入りですからね。政治力ではフランス人の右に出るやつァいないですぜ。なにしろ三十年戦争のときゃ旧教国家だったのに新教側に立って参戦したんですからね。

hhasegawa
質問者

お礼

いつもありがとうございます。 ゼークトラインが突破されてから、中国ではなく日本を 同盟国に選んだのですね。さすがドイツ、その辺は狡猾ですね。 対ソ包囲網のはずが、日本はソ連を攻めず 南方へ、そして対アメリカ戦へ・・・という史実は 同時の外交に全体感がなかったのかなという気もします。 世界大戦の戦勝国は、戦いには負けたのに戦争には勝利した という状況の国がいくつかありましたね・・・

その他の回答 (3)

  • mm058114
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回答No.4

当然知っていました。 事実上にアメリカ陸軍の空軍も派遣しています。 中国には軍事顧問団の名の元に派遣されており、これも知っていました。 三国同盟のきっかけは、思いがけないドイツの雷撃戦による成果で、 ドイツが世界の覇権を手にするのでは、と思われたことです。 松岡洋右らと、一部の陸軍の勢力が、 『バスに乗り遅れるな』と 世界三大陸軍(ドイツ、ロシア、日本)の内の二国が、 手を組めば、本当に世界を手中にできると、夢を見て、 一時の衝動にかられたからです。

hhasegawa
質問者

お礼

国民党にはアメリカ、ドイツ、両方の支援を 受けていたのですね。時期はすこしずれますが 日本は、ドイツに過信しすぎましたね。 しかも、国内にソ連とも同盟に組みたいという考えの方も いましたが、ドイツがそもそも対ソ戦を準備していたということも 知らなかったのかなという気もします。 ありがとうございました。

  • catpow
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回答No.2

>>日本はこういったことを知らなかったのでしょう? たぶん知っていたと思います。 >>なぜ、国民党のバックにドイツがいたのに ドイツと同盟を結んだのでしょう? 日本は、日露戦争で大勝しました。でも、その予想外の大勝ゆえに、白人国である米国・フランス・イギリスなど欧米先進国から「黄色い奴は、災いを我々にもたらす」という思想が広まってゆきました。 日清戦争での日本軍の勇敢な戦い方と礼儀の正しさに、「世界の三等国と思っていた日本は、以外と武勇に優れると同時に紳士でいて、素晴らしい国である!!」と認めてくれて「日英同盟」を締結し、世界を驚かせたイギリスでさえも、日本を危険視するようになったのです。 ですから、世界に植民地を持つ、人種差別主義国家である欧米先進諸国は、人道主義・平等主義国家である日本を「虐められ子」状態にしたのです。孤立した日本にとって、「反共産主義」という思想で共同歩調がとれるドイツやイタリアと同盟を結んだのは、仲間を得て立場を改善したいがためであり「藁をもすがる」という心境だったようです。「ドイツと同盟を結べば、日本が愛する米国は嫉妬して、日本を振り向いてくれるかも?」という恋愛ゲームに似た作戦でもあったようです。 実際のところ、日本にもドイツ(ナチス)の人種差別主義は知られていましたから、ドイツとの同盟に反対する人たちもいました。 ただ、ボルトアクション・ライフル、アサルト・ライフル、自動拳銃など、ドイツは優れた武器を多く発明した技術的にすばらしい国家です。 そういう技術に優れたドイツに憧れを持つ日本軍人も多かったようです。 「ドイツの兵器は凄い!ここと同盟すれば、英米に勝てる!」という考えを日本が持ったのもそんなに不思議なことではないと思います。 (結果として、日本側が期待したほどドイツ軍が活躍してくれなかったわけですが・・・) 歴史は日本が思ったようには流れませんでしたけど、アジア・アフリカ植民地解放、人種差別撤廃という目標は達成できたので、日本は大東亜戦争を通じて目的の50%は達成したといえるでしょうね。

hhasegawa
質問者

お礼

ありがとうございます。 当時、欧米から疎まれるようになった日本が 反共という共通の敵で同盟を組めたのは 不幸中の幸いだったのかもしれませんね。 沢山の兵器を開発したドイツだからこそ というのはあったのかもしれません。 ドイツが開発したものをアメリカがさらに大量生産していたというのは 日独両国が甘く見ていたことかもしれません。 しかし国民政府もなかなかなもんですよね 一時期ナチスとくっついていて 離れたら、アメリカとくっつくという。 ドイツとアメリカの兵器で戦っていた国なんてそうそうないですよね。 今も昔も中国の狡猾さにはほとほと参ります。

  • ithi
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回答No.1

hhasegawa さん、こんにちは。 1920年~1930年ぐらいまで 中華民国はドイツと軍事的協力関係にあったとのこと。 中華民国は明らかに後進国でした。だから、先進国から多くの近代化のための知識が必要だったのです。 このころ、ドイツは第一次世界大戦に敗戦しましたが、ドイツの軍事システムはかなりの水準でした。多分フォンゼークト将軍も顧問として中国に来ていたと思います。ドイツから軍事的知識を得るのは当然でした。 ただ、このころはまだナチスが台頭する前なので、一概には言えません。ただ、軍事協力することで、日本を刺激しないようにしようとドイツ外務省が考慮したということもあったようです。 詳細は下記のURLを参照ください。 ハルケンファウゼン http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%82%B1%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%BC%E3%83%B3 ゼークト http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%BC%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%88

hhasegawa
質問者

お礼

ありがとうございます。 ドイツの軍事指導をうけていたとはすごいですね ドイツも国民党も 共産党に勝てなかったのは歴史の皮肉です。 参考ページ見てみます!

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