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第2次世界大戦中の日独関係について
第2次大戦中、日本とドイツは同盟を結んで戦争をしていましたが、共同作戦をとった等の話は殆ど聞きません。日独伊三国同盟の実効力がどのくらいのものだったのかということと、当時の日本国民及びマスコミがどのようにヨーロッパ戦線をみていたのか教えてください。具体的には、独ソ戦とドイツの無条件降伏について、朝日新聞などのマスメディアがどのように報道し、その当時の日本人はどのような反応を示したか知りたいです。
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ドイツは独ソ戦を予想しており、対仏英戦の間はソ連の中立ないし援助を確保する為、独ソ不可侵条約を締結していたのです。 従って独ソ戦になったら、日本のソ連攻撃を期待しソ連を2正面作戦に引き込むつもりで三国同盟に日本の参入を歓迎したのです。 当時日本国民やメディアは対仏英戦でのドイツ軍の電撃的勝利のニュースに歓喜していました。 しかし独ソ戦の開始は日本人にとっては衝撃でした。 既に国民の知らない内に日本の南進策が具体的に進行し始めていました。 ドイツのソ連侵攻が初期に輝かしい勝利を収めていたのが冬季に入り、長期戦の様相を帯びてき、スターリングラードでドイツ軍が降伏し敗色が濃くなってきた頃は日本は南方作戦をまだ有利に進めていました。 しかしその後、アメリカの物量がものをいうようになると次第に守勢に陥りました。 ドイツと日本は遠隔の位置にあり連絡は潜水艦に頼るもので日本からはゴム、ニッケル、金塊などの軍需物資を輸送し、ドイツからは航空技術、ジェット機などの新兵器技術、潜水艦関係の技術情報、レーダーなど の軍事情報、一部核兵器関連もあったようです。 これらの軍事情報は最新のもので当時の日本の技術水準では実現出来ないものも多くあったといいます。 共同作戦といえるのは、インド洋まで進出したドイツ潜水艦にたいする物資供給くらいで、ドイツ敗戦後はこれらドイツ潜水艦を日本海軍に接収し新型潜水艦として利用した位です。
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- googooguuguu
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ドイツと日本の連絡状況は 大本営の本が有るけど 戦況状況 国民とマスコミは現実を知らないでしょう でも調べてみると 日本の新聞で昭和17年秋の記事で 米国では1万トン級貨物船を2週間で竣工させる との記事が有ったよ この記事を見て感激したよ
- gbrokk
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ドイツが降伏した時の新聞を覚えています 勇敢なヒットラー総統は首相官邸をでソ連軍を射撃中に戦死したと熱烈礼賛して(実際は妾と一緒に服毒自殺しました)ドイツ国民はヒ総統の英雄的な死に奮い立ってあらゆる戦線で敵を撃退中と書きましたが実際はドイツ軍はそれを聞いて直ぐ降伏しました 新聞は今こそ米英撃滅に努力せよと空虚な言葉を並べていましたが焼け跡の中を毎日敵戦闘機の機銃掃射から逃げ廻っていた日本国民は誰も耳を傾ける者は居なかったでしょう
- daitoua2600
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日本人は当時、精強無比といわれていたドイツと同盟することによって心強さを感じていたと言われています。 >日独伊三国同盟の実効力がどのくらいのものだったのか 軍事面ではいわゆる遠交近攻といった意味合いでしかなかったと思われます。#1の方も仰っていますが技術交換は行われていたようです。 日本は関係ありませんが、イタリアがドイツの足を引っ張ったという話を聞いたことがあります。事実上、アジアに位置する日本にとって三国同盟はあまり実のあるものではなかったと思われます。 >ただドイツは同盟は結んでもJ○pくらいにしか思ってなかったかもしれませんね これが事実かはわかりませんが、黄色人種を蔑む傾向はドイツ人にもあったでしょう。日本軍が英領シンガポールを占領したと聞いたヒトラーが「ドイツ軍をシンガポールに派遣して黄色い猿どもを叩きのめしたい」と言ったというのは有名です。 曖昧な回答ですいません。
共同でどこを攻めるのでしょうか?その当時アジアにドイツの植民地がありましたでしょうか? ロシアとは不可侵条約を結んでいましたし(日本だけが律儀に守ってた条約。。) ただ同盟を結ぶ事で例えば英国は日本とドイツ両方と戦争しなければいけないのでそれだけ負担、脅威になりますね。(英国の植民地がアジアに腐るほどあった) ただドイツは同盟は結んでもJ○pくらいにしか思ってなかったかもしれませんね。 ドイツの軍用技術がたくさん入って来てましたよ。それだけではないでしょうけど
補足
共同作戦をとらなかったというのはあくまでも枕詞で、本当に聞きたいのはその後の部分です。 あと、当時の日本はまかりなりにも国際連盟の常任理事国(戦争の直前に脱退していますが)だったので、ドイツからは少なくともそのように軽く見られたとは思えません。