誰でもいいから殺してみたい、とはどんな心理?

このQ&Aのポイント
  • 不穏な気持ちにドキドキする質問
  • 佐世保の女の子の凶行や19歳の学生服の女子大生の事件には快楽殺人だけと言い切れない心理的背景を感じる
  • 他人に対して強固な攻撃性を持ち、自分を「雪のように真っ白な」穢れの無い崇高なものだと思い込む心理がある
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誰でもいいから殺してみたい、とはどんな心理?

正直、この質問を書いているだけで不穏な気持ちに ドキドキしますが、先の佐世保の女の子の凶行、そして 今回の19歳の学生服の女子大生、これらの事件には 快楽殺人だけと言い切れない心理的背景を感じます。 勿論、刹那的な感情爆発ではないし、サカキバラ某を 神格化したがる点や、他人に対して非常に冷酷に物体化 して観察したがる点が共通しているように思います。 同時に、他人に対して強固な攻撃性を持つことと、 自分を「雪のように真っ白な」穢れの無い崇高なものだと 思い込みたがる部分があるようにも見えます。 酷く幼稚で歪んでいるとはいえ、頑なな主義主張にまで なっているような彼女たちの心理が、私にとっては 異質過ぎてどうも理解がかないません。 あくまで「怖いな、嫌だな」と思う事件への不安対策、 みたいな個人的関心での質問ですので、お時間のある方で、 そういう心理を「理解」出来る、という方がおられたら、 ヒントなりとも教えて頂けたらと思いました。 やっとこさの4問目の質問です。。。

noname#210533
noname#210533

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noname#207821
noname#207821
回答No.8

「誰でもいいから殺してみたい」とは、万能感を手に入れたいということだと思います。 征服欲、支配欲、サディズム、それと性欲や強姦に近い感覚なのではないかと。 何故なら、相手の意思など無関係に唯、己の欲望を満たしたいだけだから…。 「誰でもいいから殺してみたい」と発言していた過去の凶悪犯の供述内容からは、そういう欲望の臭いが感じられます。 人間が人間に課す最大の禁忌とは殺人です。 だから、「殺人が出来れば、自分には、もう何も怖いものはない。 人間よりも醜く恐ろしいもの、身勝手なものは、この世界には存在しない。 人間は欺くもので、信用するに足りない存在である」と、そんな考えに取り憑かれた人たちが目指すもの、それは人を超えた存在になるということなのではないかと思います。 人を超えた存在になるのなら、吸血鬼が人の生き血を吸うように、人の命を奪い取ろう。 その人の全てを一瞬にして奪い取ってやろう。 そういうことなのではないでしょうか。 自分の未来のことも、相手の未来のことも何も考えていないし、将来について展望も希望も持ってはいなくて、ただ刹那的に快楽と刺激を求めて生きているんだと思います。 破壊衝動が起きたとき、より大きなものを壊した方がすっとする。 だから、その牙が人に向かうということなのではないでしょうか。 当事者は言語化はせずに唯、漠然と刺激を求めて、衝動を抑えきれずにいるのかもしれません。けれども、本能的に、食物連鎖の頂点に立ってやろうと、そういうことなのではないかと思います。 それは、まさに、 >この手触りは・・・他の命を「殺して喰らう」快楽、の 感触、ですね。 だと思います。 他人に共感は求めず、唯、自分が取り込む側に立ちたいという衝動が抑えきれなくなった人が抱く感情が、「誰でもいいから殺してみたい」なのだと思います。 殺人に取り憑かれた人たちが、強くシンパシーを感じるのもまた、殺人者なのだと。 そういう人たちにとって、殺人を止める人は嘘つきで、薄っぺらな理想主義者で、偽善者なのです。 無差別殺人に取り憑かれた人たちが、何故だか一様にポジティブな言葉や建設的な行動を嫌うのが私には長らく謎だったけれど、ふと思い浮かんだことがあります。 人というものは自分の意見が否定されることを嫌う傾向が高いです。 それは、そういう人たちにも共通していることで、これが殺人衝動の謎を解く鍵なんだと思います。ポジティブな言葉や建設的な行動を嫌う人にとって、ポジティブシンキングも建設的な行動も、その人たちには全て否定だから受け入れられないし、そんなことを言う人間は決して許せないのだと思います。 無差別殺人の衝動を持つ者にとっては、ポジティブも建設的も、己にとっては全否定と受け取るのではないかと。 否定されることをもの凄く嫌う人、(相手は攻撃ではなく、意見や提案のつもりで言っていたのだとしても)自分の意見が否定されたと辱めを受けたとまで思い詰める人、そういう人たちは怒りを抑えることも、誰かの命を奪い去りたいという衝動も抑え難いのではないかと思います。ただ単に、愛情とか温情という感情に疎く、もとから備わっていなかっただけなのかもしれませんし、もともとは小さな芽は持っていたのに、育つことなく枯れてしまったのかもしれませんが…。 >同時に、他人に対して強固な攻撃性を持つことと、 自分を「雪のように真っ白な」穢れの無い崇高なものだと 思い込みたがる部分があるようにも見えます。 この記述を読んでいると自己愛性パーソナリティー障害が思い浮かびます。 仰るように、自分を特別な存在だと思っていなければ、人の命を奪い取るということは出来ないと思います。無差別に人を殺めることが出来る人には、自分には人を殺める権利があるという幻想や妄想があると思います。 それと、慢性的に心の中に飢餓感や空虚感を持っている人は、生きている証に強い刺激を求めたくなってしまうし、その欲求はどんどん高まるので、よりスリリングなことでなければ満足できなくなるのでしょうね…。 万引きをする人が必ずしもお金に困っているのではなく、中にはゲームとしてスリリングな感覚を楽しみ、どんどんエスカレートしてしまう人がいるように。 リストカットをする人は、自分の手首を切ることで、その痛みと流れる血を見て「自分が生きていることを実感する」というけれど、他人を通してでしか自分の生を実感できない人が、他人の体を切り刻むのではないだろうかと、そんな気がします。 和歌山毒カレー事件の、林眞須美 死刑囚が獄中で針を飲んだと報道されたとき、心理学者だったか、精神科医だったか、どなたの発言だったか失念しましたが、もともと痛覚の鈍い人はいて、林死刑囚がそれではないかと推論していらっしゃいました。 林死刑囚は、事件のずっと前に保険金目的でバーベキューだったかで起こした火の中に自転車で故意に突っ込んで、両足にやけどを負ったと保険会社に申告していたそうです。 彼女がそういう危険なことができたのも、針を飲むことも出来たのも、彼女自身が痛覚が鈍いからじゃないかと、また自分が痛みに鈍いから人に対して残酷なこと、無差別に毒カレーを食べさせることが出来たんじゃないかと、そういったことを仰っていました。 ここでの他の回答者の方々との遣り取りを拝読して、当時の報道を思い出し、人がもがき苦しむさまを見て、はじめて自分の生を実感する、そういう感覚の人間もいるのかもしれないと思いました。 でも、私はそういう感覚は理解できないし、探求したいと思いません。 ふと、気になることはあっても、どっぷりと浸るのは恐ろしい。 理解に努めようとしたら、狂気の中に飛び込まなければいけないということになります…。 >これは、確かに、悪魔に乗り移られる感覚です。 そう、まさにそれなので。 このまま、人が人らしいとはこういうことだと信じていられる世界にいたいから、理解できなくて良いと思ってしまいます。 >かなり幼いころから、先天的なものなのか、それとも 潜在的な「悪魔」を、何らかの環境因子が呼び起こし たのかは判らないけれど、人を殺すまでの人格の 年齢的な変遷を考えれば、かなり幼いころから 形成されてきたものだと思います。 もし、五感そのものの感覚が一般人と極端に違っていたら、ものの考え方も捉え方も周囲とは思いっ切り違ってしまうと思います。第六感的なものまでも。 子どもの頃に、少なくとも小学生か中学に上がるころまでに周囲がそのことに気が付いたなら何か手立てはありそうですが、思春期を迎えてもまだ周囲が気がつくことがなければ…どんなに言葉を尽くしても、伝わらなくなってしまうということは起こり得ると思います。 心身の発達が違えば、同じ文化圏に住みながら、当事者はガラパゴスに住んでいるようなものだから、周囲が放っておけば放っておくほど、言葉(心)は通じなくなってしまうんじゃないかと。 >人権無視の謗りを免れないかも知れませんが、 強制的に特殊な機関に入院させて、具体的に 効果が確認できる精神的な矯正が必要な、 根治不能の重要疾患のような気がします。 冷たいようだけれども、青年期に達していたら、パーソナリティーが相当に固まってしまっているでしょうから、そうするよりないように思います。 何らかのパーソナリティー障害を持っていると考えるよりないとも。 >治すことは出来ないから、何か別の、 条件反射のような習慣性を身に着けさせる。 特殊な訓練を施す必要があるように 思えます。 核家族化が進み、社会が複雑化し、器用さばかりが求められるようになった現代だからこそ、発達障害の子どもたちが受ける療育の中にヒントがあるように思います。 発達障害とパーソナリティー障害は本来は別ですが、通常のコミュニケーションだと上手く行かないのなら、幼稚園や小中学校にも、特別支援養護学校教諭や臨床心理士のような専門家に、療育の知恵を授かる機会があって良いと思いますし、専門知識を持った人が働ける場を広げるべきじゃないかと思います。 何故なら、複雑なケースだと一般の親や先生だけでは手におえないからです。 親自身が問題を抱えているケースもあるし、(精神的な発達面で)親に問題はなくとも、難しい子を育てることで、すっかり自信を無くして、誰に相談すれば良いのか解らず孤立しているケースもあるからです。 大らかさの失われた社会では、一般の親も先生も救いを求めていると思います。 ~度々、回答中で質問者さんの文章をを引用させていただきましたが、仰りたかったことと違っていたり、私が返答することでニュアンスが変わってしまっていたら、大変申し訳ないです m(__)m

noname#210533
質問者

お礼

回答、本当にありがとうございます。 今指がうまく動かないのと、あなたのご意見が 物凄く広くて深いので、何度も良く読んでから お礼を書きたいと思います。 済みませんが、2,3日お待ちくださいまし。

noname#210533
質問者

補足

お返事が遅くなりましてごめんなさい。 物凄くどっしりとしたご回答でした。 心からお礼を申し上げます。 万能感。 逆に言えば、無力感を抱えていたのでしょうか。 神になりたい、とでも彼らは言うのかも知れません。 サディズム。確かに無意識的にでしょうが一種の 「強姦」だったのかも知れませんね。 強姦は、殆ど男の専売特許だと思っていましたが、 仰るように考えると女も他人を強制的に支配したい サディズムがあるのでしょうか・・・ 強姦だけの事件に対して、強姦殺人という凶悪な 犯罪も後を絶たないですが、ご回答を読むうちに 強姦と強姦殺人は、その犯罪欲求が、実は全く 別な犯罪なのかも知れないと思いました。 人間が地球の癌細胞だという考え方の裏返しで 「人を超えた存在になることを目指す」のか・・・。 そこは歪んでいるなりに哲学的ですが、 未来も展望も希望も持たずに、刹那的に快楽と刺激を 求める破壊衝動に従うのですか。 知性の皮をかぶった獣性? 不思議です。頭がいいのかクルクルパーなのか。 衝動を爆発させるまでの内圧を高める儀式としての 哲学風思考、優越感とその裏返しの劣等感、そして 孤独感と、その裏返しの超人譫妄。 それらは、「人間辞めますね」のカタルシスを得る プロセスでしかないのでしょうか。 ぞっ、とします。 思考そっくりだけど、思考では無いもの。 見た目は思考のように見えるけれど、その動機も 目的もそれの中には内包されていない、空虚な 言葉や論理の羅列と連鎖・・・ まるで人形の思考? 或は、虚数的思考? 人の姿を模倣したものを人形と呼びますが、 人の思考を模倣した虚ろなものを何と呼べば 良いのでしょう。 不気味です。 そのプロセスの中から浮かんでくるものは、 刹那的な強い欲求を満たそうとする衝動。 動物的な感情を全て廃し、欲望充足に必要な 手順だけをルーチンとして「思考」する。 まるで昆虫です。 身の毛がよだつほど不気味で恐ろしく感じます。 人の姿をした、昆虫。 昆虫の脳を持つ、人体。 これはこの辺にしときます。背中が寒いです。 冷静なご考察で、当事者は(思考を)言語化せずに ・・・本能的に食物連鎖の頂点に立とうとすること。 確かに、殺して喰らうこと、とはそういうことですね。 食物連鎖、か。 それを無意識にも「感覚的に」重要視して 暮らしている人間、ということなのかな。 -----「無差別殺人に取り憑かれた人たちが、何故だか一様に ポジティブな言葉や建設的な行動を嫌う」こと。 これも深いですね。 ポジティブ・シンキングや建設的な行動が、自分に対する 強い全人格否定に・・・強烈な攻撃、或は敵意に映る・・・ みたいに感じるのか・・・ 愛情や温情という感情に疎く、素から備わっていない。 成長せずに枯れてしまった、ということは。 脳神経、或は脳内の物質代謝異常や機能未分化なら 極めて深刻ですね。 例え強制的にでも、行動を完全に抑制できる目途が立たない。 とも思えてしまいます。 ポジティブな思考や建設的な行動というのは、見方をかえれば 社会を構成する一員である意識から生まれるものですよね。 それが、自分を全否定するように感じられるのならば、 一般的な未成熟心理によく見られる「私はお前たちとは 違うんだ!」という感情や、家族や友人達で形成される 人間集団に所属出来ない焦燥感と劣等感、に似てはいますが もっと破壊的な攻撃衝動を引き起こす欲求・・・。 私が感覚的に想像できるものは、「生理的嫌悪感」だと 思いました。 同じ仲間だと思っているのならば、仲間外れは嫌だ、 一緒に仲良くしたいと心の底では思いますから、仲間を 切り刻んで快楽を味わいたいなどとは根本的に考えられない 筈です。 でも。 同じ仲間、ではなくて、例えば、ブヨブヨした巨大な 芋虫やゴキブリのように、根本的に自分とは異質な、 そこら辺に暮らしている見ず知らずの動物達に対する 感情移入さえ出来ない程の異質感、だとしたら。 他人が等身大のヒルや原虫のように見える世界に 暮らしている、のだとしたら。 普通の人間の感情ではおかしくなってしまうと 思います。 考えただけで発狂しそうだ。 孤独、ということさえ当たらない、絶対的な「独」。 それゆえの「毒」なのでしょうか。 世界に自分の同族が殆どおらず、同様の殺戮行為で 視覚化された、極めて稀な「同族」意識。 ああ、それなら何故サカキバラだの宅間某だのに 親近感を覚え、愛着や敬愛、尊敬の念を連中が持つのか。 理解できる、と言えば理解でき・・・たくないけど。 自分を取り巻く気持ち悪い得体のしれない化け物が 数を頼んで生を謳歌している、受け入れがたい世界、に 彼らはこの世を見ているのかも知れません。 自己愛性パーソナリティ障害・・・。 コンピュータと違って、同じ情報処理系であっても 脳はハードとソフトが不可分ですし、不可逆性が 高いシステムです。 いかれたソフトをアンインストールするような 根治処置の可能性はとても低い気がします。 その「脳内の現象」である、思考や感性だけでなく、 それが自然である脳神経の繋がり方、特有の物質代謝。 遺伝、という見地で考察することを抑制することは 困難ですね。 発現確率は低くても、潜在的にそれは様々な劣性遺伝の 組み合わせと特徴的な生育過程を満たさないと顕れない 狂気、だとしても。 同じ文化圏に住みながら、ガラパゴスに住んでいる。 ああ、良く判りました。 我々はどの程度異質なモノに見えてるんだろう? 仰るように、発達障害/パーソナリティー障害、 様々な専門家のバックアップやサポートが受けられる 環境を、幼少期から療育の機会を与えられれば 破壊的でない健全な成長を促すことが出来るでしょうね。 ただ、いじめや自殺も知らんぷりをして既得権益に しがみ付く教育委員会や一部の教職員が蔓延る今の 学校では、到底そんなことは出来ようはずもないと 思います。 社会が幼稚化してしまった経済支配最優先の格差社会の 日本では、その歪み故に増殖する不気味な精神障害に 冷静に向かい合って対応機関の設立などを可能にする 社会的な合意形成にまでは当分至らないのか・・・ つい、暗鬱とした気持ちになってしまいます。 それでも、最後にお書きになられた親や先生だけでは 手におえない、彼ら自身も問題を抱えていたり、 自信を無くして孤立している・・・ 大らかさの失われた社会では、一般の親も先生も 救いを求めていると思います、の下りはドシンと お腹に響きました。 非常に読み応えがあって様々な着想や視点、考え方を 与えて下さった回答に、本当に感謝します。 何より、論説の着地点を「社会が救いを求めている」 現状に置かれたことで、自分の恐怖や焦燥感を人と 共有していける、オバケの正体が判ればみんなで 対策を講じていける、という安心感を与えて 頂きました。 一週間経って自動的に回答は打ち切られてしまったようです。 お返事をお待たせしてしまい、すみませんでした。 広くて深い、素晴らしい回答に心から感謝いたします。 どうも、ありがとうございました。

その他の回答 (8)

noname#207821
noname#207821
回答No.9

再度すみません、No.8です。 推敲が足りず、おかしな文章になっていた個所があるので訂正させていただきます。 先の回答で書いていた、この箇所の直後の文章を訂正させていただきます。      >和歌山毒カレー事件の、林眞須美 死刑囚が獄中で針を飲んだと報道されたとき、心理学者だったか、精神科医だったか、どなたの発言だったか失念しましたが、もともと痛覚の鈍い人はいて、林死刑囚がそれではないかと推論していらっしゃいました。 誤)林死刑囚は、事件のずっと前に保険金目的でバーベキューだったかで起こした火の中に自転車で故意に突っ込んで、両足にやけどを負ったと保険会社に申告していたそうです。 彼女がそういう危険なことができたのも、針を飲むことも出来たのも、彼女自身が痛覚が鈍いからじゃないかと、また自分が痛みに鈍いから人に対して残酷なこと、無差別に毒カレーを食べさせることが出来たんじゃないかと、そういったことを仰っていました。 正)林死刑囚は毒カレー事件のずっと前に、(バーベキューをするためだったかで起こした)火の中に故意に自転車で突っ込んで両足にやけどを負ったのを、保険会社には過失事故を装って申告し、保険金詐欺を働いていたと当時の捜査当局はみていました。 これを受けて前述の有識者は、 彼女がそういう危険なことができたのも、針を飲むことも出来たのも、彼女自身が痛覚が鈍いからであり、また痛みに鈍いから、他者に対して、無差別に毒カレーを食べさせるという残酷なことが出来たのではないかと仰っていました。 長文なので、他にも分り難い個所があると思います。そのときは補足してください。 それでは失礼いたしました。

noname#210533
質問者

お礼

ごめんなさい! 操作ミスで、違う回答者の方にお返事を書いてしまいました。 うっかりです。お許しください。

noname#210533
質問者

補足

お返事が遅くなりましてごめんなさい。 物凄くどっしりとしたご回答でした。 心からお礼を申し上げます。 万能感。 逆に言えば、無力感を抱えていたのでしょうか。 神になりたい、とでも彼らは言うのかも知れません。 サディズム。確かに無意識的にでしょうが一種の 「強姦」だったのかも知れませんね。 強姦は、殆ど男の専売特許だと思っていましたが、 仰るように考えると女も他人を強制的に支配したい サディズムがあるのでしょうか・・・ 強姦だけの事件に対して、強姦殺人という凶悪な 犯罪も後を絶たないですが、ご回答を読むうちに 強姦と強姦殺人は、その犯罪欲求が、実は全く 別な犯罪なのかも知れないと思いました。 人間が地球の癌細胞だという考え方の裏返しで 「人を超えた存在になることを目指す」のか・・・。 そこは歪んでいるなりに哲学的ですが、 未来も展望も希望も持たずに、刹那的に快楽と刺激を 求める破壊衝動に従うのですか。 知性の皮をかぶった獣性? 不思議です。頭がいいのかクルクルパーなのか。 衝動を爆発させるまでの内圧を高める儀式としての 哲学風思考、優越感とその裏返しの劣等感、そして 孤独感と、その裏返しの超人譫妄。 それらは、「人間辞めますね」のカタルシスを得る プロセスでしかないのでしょうか。 ぞっ、とします。 思考そっくりだけど、思考では無いもの。 見た目は思考のように見えるけれど、その動機も 目的もそれの中には内包されていない、空虚な 言葉や論理の羅列と連鎖・・・ まるで人形の思考? 或は、虚数的思考? 人の姿を模倣したものを人形と呼びますが、 人の思考を模倣した虚ろなものを何と呼べば 良いのでしょう。 不気味です。 そのプロセスの中から浮かんでくるものは、 刹那的な強い欲求を満たそうとする衝動。 動物的な感情を全て廃し、欲望充足に必要な 手順だけをルーチンとして「思考」する。 まるで昆虫です。 身の毛がよだつほど不気味で恐ろしく感じます。 人の姿をした、昆虫。 昆虫の脳を持つ、人体。 これはこの辺にしときます。背中が寒いです。 冷静なご考察で、当事者は(思考を)言語化せずに ・・・本能的に食物連鎖の頂点に立とうとすること。 確かに、殺して喰らうこと、とはそういうことですね。 食物連鎖、か。 それを無意識にも「感覚的に」重要視して 暮らしている人間、ということなのかな。 -----「無差別殺人に取り憑かれた人たちが、何故だか一様に ポジティブな言葉や建設的な行動を嫌う」こと。 これも深いですね。 ポジティブ・シンキングや建設的な行動が、自分に対する 強い全人格否定に・・・強烈な攻撃、或は敵意に映る・・・ みたいに感じるのか・・・ 愛情や温情という感情に疎く、素から備わっていない。 成長せずに枯れてしまった、ということは。 脳神経、或は脳内の物質代謝異常や機能未分化なら 極めて深刻ですね。 例え強制的にでも、行動を完全に抑制できる目途が立たない。 とも思えてしまいます。 ポジティブな思考や建設的な行動というのは、見方をかえれば 社会を構成する一員である意識から生まれるものですよね。 それが、自分を全否定するように感じられるのならば、 一般的な未成熟心理によく見られる「私はお前たちとは 違うんだ!」という感情や、家族や友人達で形成される 人間集団に所属出来ない焦燥感と劣等感、に似てはいますが もっと破壊的な攻撃衝動を引き起こす欲求・・・。 私が感覚的に想像できるものは、「生理的嫌悪感」だと 思いました。 同じ仲間だと思っているのならば、仲間外れは嫌だ、 一緒に仲良くしたいと心の底では思いますから、仲間を 切り刻んで快楽を味わいたいなどとは根本的に考えられない 筈です。 でも。 同じ仲間、ではなくて、例えば、ブヨブヨした巨大な 芋虫やゴキブリのように、根本的に自分とは異質な、 そこら辺に暮らしている見ず知らずの動物達に対する 感情移入さえ出来ない程の異質感、だとしたら。 他人が等身大のヒルや原虫のように見える世界に 暮らしている、のだとしたら。 普通の人間の感情ではおかしくなってしまうと 思います。 考えただけで発狂しそうだ。 孤独、ということさえ当たらない、絶対的な「独」。 それゆえの「毒」なのでしょうか。 世界に自分の同族が殆どおらず、同様の殺戮行為で 視覚化された、極めて稀な「同族」意識。 ああ、それなら何故サカキバラだの宅間某だのに 親近感を覚え、愛着や敬愛、尊敬の念を連中が持つのか。 理解できる、と言えば理解でき・・・たくないけど。 自分を取り巻く気持ち悪い得体のしれない化け物が 数を頼んで生を謳歌している、受け入れがたい世界、に 彼らはこの世を見ているのかも知れません。 自己愛性パーソナリティ障害・・・。 コンピュータと違って、同じ情報処理系であっても 脳はハードとソフトが不可分ですし、不可逆性が 高いシステムです。 いかれたソフトをアンインストールするような 根治処置の可能性はとても低い気がします。 その「脳内の現象」である、思考や感性だけでなく、 それが自然である脳神経の繋がり方、特有の物質代謝。 遺伝、という見地で考察することを抑制することは 困難ですね。 発現確率は低くても、潜在的にそれは様々な劣性遺伝の 組み合わせと特徴的な生育過程を満たさないと顕れない 狂気、だとしても。 同じ文化圏に住みながら、ガラパゴスに住んでいる。 ああ、良く判りました。 我々はどの程度異質なモノに見えてるんだろう? 仰るように、発達障害/パーソナリティー障害、 様々な専門家のバックアップやサポートが受けられる 環境を、幼少期から療育の機会を与えられれば 破壊的でない健全な成長を促すことが出来るでしょうね。 ただ、いじめや自殺も知らんぷりをして既得権益に しがみ付く教育委員会や一部の教職員が蔓延る今の 学校では、到底そんなことは出来ようはずもないと 思います。 社会が幼稚化してしまった経済支配最優先の格差社会の 日本では、その歪み故に増殖する不気味な精神障害に 冷静に向かい合って対応機関の設立などを可能にする 社会的な合意形成にまでは当分至らないのか・・・ つい、暗鬱とした気持ちになってしまいます。 それでも、最後にお書きになられた親や先生だけでは 手におえない、彼ら自身も問題を抱えていたり、 自信を無くして孤立している・・・ 大らかさの失われた社会では、一般の親も先生も 救いを求めていると思います、のくだりはドシンと お腹に響きました。 非常に読み応えがあって様々な着想や視点、考え方を 与えて下さった回答に、本当に感謝します。 何より、論説の着地点を「社会が救いを求めている」 現状に置かれたことで、自分の恐怖や焦燥感を人と 共有していける、オバケの正体が判ればみんなで 対策を講じていける、という安心感を与えて 頂きました。 一週間経って自動的に回答は打ち切られてしまったようです。 お返事をお待たせしてしまい、すみませんでした。 広くて深い、素晴らしい回答に心から感謝いたします。 どうも、ありがとうございました。

noname#210968
noname#210968
回答No.7

 今回の19歳大学生による殺人は、社会常識の欠如と 個人的な思い込みが非常に強く出ているケースとおもわれ ます。  殺害方法の粗暴さに驚かされますが、一面計画的に犠牲者 をおびき出し(宗教関係の集会なら、善良な「獲物」、とい ってはなんですが、実際これは「狩猟」でしょう、そこで容易 に目標が得られるとおもったはずです)、かとおもえば、自 分のしたことをネットで暴露したり、また犠牲者の遺体を自 宅に置くなど、犯行の稚拙さがうかがえます。  おそらく、殺したあとでどうするかは考えていなかったので、 最大の証拠を手許に残すという、捜査側にしてみれば、これ ほどサンキューな事案はなかったでしょう(茶化していってる ようですが、私自身の思いは、「バカヤロー」以外にありませ ん)。  これまで、死ぬほど痛い、死ぬほどつらいという経験がない と、こうなっちゃうんでしょうね。

noname#210533
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。 本当に粗暴ですね。 中学生のころから殺人用の斧を持っていたという割に 私も随分と行き当たりばったりで杜撰だと感じます。 今回こんな質問をして背中がずっとひんやりしっぱなし なんですが、「儀式」とか「生贄」という単語が頭に こびりついて中々落ちません。 私はこれまでの人生で指がちぎれそうになったり、 車にはねられたり飛行機で落ちたり、怖いことや 痛いことが何度かありましたが、いまだに心の中に 「その瞬間の感覚」が焼き付いてしまい、何かの拍子に 思い出してドキドキしたり冷や汗が出たりする、少し 忌まわしい記憶がチラホラあります。 なのに、思い出したくない気持ちと、恐る恐る記憶に 被せてある覆いのようなものをちょっと開いて覗いて 観たくなる、相反する気持ちを抱えています。 怖いもの見たさ,というくらいですから誰でもある 心理なんでしょうけど、今回のような酷い事件が 起きると、何故か、安心したいのでしょうか? インターネットでfatal accidentとかaccident deathとか それこそ、何かの拍子にふと、検索してしまうのです。 画像、のリンクをクリックするたびに、気持ちにリキを 入れて、わざわざ。 それでも何度「見てしまって」も、あれをリアルに見たいとか 生き物を死体に変える「体験」がしたいなどとはどうしても 思えません。 頭で理解できそうでも、ある程度以上「理解出来そう」になると 私の指の中を通り過ぎて骨に当たって止まったカッターの、痛みより 先に感じた冷たさや、地面に叩き付けられて呼吸が全く出来なくなった 恐ろしい苦しさが記憶の「蔵」から噴き出しそうになって慌てて 引き返してしまいます。 今朝、後藤さんが殺害されたニュースを聞いて、出てきそうな 刃物の痛みの記憶を抑え込んで仕事をしています。 キーボードを叩く指が瘧にかかったみたいに震えてしまい 打つ時間が4,5倍かかっています。 判らない、方がいいのかも。 回答、ありがとうございました。

noname#204938
noname#204938
回答No.6

ノルウェーのある集団の人の言葉ですが、 「ノルウェーはとても恵まれた国で、生活水準も高い。それが若者をうんざりさせるのだと思う。自己証明になるものが何もないよりは、邪悪なものと自分を同一化するほうがマシだと思っているのかもしれない。」 とあります。 これは一つの見方ですが、他にもただ単に殺すことに興味があったのかも? いけないことだと思ってても刺激が欲しかったり、刺激を求めて。。。とかそんな感じだと思います! 悪いことをして自我の存在を認識しているのかもしれませんね。。。!!

noname#210533
質問者

お礼

お礼が遅くなりましてごめんなさい。 一度書いたものを誤操作で皆吹き飛ばしてしまいました。 平和に倦んで、邪悪なものと自分を同化させる、ですか。 邪悪の方がマシ・・・もしかしたら、どちらかと言えば マシ、ではなくて、わざわざ邪悪を求める気持ちが あるならば。。 ううう、んんんぐぐっ と、質問者は理解しようと少し悪戦苦闘しました。 自分が被害者の目線で考えることが常態化している私は、 加害者の目線で見る習慣が余りありません。 その立場や背景を慮ることは勿論ありますが、そこには 「ムカつく奴は殺して構わない」というロジックを 強制的に排した思考が前提になっていました。 でも、深く考えれば、というより、極めて自己中心的な 物事の捉え方や感じ方を最初から前提に「感じて考える」 ことを試してみると、どうも自分の深層にも何やら 不穏な物が蠢いている手触りがあります。 邪悪、というのはおぞましい、絶対的に受け入れられない 恐怖と苦痛の代名詞だったのですが、自分が社会的鬱憤なり 他人へのシンパシーを全く感じない、先天的な人格障害を 持っていたりと考えを進めていくと、自分の中の善や徳、 愛情に関する回路が、何かウイルスのようなものに侵され、 変質していくような危険な手触りを感じます。 目前の他者を恐怖と苦痛で支配し、骨抜きにし、 ズタズタに引き裂いて殺して、それから? この手触りは・・・他の命を「殺して喰らう」快楽、の 感触、ですね。 迂闊に余り深くダイブすると、浮力が乏しくなって ズブズブと沈んで行ってしまう・・・丁度あの感覚に 近い恐怖を感じます。 ある精神深度より深く沈んでしまうと、自分の思考が 完全に乗っ取られてしまうような不気味な感覚です。 (戴いた回答から頭が勝手に動くに任せてます) ・・・そうか、「生きたい」と「死にたくない」は、 同じものじゃないんだ・・・ 極めて似てるけど、非なるもの・・・善と悪に 産み分けられた双子のように、そっくりだけど、 全く別な物なんだ。 という考えがポコ、と浮かんできました。 死にたくない、は、他者の命を喰らうんだ。 極めて排他的な念慮というか。 自分の死を遠ざけるために、他者の死を必要と する、感じ? うう、一番近い感覚がやはり、「殺して喰らう」、 という感じです。 殺して喰らって味わって、そして自分の中に 取り込んでしまいたい、という強い欲求です。 これは、危ない。 こんなもの、まともに思考野を支配させていたら 殺人狂になりそう・・・なったのか。 これは、確かに、悪魔に乗り移られる感覚です。 抗いがたい根源的な快楽の匂いがする・・・。 何か、疼きのような・・・ この感覚の先にあるものが、あの凶悪事件の 犯人の思考や人格構造を支配しているのなら、 普通に社会的な価値観を優しく教えて更生させる、 ような司法の考えは、泣きたくなる程見当違いだと 思えてきます。 かなり幼いころから、先天的なものなのか、それとも 潜在的な「悪魔」を、何らかの環境因子が呼び起こし たのかは判らないけれど、人を殺すまでの人格の 年齢的な変遷を考えれば、かなり幼いころから 形成されてきたものだと思います。 人権無視の謗りを免れないかも知れませんが、 強制的に特殊な機関に入院させて、具体的に 効果が確認できる精神的な矯正が必要な、 根治不能の重要疾患のような気がします。 治すことは出来ないから、何か別の、 条件反射のような習慣性を身に着けさせる。 特殊な訓練を施す必要があるように 思えます。 どうもありがとうございました。 これは、怖い。 どうもありがとうございました。

  • kyo-mogu
  • ベストアンサー率22% (3398/15359)
回答No.5

 実感がわかない。という印象がありますね。  我々は小さいときなどの経験や親や学校で得た知識などから物事を想像したり理解したりします。その時に体験すべき事をさせなかったりすることで理解出来ない状態になります。  人を殴れば痛い。喧嘩をしたりちょっとしたことでぶつかったりした経験で痛みを理解するなど。  今はテレビやゲーム。視覚情報だけ。私自身今見えている物が本当に有るのか不安に成ることもあります。触って、そこにあると実感します。料理をするにしても、生き物の命を奪う事は別のところで行われて見る事はありません。物としてしか見ていない。  料理も出来た物だけ。苦労など見えてきません。  そういった物が見えて、理解する。しかし、今はただ教えるだけで理解していない。本当に正しいのか実験するという機会も少ない。  便利になり、考えなくても生活できる世界になった。  でも、何だろうという疑問はあり、それを試したいと思う。殺してみたいという物も、虫など小動物を虐めた経験などから「悪い」という事を自覚することもあります。私もそうですが。  教えられるのと自覚するのでは異なると思います。漠然とした物としっかりした物の違い。  彼らは明確な物が実感出来ていないでしょう。それと、そういったものを理解出来ない脳の仕組みだったかもしれません。発達障害などでも、理解出来ない物は全く出来ないものがあります。    他に、自分を守るという過剰な反応もあります。あらゆる事から自分を守ります。間違いなども認めず、相手に求めるなどです。  当然罪の意識も自覚できない状態です。  こういった事も、個人の問題か、環境の問題かわからないですが、そういった状態になる人は居ます。ただ、周りが上手に動き、止める事も出来たでしょう。でも、よりつっこんで止める事は難しいかな。  と私は分析しています。  色んな要素も複雑に重なっていると思うので単純に分析は出来ないと思います。

noname#210533
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございました。 やはりというか、実感を得たいがため、というご意見が 多いですね。 苦痛や恐怖などの生存本能に関わる部分の経験が乏しい、 或はそれを感じる脳の仕組みに欠陥がある、もしくは 心の成長が阻害されているのではないか。 というご指摘も忌憚なく言えば、確かにそれはあり得るなと 思いました。 ニューロパチー、だったかな。 痛みを感じず汗もかかない、先天性の遺伝子疾患。 痛みを全く感じないため、火傷をしても怪我をしても 気づかず、致命的な状態に頻繁に陥る病気のことだ そうです。 新聞の物語にも出てきますが、昔は自分の舌を食べてしまうので、 舌喰い、と言われていたそうです。 人を殺してみたいと本気で考える彼らは、もしかすると 精神的な「舌喰い」なのかも知れませんね。 心の、苦痛を感じる機能が無い、若しくは機能不全で 痛みや恐怖を感じることが出来ない・・・。 それなら、司法が言う「更生」というのは全く的外れと 言わざるを得ないですね。 幼少時にある程度強制的にでも入院させ、 何らかの強い習慣性を持つ自制機能を学ばせる方が 惨劇を回避するのは有効ではないかと思うように なりました。 そう、例えば障碍者の方が生きていくために 点字や手話などの代替手段を学ばれるのと同じ ように、他人の痛みや恐怖を全く感じることが 出来なくても、他人の命を安全な状態に置くことが 自分にとっても重要なメリットを持つこと、 それを侵せば自分に甚大なデメリットが及ぶこと。 それを彼らが「感覚として」理解できる学習経験を 繰り返し、繰り返し施す必要があるのではないかと。 まるで洗脳ですね。 でも、これらの凶悪かつ無垢な犯罪者たちに対して、 私はその人権を別枠で規定しても、社会が強制的に 矯正を施す必要をどうしても否定できなくなりました。 その過程や結果は公開まではいかずとも、特定の 行政機関に対して公表されるべきだと思います。 さもなければ、人権主義という無責任が怯懦から その安全機構をなし崩しにしてしまい、 再び元の木阿弥にしてしまうだろうから、です。 それを重大な差別だと憤慨する人達もいるでしょう。 でも、「差」を分けるのではなくて、「区別」を しなければならない、特殊な事情を背負った人は 数多くいます。 やはり、盲目的な均一人権主義が大きな壁として 立ちはだかっているのかな。 どうもありがとうございました。

回答No.4

「誰でもいい」というのは、 「ある特定の個人」ではなくて、 「生物としての人間(=物・実験用のサンプル)」の事。(…たぶん) その「生と死」の違いを自分で確かめたい(=殺してみたい) と考えているのではないかと思います。 「人工蘇生が出来る」→「心臓と呼吸の停止」≠「生物の死」 「脳死(感情などがない)」≠「生物の死」 「死」って何となくは分かるけど、 よく分からない事の方が多いなぁ~と私は感じます。 でも、普通は、それを確かめたいとは思わないんですけどね。

noname#210533
質問者

お礼

やはり、「命を実感で確かめてみたい」なのかな・・・ 倫理観念のダムが決壊するほど、欲求が勝ったのか、 殺人の意志を固めていく過程で、自分の死については 逆に実感が遠ざかっていったのか、多分両方なのかも。 一つ、判らないことがあるんです。 生と死について実感で何かを確かめたかったのなら、 動物で足ります。 特に、ペットとして可愛がってから殺せば、見ず知らずの 他人や、普通の友人を殺すより「理解」しやすいでしょう。 愛着があればあるほど、その理不尽な死について、深く 考えると思うのです。 何故、「人間でなければ」ならなかったのか。 私もニャンコが大好きなので、それはそれで 怖気の走る想像なのですが、その感情を抑えて 考えると、やはり、動物を殺すのと人間を殺すことを 同じ一連の行動の、単にグレードの違いとして 考えているのだろうか、位にしか、まだ思いつきません。 だとしたら、ばれない限り繰り返すでしょうし、何かが エスカレートしていき、より残酷な殺し方、下手をすると 殺さずに苦しめて生かし続ける、などという、完全な狂気の 人格に突入です。 あにたのご回答を読ませて頂いてふと思いついたのですが、 彼ら殺人犯の中では、被害者は「彼らなりの価値観で、 自分の一部として生かされ続けている」のかも知れない、 と感じました。 幼い女の子が、大切なお人形に疑人化して手放さなくなるように。 なんか、背中が寒くなってきました。 周囲に何か寄ってきたみたいな感じです。 どうもありがとうございました。

回答No.3

No.1です お礼ありがとうございます。 ドタキャン=土壇場キャンセルの略で、 時間ギリギリ若しくは過ぎてから不参加(キャンセル)の旨を伝えてくることです。 「街中でも良くある迷惑行為」としての例ですので 「大小問わず迷惑行為である事を気にしない」と解釈していただければ^^;;;

noname#210533
質問者

お礼

丁寧に、ありがとうございました。(^^;)

noname#212313
noname#212313
回答No.2

 以下、極めて個人的な見解・意見となりますので、予めお詫びしてご了承をお願いします。  容疑者については詳しくは分からないですから、とりあえず人生経験以外の資質としてはごく普通としておきます。  その場合で「殺したい」ではなく「殺してみたい」という気持ちが生じるケースとして、最も考えられるのは、「人間は死ぬとどうなるのか?」という疑問です。死を恐れる気持ちは本能としてありますから、誰に教えられるでもなく、気になるものです。  身近に小動物がいて、弱肉強食の捕食現場に遭遇したり、自分が殺しりという、生き物が死ぬのを見た経験が何度もあるなら(自然環境がある程度豊富なら、ごく普通にある)、生き物が死ぬということがどういうことか、ある程度感じ取ることができます。もしペットを飼っていて死ぬのを看取った、といったことがあれば、さらに具体的に実感できるでしょう。  必ずしも説明できるようなものではないんですが、生き物は死ぬと二度と取り戻せない、生きている者は生きていたい、といった当たり前のことです。それなら人間だって同じだろう、ということも分かってきますし、それが自分の中にある、なんとなく死が気になる気持ちとピッタリ合う、という感覚も起こるはずです。  しかし生身での死に接する機会がほとんどなく、例えばゲームでの人工的な死(簡単に甦る、リセットできる、リプレイできる等々)といったものしか知識や経験として入ってこないと、死ということが分からないままになります。  件の事件以前にも、あるいは今も、猫などを捕まえて酷く殺すという事件が起こっています。それらの多くにも、生きている者が死ぬということが分からない、しかし何が起こるか知りたくてやっている、という印象を受けます。しかし、さすがにいきなり人間相手では怖いので、動物でやったのでしょう。今回の事件については、死がなにか知りたいという気持ちが強すぎて、人間で『試して』みたのではないかと思えます。  もし極端に簡潔に申すなら「死ぬのが怖すぎたので、殺して確かめようとしてしまった」ということになります。

noname#210533
質問者

お礼

ご回答、どうもありがとうございました。 何度か読み返してみて、「死ぬのが怖すぎたので、 殺して確かめようとしてしまった」というのは かろうじて私にも理解出来る臨界面です。 自分の生を、他の命を奪うことで確認しよう、と? 身の毛がよだちますが、思いを遂げて、それで彼らは 何か理解できたのだろうか?、と訊きたくなります。 自分の生と、そして死について 何か分かったのか、と。 ふーむ。やはりそうなのか・・・という気がする反面、 その後の彼らを想像すると「ほら、私は傷一つつかずに 生命を謳歌できている、私は存在し、生きてるんだ!」 などと思うのかと・・・。 そうだとしたら、人を殺しても何も変わっていないことに なります。 ただの快楽殺人と違わなくなってしまう。 ・・・やっぱり不気味極まる。 怖いばっかりです・・・ 回答、ありがとうございました。

回答No.1

善悪の区別と、社会的観念や罪悪感による自己規制がないだけですよ。 TV見るのも、メシ食うのも、万引きするのも、人を襲うのも 「自分がやりたかったからやっただけ」で同じ事と考える。 もうねたぶんドタキャンと殺人が同じ程度なんですよ。 私も理屈での理解しかありませんが。

noname#210533
質問者

お礼

物凄い速さで回答いただき、のけぞってお礼を打っています。 どうもありがとうございました。 善悪の区別と、社会的観念や罪悪感による自己規制がない、全くそうですね。 しかし、二人ともお勉強は出来るようで、単純思考のアッパッパーでは ありません。 人一倍の頭脳を持ってるのに、どうしてそんな基本事項が「なくなっちゃう」の でしょうね・・・ 頭の良い、クールな友達が、後から自分を「解剖したい」などと思って観ていたら。 首筋がゾッ、として「普通の人に見える」他人を信じられなくなりそうです・・・・

noname#210533
質問者

補足

ところで、「ドタキャン」とは? ごめんなさい、そういう人に心当たりがあったのかなあ、 位しか思いつきません。

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