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《光あれ》という命令法は どういう実態か
Tastenkastenの回答
- Tastenkasten
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こんばんは。 直接の回答はできませんが、ドイツ語について。 ネコさんのご覧になったドイツ語のサイトはまずいです。Es werde Licht はもちろん聖書の冒頭の言葉、「光あれ」で、「明かりがつく」などという意味にはなりません。「明かりがつく」は、Das Licht geht an. と言います。Es wird Licht. では、単に「光になる」と言うだけの叙述文になります。 接続法第1式について、文法書の解説を引用しますと、 主文において、命令の意味を持つことがある。これは特に、本来命令形のない単数3人称及び複数1・3人称の場合である。敬称2人称単・複数のにおいても、これに準ずる。 Man sage mir, was man will, an meinem Entschluß ist nichts zu ändern. 私に何か言いたい者は言え、私の決心は変わらない。 したがって、Es werde Licht! の場合、werde は、3人称単数の接続法第1式の活用形、esは非人称動詞の主語、つまり、人を主語にできない場合に使います(形式主語の es というのは、正しくは、受動態の文で使われる場合のことをいいます)。まあ、無理に直訳すれば、「それは光になれ」ということですが、es regnet (雨が降る)、es wird kalt (寒くなる)のように、主語としての意味はありませんので、訳出することはありません。ただし、この es と英語の there はもちろん対応しません。それから、英語の let に当たるのは、lassen ですが、「~させる」という意味なので、es werde~ のような命令のニュアンスではないですね。たとえば、 Jesus, lass es Licht werden für Menschen, die einsam, traurig und enttäuscht sind. また、英語の be と違って、werden は生じる、生成するという意味がありますので、「光あれ」というよりは、何もないところから生じるという感じで、「光よ生まれよ」となると思います。現代ドイツ語の意訳の聖書では、このような訳し方もあります。 Da sprach Gott: »Es soll Licht entstehen!« Da sprach Gott: »Licht entstehe!« Da sprach Gott: »Licht soll entstehen! « つまり、ドイツ語の逐語訳の場合は、es という3人称の架空の主語があることになり、Es werde Licht! という命令は、光に対して発せられたものではないことになります。見かけとしては、es がLicht になったわけで、3人称の主語は Licht ではなく、Licht という言葉が先にあったということにはならないわけです。少なくともドイツ語の逐語訳はこういう仕組みになています(現代ドイツ語の意訳の2番目の例では、Licht を直接主語にしていますが)。原典のことはわかりません。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ついでですので、間違いだらけのドイツ語のサイトのほかの文の訳も直しておきます。 Ich werde nach Hause gehen. 私は家に帰る。→私は家に帰ろう。 Sie wird jetzt schon angekommen sein. 彼女はまもなく到着するでしょう。→彼女はもう到着しているだろう。 Das Buch wird gerade gelesen. その本が読まれる。→その本はちょうど今読まれている。 以上、御参考まで。
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お礼
たすてん先生 まことにありがとうございます。 ねむねこ氏は 独自の応答をされると思います。 質問者が受け取ったところでは――そのまま受け留めた項目はそのままになりますが―― けっきょくドイツ語は ドイツ語独自の世界を持つ。ということになりましょうか。 このことは ちょうど先ほど あともなどすさんとやり取りしたところなのです。つまり 言語によって《光に対する言いつけ》の著わし方が違ってくるということではなかったのですが(言語によってではなかったのですが) 神についての表現の仕方は 幾通りもあり得るということを議論し そういう表現の多様性というひとつの結論を得ました。 聖書は 神を創造主とし人間たちを被造物として描いているけれども それは あくまで表現の問題であるということ。しかもこの問題は 表現形式の多様性という問題に帰着するはずだというものです。 ということは あたかもその多様性と同じことが 言語の違いによって難なく無理なく実現している。このように受け取りました。 すなわち ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~ つまり、ドイツ語の逐語訳の場合は、es という3人称の架空の主語があることになり、Es werde Licht! という命令は、光に対して発せられたものではないことになります。 見かけとしては、es がLicht になったわけで、3人称の主語は Licht ではなく、Licht という言葉が先にあったということにはならないわけです。少なくともドイツ語の逐語訳はこういう仕組みになっています(現代ドイツ語の意訳の2番目の例では、Licht を直接主語にしていますが)。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ すなわち ★ Licht という言葉が先にあったということにはならないわけです。 ☆ すなわち もし三人称主語として《光(オール)》を立てた場合には あたかもその光が有ることを命じられて有ったというとき その《光》なる言葉もが 同時に生成しているかに――解釈としてですが――考えられると思われるからです。 これは 表現形式の多様性なのだと考えられます。それは 神が《非知》ゆえだというのは 質問者〔と あともなどすさんと〕の見解です。 もっとも 《見かけとしては、es が Licht になったわけで》というとき その《 es 》は――屁理屈をならべますと―― 《やがて Licht に成る何か》でもあると解釈し得ましょうか。し得るとしたら ドイツ語が 独自性を持つと同時に ヘブル語ないし一般的な考え方からいちじるしく離れて行ってしまうわけではない。こう考えられます。 こういう収穫を得させていただきました。 ○ 有る。成る。生まれる。生じる。 ☆ これらの用い方に関心を持ちました。つまり 《有る》以外は 現代ドイツ語が用いたようにはあまり使われなかったとしたら それは何故か? もはや今は保留ですが。 言葉のことで あとひとつおしえてくださいますか? ○ Sie wird jetzt schon angekommen sein. 彼女はまもなく到着するでしょう。→彼女はもう到着しているだろう。 ☆ これが 右辺のように解釈されるのは 《 schon 》があるからでしょうか? schon がなかったら 左辺のごとく《彼女はまもなく到着するでしょう。》となるのでしょうか? すみません。ありがとうございます。