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なぜカトリックが成立したのか?

カトリックが成立した頃、 なにがあったのでしょうか?

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回答No.1

その説明が出来る人は、恐らくいません。 (説を語るなら可能でしょうが) 倉山満さんは貴方と同じ疑問を、歴史家の宮脇淳子さんに聞いたら、合理的な説明をしている人はいないと答えたそうです。 https://www.youtube.com/watch?v=fjs2MLnDauc&list=UUDrXxofz1CIOo9vqwHqfIyg#t=154 (動画2:34~)

noname#207067
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 哲学カテゴリーでニーチェが話題になって、 キリスト教がニヒリズムだというから それなら、なぜカトリックが成立したのか知りたかったのですが、 説明できる人がいないのですね。意外です。

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回答No.2

Wikipediaに ~~~~~~~ 2世紀以後、マニ教の流入や、モンタノス派やアリウス派が起こり、教会内での意見の統一が難しくなった。とくに4世紀以降、キリストの位置付けをめぐる一連の神学論争が教会の分裂を招くまでになった。キリストの位置付けをめぐるアリウス派とアタナシウス派の論争は、暴力を伴う争いを招くまでに加熱していった。 皇帝の介入と正統信仰の誕生 キリスト教の派間の暴力抗争を解決するため、ローマ皇帝コンスタンティヌスはニカイア公会議(325年)を開いた。なお、ローマ皇帝がキリスト教に介入したのはこのときが最初である。コンスタンティヌスは公会議の時点はキリスト教徒ではなかった(洗礼を受けたのは死の直前)。あくまでもローマ帝国の求心力低下の課題解決に図るためキリスト教の勢力を利用することがコンスタンティヌスの意図であった。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2 ~~~~~~~ と書いてあるニャ。 カトリック(正統)という考えは、このニカイア公会議で生まれたんだニャ。 ニカイア公会議以前には、キリスト教には様々な信仰形態、教義があったんだニャ。それら全部がキリスト教だったんだニャ。 で、福音書が現在の4つの形態になったのもこのニカイア公会議(確かそうだったはず)で、 コンスタンティヌス帝が数ある福音書の中から「これと、これと、これと、これ」とマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書を指し示し、現在の4福音書の形態になった、 なんて言われているニャ。 ローマによる帝国支配にとって都合のよい福音書が選ばれた、と言われているニャ。 ローマ皇帝の方がキリスト教の教会よりずっとずっと偉かったんだニャ。 ローマ皇帝の方が神の代行者である教会、特にローマ教皇よりもずっとずっと偉いという風習、考え方は、(西)ローマ帝国が崩壊し、神聖ローマ帝国が誕生しても引き継がれるニャ。 だから、《カノッサの屈辱》だニャ。 ~~~~~~ カノッサの屈辱(カノッサのくつじょく、ドイツ語: Gang nach Canossa、イタリア語: Umiliazione di Canossa)は、聖職叙任権をめぐってローマ教皇グレゴリウス7世と対立していた神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が、1077年1月25日から3日間に及んで雪が降る中、カノッサ城門にて裸足のまま断食と祈りを続け[3]、教皇による破門の解除を願い、教皇から赦しを願ったことを指す。 また、カノッサ事件とも呼ばれる。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%8E%E3%83%83%E3%82%B5%E3%81%AE%E5%B1%88%E8%BE%B1 ~~~~~~ この時、神聖ローマ皇帝は、はじめてローマ教皇に屈したんだニャ。 だから、《屈辱》なんだニャ。 しかし、ハインリッヒ4世は、この《屈辱》を忘れなかった。 ~~~~~ ハインリヒ4世はドイツに戻ると直ちに反対派の諸侯を制圧し王権を確立した。その後、再び叙任権をめぐって両者は争うが、今度はハインリヒ4世が軍勢を率いてイタリアに乗り込みローマを囲んだ。教皇は辛くも包囲を脱出し、1085年にイタリア南部のサレルノで客死した。叙任権闘争は、ドイツ南部のヴォルムスで叙任権は教皇にあることを定めた協約(ヴォルムス協約)が成立する1122年まで続いた。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%8E%E3%83%83%E3%82%B5%E3%81%AE%E5%B1%88%E8%BE%B1 ~~~~~~ 臥薪嘗胆、恥をかかされた教皇にリベンジしたんだニャ。 東ローマ帝国のキリスト教とローマ皇帝の関係については、 キリスト教の歴史 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2 の「教会の東西分裂」を読んでほしいニャ。 ここに書いてあるように、 東ローマ帝国のローマ皇帝は、「キリストに忠実なる支配者」「神の代理人」なんだニャ。 これが由緒正しいローマ皇帝の真の姿、あるべき姿なんだニャ。 カトリックという言葉が重要な意味をもつのは、キリスト教の東西分裂以後の話になるのでしょうね。 そして、これは政治的な理由から生まれたんですよ。 その後、西ヨーロッパでキリスト教がカトリックとプロテスタントに分かれますが、これにも政治が非常に深く関わっています。

noname#207067
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 政治の問題かあ。

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