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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:どんな《神は死んだ》のか?)

神は死んだとは?ニーチェの思想についての要約

NemurinekoNyaの回答

回答No.19

プラトンにとって、死は生より善きものであり、人間の生は死(完全なる自由)への準備期間に過ぎませんから。 「ならば、さっさと死んでしまえばいいじゃないか」と思うかもしれませんが、 プラトン大先生は「われわれは神々に見守られているのであって、人間は神々の家畜のひとつ(だから勝手に自殺してはいけない)」と『パイドン』で言っていたんじゃなかったかな。 底意地の悪い私としましては、家畜(人間)が勝手に死ぬと何か不都合が起こるのですか、とプラトン大先生に質問したいところなのですが、 古代ギリシア人は羊や山羊などを飼っていましたので、 この時代においては説得力のある説明だったのかもしれませんね。 当時の人は、これで納得できたのかもしれない(笑)。 肉体の牢獄説には、「人間は罪を犯したが故に肉体という牢獄に閉じ込められている。人間の生はその罪の贖いに過ぎない。自殺はその義務を放棄することだから不敬虔なのだ」というピタゴラス学派の影響があるとかないとか・・・。 ピタゴラスのこうした考えは、東方、オリエント社会からもたらされたとか・・・。 さらに、ピタゴラスは、インドから直接ではないが、インドのアートマン(我)という考えをギリシアにもたらしたと、と指摘する古代ギリシア哲学の研究者もいます。 ピタゴラス以前の古代ギリシアには、ポリスに対立するような《我(アートマン)》という考えは存在しなかった。ピタゴラスがギリシアに持ち込み、ソクラテス→プラトンの系譜で、《我(アートマン)》が発展したのだ。 ソクラテスのダイモニオンの正体は、インド起源の《アートマン》であり、それは単に古代ギリシア起源のものではなかったからだけではなく、ポリスの調和・コスモスを乱す危険な思想、神学であったから、裁判にかけられたのだ。 こういったことをいう研究者がいたりします。 こういうことをいう研究者・専門家がいるということで、眉にツバをつけて読んでください。

bragelonne
質問者

お礼

 お早うございます。ご回答をありがとうございます。  アートマンとダイモニオンとの突き合わせは おもしろいですが たぶんアートマンが霊我であることをギリシャ人は知らない。大きく勘違いしているようですね。  ダイモニオンの場合は 霊我であるようでもあるのですが どうも経験的なハタラキが濃すぎるようにも見られます。  経験的な守護霊のごとくしてヒラメキだけではなくあらゆる振る舞い・おこないを見守っていつつけっきょく介入さえして来て言ってみれば《われの拡大版》であるように思われます。  アウグスティヌスにも 型どおりの説明が見られると言えばそうなのですが プラトンについてはいろいろ書いています。おおむね好意的です。  ▼ (アウグスティヌス:プラトンの神について) ~~~~~  であるから まさしく 評価と名声において他の哲学者たちにぬきんでているとわたしたちが思っているかの哲学者たち(*1)は   *1 他の哲学者たちにぬきんでている:キケロ『神々の本性』    (2・12)で プラトンは《哲学の神》と呼ばれていたと     いうことからだそうです。  いかなる物体も神ではないと知っていたのである。それゆえ 彼らは一切の物体的なものを越えて神を求めたのである。彼らはまた いかなる可変的なものも最高の神ではないと知っていた(プラトン『国家』2・380D-381B)。それゆえ 彼らはあらゆる魂 あらゆる可変的な霊を越えて最高の神を求めたのである。さらに彼らは あらゆる可変的なものにおけるすべての形体は それが何であろうと どのような仕方で存在していようと どのような本性であろうと 存在する限り 不変的に存在するゆえに真に存在するところの神によってでなければ存在することができないことを知っていたのである。  このことから 世界のすべての物体 すなわち その形体(スペキエス) 質 秩序ある運行 天から地に到るまで整然と配分された諸元素 さらに それらの中に存在するすべての物体 あるいはまた すべての生命あるもの 植物がそうであるように養分を摂取し〔存在を〕維持するだけのもの 動物がそうであるように それに加えて感覚するもの 人間の場合がそうであるように それに加えて知性(インテレクトゥス)によって認識するもの 天使たちの場合がそうであるように 養分の補給は必要としないが 〔存在を〕維持し 感覚し 知性をもって認識するもの――そうしたすべてのものは純一に存在している神によってでなければ存在することはできないのである。  なぜなら 神にとっては あたかも生きることなく存在することが可能であるかのように 存在することと生きていることとは別の事柄ではないからである。また神にとっては あたかも知性によって認識することなく生きることが可能であるかのように 生きていることと知性によって認識することとは別の事柄ではないからである。さらにまた 神にとっては あたかも至福であることなく知性によって認識することができるかのように 知性で認識することと至福であることとは別の事柄ではなく 神にとっては存在することは 生きることであり 知性によって認識することであり 至福であることであるからである。  プラトン派の人びとが 神はそうした万物の創造者であり しかも神自身はいかなるものによっても創造されることはできないと考えているのは こうした〔神の〕不変性と純一性のためである。存在するところのものは物体であるか生命であるかのいづれかであり 生命は物体よりもすぐれており 物体の形体は感覚でとらえられるものであり 生命の形体は知性によってとらえられるものであると彼らは考えたのである。  したがって 彼らは知性によってとらえられる形体を感覚によってとらえられる形体よりも上位に位置づけたのである。感覚によってとらえられることのできるものとは 身体の視覚や触覚によって感覚されうるもののことを言い 知性によってとらえられることのできるものとは 精神の注視(コンスペクトゥス・メンティス)によって知られ得るもののことを言うのである。  それゆえ いかな形体的な美も 例えば 姿かたちのような 身体の静的な美であれ 歌の曲のような動的な美であれ 必ず魂が判断するのである。もし魂の中に量的な広がりも 声の響きも 空間や時間の広がりもないすぐれた〔美の〕形体が存在していないとすれば そうした判断はまったく不可能なことである。けれども そうした〔美の〕形体がもし魂の中で変化することなく存在するとすれば 一方の人が他の人よりも感覚的な〔美の〕形体についてよりすぐれた判断を下すということはありえないであろう。よりすぐれた才能の持ち主はより愚かな者よりも より熟練した者は未熟な者よりも より経験豊かな者はより経験のとぼしい者よりもいっそうすぐれた判断を下すのである。さらに 同一人においてさえも 進歩したときには たしかに前よりも後のほうがいっそうすぐれた判断を下すのである。  しかしながら 増減するものが可変的であることは疑いえないことである。このことから こうした事柄(哲学)の中で訓練された才能豊かで学識にすぐれた人びとは 可変的であると確信されるものの中には根源的な〔美の〕形体は存在しないと容易に結論したのである。それゆえ 彼らの見方に従えば 身体も魂も共に大なり小なりの〔美しい〕形を持って存在しているのである。したがって もしそれが一切の形体を欠くならば それはまったく存在しなくなるのである。かくて彼らは 不変にして それゆえに比較を絶する根源的な形体がその中に存在するところのあるものが存在することを知っていたのである。そして彼らはそこにこそ 創造されないがむしろそれによってすべてのものが創造された万物の根源が存することをたいへん正しく信じたのである。  このように 神について知り得る事柄は彼らには明らかであり 神がそれを明らかにされたのである。神の見えない性質 すなわち 神の永遠の力と神性とは 天地創造このかた被造物において知られていて 明らかに認められるからである。この神によって 目に見えるもの 過ぎ去りゆくもの そうしたすべてが創造されたのである。    以上において わたしたちは彼ら(プラトン派の哲学者たち)がフィシカ すなわち 自然に関する学(ナトゥラーリス)と呼んでいる哲学の一部門について述べた。  (アウグスティヌス:神の国 Bk.8 ch.6  茂泉昭男訳)  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

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