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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:イスラム世界に異性装者がなぜ存在するのか?)

なぜイスラム世界に異性装者が存在するのか?

このQ&Aのポイント
  • イスラム教徒が異性装をすることは、イスラムの教えに反する行為です。
  • 異性装を禁じるイスラム法が表現の自由、信仰の自由、男女平等をうたった憲法に違反しているとの主張もあります。
  • なぜイスラム教徒に異性装者が存在するのかは、個人の信仰や身体の性自認など様々な要因が絡んでいます。

質問者が選んだベストアンサー

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  • masazai
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回答No.3

「某という神を信じている」=「某の命令に全て従う」のはちょっと違う、というのが結論でしょうか。 たとえば。 キリスト教では同性愛(「実力行使」の方です。同性が好き、というだけでは罪ではない)をした者は石打の刑です。聖書にあります。ちなみに姦通(合意のもとでの行為)も強姦(の加害者)も獣姦も石打です。 でも政教分離の欧米では同性婚を認めている国や地域があります。 無知な(笑)一般信者だけでなく、教会の牧師が認めているところもあります。 クリスチャン同士の姦通もあります。欧米では特に罰せられることはないですよね。 その人達が神を信じていない、イエスを信じていないわけではないのに。 たとえば。 仏教でも在家信者が守るものに「五戒」があります。 生き物を殺してはいけない、盗みをしてはいけない、不道徳な性行為をしてはいけない、嘘をついてはいけない、酒を飲んではいけない。 言い方が悪いですが、少なくとも死んだ時は仏式になるであろう普通の日本人のどれだけの人がこれを全て守っているでしょう。 飲酒に関しては、田舎では法要に来た僧侶にお酒を出します。「お寺の子(親が僧侶)」という家庭も沢山います。 本来は飲酒禁止、全ての性行為も禁止のはず。あれ?と思うことがいろいろあります。 私はムスリムの異性装を肯定はしません。 しかし、言い訳でも逃げでもないのですが。 イスラームには「芥子粒ほどでも信仰心のある者は天国に行ける」という言葉があります。 それにすがって「それ以外のことはテキトーに生きよう」と思うのは間違いですが、人間は弱くできています。それに打ち勝つか負けてしまうかはその人の努力。 その人が現世でどう生きて、その結果来世がどうなるかは、その人と神の間の問題なので、「異性装をするなら信仰を捨てろ」というのは違うと思います。

AmatsuMina
質問者

お礼

回答してくださり、ありがとうございます。 「異性装をするなら信仰を捨てろ」 と言っているのではなく、 「教義から外れる異性装をわざわざしてみせる、そんな信者がいるものですか?」と問うてるのですが。 言葉足らずで申し訳ありませんでした。 要するに、イスラム教は信仰してなくても救ってくれる宗教だから、トランスジェンダーがいて当然、ということですよね。

その他の回答 (5)

回答No.6

まず、マレーシアは世俗国家であるということ。それが何を意味しているのか? 国民の宗教が何であろうが、あるいはどの宗教信徒国民がマジョリティを占めていようが、国民は宗教信徒であることよりも国家の構成員であることが先決になっているということです。そして、国家政策は基本的に宗教にしばられないということでもあります。受動的にしばられるのでなく、能動的に使いこなしていく、ということなのです。その違いはお解かりですね? 憲法がイスラム法より後から作られたから、本来的なイスラム教の教義戒律に従うのが当たり前だ、というのはイスラム法による国民統治が行われているイスラム宗教国家での考え方であり、世俗国家にそのような考え方を当てはめるのは、昔の言い方をするなら「非国民」となります。つまり、世俗国家であることで政教が分離されているにも関わらず、宗教の教義戒律を憲法や国法より上位に置こうとする物の見方が不適切なのです。 もちろん、マレーシア、インドネシア、トルコなどの世俗国家の中に、その意味合いを理解せず、宗教戒律を国法より上位に置き、できれば国家体制を宗教国家に変えてしまいたい、と思っているイスラム教偏重主義者がいないわけではありません。いや、ことの内容によっては、国家体制を支持しながらも価値観としてイスラム原理に従うことを望む国民がマジョリティを占めることもあります。ともあれ、マジョリティ国民は、それがムスリムであれクリスチャンや仏教徒であれ、その国家体制を原則的に支持しているために国家転覆や体制変更が起こらないのです。サイレントマジョリティの重みを理解しなければなりません。 国家統治に関する原理はそうなっていますが現実問題として、マジョリティ国民が信仰する宗教とその教義戒律に由来する社会生活内の文化的価値観にまるっきり正反対の行政をべた一面に行なえるわけがないことは理解していただけますね?だから、国家行政の原理を踏まえながら、国政は国民マジョリティの宗教寄りで行わざるをえない。そういうファジーな状態がイスラム系の世俗国家には必然的に生み出されるわけです。 そういった構造をよく理解できないひとは、サウジのような宗教国家の単純明快なあり方の方に注意を引かれて、上の三国のような国々の国民をいい加減で敬虔さの足りない性格だと見なす傾向にあるようですが、マジョリティ日本人の宗教観というのがきっとそういうものなのでしょう。宗教というものを混ぜ込んだ政治学という視点が欠けているために起こっている誤解です。もちろん西洋文明支配下のグローバル社会において、そういう学問は一種の考古学と似たようなものになるでしょうから、世間で本気に採り上げられることになるはずがありませんが。 イスラム教は人間が神によって生み出されたという考え方を原則にしており、誕生時に正しく男性器あるいは女性器を伴って生まれたひとがそれと異なる性(肉体的のみならず、社会的文化的ビヘイビアについても)に変ることを神の意志に逆らうものとして禁止しています。ところが実際には性同一性障害を持つひとが非イスラム社会と同様に大勢おり、社会規範に対する違反あるいは反抗という烙印を捺されることへの恐怖がかれらを苦しめているわけです。 ご質問の文面からは、マレーシアの女装者が性同一性障害でなく、単なる女装趣味だったという理解をなさっているようにお見受けしますが、そうであったとしても、完璧な男性優位女性劣位社会の公共の場での女装趣味というのは、性同一性障害の初期段階と見ることができるようにわたしは思います。イスラム原理社会の男女観というのは、下品な表現で極論しますと「女は男の玩具であり、男が道で玩具をひろったら、それで遊ぶのは当たり前で、何ら社会的な悪事にはならない」という感覚です。あなたがお持ちの女性観とは大違いであり、そういう劣位な存在に優位である人間がわざわざ公共の場でふりをすること自体がたいへん考えにくいわけです。性同一性障害者であり、マレーシアという国であったために起こったことがらだとわたしは考えます。

AmatsuMina
質問者

お礼

ご回答いただき、ありがとうございます。 おっしゃる意味では、今のマレーシアは混乱していると思います。 世界的なナショナリズムの高まりに呼応しているのか、 マレーシアではここ数年、イスラム原理主義者の主張が声高になってきています。 その中で「憲法違反だ」と立ち上がることができるのなら、マレーシアではまだまだ自由が認められているとも解釈できます。 おっしゃるように、逮捕されるものの異性装できる雰囲気が作られている意味ではマレーシアはイスラム国として特殊なのでしょう。 最後のほうは、私自身がトランスセクシャル(トランスジェンダーではない)ためか、理解できません。異性装は性同一性障害の初期段階どころか、全くの別物だと思いますから。 おっしゃる通り、イスラム世界では女性の立場が非常に貶められていると、西洋側からの視点で捉えられるのが常です。 しかし、イスラムの女性はそれを甘んじて受け入れているのです。 それはそれなりにメリットがあるからにほかなりません。 そう教えられてきたし、それ以外の言動が認められなかったから、 仕方ないと西洋側が言い訳しますが、そんなことで、普通はあきらめないです。 だからこそ、女性として扱って欲しいと思う男性が出てくるのでしょう。 でも、教義では女装は禁じられているのだから、女装しないまま、女性として扱って欲しいとなぜ言えなかったのでしょうか? (女装が性同一性障害の初期段階と考える人にとっては、論外の論理ですけど。)

  • masazai
  • ベストアンサー率36% (55/150)
回答No.5

No.3です。 >「教義から外れる異性装をわざわざしてみせる、そんな信者がいるものですか?」と問うてるのですが。 言葉足らずで申し訳ありませんでした。 >要するに、イスラム教は信仰してなくても救ってくれる宗教だから、トランスジェンダーがいて当然、ということですよね。 私も言葉足らずで済みません。 良い悪いの話だったら「ダメです。間違っています」と言えるのですが・・・ 1000年も昔に似たような議論が学者間でありました。 「礼拝は信者の証。それを怠る者は信者ではない」という意見と、「信者は信者。礼拝を怠るからと言って彼の信仰を否定するのは違う」という意見。 ※概要です。 結局現代は、究極的には「からし粒ほどの信仰心があるのならば…」に要約されると思います。 礼拝をしないで平気な人もいる。 断食しないで平気な人もいる。 アウラ(規定された「隠すべき恥部」。女性のヒジャーブ等)を隠さないで平気な人もいる。 男性(へそからヒザまで隠すのが規定)がへそ出してひざ上の水着を着ている、女性が神を隠さず手足を露わにして外を闊歩している。 酒を飲んで平気な人もいる。 異性との不純な行為をして平気な人もいる。 等々。 でも、審判の日に神(アッラー)によってきっちり裁かれ罰を受けることを大なり小なり知っている筈。 それならば、自業自得でやっているのだから、他人が諭すのは良いこととしても、そのような間違った人達を「信者ではない」と切り捨てることは出来ないと思います。 もしかしたらそのうち改悛するかもしれませんし。 あとは… 「自分の宗教についてきちんと知らない」人が多い、ということも原因の1つかもしれません。 異性装は、礼拝や断食など、小さい頃から「すべきこと」と教えられてきた部類の内容ではないので。 たとえば。 男女間の交際が社会の目でしっかり監視(?)され、親や社会が「そういうことはしてはいけない」オーラを全開にしていた時代は違反する人がたとえいたとしても、そう目につくことはありませんでしたし、そういう人を非難するような空気でしたが、近年海外の映画や動画や小説が入り込んできて、そういう世界がある、そういうことも素晴らしいのだ、という考えが入り込み、「そういうことはしてはいけない」オーラだけでは食い止めるのが難しくなってきていて、かなり若者の中では「何がいけないんだ」と肯定的な考えの人達も増えてきているようです…罪悪感はあるようですが。

AmatsuMina
質問者

お礼

なるほど。 追記、ありがとうございました。

  • sntoco
  • ベストアンサー率18% (18/99)
回答No.4

それは現代思想VS宗教原理という葛藤なだけです。 たとえば宗教でなくとも実生活で私たち日本人が平安時代の一般的な考えを当然のように行えるでしょうか? 難しいことはまったくあのません。ただそれだけです。

AmatsuMina
質問者

お礼

コメント、ありがとうございます。 せっかく回答していただいたのですが、おっしゃる内容が私には難しすぎて理解できていません。 昔はトランスジェンダーという概念がなかったし、存在もしてなかった。 今は一般に存在するのだから、イスラム教徒にもそりゃいるだろう、 的なことでしょうか?

  • suzuko
  • ベストアンサー率38% (1112/2922)
回答No.2

う~ん。昔、読んだ書物に「イスラム圏では、婚姻時に夫が多額のお金を、花嫁側の父親に払う。だから、お金が貯められない男性は、買春や男色に走る。どちらも、宗教的には許されていないが、実情として存在する」なんてのを目にしました。 本当のところはわかりませんが。

AmatsuMina
質問者

お礼

ご回答していただき、感謝致します。 確かにゲイはなんとなくいそうな気はします。 まあ、イスラムに限りませんけど。 トランスジェンダーと同性愛は異なるはずなんですよね。 性の越境者としてはヘテロが多数派になるので。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11120/34615)
回答No.1

>どうしてもやりたいのなら信仰を捨ててやればいい うろ覚えですが、確かマレーシアって改宗が憲法で禁止されていませんでしたっけね?あれ?あれはインドネシアだったかな? 確かあのへんのイスラム教の国は改宗禁止だったと思います。しかも、他の宗教からイスラム教への改宗はOKだけど、イスラム教から他の宗教への改宗は禁止だったはずです。 イスラム教を悪くはいいたくないですが、イスラム教国家でイスラム教を捨てることは「ある日突然何者かに殺されても警察もロクに捜査をしてくれない」ことを覚悟しなければならないことだと思いますよ。 補足: ちょちょっと調べてみたところ、憲法の条文では「信仰の自由」は書かれてはいるものの、同じ憲法にマレー人の定義として「イスラム教徒であり」という一文もあるそうで、棄教(あるいは改宗)は日本での国籍を変える以上に難しいことのようです。2007年に最高裁判決で差し戻しがあったようですが、その後どうなったんでしょうね? http://www.link-gs.co.jp/column/2013/06/03084707.html http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/furuta-semi/articles/mitsunari20071109.html

AmatsuMina
質問者

お礼

早速の回答、ありがとうございます。 半ば回答がつかないことを予想していましたので、嬉しいです。 確かに、非ムスリムはムスリムにならないとムスリムと結婚できませんし、その後、離婚しても非ムスリムに戻るのはかなり難しいです。 (それでも、マレーシアでは年に1回あるかないかの割合で改宗が認められたというニュースを見聞きします。元がマレー人じゃない、ということなのでしょうね。) しかも、マレーシアの元副首相が同性愛者疑惑がかけられており、それでも破門されませんもんね。 ということは、イスラーム国(ISIS)の非道の行いに対しても、イスラムはそんなことを教えていないと言いつつ、彼らをムスリムと認めがたいなどと弾劾しない理由もそういうことなのでしょうか? 教えに反した人間でも見捨てない、という意味では、さすがに人にやさしい宗教と言われるだけのことはあります。 でも、信仰の自由をうたっておきながら、一旦ムスリムになったら最後、自由意志による改宗を認められないのは、当人の救済のためとはいえ、なかなかに当人にとってはツライのではないでしょうか。 閑話休題。 となると、問題は当人がムスリムになってからトランスジェンダーだと自覚したのか、トランスジェンダーとの自覚がありつつ、イスラムを信仰することに決めたのか、ということになるのでしょうか? 後者は意味が無いので、前者の理由で、ムスリムにも少なからずセクシャルマイノリティは存在してしまう、ということになるのですね。

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