• 締切済み

ノーベル賞の中村氏と日亜化学、どっちが大人の対応?

hikokurowの回答

  • hikokurow
  • ベストアンサー率21% (75/341)
回答No.7

まぁ、整理してみましょうか。 中村修二について…↓ 徳島大学在学中に青色LDEを発明していない。 徳島大学の大学院にも、他大学の大学院にも行かなかった。 純粋に研究者への道を目指していた訳ではなかった。 普通に就職活動をした。 日亜化学工業に就職できた。 日亜化学工業にしか就職できなかった。 就職=採用したのは日亜化学工業だった。 日亜化学工業の一社員=サラリーマンで、契約研究者でも何でもなかった。 日亜化学工業はこの一新入社員の無理難題を聞き入れて自由にさせた。 日亜化学工業は研究室や研究機材やスタッフ社員やらを提供し、給料も支給し続けた。 もし青色LDEを発明し成功させたら、などという会社と社員の権利や報酬について何にも話し合ってはいなかった。 そんな事前の取決めも話合いすらも無しに、日亜化学工業は青色LDEの開発の研究を自由にやらせ続けた。 で、青色LDE実現に成功してしまった。 そこで、まとめてみますと…↓ 中村修二という人物は、もし日亜化学工業に就職できていなかったなら、青色LDEの製造・製品の開発・実現・成功などできなかった。 角度を変えて言えば、日亜化学工業が中村修二という徳島大学生を就職採用しなかったならば、中村修二なる人物はノーベル賞なんか受賞することなどありはしなかった。 で、日亜化学工業と中村修二と、どちらが、結果を受けてからの上目目線で物申しているか、もう明らかではないでしょうか。 その腹黒さが解るのでは、どちらが腹黒の後出しか…。 そんなふうに感じています。

s_end
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 仰る通り、日亜化学が中村氏を就職採用しなければ青色発光ダイオードの発明はありえませんでしたね。 そしてもっと言えば中村氏の両親が出会わなければ中村氏がこの世に生まれることもないのですから両親に感謝ですね。

関連するQ&A

  • 日亜化学はなぜ中村修二氏の面会を断ったのでしょうか

    ノーベル物理学賞を受賞した中村修二氏が日亜化学工業と仲直りしたいと希望したのに、 日亜化学工業の側が中村修二氏との面会を断ったのはなぜでしょうか。

  • 中村さんを冷遇した日亜化学工業とはどんな会社

      ノーベル賞受賞者の中村さんは言ってます。 日亜化学工業に10年間勤務し三つの大きな開発を達成しながら、社内で冷遇されたと。 中村さんを冷遇した日亜化学工業とはどんな会社ですか。 日亜化学工業はどのように中村さんを冷遇したのですか。    

  • 日亜化学は地団駄を踏んでいるか?

    中村教授がノーベル賞を受賞しました かつて中村教授の青色LED発明の功績を認めなかった日亜化学は今回の中村教授のノーベル賞受賞に地団駄を踏んでいるでしょうか? あの時素直に200億円払っていれば 今回日亜化学の名声も高まっただろうに(笑)

  • ウィキペディア(フリー百科事典)の信用性は?

    ウィキペディアはよく利用し、内容的には信頼していました。 先日、赤崎勇先生が文化勲章を受章された時のNHKのニュースをみていたら、街中の大型ディスプレイや信号機等を記者の方が指をさして、青色発光ダイオードが実現できたからだと説明されていました。さも赤崎先生が実用化されたような報道でした。 実現可能にしたのは、中村氏が高輝度青色発光ダイオードを発明したからなのではないでしょうか? さっそくウィキペディアで調べてみたら、赤崎先生と天野先生が、世界初高輝度青色発光ダイオードを実現させたことで有名 とでていました。 中村氏のウィキペディアでは、青色発光ダイオードや青紫色半導体レーザーの製造方法などの発明、開発者として知られる と 出ています。 高輝度青色発光ダイオードを、日亜化学に在籍していた中村氏が発明した当時は、マスコミも大きく取り上げ、中村氏が発明して、信号機などが変わったのは紛れもない事実だと思います。 それがいつの間にか、世界初の高輝度青色発光ダイオードの発明者は赤崎先生になっています。 ちなみにアメリカ版のウィキペディアでは、高輝度青色発光ダイオードを発明したのは中村氏だとなっています。 ウィキペディアの内容をブログにコピーして、青色LEDを発明したのは中村氏ではないというのを目にすると、高輝度青色発光ダイオードを発明したのは誰? っと一般庶民は戸惑ってしまいます。 ウィキペディアは自由に編集できるようですが、信頼性に欠けるような内容にはチェックが入らないのでしょうか これでは百科事典の意味がないと思うのですが。 教えてください。

  • 発明対価について

    この問題に関してどなたかから専門的な質問が出るであろうと思っていましたが いまだに質問がないので知識不足ですがあえて私から質問します >「職務発明」の特許権の保有者について、発明した従業員から企業側に帰属を移す検討を政府が始めた背景には、高額な発明対価の支払いを回避し、国際競争力を強化したい産業界の強い要望がある。ただ、モチベーションが下がった有能な開発者たちが、チャンスを求めて海を・・・・・・ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130607-00000002-fsi-bus_all 青色発光ダイオード等の件はご存じの方も多いと思いますが > 発明対価をめぐる訴訟で一石を投じたのは、日亜化学工業に在籍中、青色発光ダイオード(LED)の実用化に道筋をつけた中村修二・カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授だ。中村氏は退職後の2001年に同社を提訴、最終的には同社が8億4000万円を支払うことで和解した。 等の例があります この場合、会社が利益を出し発展し続けたことを考えれば8億や味の素の1億などは総合的にみた会社の利益の数パーセントに過ぎないのではないのでしょうか 会社には十分すぎるほどの恩恵を与えたと思います 広告費の一部と考え今後の技術発展を妨げないようにするべきと思いませんか

  • 青色発光ダイオードの特許

    発光ダイオード(LED)最大手の日亜化学工業の特許について調べているのですが、 日亜化学工業の特許で主なものは、青色発光ダイオードでしょうか? 調べてると白色LEDなども出てきます。 LED自体の特許を持っているのでしょうか? 記事などありましたら教えて下さい。よろしくお願いします。

  • 青色発光ダイオード、ノーベル賞 3者3様なの?

    お聞きします。青色LEDでノーベル物理学賞を受賞された、日本人3名『赤崎氏、天野氏、中村氏』ですが、先生と言って良いのやら、教授と呼ぶべきなのか?よく判りませんが、当方のような素人でも、一時、時の人になった中村氏の、顔はよく覚えていました。当時、会社内で、研究させて貰い、給与も貰い、それで成功報酬とは"どうなんだ"と言った事が、議論になっていたように思いますが、結果的に和解に至り、その後、アメリカに行かれたようでしたが、当方は、このノーベル賞の話を聞いた時点で、他に2名おられましたので、てっきり共同で研究しておられたのか?と、思っていましたが、よくよく聞いていると3者3様で、個別に『青色発光ダイオード』を研究されておられ、成功に至ったようですが、ノーベル賞というのは、特定の個人のみを対象とはしていないものなのでしょうか?

  • 職務発明にて

    企業に勤める技術者に質問したいのですが、職務発明の対価によって 一攫千金!その後は豪遊生活を楽しめるというパターンは世の中には 結構存在するものなのですか。 たとえば中村さんの青色発光ダイオードのように。 やはり企業で開発・設計に従事している方には誰にでもありえることですよね・・・

  • ノーベル賞受賞まで、なぜ、20年以上もかかったので

    青色発光ダイオードの開発で業績をあげた3名の日本人が、ノーベル物理学賞を受賞されました。おめでとうございます。 ところで、その開発は、20年以上も前になされたのですが、受賞は今年です。 なぜ、受賞までに長い期間がかったのですか。開発してから数年後に受賞できなかったのですか?そのころは、評価があまり高くなく、最近やっと認められるようになったのですか?

  • 発明の対価に関してどう思いますか??

    今日のニュースでキャノンのプリンターの印刷技術の特許に関する、 対価について報道がなされていました。 発明者と称する人間は、およそ4億位の対価が相当と言っていましたが、判決では3200万を認めただけでした。キャノンは、職務規程でそれに対する対価は支払っているそうです。 日亜化学の青色発光ダイオードの時もそうでしたが、発明者は理不尽な対価を要求しているように思えてなりません。 その理由として、発明者が大企業に勤めていなくて、必要な設備もなく、スタッフもいないような環境で、発明が出来たかが疑問と言うことがあります。私は、大企業のバックボーンがあったからこそ、発明が出来たと思うのですが、これは間違った解釈なんでしょうか?? 元々、特許は広く世界に技術を広めるために、発明した物に特許権を認めると言うのが原則だと思うのですが、今では特許は金儲けの手段としか思えません。上記に書いたような発明者は、技術を広める為に発明をしたのではないのでしょうか??島津製作所の田中さんは、理不尽な対価を求めず、自分一人の力の発明ではないと、自分を謙遜されていました。このような、方こそが科学者と思えるのですが、皆さんはどう思われますか??