• 締切済み

積極的平和主義

積極的平和主義について質問です 積極的平和主義なのに武器を使うのは何でですか? 平和主義とは、虫も殺す事の出来ないような人に対して使う言葉だったと思う 何をされても攻撃だけはしない戦いを兎に角避けたがる戦いだけはするのいやな人を指して平和主義者と言ってる でも今使ってる平和主義とは「けんかする気か?おう、やる気なら乗ってやる」見たいな好戦的な性格に見えます イメージの平和主義者とは逆の感じ イメージでは図体でかいのに殴られると逃げ出すのが平和主義者で その逆に見えます

  • 政治
  • 回答数5
  • ありがとう数0

みんなの回答

  • koiprin
  • ベストアンサー率23% (72/306)
回答No.5

人としての平和主義者と国家としての平和主義の違いです。 人として平和主義者であれば、図体はでかいのに殴られると逃げ出すで問題ないですが、国家は、前提として国民の生命財産を守るという機能を有しなければなりません。それができなければ、国家ではありませんので、議論にすらできません。 国家が平和を維持するということは、国民の生命財産を他国に脅かされないようにするということですから、侵略者に対する備えが必要となります。 現在は爆撃機やミサイルがある以上は、迎撃できなければ国民の安全は守れないので、武器の所持が必然となります。これには、消極的も積極的も関係ありません。消極的平和主義でも国家に武器は必要となります。 リスク管理の甘い、国民を考えない国家や、国の経済力が弱く、取られるものがほとんどありませんという国であれば、武器の所持をしないという判断をする首長もいるかもしれませんが、日本は経済力がついていて、略奪する価値のあるものが多いので、そうもいきません。 ただ、大掛かりな武器持つかどうかは、日本のように、強大な軍事力を持つ国の属国となるという選択でかろうじて避けることもできます。

回答No.4

自然を尊重することにより、自然を創造した父なるエロヒムを敬うことにもなる。決して動物に苦しみを与えてはならない。肉を食用とするために動物を殺すことは許されるが、殺すときに苦しみを与えないことである。 死は何でもないことだが、苦しみは忌むべきことである。人に対してと同様に、動物に対しても苦しみを与えないよう努めなければならない。 とはいっても、肉はあまりたくさん食べてはならない。そうすると体の具合もよいものである。 土地に産出するものは、何を食べてもよい。特別な食事にこだわる必要はない。肉でも野菜でも、果物でも、植物でも動物でも食べなさい。 他の生物の肉を食べて生きるのがいやだといって菜食主義を守ることも馬鹿げている。植物とても生きているのであって、私たちと同じように苦しむのである。食べることはかまわないが、苦しめてはいけない。  ラエル著 社会と政府 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  過去に 悪魔の飽食 なる執筆も存在しましたが、己らの私利私欲の飽食に凶器武器を使用したものが、現在および歴史にて悲鳴騒ぎとなり戦争騒ぎ犯罪騒ぎとなっている事例ではないでしょうか。 生活生存のため動物を家畜とすることは致し方ないとしても、悪魔のように人を飽食する体制は、その悪その非道弊害は近隣諸国そして電波に乗って世界の不況となる。  好戦的な凶器武器、それらからの被害は世界至るところで耳にされる。 それらの非道愚能は、世界にて厳重管理され適正なる人道管理とされることではないでしょうか。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.3

”積極的平和主義なのに武器を使うのは何でですか?”     ↑ 積極的平和主義には色々ありますが、自民党が提唱する 積極的平和主義のことですね。 これには二種類あります。 甲:紛争が生じたら、武器を使用してでも平定して   紛争を収める、という意味の積極的平和主義。 乙:戦争にならないように、軍備を増強したり   集団的自衛権を締結して、戦争になるのを防ぐ   という積極的平和主義。   軍事力の不均衡があると戦争になりやすいから   ということです。    甲乙どちらにしても、武器は必要になり、甲なら平和の為に 積極的に武器を使用することもある、ということになります。 ”今使ってる平和主義とは「けんかする気か?おう、やる気なら乗ってやる」  見たいな好戦的な性格に見えます”     ↑ 平和主義者とはガンジーのように、非暴力、非軍事力 平和を実現していこう、とする人達ですね。 要は現実の世界で、それが通るのか、それで本当に 平和が実現出来るのか、ということでしょう。 それじゃ一方的な侵略、虐殺になるだけだ、と考える ひとは、そうならない為には武器が必要だ、とする 訳です。

xiomi_18
質問者

補足

主義とは辞書で持ちつづけている考え・方針・態度とかかれてました 主義は心情の事ですよね 菜食主義とか、野菜しか食べない意思表示に見えます 何かを実現するかどうかはさて置き自分の行動に制限をかける事だと思うけど 殺さずの誓いを立てた人が、普段何も無い時だけ拙者は人を殺さないでござるとかいってて敵が来た時は平気で人殺したら 全然殺さずの誓いを立てた事になってない 戦うのをやめると誓ったんだからその範囲で出来る事しか出来ないのが主義者では? そう考えたらおかしいと思います 平和主義といってるのに状況しだいでは戦争もするのは

  • nnn27
  • ベストアンサー率52% (44/84)
回答No.2

あなたのイメージは間違ってはいませんが、思考停止して続きをイメージしていません。 逃げたらその戦闘は終わるでしょうが、相手が戦争をやめる理由にはなりません。 侵略戦争がまさに起きているのに平和、平和主義とはこれいかに。 これは平和主義の根本的な問題で「いかなる場合も非暴力・非軍事力という手段による解決をめざす思想」と定義はされていても具体的な解決手法を持ち合わせていません。 「何食べたい?」に対して「あれはいや」「これはいや」。なのに「じゃあ何食べたい」に対しては「何でも良い」と答えているようなものです。 これでは夢想主義といわれても仕方がありません。 極左的な非武装主義実現には双方の同時武装解除が必要であり、日本の場合は中朝韓にそれを採り付けられなかったのでアウトです。日本単独でやっても意味がないのは歴史が証明しています。 日本は敗戦後70年間、平和主義の答えを見つけることが出来ませんでした。中国の台頭により時間切れです。 さて安倍内閣の「積極的平和主義」は「現実的平和主義」「平和維持軍参加主義」などのほうが的確でしょうがスローガンとしてぼかそうとした結果、専門用語とかぶってしまいました。 軍事均衡やPKFは平和主義では認めていない手法ですが現実には今の平和はこれらの元に維持されています。 惜しむらくは小泉政権がイラク進攻に賛同したことが今でも傷になってこの主義をくすませてしまっています。 結局のところ平和主義は平和な時にしか出来ません。「じゃあ戦争だ」と言われた時点でその無能さを認識すべきです。 しかし帝国主義時代から見れば格下国相手にも話し合いをする現在の世界は非常に平和主義的です。

xiomi_18
質問者

補足

イメージ、平和な時には平和主義かどうかは分からないけれど、戦争になった時も頑なに戦いを拒むのが平和主義者ではないかと思う 主義はその人個人の信条、個人の自己主張 平和主義は平和の主義なのでどんな時になっても争いをしない信条 積極的平和主義は積極的にそれをする信条 になる気します だから平和主義は感覚では争いになった時にする自分はやらないと言う自己主張の事だと思う だから平和主義といってるのに争う意思を持ってると言葉的に矛盾する気します

  • angkor_h
  • ベストアンサー率35% (551/1557)
回答No.1

貴方の解釈は正しい。国民の多くがその考えです。 武力による戦いではなく話し合いによって国際紛争の解決を図る、9条はそれを意味した「戦力の放棄」なのです。 貴方が危惧しているのは「某安倍総理」の個人的な考えです。 「積極的」とは「先に手を出すこと」を言っています。 「平和主義」とは、相手より大きな武力を備えていじめられないこと、つまりこれが平和だ、と言う認識なのです。 これを実現すべき行動が「集団的自衛権の行使」(先制攻撃権)や「武器の国産化と海外販売の推進等」につながる閣議決定(政府の身内で勝手に決定)なのです。 国会周辺の、自民党某女性議員に「うるさくて仕事にならない」と言わしめる人々は、貴方と同じ危惧を抱いた人々の集まりが発する声なのです。 与党の面々は、「某安倍総理」の暴走には就いていけない、と言うのが本音だと思います。 しかし、逆らうとその党から追い出されて政治生命を失います。ならば、支持率が高く失脚の可能性が(今のところ)無いその氏に就いているのがわが身を守る最善策なのです。 現代の政治家とはその子孫までにも継がせたいほどにウマイ商売なのでしょう。 なんか、某北挑戦の狩猟様とその取り巻き連中、と言う構図に似てきた様に思いませんか? 某安倍総理はその狩猟様が目標なのかもしれません。

xiomi_18
質問者

補足

平和主義者とは争いごとの嫌いな人で、戦う意欲を持ってる人は平和主義者ではない気します 積極的平和主義者は争いごとの無いように日ごろからみんなの中を取りもとうとする人 威嚇するのに平和主義者おかしいです

関連するQ&A

  • 積極的平和主義と消極的平和主義って逆ではない?

    積極的平和主義と消極的平和主義の意味って逆じゃないですか? 文字通り解釈すると 積極的平和主義:積極的に平和主義を実行する→武器を持たず絶対に戦いをしない、積極的に平和主義を目指す、テレサとかガンジー見たいな人物、戦いに関する物をどんどん排除しようとする、積極的に平和を目指そうとする 消極的平和主義:消極的に平和主義を実行する→自分から戦争はしない平和主義者ですが、相手が襲って来たら攻撃します、積極的に平和主義を目指す訳ではないけれど平和主義です、戦いの物を排除しようとはしないけれど戦争を望む訳ではない、武器を排除する気は無いけれど平和を目指してる と言う解釈になります だから逆ではないでしょうか

  • 戦後日本の平和主義が果たしてきた積極的役割

    「平和憲法を有する戦後日本の平和主義が果たしてきた積極的役割」とは、具体的にどんなことでしょうか。これは、朝日新聞の社説などで再三提起されている問題だと思うのですが、私は、日本人の一人として、いまいち具体的な実感がわいてきません。 たとえば、途上国への「ODA」とか、湾岸戦争でいうところの多額の「資金援助」ということなのでしょうか?湾岸戦争では、お金だけ出して逆に批判されましたし、ODAにしても、経済的にも急成長を見せている「軍事大国」の中国に対して未だに多額の資金援助がなされていること、そういった無計画な資金援助が、北朝鮮という危険国家(体制)を延命させたこと、などが問題視されています。だから、「お金」は違うと思うのですが…。 あるいは、「二度と戦争を起こさない」と憲法に明記している唯一の平和主義国家として、諸外国の「模範」となってきたということでしょうか? この場合、「精神」の問題になりますよね。私も、平和の精神は美しいと思います。しかし、近年の緊迫した国際情勢を見ると、それは何となく一国主義的な平和主義のような気もするのですが、誤解でしょうか。 以上が、あまり勉強していない私の思うところですが、平和主義については、もっと深い真髄があるのではないかとも思っています。そこで、「戦後日本の平和主義が果たしてきた積極的役割」について、平和憲法とともに生きてきた日本人として、みなさんはどういったお考えをお持ちでしょうか、よろしければ聞かせてください。

  • 一人っ子は平和主義者でしょうか?

    一概には言えないでしょうが、 一人っ子は平和主義者が多いでしょうか? 人間関係を計算して(駆け引きして)立ち回ったり、 喧嘩っ早い(負けん気の強い)人はあまりいないでしょうか?

  • 平和主義ナルシストっていないのでしょうか?

    平和主義ナルシストっていないのでしょうか? よく、ナルシストは上から周りの人間を一方的に使ったり、相手を蹴落として自分が上に立ったりするのがナルシストのある形(自己愛性パーソナリティ障害)の典型例の様に言われます。 自称ナルシストですが、これが全然当てはまらなく感じるのですよね。 むしろ全く逆の所も多く感じます。 僕は自己愛がかなり強いですが、それが周りを落とす事には全く繋がらないと感じるし、むしろそれは自分自身にとってもデメリットと感じています。 なぜなら僕が人を落とす方向に出れば、確実にその相手は、そして周囲の人が僕を落としにかかるからですね。 それをされたらプライドが傷つくのでやりません。 むしろ、まあ自分に害の無い人限定ではありますが、内心は自分よりこの人は劣るかなと思う人も、なるだけ良い所を探したり、部分部分で自分より優れた所を探し、ここが良い、こういうの凄いね。という意見を言う事が多いです。 そうすれば他の人にもその暗黙のルールが広まるかな、と思っています。 そして一番やってはいけないのは、ライバル(同業他者(社ではなくて人物という意味))を落とす行動ですね。 同じ事をしている人って事は、当然僕自身と全く同じベクトルだって事です。 それを否定したら、間接的に自分を否定することになっていると思います。 それは自己矛盾となります。 一番大事にするべきと感じるのはそういう人です。 間接的な自己愛ですねそれは。 ちなみにそれ以外の話だと、異性などにストーカーする人が自己愛だという論法もよく使われますが、これもあんまり当てはまらなく感じます。 なぜって、ストーカーは異性などへの恋愛感情が行き過ぎて起きるという物ですけど、そもそもナルシストって恋愛感情がかなーり弱いと思うのですよね。 僕はそういうタイプです。 他者への恋愛感情よりかは、兎に角自分自身がどうあるか、を重視するのがナルシスト所以かな?と思うのです。 僕からしても、人がセクシーで可愛くなることよりかは、自分自身がセクシーで可愛くなれることの方が遥かに大事ですね。 また、よくナルシストの人は自分が一番になることを重視しているので、他の人がセクシーで可愛くなろうとすると妨害するイメージがあると思うかも知れませんが、ここは僕は逆ですね。 特にここは同性に対しては、むしろ推奨対象と見做しています。 なぜならそういうのが広まれば、僕自身が同等のことをする基盤が得られますし、市民権も得やすくなります。 例えば、男の人がスカートを穿くのはなかなか一般的じゃないですが、それが広まれば自分も同じ様に穿くのが容易になって、セクシーになれるかもという期待です。 男の人に美容エステが広まれば、サービス価格も下がっていって自分も廉価で受けられる期待ができるかも知れない、という考えができます。 だから、ナルシストが自分の同業他者である同性を蹴落としたり、異性にストーカーしたりというのは若干的外れに感じます。 ナルシストにとって恋愛感情は後回しにすべきもの、故に異性関係も後回しにすべきものに感じます。 僕としては平和主義を通した方が、自分を落とされる危険性も低いと見なしているのですけどね。 永久中立を保っておけば、攻撃もされにくいだろうという考えです。 どうでしょうね?

  • 日本の右傾化を危惧されるのは、平和主義者の責任だ

    これまで日本の平和主義者達がしてきた事と言えば、日本国内だけで日本人相手に『平和、軍国主義反対!!』などのお題目を唱えてきただけでした。 彼ら彼女らが、内弁慶なのかどうか知りませんが、外国に対して自分達の立派な平和思想を普及させようなどの活動をした事もなく、また日本は平和憲法を持ち、戦争放棄した国だという事を広く世界の人々に喧伝しようともしませんでした。 もし日本の平和主義者達が外国の街かどに立ち、道行く人々に『日本は、戦争を放棄した平和主義な国です。』、『みなさんの国の憲法にも平和主義の思想を取り入れてください。』などとアピールしたり、外国のテレビ、新聞、雑誌などで宣伝していたら、外国の人達に日本の正確な姿を認識してもらえた事だと思います。 事情通の皆さんに聞いてみたいのですが、外国の様々な思想を持つ団体、例えばグリーンピースや韓国の従軍慰安婦問題に積極的な人権団体やらチベット弾圧反対の団体などは、直接外国に乗り込んで行って活発な活動を展開し、時にはその活動が過激化し、外国政府当局に拘束されるという事態になる事もあります。 どうして、日本の平和主義者の連中だけは内弁慶の役立たずなのでしょうか? 私個人の思いは、もう日本にガラパゴスはいらないという事です。

  • 平和憲法があるのにノーベル平和賞が貰えないなんて

    誰かが言っていましたが、世界中の人達は日本が平和憲法を持っている事をまったく知らないそうです。 つまり、日本人だけが知っている。(当然) 世界中の人達は日本にも、世界中どこの国にもある軍隊が普通にあると思っています。 こうなると国連軍に日本が参加しない場合、『日本にも軍隊があるのに、なぜ、日本は国連軍に参加しないんだ!!』と世界中の人達から思われます。 世界中の人達は日本の事情なんて知っちゃくれません。 なぜ、日本の平和主義者は世界に向け、日本には平和憲法という素晴らしいものがあると積極的に広報活動をしてこなかったのでしょうか? そして、平和憲法を世界に広げる運動をも積極的に展開してこなかったのでしょうか? 日本にだけ平和憲法があったって世界が平和になるわけないじゃないですか!? 世界の人達に平和憲法を知ってもらわない事には、ノーベル平和賞候補にもなれません。 もし、旧社会党から現社民党の人達が平和憲法を世界中に普及させる運動を積極的に展開していたら、今頃、福島瑞穂さんなんかノーベル平和賞を貰えてたかもしれませんよ。 事情通のみなさん、日本には平和憲法があるのに、なぜ、ノーベル平和賞を貰えないのでしょうか? それと中韓国民は日本に平和憲法があるという事を知っているのでしょうか?

  • 好戦的な男性と付き合うと苦労しますか?

    好きな人がいますが、その人が仕事やゲームなどで『人と競い合ったりするのを楽しむ』性格です。 かといって私には攻撃的な言動はありません。 友人から『いままで好戦的な人と付き合ったことないのに、苦労するんじゃないか』とか 好きな人と同じ部署だった女性は複数の人が『性格が悪い』『攻撃的なことを言う』と反対します。 片思いなのですが、好戦的な人ってどんな人なのかなあと考えてしまいます。 好戦的な男性って、女性には優しいのでしょうか?どんな特徴があると思いますか?

  • 平和と戦争と安保改正について

    平和の反対が戦争だと考えている人が多いようなのですが、そうではありませんよね。 平和は目的であって手段ではなく、戦争は手段であって目的ではありません。 なので、平和を守るために戦争が必要になるということが往々にしてあります。要するに血を流して平和を守るということです。 戦争と平和は方向性が正反対なのではなく、同じ方向を向いていると考えるべきです。 なので戦争を否定すれば平和も否定することになります。 戦争反対を唱える人たちは、平和には血を流して守るほどの価値はないと考えているのでしょうか。私には彼らが反平和主義者に見えてしょうがありません。 また、日本は世界第5位の海軍力と陸海空総合でも世界best10に入る軍事力を持っています。 軍事力=平和力です。 日本はこうした強力な平和力を世界各地での紛争解決と平和実現のために積極的に使うべきで、今回の安保改正法はその一里塚であると、人類愛あふれる世界平和主義者の私は思うのですが 皆さんは平和と戦争と安保改正についてどうとらえていますか?

  • 軍国主義だぁと言う人は、なぜ卑怯な奴が多いの?

    質問の最初にまず確認しておきたい事があるのですが、『この地球上に住んでいるのは日本人だけではありませんよね?』 その通りだと思う事情通のみなさんだけ回答をお願いします。 それにしても『日本は軍国主義に進んでいる!!』という人間って、どうして卑怯な人間ばかりなんですかね? このような人間は政界にもマスコミ界にも一般社会にもいますが、この人達って、自分達の"ご立派な平和主義"の思想を世界中に広めようなんて気持ちがまったくありませんよね。 そのくせ、外国生まれのウーマンリブからスローフードなどの思想、運動などの猿まねだけは得意なんですよ。(笑) 『軍国主義だぁ!!』と言っている人達は、自分達の"ご立派な平和主義"を世界中に広めたらどうですか!? そのような世界的な活動があっての日本国内での平和運動ならば、私も耳を傾けますがねぇ!?(笑) 日本だけが平和主義でも、他国が軍国主義ならば、日本とその周辺、もっと広く世界中が平和になる事などありませんよね。 日本の平和主義の人達は他国に入っていって、積極的な活動をすればいいじゃないですか? その結果、その国で拘束されるような事になっても平和の為なんだから、まぁいいじゃない!?(笑) もしかして、軍国主義だと言っている人達は、『自分達の主張が世界の人達から相手にされるわけがない』、『そんな事を言ってたら、世界中の人達から笑われる』という事が内心わかっているんじゃないですか!? だから、日本国内だけで日本人相手にだけに『日本は軍国主義だぁ、平和が無くなる!!』なんて主張しているんじゃないんですか?(笑) 事情通のみなさん、どうなんですか?

  • 日本に平和憲法があって、本当に良かったが、

    東西冷戦が始まった頃から、アメリカは本格的に共産主義との闘いに突入しました。 この当時のアメリカには、共産主義を嫌悪する風潮があり、アメリカ社会の各方面、政界、軍、ハリウッドなどで赤狩りが行われ、公職追放なども行われました。 冷戦中には共産主義国家を敵視し、多額の税金が投入され核兵器などの大量破壊兵器が開発されましたし、実際に朝鮮戦争やベトナム戦争ではアメリカの若者と、アメリカと同じ価値観を共有する国々の若者達が戦場に散っていきました。 しかし冷戦後のアメリカはと言えば、中国共産党と手を結び、表向きは友好関係をアピールしてきました。 このようなアメリカの態度を見て、共産主義との闘いで肉親を失ったアメリカの人達を始め、アメリカと同じ価値観を共有する国々の人達は、アメリカに対してどのような思いを抱いているのでしょうか? これではまるで、共産主義との闘いで死んでいった人達が馬鹿みたいで、"犬死"以外の何ものでもないではないですか!? もし、日本に平和憲法が無かったら、日本人もアメリカに言われるまま、戦争に駆り出され犬死をしていたでしょう。 そのような事になっていたら、現在、生きている私達日本人は犬死していった日本兵の人達に何と弁明すればいいのでしょうか? 日本に平和憲法があったおかげで日本人は犬死しなくてすんだのです。 現在、憲法改正が盛んに叫ばれていますが、私も憲法を改正すべきだとは思っています。 そこで、アメリカの大義に引きづられ、日本が戦争に巻き込まれないようにするには、憲法をどう改正するべきだと思いますか? 事情通のみなさん、どうなんでしょうか?