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世の中の綺麗な部分以外受け入れられない
世の中の綺麗な部分以外のものを受け入れられなくなり困ってます いい年してフリーター、お先真っ暗のホームレスなどの 未来のない人を見たり 古い家、汚い衣類、劣化したもの 劣っているものをみると 嫌悪感や不安定な気持ちになります これが現実で…と考えるとすごく怖くなり 被害妄想気味になってしまいます 私は特別お金持ちな家に生まれたわけではありませんが 不自由なく育ててもらいました 家も新築で、劣化し始めればリフォームしたりしていました 欲しいものは絶対買ってもらっていたし 甘やかされていたからなのか我慢が足りないのか 綺麗な、新しいもの以外は目を背けたくなります この癖は一生治らないのでしょうか?
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- mugen93s
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あなたの課題なので、私は余り干渉すべきではない事です。 ただし、そう言っても始まりません。 そもそも差別意識が働くのはなぜでしょうか? あなたは両親にどんな風に育てられましたか? 両親はそういう人達の事をどんな風に言っていましたか? 見るべきは人間 頭では分かっているつもりでも、 目は気がつくと評価しているのでしょう。 それはそうです、心理学的に人間は過去のことを 常に思い出しながら生きていると言います。 あなたが20代なら、今まで関わった綺麗な人間を 良い人間と値札を貼ってきたのでしょう。 確かにそのままだと、危険と感じているあなたの感性は鋭いと思います。 なぜなら自分が良いと値札を貼っても、 その貼った人が良い人とは限らないからです。 それだけあなたは、値札を貼った人が良い人間でなくては困るからです。 自分で、良い人と思うとその人は自分の心の中で良い人でなくては困る。 その良い人から裏切られ、実は悪い人だったと分かると 憎しみや怒り、憤り、恨みとなりやがて、 あなたは苦しむ事になるでしょう。 色々な物の責任にもしたくなるでしょう。 つまり、その人が良い人かどうかはその人が決める事なのです。 告白をして、「私も好きです」といった人が 実は「別の人が好きだった」らあなたはどんな気分になりますか。 罪悪感や美徳を上位にして教育してきたこの国では 上のような事も何ら不思議ではないと言います。 では冒頭にあった私の最初の文を引用してみましょう。 「あなたの課題なので、私は余り干渉すべきではない事・・・です。」 そのような評価する人間は、人に優劣を付けて自分が裁判官のように 「良い」「悪い」を言って回ります。評価とは心理学の世界では 極めて自己中心的な世界という事。 評価する側がやることなので評価されることはどうしようもない事。 つまり、評価されることに一々気にせず、自分は評価しないというのが 本来の望ましい姿ではないでしょうか? そして、世にある多くのものが「評価」の中に存在しています。 裁判・・・法律という名を盾と剣にした「罪」を決めるだけの評価主義 政治・・・選挙という名ばかりの「代表者」を決めるだけの評価主義 警察・・・法を下に悪を管理するようで保護もしている評価主義 ヤクザ・・・悪のルールによりお金を蓄えようとする評価主義 会社・・・階層社会の根底を作っている評価主義 芸能界・・・美や笑いのみが個人主義で、あとは迎合と淘汰によって構成された評価主義 世にある多くが評価の世界で仕分けされているのです。 評価主義は階層型の人間関係を構築します。 これを縦割り主義といいます。 私はよく、こういう人達を「フロイトの住人」と呼んでいます。 別に差別的な事ではなく、脳の中で「良し」「悪し」を付けている。 そして、その評価をするだけで自分の事はほとんど出来ない。 人を妬み、恨み、苦しめるような人間はこうして出来て、 気づけば孤独でナルシストで独りぼっちだったりするからです。 フロイトという人が発見した「評価」の心理的な仕組みです。 私は、市場原理のアダム・スミスの言う「神の見えざる手」も、 神は「フロイトの手」ではなかったかとも思うようになったぐらいです。 この評価主義は縦割り主義である以上、 人間は人間を信用できなくなります。そういう世界です。 その証拠にフロイトは晩年、孤独であったといいます。 精神医学の中でも父と呼ばれた人間は、 最後の最後は誰も信用できなくなる。 それだけ評価という仕組みが狭い世界であることに フロイト自身が気づかなかったのでしょう。 迎合もその典型的な言葉です。 評価主義を正しいと教えられた人が親であれば、 誰でも評価のフィルターを装着します。 子供は親が正しいと思った人を正しいと思わなくてはならなくなり、 悪いと言った人を悪いと思わないといけなくなるからです。 しかし、大事なのは人間が人間を信用するという安心感。 そして、例えそれが裏切られても、それは信用した人の課題なので、 自分にはどうしようもない事。自分はこの人を信用したという勇気です。 ↑のような人は立ち直れます。 自分に正直で、信用した人を・・・・ 憎まず、妬まず、恨まず これは、私も含めてですが、とても難しい事でしょう。 恨みもせず、妬みもせず、憎しみもせず・・・ただ自分が好きという事に正直であれ。 それは涙が出るほどのポジティブシンキングなのです。 その方法は色々な本に載っていますのでもし興味があれば色々調べられてください。 これが分かるようになるのは、 学生から社会人になってからではないでしょうか。 多分、失敗してから後の世界だと思います。 まだ、早かったのかもしれませんが、今後のあなたの人生の一助になればと思います。 それから、人の失敗を見て笑うのは、幼児性以外の何物でもありません。 自分の優越感を誇張する人は、それだけ大きな劣等感を抱えています。 そして、人の劣等感を責める人間は、それだけ優越感が満たされていないのです。 大事なのは「そんなもんなんだ」と評価しない事。 自分の内面を、不思議に思うのは良いことだと思います。 自己啓発されたいのなら、今後、意識されてみてはいかがでしょうか。 私なんて学校の勉強そっちのけで自己啓発の本を読み漁った時代が懐かしいです。
- k-a-r-a-p-a-n-a
- ベストアンサー率19% (257/1321)
たぶん何か精神的なご病気なのだと思いますが いろいろ書かれていますが 皆さんと同じような気がします よほどのことがなければ 欲しいものはだいたい買ってもらえますし 甘やかされてもしっかりした子は しっかりしています 我慢が足りないことと甘やかされたこととは 関係ないですね 家は新築と言いながら 劣化してさっそくリフォームとは どういう家なのでしょう お父さん値切ったのかな 綺麗な、新しいもの以外に 目を背けるのは わたしは違うということなのでしょう わたしは綺麗なのだと 思いたいのでしょう その癖を治したければ 家に鏡を置かないことです すぐにその癖は治るでしょう
- kanakyu-
- ベストアンサー率30% (1916/6194)
まだ若いのですよ、きっと。 挫折するなら、早めがいいですよ。 遅かれ早かれどっかで人間コケると思います。 ちょこちょこ挫折を経験してきた人ならば、転んでも立ち上がることを知っていますから、 多少の災難があっても、あんがいしぶとく立ち直っていきます。 ずーっと挫折知らずのエリートさんは、年取ってから挫折すると、それこそ立ち直れません。 転ばないで生きていくことしか、知らなかったからです。
親の手を借りず苦労して生きたら変わりますよ。
物事の本質が見えてないんじゃないですか。 ぼくはタイトルを見たとき、「大人の汚さ、人の醜い感情、欲が受け入れられない」 かと思いました。 ところが逆。 あなたは表面がいいものしか、受け入れられない。 別に受け入れなくて済むぐらい、一生裕福なら、 受け入れなくてもいいですよ。 ただ、実際触れてみるってのが大事じゃないでしょうか。 汚いものが嫌なら、服を汚しながら、一生懸命作物を育て、 あなたを食べさせている農家の方はどうなんでしょうか? いいですよ。 受け入れなくても。 その代わり、恩恵も受けないでくださいね。
- anthroposophie
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見ざる、言わざる、聞かざる、という言葉を聞いたことはありませんか。 要するに、その様なあなたの嫌う受け入れられないものには意識を向けないということです。 そのように生活していけば、必然的に、あなたの生活にはその受け入れられない事実が入り込まなくなるので、あなたの理想の生活ができます。>目を背けたくなります とおっしゃりますが、それなら目を背ければ良いのです。しかし、そのような事実を肯定してみることができるようになりたいと思うのであれば、あなたはそれを見なければなりません。そしてそのような行為を通してあなたは自分に何ができるのか、を自問すれば良いと思います。見ないことが嫌なのであれば、そこからあなたは何を学び、何が得られるのかを考えてみましょう。
- 783KAITOU
- ベストアンサー率43% (1758/4022)
あなたご自身が今のご自分の考え方は、生きていく上で不都合である。改善したい。と、思われたなら改善します。いらざる事で悩まなくて済むようになります。 難しい言葉で言えば「認知」をして「認識」してもそれを言葉で言い表すことに不全があるのでしょうね。これといった原因に結びつくような文書はお書きになっていませんが「強迫観念」のなせる不全でしょう。
- kaitara1
- ベストアンサー率12% (1158/9167)
あなたはすでに現在自分が嫌っているのと同じ状態にいる?新しいものやきれいなものを生み出す母体は決してきれいなものではない。むしろゴミ屋敷に近いところから生まれるもの。