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蓑虫の宇宙

  蓑虫は蓑の中で考えていた。 「私」は宇宙である。 全てのものは私の内にある。 蓑虫の宇宙も立派な宇宙だよね。  

質問者が選んだベストアンサー

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  • Tefu_Tefu
  • ベストアンサー率27% (87/322)
回答No.4

こんにちは hitonomichi33 様 蓑虫は蓑の中で怯えていた。 最近 オオミノガヤドリバエと云う外来生物に仲間が次々に殺され絶滅の危機に怯えていた。 何故かと言えば 蓑虫の雌は一生を蓑の中で過ごすのである。 秋の夕暮れ 静かなせせらぎの湖畔に立つ 古木に糸を垂らし風に揺られ 安らぎの時を楽しんだ。  蓑虫は蓑の中で考えていた。 「私」は宇宙である。 全てのものは私の内にある。と そこに 木枯らしが吹いたのである 蓑虫は必死に糸を延ばして水中に落ちるのから逃れた。 しかし 水面に触れたため 水面に波紋が拡がった。 水中から巨大な魚の影が現われ 蓑を大きな口で呑み込んだのである。 まさに 一瞬の出来事であった。 想定外の出来事であった。 hitonomichi33 様 蓑虫の宇宙は どうすれば守れるんでしょうか? もしかして (^人^)パンパン 人(-_- )一礼とか

hitonomichi33
質問者

お礼

Tefu_Tefuさん、こんにちは。   >蓑虫の宇宙は どうすれば守れるんでしょうか? その一瞬の出来事によって蓑が破れると同時に、蓑虫の宇宙は消滅します。 蓑虫の宇宙には終わりがあるってことです。 万物の根源、宇宙の法則、アルケーの神の定めです。    

その他の回答 (10)

noname#214841
noname#214841
回答No.11

「お礼」ありがたうございました。 >>「色即是空空即是色、この世の全ては無であり空である」 >>ってゆう否定しようのない真理であります。 かういふ余裕のある、宗教の使ひ方が、私は好きです。 私には蓑虫の主張は、推測するだけで、理解することができません。質問者さんでしたら、何度も会話なさつてゐますので、もつとよくご存じでせう。あの物理学教授さんが、わかりやすく、ご説明くださると助かるのですけれど。多くの人はそれを望んでゐるのではないでせうか。

noname#214841
noname#214841
回答No.10

質問者さまは、蓑虫の主張を充分理解したうへでの、このたびのご質問と、拝見しました。私もすこしくらゐは、その意味がわかるつもりでゐます。 蓑虫はあきらかに不利です。蓑虫の主張をわかりやすく説明する人が必要なのではないかと思つてゐます。最近は、蓑虫のことばも、ずいぶんわかりやすくなりました。これから、多くの人たちに理解されるやうになることを願つてゐます。 私は賛同はしませんが、もしかすると、蓑虫の主張が全面的に正しいのかもしれません。かりに、さうであつたとしても、同じ生きるなら、やはり蓑の中で暮らすよりは、豚でゐたほうが楽しいと、私は考へます。

hitonomichi33
質問者

お礼

>最近は、蓑虫のことばも、ずいぶんわかりやすくなりました。 その蓑虫の言葉とは、「色即是空空即是色、この世の全ては無であり空である」ってゆう否定しようのない真理であります。  

回答No.9

二つのご疑問はごもっともですね。 人生は所詮は、価値理念を究極において理論認識できないのではないでしょうか? 究極においては理論認識のレベルの話ではないですよね。 私たちの存在って何だとご理解なさいますか。 そしてその存在って何を本質としていると存じられますか。 その辺の問題でして、人の道さんがご自身でしっかり追及することが大切ですね。

hitonomichi33
質問者

お礼

  >人生は所詮は、価値理念を究極において理論認識できないのではないでしょうか? 私の知人に人生には目的なんか無いって言いきるやつがいます。 その彼は普段税理士の資格取るって頑張ってるけどね。 おもろい。  

回答No.8

この質問を少しも批判しているわけではなく、むしろ大変哲学的意義のある質問だとおもっています。 人の道などと言葉を使用したが、質問者の事ではないことはいうまでもない。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13131839543にも取り留めがどうのという質問がありますのでアクセスしてみてください。

hitonomichi33
質問者

お礼

  では人生の目的は何かと訊かれたなら何と答えましょうか。 やはり取り留めなさってことでよいですか。  

回答No.7

どこまでいっても、個人たる世界は蓑虫の世界ですね。 つまり人間たる存在でも知覚、經驗、そして判断とはそんなもんですね。 人の道はそういう取り留めなさなんですね。それは無限であるということではない。

hitonomichi33
質問者

お礼

  >人の道はそういう取り留めなさなんですね。 つまり人生の目的は一重に取り留めのない事って結論になりますか。  

回答No.6

 蓑虫の宇宙も立派な宇宙ではありますが、それは小宇宙というものです。  大海水からの波浪、です。

回答No.5

 楽しいね!  「?」さんの勘違い。いや、表現違いかな?  或いは、帰納法と演繹法との対決?  「私」は宇宙の一部ではあっても、全てのものが私の内にあるわけではないよね。  もし、そう思うならそれが“勘違い”  要するに「私」は宇宙のほんの一部分でしかない、と云う事。  例えを彼のお坊さんの言葉を借りて・・・  《大海水はもと一体なれども波浪を起こす、即ち個々と現わさるるが如く》  個々は大海水の一部ではあっても大海水その物ではない、と云う考え方を受け入れられれば、“勘違い”は起きないと思います。  33には“余裕”がありますね。“迷い”を感じません。    

hitonomichi33
質問者

お礼

  数学に部分空間という概念が有ります。 線形代数に出てきますね。 部分空間とは日常的表現で言い換えれば一つの閉じた世界であり、自己完結した空間であるということ。 蓑虫の蓑の中は、蓑虫にとっては自己完結した空間であり、蓑虫の宇宙なのです。 まあそのような宇宙も立派な宇宙であろうという考えも成り立つのではないでしょうか。  

回答No.3

ミノ虫は、ミノの中だけで生きているのではない。 外界との相互作用におけるライフサイクルの中、 一時的にミノを被るに過ぎない。 (もっとも、蛹化しない限り葉っぱを食べてるし)

hitonomichi33
質問者

お礼

  あなたが分かるように説明しましょう。 不確定性原理に由来する、無=無限の潜在としての認識 可能性の時系列化(hの収束=宇宙膨張)による、時間軸 (時間の流れ=記憶=過去=超光速)と空間軸(空間の広がり =予測=未来=光速下)の相補分化において、宇宙とは自己 存在のための必要として派生していると言える。  

  • 2014japan
  • ベストアンサー率22% (35/159)
回答No.2

毎回否定して申し訳ありません、質問が突飛なので少し考えてみました。 この質問は、深い思索によるものと思います、似たような話を絵本か、なんかの本で観たような気がしないでもないですが。 ただ単に、この内容だけを見れば、まるで何を言っているのか理解できません。 1部の天才哲学者にだけしか、分からないレベルなのでしょうか? 哲学宗教を知らないわたしの理解ですと、蓑虫も含めて全てのものは宇宙の1部であるから、蓑虫も自然の法則(宇宙の法則)により存在している。までです。 蓑虫の「私は宇宙である」という表現は「蓑虫=宇宙」=「宇宙=蓑虫」になります、さらに「全てのものは私の内にある」という表現は質問者様も私も、人類も太陽も、核兵器も戦争も全て一匹の蓑虫さんの中にあるということですよね。 すると、おかしなことが出てきます。 質問者様の宇宙と、私の宇宙は同じでしょうか? 原始人と、現代人の宇宙は同じなのでしょうか? 違いますよね、量子物理学によると観察者によって現実は決定されるのですから。 もし、違えば全てのものは私の内にあるは間違えています、その一匹の蓑虫の宇宙があるからです。 つまり、私の宇宙は私だけのものであり、決して100年前にい数カ月存在した一匹の蓑虫の中には存在していません。 というのが無知な私の結論です。 間違えていたらすいません。

hitonomichi33
質問者

お礼

>ただ単に、この内容だけを見れば、まるで何を言っているのか理解できません。 では分かるようにお教えしましょう。 不確定性原理に由来する、無=無限の潜在としての認識 可能性の時系列化(hの収束=宇宙膨張)による、時間軸 (時間の流れ=記憶=過去=超光速)と空間軸(空間の広がり =予測=未来=光速下)の相補分化において、宇宙とは自己 存在のための必要として派生していると言える。 時空的広がりとは、突き詰めると感覚器官表面での量子 相互作用に還元され、一方で仮想的存在も原理的に超弦 (量子定常波)に還元される。 その量子とは、仮説的時空への無の射影(時間軸と空間軸 の虚数関係による等距離点に現れる0の面(界面原点)が 光量子の軌跡)なのだ。 自我仮説性が、先述のように全てが帰着する量子性である プランク定数hの収束の時系列化(不確定的広がりの収束 =物体収縮=宇宙膨張)である時、法則も不変ではない。 法則=物理とは、現象的認識を無へと還元するプロセスで あり、相補分化の基点となる真の自己そのものなのだ。  

回答No.1

あなたも「世界は自分を中心に回っている。自分は世界の中心だ」と思っている。 恋人たちもお互いに言っています「世界は私たちのためにあるのね。世界中が私たちを中心に回っている。世界が私たちを祝福している」と思っている。 隣りの中国は昔から「世界は中国を中心にして存在している。中国は世界の真ん中にあるから、だから中国なのだ」と思っている。 これを中華思想という。 人間もミノムシと同じ。 広大な宇宙も自分の宇宙であり、自分が作ったもののように思っている。 だから自分は宇宙よりも偉大な存在だ。 それを「自我肥大症」という。 最近の日本に目立ってきた現象で、特に若者に蔓延している。 誰ともコミニケーションを取らず、一人孤立しているから、他人がいて、自分の存在など相対的なちっぽけなのを知ることもないから、自我肥大症になりやすい。 世界は自分という内在的な視点から眺めれば無限だ。 ところがその自分も、外在的に世界の方から眺めれば、ゴミやチリと同じ、吹けば飛ぶような存在に過ぎない、無限小だ。 真実は外在的な視点と、内在的な視点の中間にある。 世の中を自分を中心に眺めるのではなく、また世界を中心に眺めるのでもなく、外在的でもなく、内在的でもなく、その中間で眺める視点を獲得すること、それが人間の成熟。 ミノムシのように「すべてのものは私の内にある」と考えたり、「私は宇宙である」というだけではダメで、その視点を相対化して、ミノムシはただの虫けらであり、広大な宇宙に比べたら、チリやゴミに等しい存在にしか過ぎない、ということを知ることが大切だ。 そうやって自我肥大症を克服することが必要。

hitonomichi33
質問者

お礼

  >人間もミノムシと同じ。 一つ分かるように説明しましょう。 全ての存在は量子的な不確定性に基づいており、無限に 詰め込むと存在確率の山が平らになり、無と等しくなります。 この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の闇に、 認識体の仮定断面(認識可能性)の運動を想定すれば、 相対的に無の風は光になり、認識体はその光(量子相互 作用パターン)の向うに、自己の補完としての(不確定性 原理の相補的不確定性を伴う)宇宙を認識するのです。 そうした階層現象的表面的な定性化(いい加減に捉える事) による仮象的非光速性に由来する時空認識は、その「階層 現象性」の射影=進化プロセス(物質進化~化学進化~生 物進化)の138億年としての空間的広がりを見せると共に、 その時空軸の相補分化の対消滅としての138億光年彼方に 宇宙の果てを生じるのです。  

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