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「枕草子 中納言参り給ひて」に関する返答の理由
fujic-1990の回答
2番回答者です。お礼中の再質問を拝見しました。 > 中納言の言った「まことにかばかりのは見えざりつ」 かばかりの=これほどの とは、 "これほどの"映画は見たことがナイ、"これほどの"演奏は聴いたことがナイ、とは、実際にすばらしい名画を見たり、すばらしい演奏を聴いたりして、体験して、以前見たり聴いたりしたものと比較して、それで初めて言える言葉ですよね。 映画を生まれて初めて見た人は、「これほどの映画は見たことがない」とは言いませんから。 なんどもくどいですが、「かばかりの」「これほどの」という言葉は、「前にした体験」と「比較」するときの言い方なのです。 つまり中納言の「まことに"かばかりの"は見えざりつ」とは、最近入手したすばらしい骨を「ほかの、見た事がある骨と比較して」言っているわけです。言外に「いろんな骨を見てきたけれども」と言っている言い回し(表現方法)です。 「扇の、いろんな骨を見てきたけれども、これほどすばらしい骨は見られませんでした」という意味になります。 中納言が過去に何度も骨を見たんなら、それらの骨はクラゲの骨ではありえませんよね。 見た事があって、クラゲの骨ではありえない物に対し、「誰も見たことがナイなら、それはクラゲの骨でしょう」と言っても、会話がなりたちません。(もちろん、何度も見た骨ならクラゲの骨でしょうという話も冗談にならない:クラゲに骨はないから) そこまではいいでしょうか。 それに対して、 > 「さらにまだ見ぬ骨のさまなり」 とは、 「さらに(まったく) まだ見ぬ(まだ見たこともナイ) 骨のサマなり(骨のようすだ)」 という意味です。 これも、質問者さんがお書きの通り、すばらしい(扇の)骨を見ての感想なのですが、「言葉としては」、どこにも「実際に見た」という意味が含まれません。むしろ「見たことがナイ」と言っています。 「骨だ」とは言っていますが、扇の骨だ、とも、言葉の中にはナイです。 特別に、扇の骨だ、前に見た骨と違う、というような意味(例えば比較の意味)を持たせる言い回し(表現)でもありません。 「全然見たことがナイ骨だ」という意味です。文章的には。 となると、 「さては、(誰でも見た事があるはずの)扇の骨ではなくて、(誰も見たことがないなら)クラゲの骨なのでしょう」という清少納言の言葉は、どちらの言葉に向けられたジョークなのか。 ですよね。当然、多くの人が言った言葉に対して、だと思います。 ---- 蛇足です(わからなくてもいいです)が、ご紹介の文の後で、中納言が清少納言に「そのギャグ、私が言ったことにしたい」みたいなことを言っていたと思います。 自分の言葉に対して言われ得た冗談(クラゲの骨)ではなく、ほかの人が言った言葉に対しての冗談だから、「『見たことがナイ』と言っているほかの者たちに、見たことがナイならクラゲの骨だな、と、私が冗談を言ったことにさせてもらいたい」というふうに言えたんだと思います。 自分のボケに対して突っ込まれた言葉(ギャグ)をもらっても意味がありません。 ほかの人がまた「見たことがナイ骨だ」と言ったら、今度は自分が「見たことがナイならクラゲの骨だろう」と突っ込みを入れる。そして突っ込まれた人たちから、「すばらしい突っ込みだ」と感心されたいということだろうと思います。
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お礼
返答が遅くなり失礼いたしました。 ありがとうございました! 素晴らしくわかりやすい回答に目からうろこが落ちる思いです! さらに補足も加えていただいて! とてもよく理解できたのでベストアンサーに選ばさせていただきました。 重ねて、ありがとうございました。