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心の中の批判の声を黙らせるには
どうすればよいでしょうか。
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- kagami20075-
- ベストアンサー率28% (30/107)
「批判の声がぼくが昔いじめられたり、親父に神経質なまでに細かいところを指摘されてたときの声なんです」ということであれば、それは幻聴と呼ばれるもののなり始めである可能性もあると思います。 今聴こえてくるのは批判だけだそうですが、幻聴かもしれないと思われる場合は、人によっては、味方する声とか、自分は神だと名乗って勝手に話しかけたりダメ出ししてきたりするときがありますので、これからも注意が必要になるかと思われます。 もし、勝手に話し出して止まらない他人の声がする、ということでしたら、それは基本的に自分の中の自分であると思われますので、どこかにいなくなってもらう、とか、黙ってもらうとかいうのは、ムリということになります。リアルな言い方をしてきますが、空耳だと思って、気にしないでおくことに慣れるしかないとも思われます。そのうち気にならなくなる時もあります。 現状の場合は、精神的なバランスが崩れかかっていると考えて、食事療法や栄養療法、玄米食などで、心身のバランスに心がけると、改善される見込みもなくならないと思われます。
- gouzig
- ベストアンサー率25% (536/2078)
No.3gouzigです。 「重箱の隅を楊枝でほじくるような親父の厳しさの度を越した叱責や、いじめっこの批判の声です」 そういうことなのですか。 確かに、そういう思いをした人にしか分からないことですね。 でもね。私には一般の人が信じられないほどの苦痛を何年にもわたって味わった経験がありますよ。 そういう経験は、口には出さずとも多くの人が持っているものです。 それをどのようにして乗り越えて生きていくかですね。 私の場合は、人生の経験、強く生きるための鍛錬の一つと考えてきました。 その経験のお陰でさらに強くなりましたね。 これは嘘ではありません。 私の経験を詳しく書けば多くの人がその事実が分かるのでここでは書けませんが。 あなたはその経験があってもここまで生きてきましたね。 鍛錬された、その修行を乗り越えたと考えることでさらに強くなれます。
自分は人を批判できるほどできた人間ではない。 上を見たらきりがない 自分はこの程度の人間でいい。
- berntakii
- ベストアンサー率12% (117/957)
それは批判の声に対して真摯に耳を傾けることです。 あなたの中の不安や疑問が表れたものですから、それをちゃんと取り除けば納得して何も言わなくなるはずです。 他ならぬ自分自身ですから、無視したり抑えつけたりして黙ってくれるような相手ではありません。
お礼
批判の声がぼくが昔いじめられたり、親父に神経質なまでに細かいところを指摘されてたときの声なんですよ。 あいつらの言うことを聞けと言うんですか? 御免です。 自分の声ならいいんですが、よりによってぼくを虐げてきた人たちの声だからこそ黙らせたいし、聞きたくなんかないんです。
- demerger
- ベストアンサー率26% (152/578)
自己【批判】の声ですか 他者【批判】の声ですか また、なぜ黙らせたいのですか。 黙らせたいのが「自己都合の得手勝手な思い込み」であれば。 思い込みを無くせば良いだけです。 黙らせたいのが「長いものに巻かれたい」という利己・利益の観点であれば。 得られる利益の事だけ考えて居ればよいでしょう。 そうでなく、 自己批判に該当する事があるのであれば、自己批判の声を黙らせるのではなく 耳を傾けてはどうですか。 他者批判に該当する事象があるのであれば、 批判ではなく、論理的「意見」として 他人が耳を傾けてくれるように、論理的構成を、考えてはどうですか。 闇雲に、黙らせない 闇雲に、批判しない 自省と自制をもってして コントロールすべき事象であろう、と思います。
お礼
もう十分自制しまくってきました。 それでもなお、おれをいじめてきた連中や、頭が固くて神経質な親父の声がこだまするんですよ。 聞きたくありません。 彼らの言い分が正しかろうが、別にそうしなくてもいいような批判ばかりなのです。 クソガキがちょっかいだすような批判なんか聞きません。
批判する自分、それを黙らせたい自分、どちらも質問者様なんですけど、どちらも作られた自分だと思うんです 親の価値観、社会的な価値観、こうあるべき、こうでなければいけない、おそらく割りと厳しく育ったか、厳しい環境で生きてきのではないかと思います だとすると、いわゆる超自我といわれるものが強いのかもしれません、質問者様の中に監視員のような人がいると解釈して頂ければ分かりやすいかもしれません さらに監視員が質問者様の思考を奪い、質問者様が厳しい考えの持ち主のようになってしまいます 批判する自分、それを黙らせたい自分、これとは別で「本当の自分」に気付いてあげると 自我と超自我のバランスがとれて心の統制や葛藤を上手く処理できるようになってくると思います どう気付いたらいいか、過去に批判されことがあれば、その時どう思ったか、感じたか、という感情を振り返る 悲しかった、もっと分かって欲しかった、本当はそうじゃない、色々あるかと思います そういった気持ちを「あの時は辛かったよな」と報われない気持ちを拾ってあげることで、批判することに拘らなくなってきたり、逆に優しくなれたりすると思います 参考までに。
お礼
まさにあなたのおっしゃるとおりです。実行してみます。 今まで批判することに長けた連中にいじめられたり、パターナリズムをいいことにぼくのありとあらゆる一挙一動を厳しく批判ばかりしてきた親父の声です。そいつらに何か批判されてたときは、いつも自分の気持ちを押し殺してきました。それがこんな形になってしまったんだと思います。 自分の本当の気持ちを大切に、そして常に意識して、忘れたら引きずり出してでも自分を支えて、前に出してあげたいと思います。
- gouzig
- ベストアンサー率25% (536/2078)
出していない声をどうやって黙らせようとしているのか? もう少し具体的に書かないとkarakaratotonさんの質問の意図が伝わりません。
お礼
重箱の隅を楊枝でほじくるような親父の厳しさの度を越した叱責や、いじめっこの批判の声です。 この気持ちわかりますか?事が終わってもずっと心の中に残ってる居心地の悪さ。 ぼくのように辛い思いをした人たちにしかこの苦痛はわからないんですよ。
- 783KAITOU
- ベストアンサー率43% (1758/4022)
●心の中の批判の声を黙らせるには ↑心の中の批判の声の対象は何ですか。「ひと」ですか「もの」ですか、それとも「物」でしょうか。更に、自分が自分を批判しているのでしょうか。対象が違えば心の中の声が聞こえてくる原因は違います。もの事にはどのようなことでも原因なくして結果はありません。 あなたのおっしゃる心の中の批判の声は、結果として聞こえてきています。その原因を見つけなければ解消は不可能です。これではという原因を正しく見つけて下さい。そうすると自然に解消の方法が解ります。
お礼
昔いじめてきたいじめっこの声と、隅から隅までぼくのことを監視して批判してきた頭が恐竜みたいに硬くて叱責するときはいつも向こう三軒にまで響かんばかりに怒声を上げていた親父が、ぼくを批判する声です。二つです。 いじめと常軌を逸したしつけが原因だと思いますし、ぼくはその当時は自分の気持ちを押し殺してじっと我慢するほかありませんでした。 自分を押さえ込みすぎたのです。
表に漏れてないなら別に良いような気がしますけど。 批判に対して反論を行う精神を産む。 むしろその批判の声を良いものとして受け止める。
お礼
いいものとして見るなんてことだけは決してしたくありません。 ぼくを無碍に扱ってきたいじめっこや子どもの意志を無視して怒声と怖さでぼくをしつけてきた親父の言い分なんてくそくらえです。 ここが銃社会ならぼくは血祭りに上げていたでしょう。
お礼
言ってる意味がわかんないです。