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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:自分の恋愛対象がわかりません)

自分の恋愛対象がわかりません

このQ&Aのポイント
  • 女性が恋愛対象を見極める方法とは?
  • 男性を精神的に愛せるが性的に愛せない女性の悩み
  • 恋愛対象が女性に偏る場合、その心理とは?

質問者が選んだベストアンサー

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  • sspider
  • ベストアンサー率32% (118/366)
回答No.4

♯2です。 ドストエフスキーが出てきたので、少し思いついたことがあります。 背景にあるキリスト教にも興味があるようですね。 私もその部分は、非常に不思議で気になっていました。 ところが、ある日、奴隷としてアメリカに強制連行された黒人たちの子孫が何でキリスト教徒なのかという疑問がわきました。敵の信じる宗教ですよねどう考えても。ところが、ゴスペルを聞くとその信仰の「熱さ」が本物だと分かりますよね。 この二つの疑問がクロスし、さらに、日本では内村鑑三など典型ですが、明治期にキリスト教が普及したとかといった歴史的な経過も思い出し、何で西欧という「敵」=支配的な民族の宗教を信じるという屈辱的な選択を、スラブ民族もアフリカ系の民族も大和民族もしたのかが疑問でした。 私の結論は、「言葉」です。 キリスト教のもつ圧倒的な「言葉」 「表現力」「歴史の厚み」が欲しかったのです。また、その言葉があの時代に圧倒的に不足していたのでしょう。 「宗教」は先進的な「武器」と同じものなのだと思います。近代には、近代的な武器が必要ですよね。同じように近代的な「宗教」が必要だったのです。 ドストエフスキーがなりふりかまわずキリスト教の言葉を転用し、西洋とスラブ民族の間での「崖」を埋めようとした思います。それが、やはり非西洋人である日本人にも響くのだし、黒人にも響くのだと思います。 言葉は、武器ですよね。 敵から武器を奪い、それを利用しないと殺されますよね。 別の言い方をすると、 例えば、あなたがあなたの悩みを「関西弁」で語るとしたら、今とは違う悩みになったかもしれないですよね。悩まなかったかもしれない。もしそうなら、「関西弁」があなたを解放してくれたことになります。役に立ちますよね。 あなたが自分を語る「言葉」を見つけることが出来れば、他人に依存することも少なくなると思う。 ドストエフスキーがあなたの「武器」になればいいね。 小説でも書くかね!

chariot0811
質問者

お礼

お返事ありがとうございます。 宗教は武器、との考え、確かにその通りですね。国民の統制も取れて、政治的にも個人的にも非常に役にたつと思います。日本は形だけ仏法で熱心な信者も少ないし、これ!という宗教もないのにも関わらず、これだけ統制のとれた行儀の良い国民性は凄いと思います。私自身実家が寺ですが、あまり深く考えたことはありません。ただ、信じて縋るものがないぶん、個人の悩みは深く深刻なもののような気がします。ちなみに日本人の作家では芥川龍之介が好きだったのですが、調べてみると芥川もドストエフスキー等ロシア文学の影響をうけていたらしいですね。言葉の力について言われましたが、文学ひとつとってみてもこれほどつながるものかと、言葉の力の大きさを実感します。 小説書くのもいいですね。学生の頃書いた事がありますが、未完です。笑 作詞曲はするのですが、曲と違って長い書きものになると構成がぐちゃぐちゃになってしまいます。 今回性について相談しましたが、悩みが達観できるように自分の神探しをしてみようと思います。 再度丁寧な回答ありがとうございました。

その他の回答 (3)

  • otomenome
  • ベストアンサー率24% (12/49)
回答No.3

回りが思ってるよりなによりご自分が一番つらいでしょうねえ。 ただ、書かれてる事を見るに、おそらく…自信のなさが自尊心を高めてしまっていて相手を軽蔑する事で自分の価値を守っていて、そうやってなんとか自分を成り立たせているのがゆえに異性を軽蔑対象にしてしまっているっぽいですよね。 男性を汚いと思ってしまうほど性的なものに軽蔑してしまうのは言い換えれば“それだけ強く男性を意識してる(=望んでる)”って事なんですよね。 なのに、そうなのに自分の自信の無さの裏返しによる軽蔑からくる認知の偏りに加えて、自分は女だからその女も汚いと認めると自分にもその汚いものってなるし、そうは思いたいくない認めたくないそんないわゆる偏屈的な自己愛から…『自分は女性→女性は悪くないはず汚くないはず→でも男性は汚い→でも女性ならそうじゃないし判ってくれるはず→だから女性なら大丈夫だ』という答えになってるんかもしんないですね。 普通にいっても女性もそれでいういわゆる肉体的な欲求に対する“ズルさや汚さ”はそれこそたくさん持っているもので、女性の方がキレイだとかマシだとかいう事なんて決してないわけです。  それこそ男性と同じくらいとてもずるいものや汚いものを恐ろしくたくさん持ってるものなんです。 つまり、もすこし簡単に言うと…いわゆる性的に“キレイでいたい自分”をこじらせちゃった感じと言えるかも…『童貞をこじらせた』みたいな感じ。 自分は傷つきたくないし自分をいいものだと思いたいし守りたいがゆえに見たいものしか見ておらず他の所は見ようともせず、ホントはとても気にしててそっちばかり見てるのにその相手を軽蔑してしまっていて、なおかつ“でもこっちは良い”と激しく思い込んでるがゆえに見えるものも見えなくしてしまっていて…それが“男は汚いからダメ、でも女ならいい”という結論に行かせちゃってるんちゃうんかな…って思いますね。 ちなみに貴方の性的対象は女ではなくそれどころかバリバリ男ですよね…めちゃくちゃ意識しちゃってますし。 とにかく傷つきたくない自分を守りたい自分を都合よくおきたいがゆえにそれが発露の対象を男ではなく女に歪ませてしまってるって事ではって思う。 なにせ『女としたい!』ではなく、『女なら安心して発露できるから…』なので…。 ちなみに…女性の興奮って『男に興奮する』ではなく『男とのこのシチュエーションやこの行為に興奮する』ですよね。もちろん男も同じですが。 『男に興奮する』とそこまで自覚して言えるようになるのは女性の場合、恥じらいや抑圧を超えるというか捨てる事やストレートに欲望ある自分を素直に認め受け入れる事ができるようになるある程度年配の女性になってから。 もちろん女性が女性を相手にしたってそれが悪いって事じゃないですが、貴方が本当に意識し望んでいるのはあくまで男なのでもったいないというか…あくまで貴方にとっておそらく女は男の代替品なので本当の満足は得られなかったりするんでは?って思う。 子供から大人に成長していく段階で子供という何も出来ず無知で無教養で汚れ無き存在だったものからそうではない大人へと成長していくわけです。 つまり、性欲や金銭欲や権力欲とか他人を蹴落とす競争といったいっけん汚く思えるものが当たり前に普通に存在する大人の世界へと入っていくわけです。  当然、そういった“汚い”と思えたものが、本来はあってもいいし、むしろあって当然なんだってのを認め、許して、受け入れていかなくちゃいけないし、当然それらが自分だけでなく他人にもある事を認め許していって、つまりそれらを自分にあるもの他人にあるものを肯定的にうまく自分の中に取り込んでいかなきゃいけないわけです。  なにせ“そういうのは汚い”とか“良くない”いう認識がそもそも間違いであり、むしろ人間にはそれらがあるのが普通(普通の人が持ってる)なんですから。 もちろん同性にあるそれらを認め許し受け入れていかないといけないのと同じように異性にあるそれらも同じように肯定的に認め許し、受け入れいかないといけませんよね。 自分にも他人にも、同性や異性に当たり前に普通にあるそれらを肯定的に認め、許し、受け入れられるようになっていくってのが…つまりは『大人になる』って事なんですよね。  それを受け入れていく段階で少しこじらせちゃってるかも… ちなみに…貴方は可愛いオスのワンコが公園に散歩いって出会うメスワンコ相手に“誰彼無く乗っかかって腰振ろう”としてたらそのオスワンコの事を“汚い”って思うんですかね…? 或いは…自分が大切に飼ってるメスワンコが発情期になってどこかの汚い野良犬に対してお尻を向けてたらその尻を向けちゃうメスのワンコに“汚い”って思っちゃうんでしょうか…? それは“そういうものだ”と素直に認め、許し、受け入れる方がいいと思いますよ… 変にこじらせちゃう方がよくないというか…もったいないというか自分が損しちゃうと思うので。

chariot0811
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 確かに、私は人よりも自信がなく、自分を守ろうとする性分が強い気がします。あと、人に過剰に依存して傾倒するタイプです。しかし、自分や周りの女性を客観的に見て、女性の汚い部分は男性同様わかっているつもりです。ただ、性に関してのみ、頭でわかっても男性を受け入れる事ができず、軽蔑するのではなく悲しくてたまらなくなります。女性を男性の代替品としているのではないか?との一言、確かにその通りです。依存するし誰かに恋するからこそ、最初は「女性に逃げた」のは事実です。ただ、私は人と比べてこの思いを抱えるのがあまりに長い期間で、しかも最近となっては女性に恋した時に、その人を好きになるとともに激しい情欲を抱いた事を考えると、こじらせかたが悪化していると思います。それまで男性そのものにも、男性とのシチュエーションにも情欲を抱いた事がないのに。ただ、私が今お付き合いしている人が男性なので、眠れぬほど深く悩んでいて、相談した次第です。根本は、「人間であるのになぜ男性はこうも動物的なのか」という思いです。言葉があり、人と人とは気持ちで繋がるものであり、繋がるからこそ子供ができるかもしれない「セックス」という行為をして、この人となら家庭を築いていきたいと思うようになる。otome様がおっしゃったように、言葉も持たぬ動物であるペットがそういう行為をしていても普通の事だと思えます。 普通の女性は歳を経て、男性の汚い部分も女性の醜い部分も受け入れられるようになる、ということですね。上記にあげられた権力、金銭欲などの汚いと言われる部分は、大人になる過程ですんなり受け入れる事が出来ました。性だけ、異常に心が拒否するんです。嘘をついたり、人を蹴落とす競争をしたり、名声のために画策したりっていうのは、人が考えてやっているから良いんじゃない、と割り切る事ができるのですが。たいていの人はどういうプロセスを経て達観するのですか?良ければまた何でも回答いただけたら嬉しいです。非常にわかりやすくて丁寧な回答ありがとうございました。

  • sspider
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回答No.2

>汚いと思ってしまいます。 これだよね。 >付き合っているのでセックスはよくします 表面的には、うまく取り繕えているようだね。 その分悩みは深いよね。 一番肝心なところで、世界と繋がっていない感じ。 焦るだろうと思う。 軸がブレるからね。 宗教とかにすがりたくなるかもしれないね。 あなたが、もっと精神的に尊敬できる男なら、少しは「マシ」かもしれない。 それぐらいしか思いつかない。 カウンセラーに相談かな!?

chariot0811
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そうなんです、表面的には幸せに感じても、男性と私の根本的な欲や愛情の生まれ方に違いを感じてしまうと、ひどく悲しくなります。普通の女性ならば「男だから仕方ないよね」と思える事も、傷ついて諦めた上での言葉のように感じてしまって。変な宗教にハマる、という事はないですが、ドストエフスキーを愛読するうちに背景に強く影響しているキリスト教の考え方に興味を持っているところです。知らず知らずのうちに助けを求めているのかもしれません。カウンセラーに行ってみるのもいいですね。拙い文章ですが受け入れて回答頂けた事に感謝しています。

noname#192983
noname#192983
回答No.1

恋をするのと性愛は同じ。 セクシャリティに悩む時期は私にもありました。 高校時代に女の先生を好きになって、その後も後輩の女の子に興奮を覚えたり、当時は男性はセックスしか頭にないなどと見下したりもしてました。 男性を意識的に見る期間を過ぎて数年は、本当にレズかバイなのでは?と疑って同性愛について調べたり、バイセクシャルの知り合いに相談してました。 ただ、成人を過ぎて何年かするとやっぱり好きなのも身を委ねたいのも男性が対象で、同性には恋愛感情を抱かなくなりました。 セクシャリティはみんな違うのは自然だし、異性愛も同性愛もバイセクシャルも恋愛感情は皆同じですよ。 性的に興奮するだけが恋愛ではなく、恋愛感情がある性的興奮なら何でもありだと思います。

chariot0811
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そのように、私が誰を好きになろうと正解だと思えるようになれれば幸せですね。思えば私も、子供の頃から同性の親友に対する気持ちが異様に強かったりした事もありましたし、あなたの経験を聞いて少し心が軽くなるような感じがします。丁寧な回答どうもありがとうございました。

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