• 締切済み

文字、言葉の認識について

私は印刷物のデータを作る仕事をしていますが、文字の校正が苦手です。 これまで自分が甘えているだけでは?と思っていましたが、ぎもんがいくつかあるので、それについてどう思われるかお聞かせください。 どうも、文字の認識が少しおかしいように思います。 今混乱しており携帯の小さな窓で打ち込んでいて読みにくいかと思いますが、考え聞かせていただけたらと思います。 よろしくお願いします。 ⚫︎ひと文字ひと文字確認して行くのが苦手です。人の倍時間がかかります。 油断すると単語や文節の意味で把握してしまいます、 結果として意味が同じだったり、省略可能なひともじを省いたりしたものを見逃します。 子供の頃は今思い出せば部分的に速読だったようです。ページの上半分と下半分を見て頭の中でつなげるような。完璧ではありませんが。 今はブランク長すぎてうまくいきません ⚫︎逆に形の違いには敏感なところがあります。 中身のごちゃごちゃしたのは苦手ですが、アウトライン、フォルムの違いには敏感なほうです。 文字も注意すればするほどひと文字のフォルムにとらわれて意味が霧散します。 ⚫︎子供の頃から幼馴染は漫画や小説のセリフが頭の中で声になっているといっていましたが私は一度もありません。 声のイメージも抱きません。 ただぱっと文字を感覚で読み取るだけです。 自分の音読も邪魔と感じます。 ⚫︎逆にぱっと読み取れないものは行をなぞるのに時間がかかります。 なぞるほうに集中してしまい、意味の把握がおろそかになります。 音読すれば自分の声と文章との間に違和感を感じ混乱していると思います。 意味がうまく把握できません。 ⚫︎作文や小論文での評価は異様に高かったです。 ただ、感覚をそのまま猛烈に紙に写すだけで、感覚と紙との間に「自分の話し言葉」はありません。 この言葉を使おうと思ったことはありません。 何かが乗り移った感じです。 ⚫︎小学校3、4年だったと思いますが、国語の授業ですべてひらがなのプリントを渡され、できるだけ漢字にしてみましょうと言われ、完璧ではありませんが当時読んでいた小説レベルのものはカタチや構成要素(へん、つくりなど)として記憶から引き出し書いたことない文字でも書けました。 ⚫︎自分が多少変わっているのは思ったことを口にできない機能不全家庭に育ったためと思っていましたが、メンタル面はそれなりに立ち直れたのに、文字の認識が違うのかもという違和感が薄まるどころか強くなってきたように思います。 感じたままを話すことができなかった状態を克服したのに、今度は1日のうち2度も「会話についていけない」と言われました。いずれも親しい友人が根気強く聞いた結果です。 軽い付き合いの方の「感性の人だね」程度を含めるともっと増えます。 ⚫︎自分でも、昔評価を受けただけあって、文章を仕事用程度には書ける自信があります。 ですが、自分が感じていることをありのまま自覚して表現することを学んだ今、自分の感覚の語彙の少なさに面食らっています。 というか、感覚ですから文字ですらなく、瞬間的なもので文字や言葉として残りません。「つまんなかった!」程度です。なにがつまらなかったのか思い出すことも苦手です。 仕事では「経過を記録する」と割り切って多少違っても仕方ないので書くことしかできません。 なんだか要領をえなくてすみません。 努力でのカバーは怠りませんが、ひょっとして向き不向きがあるのなら将来見据えて作戦練り直す必要があるんじゃないかと考えました、 ご存知の方、アドバイスあるかたお願いします。

みんなの回答

  • HeyXey
  • ベストアンサー率27% (126/462)
回答No.3

 こんな風に並べられると、ある種のバイアスがかかります。いろんな現象の根っこが一つであるかのように考えてしまうというバイアスです。本当のところは、重層的な因果関係にあるにもかかわらずです。  しかし、だらだらと回答すると焦点がぼやけますので、オッカムの剃刀よろしく、なるべく的を絞って僕なりに回答しようと思います。  まず除外しなければならないのは、ゲシュタルト崩壊という万人に現れる現象です。まとまりとして意味を成すものでも、その部分を凝視するとばらばらになり崩壊します。校正という仕事が内包する難しさでしょう。  次に言及しなければならないのは、右脳と左脳の違いです。右脳は(どんな言葉を使用しているか憶えていないが)全体をパッと瞬時に把握し、左脳は逐語的に把握します。左脳だけでは処理しきれないスピードで音読すると、左脳・右脳の連携力が鍛えられるという話があります。パパッと右脳・左脳のスイッチが切り替わって、全体と部分、両方に眼が行き届くように成るかも知れません。  この質問文を読んで問題だと思うのは、独善的(=独りよがり)な言葉の使い方をしているな、という点です。他の人には意味が通じないのです。>印刷物のデータを作る仕事(具体的な仕事内容が想像できません) >アウトライン、フォルムの違いには敏感(文字のアウトラインなのか、文章の大意という意味なのか?) >感覚と紙との間に「自分の話し言葉」はありません(他者の文章の無味乾燥な要約は得意だが…という意味か?) などの箇所が僕には今一つピンと来ません。それこそが他の人と>文字の認識が違う ということなのでしょう。読んでいて、「客観的に他者に通じる言葉を選び出せない」ような印象を受けました。  こういった短所が努力によってカバーできるのか、できないのか。幼少期の成育歴に関係があるのか、ないのか。もしかして、遺伝的な欠陥があるのかどうか。そういう質問だと受け止めています。僕の考えとしては、右脳と左脳の共同作業が下手、みんなに理解される言葉を思いつかない、のだと思います。基本的に、ある程度は訓練で出来ると考えますが、生まれつきや成育歴に左右される部分も当然ながらあるでしょう。原因を一つに絞る必要はないのではないでしょうか。(この、ないのではないでしょうか、という表現、ゲシュタルト崩壊しそうな表現ですね)

noname#210533
noname#210533
回答No.2

いえいえ、少しイジワルですが、語彙も少なくないし、 要領を得ない部分もありません。 そして、それはあなたが注意深く文章を書いたから ですし、あなたにはそれだけの入念さがあります。 意地悪、と書いたのは、あなたがご自分の入念さに 正当な評価を得たいと願われていると、私には感じ られます、ということです。 褒めて欲しいんでしょう? うん、褒めてもらえるだけの文章ですよ。 と、直截的に書いちゃったら身も蓋も無いですね。 さて、ほぼおんなじ意味の内容を長く、もう一つは 短く書いて見ましたが、それぞれ別個の「感覚」を 含むことにお気づきでしょう。 これは只の私見に過ぎませんが、文章と言うのは 表と裏がある、と思うのです。 語彙が少なくても人の心を打つ美しい一句があれば、 私の様に、垂れ流し状態の駄文乱文も全く「裏」が 無い訳ではありません。 「裏」には、勿論、「裏の意味」という、単なる情報伝達の 手段としての文章・・・デジタルな捉え方ですが・・・の 他に、ニュアンス、感情などの「想い」と、そこから連想 される背景や予想、など 時間軸上にも空間的にも 広がりのある宇宙を内包しています。 色や匂い、肌触りさえ記憶から呼び起こされて 熱中するとあたかも今、自分がそれを体験しているかの ように錯覚さえしてしまう。 更に、静止画とも限らない。 短い俳句が、詠む人だけでなく読む人の心にも 動画の様に、切り取られた「ある時間の切れ端」をも 浮かび上がらせる。 でも、あなたのお話を伺うと、文章の捉え方というより 「画像」のように認識する脳の領域活動の方がメインに なっているようにも思えます。 夜、お一人で本を読んでいると、滑らかに行から行へと 視線を移すことが出来ずに、同じ一行を往ったり来たり 戻ったりした揚句、文字が「壊れて」ただの意味不明な 記号に見え始め、遂には紋様のように見えるようになって しまうことはありませか? そのうち、自分が何か、グランドキャニオンみたいな 高い山の上にいて、読んでいる本がまるで眼下に広がる 台地のような奇妙に巨大な遠近法の錯視のように見えたり したことはありませんか? 少なくとも、あなたの文章はとても読みやすいし、要点も きちんとまとまっていて意味不明な部分や曖昧な表現も 見受けられません。 とても読みやすいし、クールです。 、となると、あなたのご相談のポイントとしては、心の表現と しての「ことば」を紡ぐことが苦手だ、ということなのでしょうか。 少しだけ、アスペルガー気質でいらっしゃるのかも知れません。 機械的にコード解析をするように文章を書くことは出来るけれど、 「心象」を伝達する「言の葉」としては機能不全を起こしている 脳の領域があるようにも思えます。 私は医者ではありませんので、治験に関することは何も 書くことが出来ません。 ですので、別な角度のアドバイスを供えたいと思います。 「心象」を伝えるものは、言葉だけではありませんよね。 色、形、音、表情、ダンス。 絵を画く、設計図を描く、楽器を奏でる、歌う、踊る。 言葉は、文章は、表現方法としては、その一角を 担うに過ぎません。 心を伝える「機能」をご自分に付加するのではなく、 馬鹿の一つ覚えから始めて、それでよしと割り切り、 まずは非言語的に、自分で表現したい心象を捉える 別な手法を身に付けることをお勧めします。 ロボットダンスなど、お勧めです。 あれなど、「本物のロボットに見せる」ということを 通じて、人が「ロボットらしい」と思っている見方、 即ち、ロボット観という、反・人間のネガポジで 人間を表現している裏返しの表現です。 ロボットを演じ、本物のロボットに見えるよ!と 見る人が感動することで、あなたは逆に他人の 人間的な部分を観察し、知ることになります。 楽器を演奏することもあなたに役に立ちそうです。 もしかしたら、既にかなりの技量をお持ちの楽器が 有るかも知れませんね。 もしもまだでしたら、ピアノでもサックスでもいいから トライしてみてはいかがでしょうか。 楽器を演奏することは、例えぱピアノなどは両手で 別な譜面を引かねばならないから、少しづつ基礎を 積み上げていかなければ、そもそも曲になりませんが、 管楽器のような単音楽器であれば、とりあえず譜面を なぞれば一応のメロディは奏でられます。 でも、そこからが大変。 電子ブザーみたいなピープ音でメロディだけなぞっても 人の耳には「音楽」としては聴こえないですよね。 息の吹き方、アンブシャーなどのマウスピースの咥え方。 ヴィヴラート、そもそもの音色、リズム。 それらの譜面には殆ど書かれていないニュアンスを 追及して行くことは、上手なほかのプレイヤーの演奏を 深く聴こうとすることに他なりません。 他にも色んな「非言語」による表現世界がありますが、 それが色であれ音であれ動きであれ、表現する物は 人の感情と、その移ろいを通じて描き出す、世界や 時代、などです。 大きく言えば世界観、宇宙観、或いは死生観。 路傍に咲く名も無い小さな花弁の美しさに脚を止め、 一時見入る切り取られた時間は、逆に忙しく押し流されて いく、その人の日常を伺わせます。 街を離れて高野で見上げた漆黒の夜空と明るいばかりの 満天の星々の永遠に、逆に自分達の生の儚さを、寒い 夜風さえ感じさせる情景もある。 それらの心象風景を、あなたが見ているとご自分で 思えるのでしたら、それが色なのか音なのか、その 要素を探ることが、表現の第一歩になるのではない でしょうか。 随分遠回りになるかも知れませんが、非言語による 心象の表現、読み取りが出来るものを見つけたら、 それを語る人々の言葉や書かれた書物の一文を そっくり馬鹿の一つ覚えに取り込んでしまわれると 良いと思います。 表現と言うものは、互いに連動し合う部分がある ものですから、最初はバカの一つ覚えだった語彙も 最初は少しづつ、やがて加速して増えて行き、他人が シンパシーを感じて普通にやりとり出来るようにも なるでしょう。 今のあなたは、他人との心を伝え合う伝達手段が 確立できずに困って佇立しているように見えますが、 あなたから見て自由に心象を言葉に変えているように 見える他の人々も、実は中々思ったことを言葉に出来ず 悶々としていたり、自分でも自分の気持ちや心が良く 判らずに、感情や欲望に、現実というものに、押し流されて しまっているものです。 勿論、私も、その一人です。 沢山のものを伝えようとして、却ってボケボケになって しまい、ピントが合わなくなったり辻褄が合わなくなって 破綻してしまったりと、私の文章もかなり壊れています。 (自分で治療する意図で、私はここに時折書きこんでいます) どの道、完璧などという物が無い、この世界です。 欠点だらけの私達が、お互いに小さなひとかけを持ち寄って 小さなことでも「互いに判り合った」と感じられたら、それで 充分に言葉は交わされた、ということにならないでしょうか。 言葉の呪縛を離れたい。 でも、言葉で何かを紡ぎたい。 長い文章が苦手で、単語や文節の意味変換に縛られて 文章全体の構築が出来ないのは、音楽で言えば一つの 小節を繰り返してしまう、一種の「吃音」とも思えます。 吃音、とは「どもり」の事ですが、どもりの治療法を応用 することも効果的かもしれません。 小さな部分に拘ってしまって前に進めずに足踏みを繰り返して しまうのは、完璧主義という潔癖症の一形態かも知れません。 完璧主義は失敗を恐れて最初の一歩が踏み出せないことと 実は同義です。 怖いから、脚が踏み出せないことと、怖いから小さなことを 戻ってやり直そうとしてしまうことは、同じ不安心理から来る 同じ根っこを持つ心の機能不全です。 失恋が怖くて好きだと伝えられない。 鍵をかけたかどうか心配で、わざわざ家まで戻ってしまう。 大抵の人には多かれ少なかれ、こういう傾向はあるものです。 だから、病気、というかどうかも程度問題なのでしょう。 失敗してもいい、小さなことは適当でも良い、間違ってても 後でやり直せばいい、全体でまとまっていれば何とかなる、 起きてもいない、それが何かと言う自覚も無い不安や恐怖に 縛られている鎖を解き放つことが出来れば、どれだけ多くの人が 悩み苦しまずに生きることが出来るでしょう。 読もうとするから、意味をちゃんと捉えるようにしようと思うから 反って細かい所ばかりに縛られて読めなくなってしまうのならば、 いっそ1%頭に残ればいいやと割り切って、間を空けて何度も 何度も雑読み、読み飛ばすことの方が頭に残ります。 これは、私の方法ですが。 人の話もそうです。 自分もろくに聞き取れてなかったり覚えてなかったり。 でも、他人も中々どうして適当です。 憶えてなかったり、勝手な解釈をしていたり。 だから、最初から大して通じないと割り切って、その分何度も 同じ話を繰り返すことにしたのです。 特に仕事では、FAX送って電話で確認して、前日また電話して。 打合せで決まった事でも、あえて何度も確認する。 結局、その方が速いし正確でした。 質の良いものを追うのも一つの方法ですが、質より量も人生です。 勝手な見込みですが、私もあなたのご相談に共感する ものがあったので、回答をしたためさせて頂きました。 少しでもヒントになることがあれば幸いです。 ではでは。 ご縁あらば、またどこかの宇宙でお会いしましょう。

  • qadragon
  • ベストアンサー率10% (5/48)
回答No.1

人間はある程度誤字脱字があっても、文章が読めるようになっているそうです。一時期、ケンブリッジジェネレーターという、意図的に文章の一部を入替えて誤字脱字を発生させつつ、それでも読める文章を作成するツールが話題になりました。 例えば、こんな文章が作れれるそうです。 --- こんちには みさなん おんげき ですか? わしたは げんき です。 この ぶんょしう は いりぎす の ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか にんんげ は もじ を にしんき する とき その さしいょ と さいご の もさじえ あいてっれば じばんゅん は めくちちゃゃ でも ちんゃと よめる という けゅきんう に もづいとて わざと もじの じんばゅん を いかれえて あまりす。 どでうす? ちんゃと よゃちめう でしょ? ちんゃと よためら はのんう よしろく --- というわけであなたは異常ではありません。 しかし、編集の下っ端の仕事は向いていないかも知れませんね。 編集者ではなく、作家そのものであれば、編集者に入念に校正してもらえます。 編集者も門戸の狭い仕事ですが、会社員なのでまだ良いですが、作家はさらに門戸が狭く、会社員ではないので、なれる人が少ないですが、何か他の仕事をしながらがんばってみてください。 ファイト!

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