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人は自由になると孤独になるのでしょうか?
NHKのEテレでフロムの「愛について」という番組をみました。 そのなかで大学教授の人が「20世紀になって、ものが豊かになったおかげで一気に人間は自由になった。それと引き換えに人間は孤独になった」と言ってました。 人間は自由になると孤独になるのでしょうか? 20世紀より前の人の方が孤独ではなかったのでしょうか? すみませんが、お教えいただけましたら助かります。 よろしくお願いいたします。
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番組を見てないので、番組の話の趣旨と合ってるかどうかは分かりませんが 私の考え方として話を書きます。 物が豊かになると、洗濯機や掃除機・便利な調理器具や多くの移動手段などで 自由にできる時間が増えたり、好きなところへ短時間で移動して好きなようにできる自由を 謳歌できるようになってきました。 歴史的にみれば、ここ最近で一気に自由になったと言ってもいいぐらいの早さです。 一方、物が豊かにあるということは多くの物を得ることに夢中になったり 物を得るために人との繋がりより、物やお金を重要視したり ゲーム機やネットなど、一人で遊べるものが多く出てきました。 物が少なければ、生活の上で分かち合いが必要になってきますので (みそや醤油を隣に借りに行ったり、電話を借りに行ったり) 必然的に多くの人とかかわって行かないと、生きていけない状況になります。 物が少ない不自由さは、人との繋がりが必要性となり 好きとか嫌いとかのレベルでなく助け合いレベルとなります。 人とかかわり続けることで、愛も学ぶことになります。 人とのかかわりあいの中で、それなりの思いやりや情や多くの人間関係を学びます。 物が豊かになれば、かかわりあいの必要性は低くなるので孤独になりやすくなります。 不自由だと、強制的だとしてもかかわる必要があるけど 自由だからと言って孤独である必要は無いのです。 自由になった時間を、どういう人たちと繋がりを自ら作っていくか。 豊かで自由は、繋がりを自主的に創作していく必要はあると思います。 自由であればあるほど、周りに流されないで自律する必要は出てくると思います。 自由は自由度が大きければ大きいほど、自らで決めて自らで選択して行動することがセットになってますからね。 自分をしっかりと見つめて生きることが必要になってきた時代が今ですよね。
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一時的にはそうです。 だって、大半の人は不自由ですから。 自由なあなたに嫉妬するし、居心地悪いです。 でも、そうやっていろいろ去った後、同じく自由人との出会いがあります。 そして、人脈が格段に向上するでしょう。
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ご回答、ありがとうございます。 自由な心を持った方との出会い、人脈の広がりあればいいなと思います。 それには、自分も自由な心が持てるようにしたいと思います。 いろいろお教えいただき助かりました。 こころ感謝いたします。
自由=個人主義。 言い返れば、自我や自意識が大きくなり、人々を結び合わせる共通項の存在価値がなくなった。 自由=誰でも平等に、競争に参加できる権利がある。 言い返れば、負けることは全て個人の責任である。 No.1さんが言うように、 自由になった=一人で何でもできるようになった、ということであり、 それは同時に、何でも一人でしないといけない、ということでもあります。 自由と孤立は諸刃の剣、というわけです。 以下も読んでみます? 「続・悩む力/姜尚中」(集英社新書)
お礼
ご回答、ありがとうございます。 自由と孤立は諸刃の剣なんですね。 自由になったイコール一人でなんでもできるようになったということは、スマホひとつあれば、いろいろ人に聞かなくても、行き先をスマホが教えてくれたりするのでわかるような気がします。 昔は、近くにいる人に聞いたり、駅員さんに聞いたりしたんだと思います。 いろいろお教えいただき助かりました。 心から感謝いたします。
- hikaricom
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その教授様のいう「自由」という定義が如何なる物かによると思います。 厳密に自由の定義とは、精神性の意味に於ける「自由」でしょう。 「自由は孤独」であるという理屈は、良くわかりません。 なぜならば、自由とは不自由さを超えた能力の創造を意味するからです。 人と高い信頼を築くためには、もちろん人は努力や苦労を惜しまず社会の活動を通して、そこに生きる自尊心やそれに伴う安心というものを獲得しなくてはなりません。つまり、自分の義務を社会に果たしてこそ、初めて獲得し得るものが「自由」なのですから、自由が孤独という理屈は、なんともそれらしく聞こえはしますけれど真理ではないと私は考えます。その教授様のいう自由とは、「拘束されない」「制約がない」「制限がない」と言った概念を総括して「自由」という言葉で言っているのでしょう。 確かにルールなき遊びやゲームには、何ら楽しみも喜びも無く、空虚さがあるばかりです。 人と交わらなくともいい。いつ寝ても起きても良い。それは孤立を意味します。社会で人と何か建設的な活動を進めて行くとすれば、もちろん時間に制約が加わります。何かを生み出すために行動は制限されます。しかし、だからといってそれは「不自由」を意味する訳ではありません。 一日中、床に座り工芸品を作る職人の仕事は、大変厳しく制約された環境と工程の中で進められていくでしょう。 しかし、熟練した匠の精神は高い自由に到達しているとも見ることができます。 制約された中の自由です。 しかし、何と無く働き、何と無く生きられる野放図な環境では、安楽に生きられる分、人は孤独に陥り易いのも事実です。 その意味に於いて、自由(野放図)は孤独であるとも言えます。 しかし、真の自由とは、日々の絶え間ない努力と献身によって到達する境地ではないでしょうか。 自由とは、自由にコミュニケーションが取れたり、取らなかったりすることの出来る能力です。それは自由です。 自由とは、自由に人と楽しみや喜びを分かち合える能力であったり、孤独に自己に没頭することのできる能力のことでしょう。 自由とは、つまり自由なことです。 ですから、自由とは豊かさです。 しかし、規律や秩序の無い自由は混乱です。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 教授が言っていたのは、きっと電気製品が進化して時間的な拘束が減少した、しきたりにこうそくされなくなった、お金を得て買いたいものの制限が減少したなどという概念を総括して自由と言っているように聞こえました。 私も自由の定義は、まだ不勉強ながら、言われるように精神性の意味における自由だと思います 人と交わらなくていい、いつ寝ても起きてもいいというのは孤立で逆につらいくて、心の自由ではないように思います。 学校で授業があったり、仕事があったり、ボランティア活動に参加したりすると時間に制約がかかりますが、その制約を不自由と思ったことはありません。 自由と野放図は違うのですね。 自由とは心の豊かさのことなのですね。 いろいろお教えいただき助かりました。 心から感謝いたします。
幸せじゃない人が増えたから孤独も増えたのだと思いました。 幸せだったら孤独になんかなりません。孤独だから不幸だとも思いません。 本当の幸せは時間と共に健康的な日常を送れる事だと思いました。 健康が全てだと思いました。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 私も健康が一番だと思います。 お教えいただき助かりました。
- tonimii
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心理学には詳しくないですが、答えさせて頂きます! 一人でなんでもできるようになったということじゃないでしょうか? 高い所にあるモノを取りたいときに、背の高い人に頼むとか、ガッチリした人に肩車してもらうとか そういう細かいところで人と接する機会が多かったのに対して 今では脚立やマジックハンドみたいなのもありますからね。昔は一人じゃなんにもできませんでしたから。 最近私が孤独に感じたのは、親と何か疑問に思ったことについて話していると「ネットで調べてみたら?あんたパソコン詳しいんでしょ」とすぐに言われてしまったことですね。
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ご回答、ありがとうございます。 便利すぎるからでしょうか。 確かにそのような気がします。 お教えいただき助かりました。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 電気製品はたしかに食器洗浄機もルンバも自由な時間を多く作るのに役立っています。 新幹線も、昔はもっと遅くて、今は短時間で移動できるようになったと聞いたことがあります。 隣の人が電話を借りに来たり、お味噌を借りに来たという経験はありません。 隣の人との人間関係がほとんどありません。 物が少ないときは、好きとか嫌いのレベルではなく、お互い様ということになり助けあわないければ生きていけないのですね。 そこに人間とのかかわりが生まれてくるのですね。人間とのかかわりが生まれてくれば、そこで、思いやりや情などの人間関係を学んだのですね。 自由だからだといって孤独である必要はなく、人とのつながりを自主的に創造する必要があるのですね。 自由度が大きければ大きいほど、自分で決めて、自分で選択して行動していくことがセットになってくるのですね。 自分をしっかりと見つめて生きていけるようがんばりたいと思います。 いろいろお教えいただき助かりました。 心から感謝いたします。