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自己評価と他己評価の相違からの性格の変化

私は4年前に大学に入学したころは、しっかり周りに合わせて、謙遜をしながら協調性を重んじて生活してきました。 僕は自己主張のしないイイやつにはなりましたが謙遜をし過ぎてよくなめたような態度をとられるようになりました。 高校の頃の友人はそんな性格の僕でもを学業や部活、恋愛の面で尊敬してくれてお互いに認め合い尊敬し合うような関係でした。 しかし、僕は相手の良いところを認めようとしているのに相手は自分の方が優れていると疑わなく、ただ謙遜しているだけだとこの人たちはつけ上がるだけでなめられるだけだということに気づきました。 その結果、僕は人に合わせるようなことをせず、いつも自分の方が能力が上であると見せつけるようなある意味攻撃的な性格になりました。 その結果、もともと長身の上、体重は10kg以上増え、筋肉質で力強くなりいつも自分の強さを疑わなくなり、学業の面もほとんどの課題でトップに近い成績をとるようになりました。卒業設計も周りは後輩をお手伝いに取っているにも関わらず、僕は一人で全てをこなし誰にも頼りませんでした。就職活動もびっくりするほどうまくいきました。 つまり、相手の良いところを認めて上手く世渡りしていこうというスタンスから、相手に見下されたら僕が実力で上に立ち、逆に見下してやろうというスタンスに変わったわけです。 しかし、僕の性格の変化、攻撃的な性格から友人は離れていき、限られた友人2、3となり孤独にはなりました。 孤独には苛むようになりましたが、この変化は僕の中で成長と捉えています。 といいたいところですが、みなさんからみてこういう変化はプラスマイナスどちらへの変化だと思いますか? 読んでいただきありがとうございました。

みんなの回答

  • gouzig
  • ベストアンサー率25% (536/2078)
回答No.4

becumosさんのご質問内容をゆっくりと読みました。 感じるのは、「謙遜をしながら協調性を重んじて」と「ある意味攻撃的な性格になりました」は両極端ですね。 両極端は良くない面がたくさん出てきて結果はよろしくありません。 やはり人間は中間がいいと思いますよ。

noname#202739
noname#202739
回答No.3

どっちもどっちです。 自己犠牲は自分を粗末に扱っている。 いまは他人を粗末に扱っている。 どっちも人を軽く扱ってることに変わりありません。 見下しちゃいけないし、なめられてもいけません。 理不尽な時は言うべきことを言って、後はいちいち他人と比べないことです。 でも、成長の流れとしてはいいと思います。 両極端を経験すれば、自分なりの軸が見つかるでしょう。

回答No.2

まだまだ成長の過程ですね。 言ってることは、いじめる側になるか、いじめられる側になるか、どっちがいいか? ってのと同じです。 どっちもよくないですよね(笑) 経験して今の形になったのだと思いますから、これからもまた経験して変わっていくと思いますよ。

  • demerger
  • ベストアンサー率26% (152/578)
回答No.1

未熟。 まぁ、成長過程の一つですが・・ そんなことは・・せめて義務教育の過程で学んで卒業しておくべき事でしたね。 我を張って潰され(幼稚園・小学校 期) 謙虚をモットーとして潰され(中学校 期) 腕力・能力に頼って制覇したつもりのお山の大将(高校 期) そうした過程を経て、大学では 自我の有り方、他人の尊重の仕方のバランスを考え、 学業にいそしみ、自己能力の発揮によって、 相互に尊敬し合える「真の友」を得るモノなんですが・・。 ちょいと・時期がズレたようですね。 まぁ・・順調に成長過程をたどっているようなので、 就職先では、きちんとお山の大将からは降りてきて、 自我の有り方と他人との距離感をバランスよく測り、実績で尊敬されながらもチーム力を調整できる力を発揮してください。 職場で生涯の友や、尊敬してくれる後輩・部下に恵まれることもあるでしょう。

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