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「霊」「聖霊」「霊魂」とは 科学的には何の事?

宗教に限らず 霊 と呼ばれてきたもの は何もなかったのでしょうか? それとも現実の何かを霊・聖霊・霊魂と呼んできたのでしょうか? スピリチュアルの人とかもよく言いますよね 「そんなものはない」で説明できるでしょうか? 目に見えないけど性質を持つもの。 空気などと違って物質としての見えないものじゃなく  生霊 等と言う様に 肉体に宿り、または肉体を離れて存在する と考えられる精神的実体 広辞苑によれば霊とは「たましい」「たま」 一体これはなんでしょう? 霊とは科学的には何でしょう?

みんなの回答

回答No.11

霊魂を、「肉体に宿り、または肉体を離れて存在すると考えられる精神的実体」と定義した場合、現代科学で扱うまでに至るには、精神や意識とは何かが科学的にわかってこなければなりません。 最近のNHKスペシャルでやっていましたが、多くの人が急激に意識が変化するような事柄がおきると、量子の動きに変化が起きることが、実証されつつあるらしいですね。プリンストン大学のロジャー・ネルソン Roger Nelsonによる世界意識計画 GCP: Global Consciousness Projectといわれるもので、確率的に量子の動きから0か1を出す乱数発生器を世界中に設置してあります。起こった出来事と、乱数発生器の確率の乱れを観測しています。 このことから、精神や意識は(多くの人の精神や意識が同時に変化すれば)、量子の動きに影響を与えうる存在である、とは言えるかもしれません。二重スピリットの観測問題も、人間の意識ではなく観測に関するだけのものとの解釈は、間違っていた可能性があり、やはり意識は量子の現象に影響を与えていたことになりそうです。 精神や意識自体が、科学的には、まだまだ謎なのです。

  • eld3399
  • ベストアンサー率4% (16/345)
回答No.10

中性的なものと言われています。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.9

「追憶」か。

yuniko99
質問者

お礼

クリミナルさん 書き込みありがとうございます。 霊が 追憶か という事でしょうか 確かに霊という言葉は古いのかもしれませんね 意味を取り違えてたらすみません どうもありがとうございます。

回答No.8

yunikoさん こんばんは。 学生時代、生物の研究をしていたものとして回答してみます。 生命とはいったいなにか? これは現在の科学でも解明されてません。 生物学の歴史を遡るとAD2世紀頃のガレノスによって、アリストテレスが唱えた霊魂の存在が物質であるとして、「精気(プネウマ)」となずけました。 このプネウマという言葉は、ギリシャ語で風、空気、聖霊と訳されるようです。 その後この生命の源である精気の特定を長い間、調べられましたが、やっと実験で、この精気説が否定されたのは、16世紀のハーヴィまで待たなければなりませんでした。 私の私見ですが、おそらく、西洋ではキリスト教の思想の影響が強く、創世記でアダムが神から息を吹きかけられて生まれたということから、生命の源として精気が追求されたのではと考えてます。 さて現在によって本当に生命の源である精気がないか? 物理学でも、やっと最近になって宇宙の誕生の重力波とか、物質に質量を持たせるヒッグス粒子などわかってきて、まだ未知の生命の源の物質である精気があるかもしれませんよ。 そのようにわかってないことを考えることがロマンです。

yuniko99
質問者

お礼

生命の源 精気ですか 私が思うに精気は物質の持つ性質から生まれて 進化するDNAを中心とした有機体の循環こそが生命ではないでしょうか? そして生命から脳に精神が発生し 霊と言うものもそれらに関係があるのではないでしょうか? 3連休にロマンの花が咲くといいですねえ 精気ですね どうもありがとうございます。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.7

一体これはなんでしょう? 霊とは科学的には何でしょう? ○わかりやすく言えば、一種の電波ですね。携帯電話が世界中で何億と使われていますが、目に見えないけど、電波としていろんな考えや会話が乱れ飛んでいることは概念的にわかりますね。それと非常によくにたものですね。思考エネルギー自体は4次元以上の次元を持っているので、3次元空間の電磁波と少し違ってはいますが性質はよく似ているということですね。エネルギーですから、集中、発散などができるわけですね。集中すれば塊として存在し霊魂と呼ばれますね。発散すれば存在領域で表すことになりますね。思考エネルギーですから発散すれば人間的見方で言えば,何体にもなれるということですね。仏教で千手観音という呼び名がありますが、発散していろんな役目を同時にこなしている状態のことですね。こんなのが摩訶不思議観として伝わっていますね。

yuniko99
質問者

お礼

人の頭で考えたことが電磁波の様に発信されているのでしょうか? 幻聴というのはそれをキャッチしたのでしょうか? 集中、発散すると一つになったり沢山になったりするのですか? 私にはついていけないですねえ ご説明は分かりました 霊とは不思議なものですねえ。 どうもありがとうございます。

  • michael-m
  • ベストアンサー率50% (2725/5435)
回答No.6

科学的に研究した人はいますけど、国際的に認知された「霊の定義」は存在しません。 つまり自称科学者が「霊とはこういうものだ」と言っているのは仮説にもならない個人的見解に過ぎないんです。 なので「霊とは何か」を科学的に説明することは不可能という事です。 霊が存在しない事を証明するためには、まず霊というものが何であるかを世界中の霊を信じない研究者、霊を信じる研究者や実行者が納得できる定義を構築しなければなりません。 或いは一定の定義を与え、それを否定しておいて、その定義から漏れる例外についても一つ一つ否定していかねばなりません。ところがこの根本となる定義すらないのですから、科学的に否定することは出来ません。 例えば霊視を考えて見ましょう。よく霊視は夢と同じように脳が勝手に作り出した映像だといいます。その根拠となるのは脳に刺激を与えたら草原が見えた的な実証です。 ところが見るというのはどんな状況でしょう。見るということは『脳が認知する』ことです。つまり実際のものも霊的なものも脳が認知しなければ見えません。だからそこに差は無いんです。 では両者の差はなんでしょうか? 目で見たものと見ていないもの?それは視神経を介してという事ですよね。 ところが現在では既にカメラで撮ったものの信号を直接脳に与えて物を見させる実験が進んでいます。将来は電線を介さず電磁波として送ることが期待されています。 もし目で見ていないから霊は存在しないというのなら、この最先端科学で見えるようになった人は何も観ていないことになります。つまりそんな安直な事ではないんです。 霊というのはそのものの本質であることは間違いないでしょう。簡単に言えば「私」生まれたときから姿形が変わっても、それこそ肉体があっても無くても変わらない私の本質。それが魂であり霊だということです。 魂と霊の解釈も感じ本来の意味から俗説まで様々ですね。日本と中国との解釈も違うようです。 まだまだ結論どころか推測もままならない不可思議なものとしか言いようがありません。

yuniko99
質問者

お礼

霊と言うのは心内現象なんですかねえ? 魂といえば山にも魂がある様な気もしますよねえ 生き物の精神が意識とは別に主体を持ってるんですかねえ? 霊視というのは夢と意識の間にあるような気がします 霊視で兵隊たちの死体が見えるって言いますが 幻覚でも見てるのでしょうか?半意識的に見る幻覚? どうも大変ありがとうございます。

回答No.5

 物質・対・精神  精神世界のことで、霊と表現するとそれは“生き物”に備わる心(精神)を云うと思います。  無機物にも霊が宿るとか云って、そう視る場合もありますがその場合でも“霊”と云う言葉に“生”を意識できそうです。  神の霊、なんていう場合でも“生きている神”を感じます。  そう思うと、霊とは「精神的生命・精神の生命」或いは「精神の生命活動」なんて言ってみたくなります。  科学は物質の世界を物質的手段を用いて、物質の仕組みを解き明かそうというものだと思うので、つかみどころのない精神を科学で解明しようとしても、それを例えて云えば“箸で空気をつかもうとするようなもの”でしょう。  でも、科学が精神の「存在」を証明しそうなところまで迫ってきてもいるようですね。  最近の記事で細胞自体が記憶能力を持っているらしい事を知りました。興味深いです。  生命体の記憶能力はもしかすると、生命体となってから備わったのではなく、もともと各細胞が記憶しているものの総合能力、なのかも知れません。  肉体が異物を拒否する反応などからも、それと知られます。  

yuniko99
質問者

お礼

成る程頷ける話です。 体で憶えるというのは反射ですかねえ 脳以外に心があれば 意識できない生霊が潜んでるとも・・・ ただ心と霊はそんなに違うんですかねえ? どうもありがとうございます。

noname#215306
noname#215306
回答No.4

霊?、、科学なんて一応どうでもいいのでは? 既に随分以前にでも紹介済みですかね?、文字数制限・ 分割で長文ですけど?、気が向いたらお読み下さい、、 因みに身内の物質化は他にもありました 私の親戚の間で、昔起こった、不思議な話 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1038581690 私の親戚の間で、昔起こった、不思議な話2 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1138581771 私の親戚の間で、昔起こった、不思議な話3 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1438581819 私の親戚の間で、昔起こった、不思議な話4 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1238581882

yuniko99
質問者

お礼

私は凡人ですから 物質化というのは分からないですねえ 昔は双子とか三つ子は忌とされてましたから 成長した三つ子が演じた芝居なのではと思ってしまいます 霊が物質化すると言うのはそういう突拍子のない事は無理なのでは? どうも貴重な話 大変ありがとうございます。

回答No.3

 No.1です。  ★ つまり神は心に拠るものと考えますが 神があるという心の人もいれば 神など知らないと言う心の人もいる  ☆ わたしの考えを述べます。  神は もしこのように《人間の心によって》神があるとなったり 知らないから無いとなったりするのなら それは 絶対なる霊なる神ではなく 人間の思考や想像によってこしらえられた観念であるとなります。  神は 人間が要らんと言おうが好きだと言おうが わが心のなかにいるのだと思おうがそんなものはまやかしだとつよく批難しようが つまり人間がいかに神をたたえても・けなしても 〔神は〕何とも感じません。痛くも痒くもありません。それが 神です。  この神を あると言っても無いと言っても どちらも同じことです。《無い》と言う場合も無いと言いつつ それとして神に触れたことになる。触れたと言っても その中身は 分からないはずです。わが心なる非思考の庭においてというかたちで その《否定して触れたこと ないし 肯定して受け容れたこと――つまり どちらもそういうかたちで〈信じた〉こと――》になります。

yuniko99
質問者

お礼

神様って石の地蔵さんおようですね^^ 肯定しようが否定しようが確かにそこにある 叩いても水をかけてもなんともない 僕は生まれつきの無宗教、無神論ですが、カトリック幼稚園に1年間行きました。 天にまします我らの神よ アーメン と言うと 神様がいるような気はします。 神様は観念ではないんですかねえ? どうもありがとうございます。

  • mojitto
  • ベストアンサー率21% (945/4353)
回答No.2

まともに科学をしている人なら、霊などが存在するという人に対して反論することならあれど、否定も肯定もしません。 そもそも霊の定義はなんなのさ?という話です。 だって霊が存在するという人同士ですら、議論になるでしょ? そんなものを科学では扱いません。

yuniko99
質問者

お礼

霊かどうか知りませんが 神と呼ばれる現象?心象?がなんなのかも哲学が明らかにしなければならないでしょう ただ 霊 と言うのは神よりも共通に世界で使われてる言葉であり 現象だか心象だかわかりませんが 何か在ると私は踏んでいるのです。 それに関して科学でも哲学でも考えや知識をお持ちの方にお聞きしているのです。 どうもありがとうございます。

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