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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:論文のまとめ、どうすればいいのでしょうか?)

論文のまとめ、どうすればいいのでしょうか?

このQ&Aのポイント
  • 人権侵害の現状とその問題点を論じる
  • 人権獲得の歴史と難しさを考察する
  • 矛盾や妥協点を見つけて人権を守る方法を示唆する

質問者が選んだベストアンサー

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  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.6

 提示された文章を拝見しての第一印象ですが、「思う」との言葉が目に付きます。この言葉は論文では禁句です。 なぜなら「論文」を定義するならば、先の回答者様が適切にお応えになっていらっしゃるように、「自らが課題を設定し」「それをデータや資料(史料を含む)に基づいて」「先行する研究の成果を踏まえて」「その資料なりデータの整合性も検証しつつ」「自らの結論を過不足なく論理的な形で反証性および再現性といった合理性に基づいて」導くとの筋立てが最低限求められます。  従って、データや資料そして専攻研究の成果を客観的な対象として観察するならば、そこから「思う」の言葉は出て来ないはずになる。  この文面からすれば、 (1)「人権」をどう定義するかが不明確であり、具体的に示されていない。  このことは論文全体を左右することになりますので、その部分が先ずは評価から外れることとなる (2)突然にイスラム文化圏の事例を引用するが、その特殊性と「人権の一般的定義(恐らくは西欧的価値観に基づくそれ)」との関係が曖昧。 (3)その上で筆者が問題とするのが「人権」か「人権獲得のための歴史的背景」をテーマとするのかが曖昧。 こうしたことから論文の体をなさず、中高生が思いつくままに書いた私的な文章と同じにしかみえません。今、卒論を作成しているならば、昨年から幾度か指導教員による進行状態に関するチェックなども入っているはずですね?。その時にどの様なアドバイスを受けましたか?。それを看過したり黙認してきた教員ならばボンクラともいえます。 【具体的な補足】 >あちこちに矛盾を抱え、同時にある程度の人権侵害を認めながらも、妥協点を見つければいいのではないかと思うのです  これが実現できていたならば、誰も苦労はしません。イスラム原理主義やアルカイーダによるテロ行為が従来の「戦争の定義」や「帝国に関する概念の再検討」をもたらしたこともご存知のはずです。そうした基本的な部分から勉強し直すことが必要です。  これは殊キリスト教的価値観とイスラム教的価値観の対立との問題に限らず、アメリカが抱えているアメリカ的価値基準と社会主義諸国が持つそれとの違いにも表れております。そうした極々身近にある情報すらも目に入っていないならば、社会科学領域で論文を作成することには疑問符を付けざるを得ません。

19980825
質問者

お礼

長い文章を最後まで読んでいただきありがとうございました! とても参考になります!!

その他の回答 (5)

  • yuklamho
  • ベストアンサー率26% (305/1156)
回答No.5

40代の男性です(研究職)。別に論文の達人ではないのですが、文章を書く上で私なりのアドバイスをさせてもらいますので、納得できる部分があれば参考にしてください。 まず、論文を書くということは“質問(命題)を立ててそれに対する答え(結論)を導くこと”です。 あなたの場合は 質問が“世界中には様々な人権侵害があるがそれはどうやって解決することができるのだろうか?” 答え“人権を完全に守ることは出来ないから、どこかで妥協しましょう” ということですよね?そしたら、次の作業は、“どうして人権を100%守ることが出来ないのか(因みに、誰が守る?国家?)”の理由を明確にすること、そして、“妥協する”の意味をはっきり述べることです。 『今現在、人権侵害は世界各地に存在します。』 どこの国、どの社会でも区別から始まってそれが差別になりそして人権侵害になるような行為はあります。ですから、あなたにとっての人権侵害の定義をはっきり述べた方がいいと思います(人権侵害と聞いて人それぞれ思い浮かべるイメージが違いますから。人寄っては表現の自由と人権侵害が結びつかない人もいるかもしれません)。“拷問、虐待、不正な裁判、表現の自由の制限”それとも世界人権宣言? それから“拷問、虐待、不正な裁判、表現の自由の制限”がどれくらいの国で行われているか述べられていますが、その出典(引用文献)を実際の論文には書いてください。 『しかし、このようなことが果たして起こっていてもいいのでしょうか? いいえ、そんなわけ絶対にありません。』 どうして起こって良いわけないのですか?その理由は? あなたからすると、そんなの常識だ!というかもしれませんが、それなら“人権侵害は絶対にいけないことだ!”と言っておきながら“人権を100%守るのは無理だからある程度は我慢(妥協)しようね!”と言うと、実際に拷問や虐待を受けている人からすると“何だコイツ、ふざけんな”ということになりませんか? 『僕は、人権を守るのが「難しい」のではなく「できない」のだと思いました。 理由は、人権は人類の人権獲得の戦い、つまり歴史から獲得されたもまだからです。』 “歴史から獲得された”の具体的な例なり詳しい解説がないとあまりに抽象的主観的な印象を持ちます。 『それと、イスラム圏では、女性の侵害が問題になっています。』 宗教のことを取り上げる時は十分な注意が必要です。“イスラム教の教えがもと”ということはあなたはイスラム教の経典を読んでそこに女性の人権侵害に繋がるような記述を見つけたのでしょうか? あなたからするといちいち細かいことに煩いなーと思われるかもしれないけれど、“女性蔑視を完全になくそうとすると、この場合、イスラム教の教えが弊害になります”という以上、その発現に責任を持たなければなりません。因みに、女性蔑視と女性の人権侵害は同じなのですか? 論文の書き方からは逸れますが、キリスト教で女性の神父さんや牧師さんって観たことないですよね?それはキリスト教では女性と男性では役割が違うということになっているのです。差別ではなく区別。それは女性のキリスト教徒も納得していて、もし女性の方が日曜日の礼拝でみんなの前で講話をすると女性信者も含めて離れて行くことがあります。仏教でも男と女では扱いが違いますよね? つまり、何が言いたいかと言うと、イスラム教では女性は蔑視されているとあなたが思っても当のイスラム教徒の女性たちがそう思っているとは限らないのです(勿論、あなたが実際にイスラム教徒の女性たちを取材して彼女たちの悲痛な叫びを聞いたというのなら納得できますが)。 『しかし、女性の権利を守ろうとすると、同時に、個人は自由に宗教を選択という人権を阻害することになります。』 ちょっと第3者の立場で考えてみてください。もし、ある女性がイスラム教の教えに共感して自分の意志で信者になった。その教えはあなたからすると女性蔑視の思想があり女性の権利(人権のこと?)を侵している。でも、その女性にとってはそれが彼女の生きる道だと思っている、だから入信したのでしょ? 一方で、国の人殆どがイスラム教(キリスト教でも良いのですが)、家族も勿論イスラム教、だから私も選択の余地なくイスラム教徒になったけれどとても辛い!でも辞めることは許されない女性もいるでしょう。これは思想・宗教の自由? 女性の人権とか宗教選択の人権とかいろいろな視点で物事を言おうとするからややこしくなるのであって性別や思想を問わず一人の人間として社会の中で生きていく上で守られるべき権利(人権)と考えればすっきりするのではないですか。 つまり、あなたの文章は全体的に主観的過ぎるのです。だから、結局結論が分らず、“妥協しようね!”という曖昧な表現になってしまい、あなた自身もどこかおかしいなと思うのだと思います。論文なのですからもう少し理屈っぽく書かれた方が考え方が違う人が読んでも納得できるいい論文になると思います。

19980825
質問者

お礼

参考になりました。 返答ありがとうございます!

19980825
質問者

補足

とても参考になりましたが、 僕にとっては少し内容が難しかったです。 僕は中三なのでもう少し簡単な内容でお願いします 本当に申し訳ありません僕の理解力不足で・・・

  • masazai
  • ベストアンサー率36% (55/150)
回答No.4

済みません、長文になります。 あなたは卒論を書いているのですか?小論文を書いているのですか? 小論文ならオチをつけずにこれで終わっても構わないでしょうが、卒論だとしたら、問題だらけです。 第一に。 あなたは「世界の人権侵害」について書きたいのですか?それとも「イスラーム圏における女性の人権侵害」について書きたいのですか? 第二に。 あなたが書きたいのが上記のどちらであれ、資料集めが甘い気がします。 何故 「イスラム圏では、女性の侵害が問題になっています。 しかしこれは、イスラム教の教えがもとになっています。(アラーの教え) つまり、女性蔑視を完全になくそうとすると多くのものが弊害になります。 この場合、イスラム教の教えが弊害になります」とおっしゃるのですか? あなたがキチンとした資料を集めていないことがこれだけで分かります。 私もイスラーム圏で起きている人権問題を悲しく感じています。 何故だかわかりますか? それは「イスラームの教え」を知らないバカな権力者が力ずくで人権侵害を合法化したり、ある地域では学者が権力者の太鼓持ちに成り下がって権力者の思い通りになるよう法解釈を歪めたり、ある地域では真っ当な学者の主張を潰して権力者の意見を法律で可決したりしているからです。 例えば。 クルアーンに(今から1400年も昔にまとめられたものに、ですよ)女性の財産は丸ごと女性の財産、男性の財産は自分と家族のもの、と定められているのに、女性の財産を当たり前のように食いつぶす男性がごまんといます。 クルアーンの中で女性の取り分が男性より少ないので、これを男尊女卑だ、という人もいますが、女性は自分の取り分を自分の財産として丸ごと貯めて置き、身を寄せる父なり夫なりに養ってもらう権利があるので、女性は本来全く損しないことになるんです。 よくインドやイスラーム圏で女性の名誉殺害が問題になっていますが、こんなことイスラームでは定めていません。 万が一それが姦通罪が適用されるものであれ、その場合はきちんと当事者や目撃者から状況を聞き出してから判決となります。 女性が男性と話していただけで、女性が名誉殺人で殺される、などあってはならないんです、イスラーム法上でも。 姦通罪でも、イスラームでは、例えば未婚女性が既婚男性に強姦されたら、加害者の既婚男性は死刑、被害者の未婚女性は無罪です。 それなのに多くの場合、告訴した女性が名誉毀損材で訴えられる国や、加害者男性が無罪(あるいは鞭打ちの刑のみ)で、被害者女性が死刑、という、イスラーム法に反することがまるでイスラーム法であるかのように行われています。 マララの登場で「女性の教育の権利」が主張されていますが。 イスラームでは女性の教育を決して禁止していません。 ちなみに。 あのマララのいたパキスタンでは、昔から公立学校はほぼ無料(多分現在は一ヶ月の学費は生卵一個と同額の2、3ルピー)です。男子でも女子でも。 アフガン空爆前のアフガニスタンですら、外国人記者が「女子校はないのですか?」と英語で尋ねたら「not yet(まだだ)」と答えたのに、日本語字幕は「ないね」でした。設備(女子教員による女子学校)ができないから「まだだ」と言ったのに、それを日本語で「(そんなの)ないね」なんて訳すなんて、おかしいと思いません?ニュースステーションでの映像でした。 結婚も、女性の意思に反する結婚は無効とされています。クルアーンの次に法的根拠として引用されるハディースにあり、これは有効な権利です。 それなのに父親が勝手にどっかの爺さんに中学も卒業していないような娘を嫁に出す、という例があちこちにあります。 今回アフガニスタンでは今回「家族の女性を男性が殴っていい」という法律が可決されました。 大笑いです。そんなことイスラームでは言っていません。 これ(女性を殴っていい)の根拠としてクルアーンの4章34節を引き合いにする人がいますが(ネットで検索してみてください)、タフスィールと呼ばれるクルアーン注釈(本文には書かれていない解説書)の、この節に関する解説には、「決して叩いた跡が残るような叩き方をしてはいけない」とあるんです。つまり「殴る」なんて論外なんです。 それなのに「女性を叩くのは男性の権利だ。クルアーンでも保証されている」とほざく男性がごろごろいます。 イスラームでは姦淫は大罪です。 それなのに自分の妻や娘に売春を強要する男性がイスラーム圏にいます。あの尊厳高いアフガニスタン人にもかなりいるようです。 この売春強要被害やDV被害を訴える女性の口封じのために、今回の法律が可決されたようです。 ちなみに。 日本語で検索した場合の記事に「議員たちは当初、多くの国で承認されているように、女性が証人となることのみを禁止する考えだったが」という文面がありますが(たとえばこちら http://japanese.ruvr.ru/2014_02_05/128333437/ )、オリジナル記事のguardianの記事には(こちら http://www.theguardian.com/world/2014/feb/04/afghanistan-law-victims-violence-women )そんな文章はありません。 それに、たとえ本当に「女性が承認となることを禁止する」国が沢山あったとしても、イスラーム法上「経済的問題(財産等)の証人として、2人の男性の証人、もし2人の男性が証人として集まらない場合は、1人の男性と2人の女性」とあるように、女性にも証人となる権利はありますし、経済的問題外での争いでは、女性ひとりでも充分証人となり得ることがクルアーンの中にも書かれています。 姦淫といえば。 何年も前にパキスタンでムフタール・マイという女性の告訴が問題になりました。 彼女の弟が村の女性にちょっかいを出したことが裁判となり、判決で、この件に無関係の加害者の姉であるムフタール・マイが公衆の面前で集団強姦されました。 この村はムスリムだらけの村です。でもこの村の権力者が大バカだから、こんな馬鹿げたことを「村の決定」として行ったのです。 説明がとても長くなってしまい、本当に申し訳ありません。 しかし、もし卒論を書くならば論点をどこに置くかをきちんと決め、キチンとした資料を沢山集めてから卒論を書いていただきたい、と書いた理由が理解していただけたら嬉しいです。 そうしたら自ずと最後のまとめの文章も決まるのではないか、と思います。 ご健闘をお祈りしています。

19980825
質問者

お礼

とても参考になりました! 最後まで読んでいただきありがとうございました!!

回答No.3

質問者さんの思想の根底には、西洋的(キリスト教的?)人権が善、イスラム的人権が悪という考えが見えます。 今の世界の対立のほとんどが、この一方的な価値観の押し付けに由来していることを感じていますか? イスラム教的人権の功罪についての記述を含めればグッと厚みが出るのではないでしょうか? 私はイスラム教もキリスト教も信仰してはいません。

19980825
質問者

お礼

返答助かりました!

回答No.2

欧米先進国は勿論のこと、我が国にも、「拷問や虐待」、「不正な裁判」がある。そして、報道機関も商業主義(スポンサーの意向)から完全に離れることは出来ずに、「表現の自由」が制限されているという事実を承知すべき。 我々は先進国であるなどという自惚れがあってはならない。そして、曖昧な「妥協点」を主張していては、論文とは言えない。たとえ、実現不可能だとしても、理想を大きくかざしてこそ、そういうものを学生の書くべき論文という。 宗教だけの問題と考えるのも、如何にも短絡的。 宗教の否定は、いわば、地域性、血縁性(親兄弟)の否定であるので、それを否定することは、アイディンティティの否定であって、言われた人にとっては、死ねといわれたに等しい。で、全世界的にテロを誘発する。それまでの人生の後ろ盾であった「思想・哲学」、「生き様」を捨てよと命じるほど残酷なことは無い。残酷さを強いると、その反作用として、残酷なテロとなって跳ね返って来る。宗教問題を一旦脇に置いての解決策は、果たしてあるか否か、というのが貴方の課題。

19980825
質問者

お礼

返答ありがとうございました!

回答No.1

こっちの質問はとてもわかり易いですね。 そこまで書けているのだったら、もう後戻りはできないでしょうから論文にインパクトを与えてみましょう。 最後の章に、インタビューを加えるのです。 おそらく質問者様は大学生だと思いますが、学校に来ているムスリムを捕まえて、今まで書いた論文を読んでもらってその感想を加えるのです。 そうすれば、あなたの書いた信じられないほど陳腐な論文が、誰しもが読んでみたいと思わせる素晴らしいものに生まれ変わります。間違いありません。 がんばってくださいね。

19980825
質問者

補足

アドバイスありがとうございます! とても参考になりました。 ちなみに僕は、中学三年です。

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