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ショーペンハウアーの「音楽は意志の直接の客体化」っ

urigadai2013の回答

回答No.2

ショーペンハウワーの主著「意志と表象としての世界」によれば、理性(表象)は意志の道具にすぎず、世界の本体は意志だといいました。 世界はその意志の描く軌跡にすぎない。 例えば男が女を追いかけるのは理性によるのではなく、人間の内なる生物的な「生きようとする意志」に基づくものだ、といいます。 生物は「種」を残すことが至上命題で、個人の幸福・不幸なんか考慮しない。 そして「生きようとする意志」は生存競争を引き起こし、自分が生き残るためには他者を抹殺するしかない。 強いものだけが生き残り、弱いものは淘汰される。 だから「生きようとする意志」は人間に苦悩をもたらす、と考えました。 苦悩から救済されようと思ったら、「生きようとする意志」を否定するしかない。 その意志を否定するものが、芸術なかでも音楽と宗教でした。 音楽は理性に基づくものではなく、感情に基づくもの、人をして高揚した気分にしたり、また穏やかな気分にしたりします。 理性を介さず、直接的に意志を、その強さ、弱さを表わすもの、しかも意志を否定して大きな生命に目覚めさせてくれるもの、意志を超越的な天国にいざなうもの、平安をもたらすものです。 植物でさえ、音楽を聴くと成長が早まるといわれています。 音楽は意志そのもの、意志を体現したもの、意志の客体化、です。 音楽を聴いて個人の自我よりももっと大きな生命に触れることで、「生きようとする意志」を否定できる、つまり個人的なそれを否定できる、それがショーペンハウワーの考えでした。 芸術作品の効用は、それによって崇高な気分に私たちをいざない、個人的な意志を乗り越えて、それよりももっと大きな生命に目覚めさせることにあります。 「言葉の中で意志が客体化される」のではありません。 言葉は理性ですから、意志は言葉を介さず直接的に感情に訴え、そして感情は音楽の発信者も受信者も共通に抱くものですから、どちらの側でもありません。 音楽そのものが意志の現われ、意志の客体化です。

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