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ショーペンハウアーの「音楽は意志の直接の客体化」っ

ショーペンハウアーの「音楽は意志の直接の客体化」って言葉の中で意志が客体化されてるのって音楽を発信する側ですか?それとも聞く側ですか?何か調べてもよくわかりません。どなたか教えてください。

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回答No.4

> 意志が客体化されてるのって音楽を発信する側ですか?それとも聞く側ですか? ではなくて、「音楽そのもの」が、ということです。 なんでこういう読み違いがおこるのかなあ、とちょっと考えたんですが、たぶん質問者さんは、ショーペンハウアーのいう〈意志〉を理解していなくて、「誰の意志が客体化されているのだろう?」と思ったんですね? 残念ながら、これはそういうことではないんです。 ショーペンハウアーは〈意志〉という言葉をかなり独特につかっています。そこに注意。 わたしたちは「進学の意志」みたいに、目的や願望、意図あたりの意味を込めてこの言葉をつかうのだけれど、ショーペンハウアーは、あらゆるもの(非生命体も含めて)の根源にある、形を取る前のエネルギーみたいなものを〈意志〉と呼びます。人も、ネコも、水たまりや石ころや、死滅した星も、〈意志〉の具象化である、と。 わたしたちには見ることも聞くことも、想像することすらできない世界で、ある種の衝動がある。それが〈意志〉です。わたしたちが目に見、ふれたり感じたりするあらゆる現象は、そこから一部が発展して、その内部で生命が出現し、さらにそうした生命を形成する物質の一部がさらに変化を重ね、人格や精神を発達させたもの。すべてのものはそうした階層構造にある、といいます。 ショーペンハウアーは、このようにしてつくられた現象界を、四階層の客体(無機物を底辺とし、その上に植物、動物、人間となっている)からなるとみなし、芸術はそれぞれの〈意志〉の客体化の特定の階層に関連している、とします。 底辺には、自然界の無機的な要素、石や土や水を主題とする芸術、すなわち建築がある。 〈意志〉の客体化の第二階層(花や樹や植物全般)にある客体をあらわすために必要な媒体は、絵画です。 三番目の動物の階層にあがると、動物の体や立体感や重量を表現するという意味で、彫刻がより効果的に表現できる。 そうして、第四にして最高位の階層、人間の感情の起伏や、人生の推移、人格や人間関係や個人の運命ということを表現できる媒体として最適なものが戯曲である、と考えたのです。 ところが、音楽だけはこうした現象界の理論にあてはまらない。もっと抽象的で、現象界にあるものを表現することなく、〈意志〉の直接的なあらわれである、といいます。 「音楽の与える効果がほかの芸術の与える効果よりも格段に強力であり、またはるかにしみいるように感動的であるというのもまさに音楽が意志それ自身の模写であるせいにほかならないのである。ほかの芸術は影について語っているだけだが、音楽は本質について語っている」(『表象としての世界の第二考察』第五十二節 西尾幹二訳 中央公論社) これが「意志の客体化としての音楽」ということになるかな、と思います(ほんとは「物自体」とか「現象界」とか「イデア」とか端折っているので、相当粗っぽい説明になってます。まあ、こんなふうな話でっせ、という程度の理解にとどめておいてください)。

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その他の回答 (3)

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.3

こんにちは。 それ以上でも、それ以下でも、ないでしょう。

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回答No.2

ショーペンハウワーの主著「意志と表象としての世界」によれば、理性(表象)は意志の道具にすぎず、世界の本体は意志だといいました。 世界はその意志の描く軌跡にすぎない。 例えば男が女を追いかけるのは理性によるのではなく、人間の内なる生物的な「生きようとする意志」に基づくものだ、といいます。 生物は「種」を残すことが至上命題で、個人の幸福・不幸なんか考慮しない。 そして「生きようとする意志」は生存競争を引き起こし、自分が生き残るためには他者を抹殺するしかない。 強いものだけが生き残り、弱いものは淘汰される。 だから「生きようとする意志」は人間に苦悩をもたらす、と考えました。 苦悩から救済されようと思ったら、「生きようとする意志」を否定するしかない。 その意志を否定するものが、芸術なかでも音楽と宗教でした。 音楽は理性に基づくものではなく、感情に基づくもの、人をして高揚した気分にしたり、また穏やかな気分にしたりします。 理性を介さず、直接的に意志を、その強さ、弱さを表わすもの、しかも意志を否定して大きな生命に目覚めさせてくれるもの、意志を超越的な天国にいざなうもの、平安をもたらすものです。 植物でさえ、音楽を聴くと成長が早まるといわれています。 音楽は意志そのもの、意志を体現したもの、意志の客体化、です。 音楽を聴いて個人の自我よりももっと大きな生命に触れることで、「生きようとする意志」を否定できる、つまり個人的なそれを否定できる、それがショーペンハウワーの考えでした。 芸術作品の効用は、それによって崇高な気分に私たちをいざない、個人的な意志を乗り越えて、それよりももっと大きな生命に目覚めさせることにあります。 「言葉の中で意志が客体化される」のではありません。 言葉は理性ですから、意志は言葉を介さず直接的に感情に訴え、そして感情は音楽の発信者も受信者も共通に抱くものですから、どちらの側でもありません。 音楽そのものが意志の現われ、意志の客体化です。

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回答No.1

記号が意味を持つのは、「共有」による。 空気の振動に実効性がある訳がない。 その信号において、発信する側と受け手の脳内に 共通の概念や感情を励起する事が前提なのだ。 ケニアに住んでいた時、ビールを頼んだら、 「バリディかモトか?」と聞かれた。 『バリディ』は冷たい・寒いを意味するスワヒリ語 なので分るが、『モト』は炎や熱を意味する単語だ。 『え!ビールをお燗するのか!?』と驚いたが、 普通の冷やしていないビールの事だった。 灼熱のケニアでは、放っておくと熱くなるからだ。 (ケニア人は冷蔵庫に慣れていないので冷たい 飲み物で下痢するのでそう聞く) ブータンに住んでいた時、「乾燥した」という形容詞は 「カープ」だったが、それは同時に「新鮮な」も意味した。 日本だと、新鮮なものはみずみずしくて、古くなると 干からびるというイメージだが、ヒマラヤ山中で年の 半分が雨期のブータンでは、「新鮮=乾いている」と いう単語になるのだ。 ちなみに乾燥したケニアで「新鮮な」は「ビチィ」で 「湿っている」も意味する。 「発信する側」と「聞く側」に共通のもの(共同幻想)が なければ、『客体化』もしようがない。 もちろん、ケニアやブータンの例は極端で、実際は 地球環境や人類の遺伝形質の共通性によって、 芸術は普遍性を持っているように感じるものだが。

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