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戦国武将はなぜ外交の使者を斬らないのか?

eroero1919の回答

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  • eroero1919
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回答No.13

戦国大名というのは、武官であると共に政治家でもありました。だから、政治家らしく「使者を斬ることで政治的にメリットがある」なら斬りますが、そうでないならのべつまくなしに斬るだなんてことはしないものですよ。あえて斬るのは、斬ることによって家臣団に戦うことは不退転であるとアピールする意図があったり、それで家臣団の士気が上がったりするからです。 他の方も指摘していますが、使者を斬るということは、外交ルートそのものを絶つという意味があり、一般的にそういうのは政治家としてはデメリットが多いです。例えば、上杉謙信はご存じのとおり武田信玄や北条氏康と激しく戦ったわけですが、武田信玄が今川義元の討死で南進策に変わると休戦し、北条氏康との間では関東制圧が無理と判断すると休戦のうえ氏康の息子を上杉景虎として養子に迎えました。 今、敵対していたからといってずっと敵対するとは限らず、また今同盟しているからといってそれを永遠だと信じるほどお人好しでもないのです。 今でも、コッカイの政治家さんたちはやれ選挙協力だ野党集結だとかいって離合集散をくり返していますでしょ。それと同じなんですよ。選挙って、合戦と同じじゃないですか。殺し合いではないというだけであって。 戦国大名の間では人質みたいなのは結構重要だったのです。例えば城攻めをしたとき、これ以上持ちこたえるのが難しいという場合はよく開城交渉がされました。多くの場合、条件は「城を明け渡す代わりに城兵の命は助ける」というものです。備中高松城の戦いのように城主が切腹するなんてのはむしろまれで、多くは城主も含めて命を助けるというケースが多いです。特にすごく重要な城でもないなら、オセロみたいにお互いが取り合うことも珍しくないですからね(例:長篠城や高天神城)。 で、そういう場合、城兵としてはいちばん怖いのは城門を開けたら「ウソだよ~ん」とかいって攻め込んできたり、あるいは城を明け渡して帰るところを後ろから襲われることです。だから、攻める側から城兵側に人質を出すのが決まりでした。多くの場合、人質は適当なところで解放されたようです。こういう場合も、もし人質を殺してしまったら次の戦いのときに「お前らは人質を殺すから、全員ぶっ殺してやる」となったらデメリットのほうが多いですよね。 戦国時代初期の朝倉宗滴さんが語ったといわれる記録が現代に残されていますが、それには「武士ってのは犬だとか畜生だとかいわれても勝つのが重要なんだよ」とか「占いで日が悪いからとかいう理由で出陣しないとかやるんじゃねえよ。勝つか負けるかは神意で決まるんじゃねえんだよ」なんて言葉が残っていて、そういう話が残っているということは逆にいえば「そういう勝ち方って武士的にカッコよくねえよな」とか「今日は日が悪いから出陣はやめよう」なんてことがよくあったってことですよね。 だからよく映画やドラマなんかじゃ合戦の後に死屍累々となっていますが、私はたぶんあれはウソなんじゃないかと思っています。だいたい人口が現代よりはるかに少ないあの時代にあんなに殺し合いをしてたらあっという間に人がいなくなってしまいます。それに普段は百姓であることが多い足軽なんかは、戦場で死んだら単なる死に損です。戦場で成り上がろうと思ってるフリーの武士なんかはやる気満々でしょうけど、足軽なんかは「死んでまで頑張る気はさらさらない」のです。だから足軽兵が多かった織田軍は弱かったのです。状況が不利だとなるとみんな逃げちゃう。どうも、みんな逃げちゃうくせに他に行くところがないからしばらくたつと「また雇ってください」って戻ってくるみたいです・笑。で、織田軍も人がいないと困るから結局そういう奴でも雇わざるをえなくて、だからそういう奴らでも真面目に戦えるように槍を長くしたり、飛び道具である鉄砲を積極的に取り入れたりしたのです。刀と槍なら槍、槍と鉄砲なら鉄砲を選ぶでしょ。 父から直接聞いた話なんですけどね。学生運動が華やかなりし頃、学生のデモ隊と警察の機動隊が衝突したってことがしばしばあったわけです。これって合戦ですよね。で、当時は田舎から動員されたおじさんのお巡りさんなんかがいたわけです。デモ隊は学生が中心だから若い。それで、衝突したところでは押したり引いたりしたのですが、そういうとき、相手側の一角を崩すためにお巡りさんを引っ張ったそうです。で、おじさんのお巡りさんがいるところだとおじさんは若い人には力で勝てないからそういうところが狙われる。 田舎からヘルプにきたおじさんお巡りさんは哀れデモ隊に引っ張られて引きずり込まれる訳ですね。おじさんお巡りさんはやっぱり興奮してるデモ隊に引きずられるから怖いので「助けてくれェ!」っていうらしんです。で、デモ隊としても田舎のおとっつあんを半殺しにしてもたいした意味はないんですね。万が一度が過ぎて死んじゃったら大変だし。だから、引きずり込んだおじさんお巡りさんはみんなでどんどん後ろの方に送ってっちゃうんだそうです。で、適当なところでポイッと捨てられる。おじさんはその流れに抵抗せずにいれば大けがもしなくて済むわけです。 だから昔の合戦というのもそういうものだったと思いますよ。たいして名のあるお侍さんでなければ、おじさんなんか放っておけ、足軽なんていくら首をとっても金になんないんだから蹴散らせばよい、てなもんだったと思います。 実際、「雑兵物語」には足軽の誰かがペットとして飼っていたネズミが逃げて騒ぎになって、それが大騒ぎになったら敵襲と勘違いして全軍総崩れになった、なんて話が残っています。なんか大騒ぎしてるぞ、何事?え、敵襲?敵襲らしいぞ。やべえ、戦う準備してないよ、あっ、隣の陣が逃げ始めた。やばいぞ、俺たちも逃げ遅れたら大変だ、ここは逃げよう、ってなもんだったと思います。

writerman75
質問者

お礼

朝倉宗滴さんのご高名は存じています。(主に信長の野望で…… そうでしたか。そんなこと仰っていましたか。 非常に勉強になります。ご回答ありがとうございます。

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