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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:評価が不当な戦国大名・武将)

評価不当な戦国大名・武将

このQ&Aのポイント
  • 戦国時代の武将の評価には偏りがあります。一部の武将は過剰な評価を受けたり、逆に低く評価されたりしています。また、創作物が史実と混同されることも問題です。
  • 史実に基づかない創作物が、武将の評価に影響を与えることがあります。武将の実績や功績を無視して、創作物のイメージが評価の基準になってしまうことは不当です。
  • 特に戦国時代には多くの武将が活躍しましたが、その中でも一部の武将が注目を浴びずに評価されていないことがあります。これらの武将の実績や貢献を見直し、公正な評価を行う必要があります。

質問者が選んだベストアンサー

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  • Streseman
  • ベストアンサー率24% (131/542)
回答No.1

基本的には、人気のある武将さんは概ねインフレ傾向の高い評価でしょうね とにかく、講談の類や江戸時代に編纂された史実性無視の歴史書の類に依拠した戦国時代の人物像が多いのも不当でしょうね >あなたが知る不当な評価をされている大名、武将を教えてください。 どう不当なのか、どんな事をした人なのか詳しいほどありがたい。 BEST5でいいですか? 1位:最上義光  とにかく陰謀好きのイメージが先行している。しかも、史実として破綻している俗説がまかり通って悪評が先行している 2位:大道寺政繁  小田原征伐で北条に離反したことで悪評が大きい。裏切りに対する現代的イメージを根底にして、当時の一所懸命の武士道・士道の類の意識での評価が皆無。川越発展の最功労者とも言えるのに・・・ 3位:蘆名盛氏 4位:有馬晴純  5位:陶晴賢  >高すぎる評価、低すぎる評価、若しくは「無視されすぎじゃね?」とか、なんでも結構です。 なお、当方好みが戦国時代に偏っておりますので、そのへんはお察しください。 高すぎる評価:中部・近畿・越後長尾家方面はインフレ評価すぎる 低すぎる評価:東北・関東 >と言いつつ、北関東の某大名は評価が低すぎ&無視されすぎ。とか書いてみる。 北関東って地味なんだよね。佐竹・那須・宇都宮・結城・小田・壬生・成田とか・・ 北条が比較的評価が渋いケースが多いので、北条に蹂躙されるのは必然的に評価が低いんだろうね 佐竹義重・結城晴朝・那須資晴・大関高増・大田原晴清・菅谷政貞・菅谷範政とかいぶし銀なのが多いのに・・・ 上州はね・・色々とあってね・・・ でもね・・一番不幸なのは、織田家に蹂躙された上で、地味な伊勢国人衆だと思うw >もちろん、史実が新たな発見によって変わっていくのはいいんですよ。 でも創作物をまに受けて捻じ曲げるのだけは勘弁して。 残念だけど、史実主義者って「ヲタク」扱いで、KY扱いなんだよね 三国志なんか顕著だけど、日本の歴史は講談などの大衆芸能の影響が中国と同じで顕著すぎる そして、その大衆芸能の影響を更に加速させたのが、某歴史シミューレションゲームの大手メーカーw 思うんだが、本当に人名にしろ、いい加減なのが多過ぎる ”立花道雪”なんか、当人は全く自覚してなかっただろうしねw あと、戦国時代は、どうしても信長時代がメインになってしまう。尼子経久の全盛期も魅力的だし、太田道灌の時代の関東三国志なんかも凄く魅力的だし、どうも、大衆の歴史嗜好は偏りがあって、好きになれない そういえば、”直江状”について酷評した研究者が知己にいるのだが、悪意を買ったようで・・ゲフンゲフン 研究も金がかかるので、越後長尾家好きパトロンの激昂を受けて在野となったww 蛇足すぎた・・すまそ ちなみに、北関東扱いは微妙だが、下館の水谷正村がかなり好きw

missshitsumon44
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 最上義光ですか。確かに極悪非道の権化みたいな書かれ方ですものね。特に伊達派や上杉派の人に・・・。 こういう人物にもっと光を当てて欲しいものですね。 某シミュレーションゲームについては納得です。知識のないところにあれがドーンと入ってくるわけですから、誤って刷り込まれてしまうのでしょうね。 ですが、とっかかりとしてはとても良いツールだと思うので、それ自体は個人的には肯定的なのですよ。(ゲームが面白いという意味ではないですが。) 創作と史実の境界を、受け入れる側がはっきりさせて置けば問題ないと思うのです。 しかし今日日歴史を疑って見る人が減った気がしませんか。海外では特にひどいようです。脱線失礼。 下館!! 水谷正村!! 実は私、近所に住んでいますが、地元の武将は余り解っていなかったりして・・・。m(_ _)mスミマセン いあ、勉強になります。

その他の回答 (4)

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.5

・立花宗茂 戦国ファンでは名前は知られているが、一般への認知度が低い。「陪臣だから」というのなら、大河の主人公になった直江兼続に負けるのはまだしも、片倉景綱や山県昌景、本多忠勝や島左近や大谷吉継より知名度も人気も負けているというのはおかしいでしょう。 部下の人望も抜群な上、守れば無敵、攻めれば必ず勝つ。しかも相手は戦国チートである島津軍とどこにケチをつければいいのか分からないほどです。 ・福島正則 「槍一本でのし上がった猪武者で、家康にまんまと乗せられてむしろ豊臣家を滅亡に導いた」という扱いで、まあそういえばそうなんだけど加藤清正も同じのはずなのに清正公になれなかった人物。でも本当は部下思いの優しい人。広島城を改易されるとき、家臣は幕府の使者に対し当初は「聞いてねえ。俺らは福島正則の部下だ。文句があるなら戦ってやろうじゃねえか」と男らしい啖呵を切ったが、結局従うことになると混乱することもなく一糸乱れずに立派な引き渡しをしたそうな。家臣団への教育が行き届いていた証明で、そのあまりに武士らしい態度に各大名家から再就職の引く手あまただったとか。 社会人として働くと分かりますが、自分一人が名声を立てるより、部下を育てる方が何倍も難しい。

missshitsumon44
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 立花宗茂ですか。渋い。^^ 関ヶ原敗戦組でも稀有な大名復帰の実力は伊達じゃないですよね。 最近のビジュアル系戦国もどき格闘ゲームのせいで奥さんの誾千代さんの方が人気があるとかないとか。頑張れ婿養子!! 福島正則も関ヶ原の戦後処理されてしまった人物ですね。惜しい。 本来なら広島県は福島公だったハズなのに・・・。 広島と言えば毛利。毛利というば長州。長州といえば会津と犬猿の仲。福島公が健在だったら架け橋になれたのに・・・などとむちゃくちゃな三段撃ちならぬ三段論法を展開してみました。ハイ、酔ってます(・。・;

  • Yelm
  • ベストアンサー率19% (63/324)
回答No.4

戦国武将とは言いがたいですが黒田忠之を挙げます。 黒田騒動を引き起こし創作では「主家滅ぶべし(滝口康彦)」などで「暗君」として描かれる事が多いですが、実際には平和な時代に入っては無意味となった戦国時代の槍働きで大きな領地を得て、半独立領主として藩政にも影響力を行使する有力家臣の力を削ぎ、藩主権力の構築に尽力していた人物です。 このため当然ながら家臣団は不満を高め、それがお家騒動を引き起こし、また家臣達の悪評により「暗君」とされてしまいましたが、もし忠之が有力家臣の力を削がなければ、当時改易された最上家や加藤家と同様、黒田家も有力家臣同士の内紛のために改易の憂き目を見る危険性がありました。 確かに領地を削減され、権力を奪われた家臣から見れば忠之は「暴君・暗君」でしょうけど、彼は立派に藩主としての勤めを果たし、黒田家が幕末まで生き残る土台を固めたと評価すべきです。

missshitsumon44
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 これ、何処の大名も頭を痛めたことと思います。 家康なんて「過ぎたるもの」とまで言われた本多忠勝を左遷してますしね。 「狡兎死して走狗烹らる」 嫌な話ですが、これやらないと無駄飯食らいの役たたず家臣が多くて財政が傾くのは必定ですからね。 現在のように功績に対する報恩が一代限りであればこんなことをしなくても良かったんでしょうがね。(一代限りでも弊害が多いのはこの際目をつぶるとして・・・。)

回答No.3

太田資正 川尻秀隆 真田信幸 羽柴秀勝 豊臣秀長 彼らは過小評価されています

missshitsumon44
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 羽柴秀長、真田信之などは結構評価が高い気がしますが、まだまだ過小評価のようですな^^。 よかったらどんなところとか書いてくださると嬉しいです。

回答No.2

代表格は小早川秀秋じゃないのかなぁ 優柔不断・裏切り者など評価は最低 実態は、最初から東軍支持だし、遅れたのは若しかしたら赤座・朽木などを説得していた可能性がある。実際、彼らは小早川と共に西軍を攻撃しています。 朝鮮出兵では敵将を16人も自ら討ち取るほどの豪将 身長も190cm超える巨漢です 小早川の重臣・稲葉正成は、本来は外様なのに譜代格が与えられ、最終的に10万石の大名になっています。春日局の功績もありますが、破格の待遇であったのは事実であり、それが徳川の小早川への評価ではないでしょうか

missshitsumon44
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 成程、小早川秀秋とは。 義父の小早川隆景は大好きですが、こちらには確かにあまり目がいってませんでした。 やはり色々な人の話を聞いてみるものですね。 ところで、・・・秀吉が毛利本家に養子として送り込もうとしたのを、小早川隆景が自分の養子にしたいと懇願して阻止した(毛利を守った)・・・と言う話がありますが、実際のところどうなのでしょう。

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