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靖国神社と「英霊」

靖国神社について色々意見がありますね。 私は、先の戦争で戦没した方々に対し、畏敬の念を表明することは大事だろうと思います。 しかし、彼らを「英霊」として祀る必要はあるのかなと疑問に思います。 これはあくまで私見ですが、死後の魂など存在しないと思いますし、亡くなった方々も、「英霊」にはなっていないと思います(ですから、私は祈りや墓参りも一切しません)。 ただ、だからといって戦没者の方々の死が全く無意味であったとは思いませんし、彼らの死を噛みしめて生きるべきと思います。 質問ですが、靖国神社に「英霊」として祀る必要はあるのでしょうか。

みんなの回答

  • at9_am
  • ベストアンサー率40% (1540/3760)
回答No.10

> 質問ですが、靖国神社に「英霊」として祀る必要はあるのでしょうか。 祀ろうという心を持っている人にとっては祀ることは必要です。質問者氏にはないかもしれませんが、質問者氏にないからといって、祀ろうという心を否定するのはどうかと思います。 靖国神社自体、色々言われることはありますが、単なる宗教法人に過ぎません。 日本の神社は、少し調べれば過去の人物や犠牲者を祀っている神社が沢山あります。 個人でいえば、例えば天神様だって菅原道真を祀る必要があるのでしょうか。白峯神宮だって崇徳上皇を祀る必要があるのでしょうか。東照宮は徳川家康らを、豊国神社は豊臣秀吉を、建勲神社は織田信長を、明治神宮は明治天皇陛下を祀る必要があるのでしょうか。 集団でいえば、例えば護国神社は殉職した自衛官・警察官・消防士等ですが、彼らを祀る必要があるのでしょうか。丹那神社はトンネル工事の犠牲者を祀る必要があるのでしょうか。治水神社は治水事業の犠牲者を祀る必要があるのでしょうか。

  • lions-123
  • ベストアンサー率41% (4360/10497)
回答No.9

NO-7ですが補足質問が有りましたので分る範囲でお答えします。 >つまり、靖国神社は無宗教だということでしょうか? その割に、靖国神社には「英霊」がいると書かれていますが……。 「英霊」を祀ること自体が悪いとは思いませんが、「英霊」のように宗教色の濃いものを「記載されているだけ」と主張するのは欺瞞だと思います。 いいえ、靖国神社は明治天皇が国難に殉じた方や明治維新時の新国家の創設に命を捧げられた方々を鎮魂する為に御造り命名になった東京招魂社が起源であり、神社神道で御霊を慰霊する神社です。 また、英霊と言うのは英雄の霊とか戦死された方々を狭義に呼称されるのではなく、我が国では死者は神となって八百万の神と同じく万物に宿り子孫の安寧を見守ると言う信仰に基づく「死者の霊魂」の敬称です。 身分階級や宗教宗派や性別てを分け隔てなく霊璽簿に記載して慰霊しているのです。 >死者の死を噛み締めることと、彼らを「英霊」として祀ることは別物だと私は質問文に書いたはずなのですが。「英霊」として祀ることが死者の死を噛み締めることになぜ繋がるのかという根拠が必要だと思います。 特に英霊と言う必要はありませんが、御霊を英霊と同意語とすれば良いと思います。 ただ、異国のように、死者も敵性であれば、勝者の都合で、死者をムチ打ち、墓を掘り返し、骨を砕き焼き撒き散らす、報復怨念を恐れ三族にまで根絶やし粛清する国・国民性・思考とは異なります。 我が国には、例え罪を犯した人物でさえ、死を以て贖罪し、その霊は神となると信じられている・・・その信仰・考え方を以て参拝する自由も参拝しない自由もあると申し上げているのであり、誰彼でありその参拝を強制束縛されないと思います。 まして、異国に同調・賛同を求めるものでもないが、同じく異国からの干渉や非難も心外・誤解に基づく横やりだと思います。 多くの意見や考えはあるでしょうが、私は国・政府を代表して、国民の一員or代表として安倍総理が参拝するのも同じ意味でごく自然な総理ご自身のお考え・心情から行動だと思います。 >私見を述べれば、靖国神社は西郷隆盛が祀られていなかったりと、人選に「政治的」作為を感じますね。 真に「英霊」を祀るというなら、犠牲者を皆祀るべきだと思います。 そういう考えもあると思います。 しかし私は、政治的作為はあっても、それは靖国神社が全ての死者の国立墓地では有りません。 千鳥ヶ淵・各地の護国神社・慰霊碑・教会・平和公園etcがあり、毎年、武道館での戦没者慰霊や原爆の日の平和記念式典・個々人の命日や盆の法要が有ります。 死後の世界や御霊が集う中に、ジャンルと言うか、分類が行われていても、社の中の静謐平穏に資するとの考えであります。 少なくとも、維新の朝廷側と幕府側を分けるのは御霊のお気持ちを忖度しても、参拝する人の心情からもベターな選択・区分だと思います。 勿論、後世の歴史や時間経過の中で、意味合いや分離が違和感のあるケースも一部発生しておりますが、それは個々の墓所・菩提寺・護国神社・教会等で宗教宗派やご家族の意思で然るべき所・慰霊方法でお祀りされていると思います。

  • shiren2
  • ベストアンサー率47% (139/295)
回答No.8

つまり、礼を知らないということでしょうか。 礼とは「意思を行為によって表明すること」です。 墓参りをしない場合、「その死者に対する追悼の念はない」と言外に示したことになりますが、 これは敬語を使わない場合、「その相手に対する敬意はない」と言外に示したことになり、失礼に当たるのと同じ理由です。 英霊が靖国神社に祭られているのは、靖国神社が主に軍人の霊を祭っているからです。 祭る理由、参拝する理由は、それが追悼の念や畏敬の念を示すための礼だからです。 他の方法で礼を行えるなら、靖国に英霊として祭ることは必須ではありませんが、日本は文化的にそういう方法で礼を行っています。

  • lions-123
  • ベストアンサー率41% (4360/10497)
回答No.7

>靖国神社に「英霊」として祀る必要はあるのでしょうか。 靖国神社に対して、少し誤解があるように思います。 日本国の安全安寧に尽くされ犠牲となられた方々(戊辰戦争やそれ以降の戦争)を霊璽簿と言う和紙に、宗教宗派や身分階級や性別に関係なく、等しくお名前を記載されているだけです。 その方々の集う場、由縁の者が訪ねる静謐な社です。 従って、遺骨は存在せず、それぞれの方の故郷・墳墓の地や寺社に、あるいは無念にも帰国を果たせず遠き大陸や密林孤島、南海の海底に今なお望郷の想いで待って居られるのです・・・ 靖国神社は 先入観なしに、色んな意味での全国各地にある護国神社の一社であり、国の為に尽力し命を捧げ犠牲となられた御霊を祀った杜である。 そこに、遺骨は無くとも、多くの方(男女や年齢や身分の違いを分け隔てなく)を祀り国家としての崇敬の念と慰霊を行い、将来に不戦・平和を祈願する所だと思います。 そして、由縁の人が、多くの同胞が、慰霊の心でお訪ねする場所だと思います。 子孫としての近況報告、受け継いだ者として、感謝の心で尊崇の念を述べ平和祈願の為に参拝する社でもあります。 そのような厳かで静謐な御霊がおわす社、遺族や関係者が参拝する場所を⇒政治利用する者も、批判の為の批判をする報道機関、我が国の宗教観や人生観に外交カードにしたり内政干渉する中韓の姿勢にも疑問を持ちます。 「靖国神社」を政争の具や外国への迎合追従のプレゼント・ご機嫌取りに利用は許せない! まるで戦争犯罪人を祀った戦争賛美の軍事化の象徴のように忌み嫌ったり、特別な周辺国に配慮し秘匿するような悪しき所・巣窟扱いは、尊い犠牲となられた先人・御霊に対し誠に申し訳なく恥ずかしい。 死者に御霊に非礼・冒涜する事になり、ご家族や関係者への心無い非情な発言、同胞として恥ずかしい心根だと思います。 参拝する自由も、参拝しない自由もあり、それは国民一人一人の思想信教信条の自由であり、歴史観や価値観にも繋がる事かもしれないが、他国や特定の政治団体等から参拝の自由&不参拝を束縛強制干渉される事では決してないと思います。 誰でも、心ある人が、参拝できる時に参拝していただけば良いのであり、殊更に誇示・喧伝する事柄ではないと思う。<総理等の参拝はSPの問題が有り、ある程度の広報と準備が必要と思うが、なるべくは立ち寄る程度に済ますのが混乱を避け、心情・本意にも叶うのでは・・・報道は参拝後に首相の動静欄に、ニュースで参拝・慰霊の事実のみを結果報告で十分> 靖国神社は250万余の御柱の眠られている静謐な杜である。 戊辰戦争:3,588柱以降 その後の佐賀の乱・西南戦争・日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦・満州事変・支那事変・第二次世界大戦で戦死・傷病死された方々。 安政の大獄や禁門の変に倒れた方々、吉田松陰・橋本左内・坂本龍馬・高杉晋作・頼三樹三郎・真木和泉守・清川八郎・武智半平太・中岡慎太郎等の維新の志士、従軍看護婦を始め、沖縄で戦没したひめゆり・白梅等の七女学校部隊、樺太真岡の自決殉職された電話交換手の女性の御祭神も57,000余柱、小・中学校の児童生徒。 シベリア抑留中に死亡された軍人軍属方々、戦争終結時に責任を負って自決された方々、戦争犯罪人として処刑された千余命名の方々(その後、国会での全会一致による名誉回復・人権尊重の主旨で昭和殉難者と呼称)・学童疎開で潜水艦に撃沈された対馬丸の学徒・空襲下で軍需工場や防空防火活動中の爆死者等、私たちの先人であり、今日の安寧の為に身を捧げられた方々である。 このように、我が国には死者は神仏になって土に還る、そして現世の子孫を見守って下さるとの思い、慰霊と感謝の気持ちから、由縁の方々を戦死・戦傷病死された軍人・軍属ばかりでなく、民間の方、女性や児童も含めて多種多様な御祭神をお祀り申し上げているのです。 そして、御霊の由縁の方々は日本全国に津々浦々に遺族・戦友・関係者が居られます。 明治天皇が命名された「やすくに」には「国を平安(安の字は靖に通ずる字)にし、平和な国をつくり上げる」というお心が込められている。 そして、霊ジ簿と言う和紙に一人一人の神様(死者)の名前を記し綴じ納められている、遺骨を納め祀っているのではない。 その神・仏戸成られた御霊は→祖国永遠の平和とその栄光を願いつつ、掛け替えの無い尊い生命を国に捧げられた同胞たちで、これらの方々は身分・階級・職業・年齢・性別等にかかわりなく等しく祀られているのです。 個々の方々の遺骨は故郷や由縁の地に埋葬されており、靖国神社は戦友・同志・献身の人々の魂が霊ジ簿に記され、集い、国の行く末を見守り、子供や孫が後事を託した私達の訪ねて来るのを楽しみに待っていて下されている。 その御霊・英霊が静謐なる杜におわすと信じるからです。 そんな靖国神社を、戦争遂行のシンボルだった、軍国主義の復活への道だ、A級戦犯が合祀されている、他の宗教信者である、A級戦犯(我が国に戦犯は居ない国会でも全会一致で名誉回復:昭和殉難者とした)は出て行けの分祀合祀論、中国や韓国がクレームetcで参拝拒否?は信じられない。 誰のための誰が祀られた社なのだろうか・・・愛する国家・家族の為に身を捧げ、犠牲となられた方を国家が国民が(無論、天皇陛下や皇族の方々も含め)今日の平和を感謝し、これからも不戦を誓うのに、家族子孫の近況を報告するのに誰に憚る遠慮せねばならないのだろうか? 国難・存亡危急の時、国の為、家族の為、子孫の為に生命を捧げ犠牲となられた方々へ、外国への配慮だとか分祀云々は→国家として、同胞として、否、人間・個人として余にも軽薄・無責任な発言だと思う。 非難する国が有れば、堂々と祖先を慰霊し、平和に感謝し、不戦の誓いを行い、子孫の近況を報告する為の社であり、参拝だと言えば良い。 それが言えぬ、思わぬなら、日本人として、心の中まで、死生観や死者の慰霊まで、信念・信条・矜持を忘れたのか持てぬのかと、問いたい糾したい・・・。 あくまでも、人間として日本人として個人として、誰からも指図や強制されずに自己の信条・心情・真心で、他人にも押しつけるものではなく、自由意志で参拝するもしないも決めれば良いのである。 ことさらに8月15日の参拝だとか公式参拝だと政治家が騒ぐのは迷惑であり、その思いが有るならば、何時でも静かに靖国神社や千鳥ヶ淵や各地の護国神社や平和記念公園に行き、<閣僚等のSPの問題は別だが>手を合わせれば良いし、実際に行くことが叶わない場合にも、心で慰霊と平和への誓いをすれば良いのだと思う。 私は、「後を頼む」と無念・非業の死を迎え旅立たれた御霊に対して、今日の平和に対し、生命を捧げ礎となられた方々へ、慰霊の心、感謝と後事を託された責任を申し上げ誓う為に、これからも機会を作り靖国神社へ参りたいと思います。

selfless
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 > 等しくお名前を記載されているだけです つまり、靖国神社は無宗教だということでしょうか? その割に、靖国神社には「英霊」がいると書かれていますが……。 「英霊」を祀ること自体が悪いとは思いませんが、「英霊」のように宗教色の濃いものを「記載されているだけ」と主張するのは欺瞞だと思います。 > 死者に御霊に非礼・冒涜する事になり、ご家族や関係者への心無い非情な発言、同胞として恥ずかしい心根だと思います。 死者の死を噛み締めることと、彼らを「英霊」として祀ることは別物だと私は質問文に書いたはずなのですが。 「英霊」として祀ることが死者の死を噛み締めることになぜ繋がるのかという根拠が必要だと思います。 私見を述べれば、靖国神社は西郷隆盛が祀られていなかったりと、人選に「政治的」作為を感じますね。 真に「英霊」を祀るというなら、犠牲者を皆祀るべきだと思います。

回答No.6

死後の魂は存在しないと言われればそれまでですが…。 神社は神様を奉るとこです。 普通の神社は日本神話に出てくる神様を祭神として奉っています。 靖国神社は平たく言えば祖国を守るための公務において亡くなった人(英霊)を祭神として奉っています。 逆に言えば英霊を奉るためにある神社です。 なので英霊を奉ることをやめると奉るべき神様のいない神社になってしまいます(北白川宮家のお二方も祭神であるのでまったくいなくなるわけではありませんが…)。

selfless
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 おっしゃる通り、神社は「神」(私はこれを信じませんが)を祀るところですね。 そこに、戦没者という「政治的」なものを祀ってしまったことに靖国問題の複雑さがありますね。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.5

”靖国神社に「英霊」として祀る必要はあるのでしょうか”      ↑ はい、その必要があります。 中国の社会学者が次のような指摘をしていました。 参考にしてください。 「中国政府は、靖国を批判するのではなく見習うべきである。  日本人の団結力はああいう処から発生するのだ。  それに比して、中国はどうだ。  戦争で死んだ人民など皆忘れているではないか。  だから中国人はばらばらで、日本に敵わないのだ」

selfless
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 その中国の社会学者の意見が正しいという根拠はどこにあるのですか?

  • titokani
  • ベストアンサー率19% (341/1726)
回答No.4

つまりね、「死んだら靖国に神として祀ってやるから、喜んで死んで来い」ってことですよ。

selfless
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 靖国神社が戦争肯定のイデオロギーとして利用されているかどうかは不明ですが、そういう意見もありますね。

  • hideka0404
  • ベストアンサー率16% (819/5105)
回答No.3

神道の宗教上の理由で必要です。 基本的に「英霊」と称していますが「神」ですから、祀って当たり前です。

selfless
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 戦没者が皆「神」になったというのは、神道上の教義なのでしょうか。 私は「戦没者が神になったとどうしていえるのか」と疑問を抱きますが……。

  • Saturn5
  • ベストアンサー率45% (2270/4952)
回答No.2

誰だって死ぬのは怖いです。 前線の兵隊は死の恐怖を乗り越えて戦ったのです。 日本軍が戦争初期に強かったのは、敵前逃亡の軍律が厳しかった ことと、逃げることが恥じ出る教育がされてきたこと、それから、 死んでも英霊としてまつられることが理由です。 靖国神社には日本を守るために死んでいった将兵に感謝するという 意味もありますが、死んでも国が立派にまつるという保障を与えている ものなのです。 日本が強い軍隊を持つためには必要なものでしょう。

selfless
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 > 前線の兵隊は死の恐怖を乗り越えて戦ったのです。 これはおっしゃる通りでしょうね。 もっとも、死に対する戦没者たちの姿勢は様々でしたが。 > 日本軍が戦争初期に強かったのは > 死んでも英霊としてまつられる これは、戦争初期に強かったこととはあまり関係がないのではないでしょうか? 「死んでも英霊としてまつられる」という話は、戦争初期だけでなく末期にもいわれていたことですから。 上記の理由から、 > 日本が強い軍隊を持つためには必要なものでしょう。 日本の自衛隊についても賛否両論ありますが、自衛隊が強くあるという理由から英霊を祀る必要はないのではと感じます。

  • yotsuba_k
  • ベストアンサー率6% (9/148)
回答No.1

先の大戦を正当化するための詭弁のために、彼ら戦死者は英霊扱いされています。だって、作戦も戦略もカス同然で負けるべくして負けたんです。犬死にとしか言えません。 国を民を護るならば、もっと早くに負けを認めて特攻なんかしなければいいのですよ。日本の要人が戦争について語る時、日本人に対する申し開きを完全に無視している。これは欺瞞としか言えない。 したがって、靖国は負け犬の総本山であり、国家神道の象徴でもあります。無宗教を気取るならば徹底しろと言いたい。 日本人の靖国フェチは、コスプレと同じなのです。

selfless
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 > 作戦も戦略もカス同然で負けるべくして負けたんです。犬死にとしか言えません。 戦没者の死が無意味であったとは思いませんが、戦略・戦術の稚拙さを考えると、戦没者たちの犠牲が果たして必要であったのか(犠牲をもっと軽減できたのではないか)とは思いますね。 そういう意味で、「犬死」した人は少なくなかったと思います。

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