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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:不幸の理由と幸せの理由)

不幸の理由と幸せの理由

Y  Y(@yy8yy8az)の回答

回答No.7

 “人は本当に愛することができる”とは“本当の愛”のことですよね。  個の愛と絶対の愛とを混同していることが一般ですが、aboutさんも混同してませんか。  aboutさんはこの“個”と“絶対”のあいだを行き来しての質問になっていることに気づいていますか?   我々“個”は“絶対”と繋がっています。例えれば親子関係のようなもの。  だから、混同が起きます。  言い換えると刹那的幸せと、永遠?の幸せを混同しているように思います。  個の幸せは刹那的ですよね。それゆえに“疑問”が起きるのでしょう。  永遠の幸せを求める心がどこかにあるから。  そして“理由”は“個”であることを気づかせるための踏み台。

noname#189751
質問者

お礼

出てきましたね・・ >絶対の愛 あ~ 「絶対」 といわれると何でしょうか・・ 「神の愛」でしょうかね 与えっぱなし というもの 何も求めず、ただ与えるだけ愛 無償の愛、至上の愛、永遠の愛・・ ちよっと脱線して・・ まあ  実際の話なんですが 私の知り合いに天理教の布教師みたいな?人がいまして その人と話をしていると とにかく、ものすごく純粋な感じを受けます 毎年年末になるとやって来て、残りもののカレンダーをもってゆきます 何にするかというと、老人ホームにいるお年寄りに差し上げるのだそうです これが大変喜ばれて、自分も嬉しい・・という事を言っていました 私も、それなら遠慮なくもっていってくれ、という事でずっとやっています まあ そうした事に限らず、話をしていて感じるのは とにかく無償の行いの連続で・・ 私なんかと違って、泥臭さが無い 神を信じていると、こうなるのだろうか? そんな印象を受けてしまいます。 ざっくばらんに言えば・・きれいすぎる その人を何十年も前から知っていますが 変わらない そんな感じです きれいな不動の姿勢が変わらない 私は、一種の恐ろしさみたいなものを感じた事もあります 別な天理教の信者の方も知っていますが その人は、言い切ってしまうんですね 教義の内容を信じる事に迷いがない・・そんな感じで話しをします まあ まあ 信じるという事は・・すごい事です 「無償の愛」 愛することには、愛されようとする心が働くと思います 愛されようとしながらも、それ以上に愛するのが 人の・・無償の愛 のような気がします まったく見返りを求めない愛に比べて、それは汚れているかもしれない けれども、それは人として恥ずべき愛ではないと思います 愛されるよりも愛する、という選択のできる事が人間らしい 「愛に疲れて・・」 という、その選択の連続さえあるという 疲れても、なお、愛するという人の愛 永遠の愛からは程遠い、現実の愛の姿 あ~ ためいき・・ >個の愛と絶対の愛 選択のない愛、絶対の愛 楽でしょう そこまで行けば・・ 迷いがない でもそれは きれいすぎる 迷いつつも、人が人を信じて愛するっていうか そんなところに惹かれちゃうんですね・・ これでいい・・という愛はないけれど これしかできない・・という愛は素晴らしい そんなふうに思います。

noname#189751
質問者

補足

YY8さん、お礼忘れてました。 すいません。 ありがとうございました。

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