- 締切済み
「幸せと不幸は同じ分だけ来る」と初めに言ったのは誰でしょうか?
一体これは何に基づいた発言なのでしょうか? 今不幸な人と幸せな人を集めてその後の経過を追い、前者の人は同じ分だけの不幸を味わい、後者の人は同じ分だけ不幸なことを味わったというような疫学的な調査に拠っているのでしょうか? それとも単なる個人的な経験談なのでしょうか? つまり不幸だったけどたまたま幸せになれたという。実際はどうでしょうか? 不幸な人はとことん不幸、幸せな人はとことん幸せ。違いますか?
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ありがとうの一言が言えない人は、とことん不幸。違いますか。 r-utsugiさん、honnxeeさん、皆さんに御礼書いたのか? かけよ。 ポイント付けたら。 これすら出来ないようでは、終わりです。
- ye11ow
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一見、「平等」「ゼロサム」「苦労は報われる」などの一般通念に支持される 「自分は不幸だと自覚している人に希望を持たせるための言葉」と思われます。 では、真実はどうか? 幸せ・不幸とは、数値化できない、個人の主観のみで決まるものであり、 人生全般に渡る幸・不幸のトータルを出すことなどは到底不可能です。 主観上のトータルを実感できると人は、今まさに臨終を迎えている人。 客観的真実は存在せず、主観的真実さえほとんど不明だというわけですね。 ずいぶんと自分勝手かもしれませんが、 不明かつ決まらないものであれば、都合の良い考えを任意に採用しても、 誰もそれを否定できず、決して誤りということにもならないわけです。 ところで、「現在の信念」と「その後の運命」には、相互作用があります。 「思考は現実化する」の言葉の通り、信じ込んだことが将来に影響します。 希望を持てばそれだけで愉快になり、希望を無くせば不機嫌になります。 確かな希望は幸福な将来を引き寄せ、希望の喪失は不幸な現実を引き寄せます。 「不幸の後、幸福が訪れる」と信じた人は、概ねその通りになり、 「不幸は、さらなる不幸を引きつける」と信じた人は、 必ずではないにせよ、概ねそうなる傾向が高くなると言えそうです。 「幸せと不幸は同じ分だけ来る」と信じた人には、それが真実で、 また別のことを信じた人には、それが真実だと言えるでしょう。 物質世界の事象とは違い、精神世界の事象というのは、「真実は一つでない」 「信じた人にはあり、信じない人には無い」というものばかりです。 ちなみに、私は、「不幸よりも、幸福のほうがちょっとだけ多く来る」と 信じるようにしています。
- SOVEREIGN
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誰が初めに言ったのか…それは私も知りたいですね。 下のr-utsugiさんも書いている通り、禍福はあざなえる縄の如し、と諺にあります。 諺は古来からの言い伝えのようなもので、発言者が誰なのかを特定するのは不可能でしょう。 この諺の意味はもちろん、世の中にある幸と不幸を誰かがデジタルに測定した結果1:1であったというような、統計学的な話ではないと思います。 そのことを疑問に思うなら、その疑問を捨てずに、ぜひ考え続けてみてください。 善と悪、白と黒だけで世の中は成り立ってない、ってことに、きっと気付くことができるはずです。 そうしたらr-utsugiさんのように、「幸か不幸かは、その人の思いが決める」と思える日が必ず来ると思います。 そして、この質問への答えがそれ以外にはない、ということも、きっと理解できると思います。 それを理解できた日、あなたはきっと幸せですよ。
- r-utsugi
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こんばんは。 「人間万事塞翁が馬」 「禍福はあざなえる縄のごとし」 いいことばかりも無いけれど、悪いことばかりも起こらない。 人生ってそんなものではないかと思います。 ANo.1さんの仰る通り、受け止め方にも大きく左右されるでしょうね。 ただ、自分で呼び込んでしまう不幸というのも厳然とある、そう思います。 人を羨んだり、不幸を嘆いてばかりの人がいたとしたら、 その人の前から幸せは回れ右をして、遠ざかっていくのではないでしょうか。 現在のこの自分を、世間の尺度では幸せだとは定義できない気がします。 失ってきたものが多すぎるからです。 ただ、この私を、幸せだと思う人もまた、多いでしょう。 私は、現実の世界でもがき苦しみながらも、ただひたすら希望の火を燃やし続けています。 その一事を持って、自分を幸せだと断言できます。 ですから、質問者様へのお答えは、幸か不幸かは、その人の境遇ではなく「その人の思い次第だ」ということです。
不幸な状態にあったり、不幸な目にあった時に、それを乗り越えればその分幸せになれるということじゃないでしょうか。不幸な人は不幸ってそりゃ当り前だろう。何の努力もせずに幸せ来てーって言ったって来るわけない。何の努力もしない不幸な人は、その後も一生不幸。それだけ。努力する人だけが報われる世の中。
誰が何を根拠に言ったんでしょうかね??ただ私はそれが事実だと信じたいと思います! 《不幸な人はとことん不幸、幸せな人はとことん幸せ。》感じ方の違いではないですかね? 例えば、交通事故にあって『こんな危険な目にあうなんて自分は不幸だ』と思う人もいれば『こんな事故にあっても自分は生きてる。なんて幸せなんだ』と思う人も居ると思うんです。 世界を見れば飲み水もなく、食べ物も、病気を治す薬もなく、住む家さえもない子ども達も居る中で、きれいな服を着て、ご飯食べて、お風呂に入って、暖かい布団で寝て… 携帯、パソコンの存在すら知らないような方達から見れば私たちはかなりの幸せ者だと思いますし、その方々は方々で裕福すぎて私たちが知らない、気づかない幸せをたくさん知っているのではないでしょうか?