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在原業平の歌「月やあらぬ」の直訳と意味
Postizosの回答
- Postizos
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3ですが、 「それにしても日本語って昔から曖昧だったのですね~。 」 とのことですが 「や」には確かに婉曲な表現(わざと遠回しな言い方をする)の要素はあります。 でもそれは効果を狙ってわざとそうしていることですし、読む方にもそれはわかります。 日本語に限らず言葉は実際の物事からある概念を取り出してそれを組み合わせることで複雑な事柄をあらわしたり、心境のような形にして見せられない事までも表現できるのです。 何百年も前の人がこれだけの短い詩で表した文学が、こうやって細かいニュアンスまで読み取って今も観賞することができるのですから全然「曖昧」なものではない、巧くできた物で素晴らしいことだと思いますよ。 外国の文学にも同じように工夫を凝らした素晴らしい物があります。
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お礼
何度も回答ありがとうございます。 >「や」には確かに婉曲な表現(わざと遠回しな言い方をする)の要素はあります。 でもそれは効果を狙ってわざとそうしていることですし、読む方にもそれはわかります。 うーん、でも質問に貼ったサイトには反語・疑問の二つの説があるとしています。 反語にもとれる、疑問にもとれる。 そういうあいまいな言葉だということですよね。 >日本語に限らず言葉は実際の物事からある概念を取り出してそれを組み合わせることで複雑な事柄をあらわしたり、心境のような形にして見せられない事までも表現できるのです。 何百年も前の人がこれだけの短い詩で表した文学が、こうやって細かいニュアンスまで読み取って今も観賞することができるのですから全然「曖昧」なものではない、巧くできた物で素晴らしいことだと思いますよ。 細かいニュアンス・・・ 本当に私たちは昔の人々の心を理解できているのでしょうか。 たとえば、この歌の詞書に「五条の后(きさい)の宮の西の対にすみける人に、本意(ほい)にはあらで物言ひわたりけるを、」 とあります。 もともとそのつもりはなかったのに、(ふとしたきっかけで)契りを交わし、通うようになった。 と訳されています。 これについて、業平は高子を本当には愛していなかったとする説を高田祟史さんがといておられます。 当時藤原氏は紀氏と対立しており業平は紀氏側の人間でした。 高子が清和天皇に入内すると、藤原氏はますます栄えるので 業平は高子が入内しないようにするために、高子のもとに通っていたというのです。 言葉は曖昧なものです。 ですから和歌を鑑賞する際には、和歌だけではなく、歌人や当時の社会情勢なども考慮するべきだというのが私の考えです。 しかし古典の学者は和歌は和歌として鑑賞すべきとしているようですね。 歴史学者は和歌は社会情勢も考慮して鑑賞すべきとしている人が多いようです。 外国の文学にも同じように工夫を凝らした素晴らしい物があります。