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台東区から墨田区へと隅田川に架かる業平橋があります。 白鬚橋より下流になりますが。 この業平橋のあたりで、在原の業平が都をしのんで歌ったのが「都鳥 名にしおはば こと問はん 我が思う人ありやなし」だと聞いております。 お江戸のはずれ、しかも業平朝臣(あそん)の時代は遠い東国のさびしいところだったでしょう。堤もなかった、渡し守の舟着き場しか無い時代ですよね。 そんなところですが、いろんないわれのたくさんある地域です。 大川(隅田川)をわたればもう、もっと辺境の地、在ですね。 墨田区、足立区の千住などは隅田川を渡り、その向こうに、明治、大正、昭和に亙って掘削した荒川放水路があり、平行して綾瀬川が流れています。 川を境にして世界や物事が違う時代、歴史ですから。 そして綾瀬川から、寅さんとやらの柴又金町で江戸川の向こうが真間の手小奈、矢切の渡しですが、そこらまでが江戸湾の湿地帯。 そこはあらゆる鳥が飛来し、動物も多く、将軍のお狩り場(二月位の軍事演習)、小菅の刑務所(東京拘置所)などです。 業平橋の架かる隅田川と荒川(掘削の川ですが、元は隅田川を分流)の間が千住や向島ですね。文人墨客の。浅草とは繋がっていたのですが。 渡しは浅草生まれ育ち、そして戦災でこの千住、向島を本拠に70数年います。どこにも出て行きません。
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- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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回答番号:No.2 はやとちり 業平橋って東武伊勢崎線にありますね。浅草の手前。 駅はないけど、言問い橋、言問い通りってのがあった。 多分業平朝臣が言問わんとか歌ったのはこっちだったと思います。 うぅん業平橋と業平の関係は知らないけど、ともかく、業平朝臣が墨田区となっているところにきたことは確かです。 業平という町名については、墨田区の史料編纂課に尋ねると教えてくれますが。 私も墨田区って、どうして隅田川の隅を取らなかったのと聞いて教えてもらいました。文人墨客も集まっていたし、墨田の堤というのもあたし、というようなご回答でした。 そして旧府立第七中学、都立第七高等学校が墨田川高等学校になっているのですが、この墨田川ってのがもともとないのに変な命名だと注意しております。 http://www.city.sumida.lg.jp/ http://www.city.sumida.lg.jp/kakuka/soumubu/soumuka/index.html http://www.city.sumida.lg.jp/kakuka/kikakukeieisitu/kouhou/index.html http://www.city.sumida.lg.jp/kakuka/kikakukeieisitu/kouhou/access/index.html
- 風車の 弥七(@t87300)
- ベストアンサー率24% (1392/5660)
業平橋は藤原業平がこの地で詠んだ句に由来しています。 埼玉県にも業平橋がありますし、関西にも業平の地名があります。
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