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支援があればできると支援がなければできないは同じ?

hakobuluの回答

  • hakobulu
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回答No.11

#6、#7です。 >「支援があれば多分出来る、支援がなければ多分できない」 この程度に言ってる人のほうが自信ないように聞こえるかもしれないが、未来の事なんて誰もわからないので、こちらの人の方が実は信用出来ると思う。 : それは言えるかもしれませんね。 これは、極めて正確な表現、というより親切な表現になるかと思います。 ただ、ここには、参考URLにも関連して申し上げれば、そもそも「断言」とは何か、という問題があります。 つまり、このように正確に言わなくとも同じ意味を表現していることになる、ということをわたしは言おうとしています。 以下に、順を追って述べます。 辞書では「断言=確信をもってきっぱりと言いきること」となっています。 では、「確信」とは何か。 辞書では「確信=固く信じて疑わないこと」となっています。 さらには、「断定=物事にはっきりした判断をくだすこと」です。 この場合の、「判断=物事の真偽・善悪などを見極め、それについて自分の考えを定めること」です。 つまり、 「断言=固く信じて疑わず、きっぱりと言いきること」 「断定=物事の真偽・善悪などを見極め、それについて定めた自分の考えをはっきりと表明すること」 「信じる」「自分の考え」がキーワードです。 要するに、 断言も断定も、あくまで自分が信じること、あるいは自分の考えに基づいていることであるのは、最初から担保されていることになります。 いくら「できる」と断言・断定しても、それは、あくまで「できると思う」という意味にしかなり得ないわけです。 「思う」という意味が含まれる以上、あくまで不確定要素であるはずなのに、断言・断定と異なる結果が生じると相手が腹を立てるのは、「なぜ真実と違うことを信じて良いと思ったのか」と責めていることになるでしょう。 しかし、信じるというのは、あくまで個人の経験に基づくしかないわけで、それを責めても意味はありませんし、何の解決ももたらさないと思います。 文法を正しく解釈していれば、このようなことにはならないはずです。 ガリレオ以前は、「地球は回っている」と世界中の人間が断定・断言していました。 しかし、天動説が発見されたからといって、その人たちに腹を立てた人はおそらくいない、または極めて稀であったと思います。 確信をもってそう(地球は回っていると)思っている人が殆んどだったわけですから、「なぜ真実と違うことを信じて良いと思ったのか」と責めることは不合理と認定されざるを得ないからです。 しかし、ただ1人でも「地球は回っていない。天が回っているのだ」と一貫して唱え続けた人がいたとすれば、その人には責める権利、というか必然性が自ずと生じることでしょう。 文法をさておき、人間の感覚を重視した場合の話ですが、断定した内容と異なる結果が非難されても良いのは、ある事柄に関して人々がどのように信じているのかという、そのバランスにあるのではないでしょうか。 あまりに極端な信じ方をしていれば、それは信じ方を非難されても止むを得ないのかもしれません。 天動説以前、ガリレオは非難されました。 この場合、「間違ったことを言っていること」というよりは、「間違ったことを信じていること」が非難の対象になったはずです。 しかし、「ガリレオは間違ったことを言っている」と信じている人々が、そのような非難をするわけで、信じるという意味では同列であることに彼らは気づいていなかったことでしょう。 このように、所詮、人間の言うことですから、絶対はあり得ず、断定・断言ですら真実という意味にはなり得ない、というのが究極の真実であろうとわたしは思っています。 また、「信じ方」などコロコロと簡単に変わってしまうものであることは、すでに歴史が証明しているでしょう。 何を断言・断定したとしても、あくまで「・・・と思う」でしかないのです。 前掲いたしましたように、辞書の規定からも、それは明らかです。 ただ、人間は確固たるものにすがりたいという性質を有している生き物ですから、断定・断言と言えば、絶対に間違いのないことだと(文法定義を無視してまでも)解釈したがってしまう。 断定・断言に腹を立てることの本質は、こういったことだと思います。 「支援があれば多分出来る、支援がなければ多分できない」を「親切な表現」と評したのは、こういったわけでした。 人間というものにとっては、論理より感覚がまだまだ優勢ですが、その感覚にも一目置いてやろうじゃないか、という一種の優しさと言っても良いかもしれません。 ただ、論理的に検証する際には(信じるといった)感覚は排除する必要があるかと思います。     

sabacan
質問者

お礼

長文回答ありがとうございます。 「支援があればできる」「支援がなければできない」という未来の事を、論理的に検証する際には(信じるといった)感覚は排除する必要があるが、実際は、排除することは不可能ということでしょうかねぇ。 >「断言=固く信じて疑わず、きっぱりと言いきること」 私は以前こんな質問もしてます参考までに、、 あなたが正しいと信じて疑わないことを教えてください http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8175890.html?pg=1&isShow=open

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