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「神」について。

hokekyou333の回答

回答No.16

私の場合は、 いろいろ苦の極限も体験しましたし、楽の極限への道筋^^もたくさん体験し発見してきたのですが、その体験からの結論を言えば、「神」という概念については考えるだけ無駄ということでした。 この宇宙の星々は、ほとんどがガスと岩と砂と火でできていて、水の定着するような要素を持った星はほんとどないらしいですね。 とすれば、地球という星は、どんな確率で生まれたのか?、これ自体が無限という確率の存在を想ってしまうところ、 太陽との絶妙な距離がその水の、生命を生む絶妙な場の条件となったとして、その条件から生命が生まれる可能性もまたその確率は無限のありえないところと想起され、 それがまた、このような進化をとげる確率はと考えれば、確率からはとうてい今のこの私達の意識の世界の存在は、それ自体私たちの計算では計り知れない世界です。 その計り知れなさならば認識可能なのですが、 その因果を人間は到底知ることは出来かねるはずなのです。 物を見る視覚の仕組みは、カメラのレンズと同じような映像が網膜に光として映し出されているところまで解ったとして、その映像をどうやって「見える」という現象に移し替えているのという、神経の刺激と脳でのその統合の仕組みからもまったく解らないままである点も(クオリアとも呼ばれている「感覚質」の問題です) 原子のその中のクオークという最小物質単位が解ったといっても、分子が何故その分子構造であれば、その組み合わせであればその物質の性格をおびるようになるのかという本質自体も、 解れば解るほど、逆に解らないことが解ってきてしまったという感じになっているのではないかと思います。 どうして、この存在が存在していて、その存在の中にいつしか「私」として意識出来る存在がそのように意識出来るようになっていたのか?、そうして今、これを書き、それを読む「友」という関係がここに存在することになったのか? この「?」については、考えるだけ無駄、というよりお手上げの問題というふうに私には思えるということなのです。 》この世の全てを統べる法則がもしあるのなら、それを「神」と呼ぶことに異存はありません。《 私もそう思います^^。 しかし、 その「この世の全てを統べる法則」なる「神」とは、どのような存在かを、 このあってはならない苦しみや、その可能性が続いていて、無くせないでいるこの命の世界の因果のすべてがその法則でできているのであれば、 その「神」こそが悪魔ということになります。 最大の悪魔ということになります。 それどころか、実は、その「神」以外には悪は存在しないとも言えるのです。 自由意志も何も、因果でうごかされていない意志はないからです。 ここまで考える人はなかなかいないのでしょうが、理屈は解るかとおもいます。 で その事ってそれ以上考えても何か意味のあることなのでしょうか? 私の場合は、最後にそのことについて、泣きながら、血を吐いて叫びながら、神よおまえこそ悪魔じゃないか、いやお前だけが とっとっと、それってこんなもんじゃないです。もう絶望というかこの存在のすべてが信じられないというか心の闇の奥深くというか 地の奥のマグマというか、どんなロックミュージシャンのシャウトよりもすごい絶叫^^というか、 悶絶しそうな感じのものであり、 同時に、だからといって頭や神経がなんら異常になった状態とも言えない体験だったのです。 いじめの恐怖症により、とうとう気がふれる体験もしているので、むしろそんな時の頭は普通以上に健康で冴えている状態であったこともわかっています。 でも、最後、朝方力尽きげ、もう動けなくなって倒れ込んでいた時、たった一言私は呟いていました 「わからない、もうわからないよ。もうわからない。わからない。わからない…」 それから数十年経ちましたが、その答えは少しも変わっていません^^。 でも、そんなことは、わからなくていいんだという気持ちには切り替わっているということです。 解らないことを解らないとすることは存在に対する「不そん」なんかではないとわかって来たということだとも思います。 これだけ、存在が解りえない存在であることが科学によっても解って来たのであれば、もうそろそろ、神という概念を卒業してもいい頃だという考えにもそれは結びつきます。 神とはこれこれこういう存在だと、かってに思索しても、その段階で実際の神とはかけ離れているということを、その不可知な実在の世界は示してしまっているからです。 全知全能というふうに説明するのであれば、その内容をよく考えてみてください。 途中でごまかして煙に巻く^^のは哲学の在り方ではないでしょう。 ということは、一番苦しんでいるのは、一番泣いているのは、泣き叫び助けを求めているのは当の神さまだということになるのですよ。 もし、苦しみとう言葉は解っていて、その実態の今苦しんでいる人の苦しみ自体をその奥まで知っていないのであれば人間よりも全知全能なんかではないわけですからね^^。 冗談の話ではありません。 で、これ、全知全能でない私達人間がさらに考えたところでどうなるというのでしょう? ここで,クオークと同じで行き止まりです。 感覚質(クオリア)と同じで、行き止まりです。 こうして、 「神」という言葉を前にする時にいつも思うことなのですが、 もう、解らない事や、解りえないと思われることよりも、解ることで価値的なことは人間の世界には、無限によこたわっているのだから、そこに命を懸けてゆこう、という思いとなってしまうのです。 「隣人を愛しなさい」という道徳がありますが、私達は隣人を愛することなしに、愛がなんであるかを教えられることは無い弱き存在でしょう。 しかし一たび愛が何であるかを知れば、それは生きとし生けるすべての抜苦与楽を願うこころとひとつのものであることが解ってきます。 何時しか知らない間にこの奇跡の星の大地に生きていた者どうし、すべての人が平等に「友」であることは解りえる世界です。 昔し、疲れていて睡眠中に、夢から醒めたと思ったら、そこがまた夢の中で、今度こそやっと醒めたと思ったらまた布団の中で目を醒ますという繰り返しが、えんえんと続いた夢^^を見たことがありました。 何回続いたかはおぼえていませんが、しまいには、布団の中で目が醒めても、起き上がるまえに、目を開けよう目を開けよう!と必死にもがいていたことは憶えています。 まだ子供の時でしたが、 さすがそのあとで、「じゃあ人間の意識もやがて消えてゆくのならばその現実と夢の中の世界とはどのように違うのだろうか?」と考えるようになるのに時間はかかりませんでした^^。 病弱でしたので、たくさんの種類の夢を見ていた頃のこと、夢分析は子供ながら得意だったようなのです。 まずは、夢の中の意識では、現実のそれよりもボケネている点は、特に夢の中では「反省」という意識状態にはならない点に気が付いていたりします。 この「反省」という状態というのは、動物にはほとんどなく(ポーズはあったりしますが^^)、物事を見つめ分類しそれを区分けしてより良い答えを見つけ出すという脳の作業が夢の中のように動かされている意識状態においてはありえないという点が、考察されたのです。実は例外とかもあるのですが、その視点自体は子供にしてはかなり深い考察だと思います。 でも、3年後ぐらいになのですが、それよりももっと重大な夢の意識と、現実の世界との違いに気が付くときがきました。 当たり前にことではあるのですが、夢の中に登場する友は、実際に存在する「友」ではなくて、イメージが映像化されたものでしかないという点です。 そして、その「友」とは、いつしかこの奇跡の星に住んでいたすべての命です。 苦しんでいる人、無上の幸せへの道の途上を歩いている人、やがてその二つしか、わたしには見えなくなってきます。 そうでない世界は、どんなイメージ世界も、思索世界も、夢のようにボケねた世界に見えてくるようになっていったということです。 世界中の子供たちが、早く、一刻も早く幸せになって欲しい、苦しみから抜け出してほしい。これしか見えなくなっていったということです。 神とは「助けてはくれない存在」です。それは確かなのです。 私達しか、同じ大地の「友」を助けることは出来ません。 ちいさく木の葉のように弱い存在であっても、くだけても起き上がり、倒れても立ち上がり、それでも、人間としてあたりまえの愛に生きること、それが現実の大地に生きることであり、そこに神をこれ以上考えている無駄と遊び続けることは、もうできないのです。 神について私が思うところは、変り者ゆえ、以上となってしまいます。 以上。

alterd1953
質問者

お礼

そうですね。 私が「全知全能の神」を否定するのも正にそこです。 凶悪犯罪や戦争等で罪も無い人が亡くなったりしますからね。 そして、全てを統べる法則がもしあるのなら そこに、人間にとっての「悪」が存在する事も自明だと思います。 誠に「神」は残酷でもあるのです。 後、仰る通り、我々は何かを愛することしか出来ないのも事実だと思います。 但し、それが人間の場合は、この世には決して解り合えないと思える考え方のグループが 存在するのもまた厳然たる事実のように思います。 私は、人の心に土足で上がり込んで嫌味を言うような人や 自分より能力の低い人を「クズ」とか「バカ」とか言うような人達を愛することは出来ません。 でも、そんな人達がいる事も何かの法則なんでしょうね(笑) ご回答ありがとうございました。

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