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「神」について。

Nakay702の回答

  • Nakay702
  • ベストアンサー率80% (9774/12176)
回答No.2

>「神」について思うことを教えてください。 >私は、人間の願いを都合良く聞いてくれる全知全能の神は到底信じられませんがこの世の全てを統べる法則がもしあるのなら、それを「神」と呼ぶことに異存はありません。 ⇒神とは、「人智の及ばないことを統覚し、それを司る絶対的存在者」のことを呼ぶ別名だと思います。ですから、当然ながら、「神とは、まさしく人間自身、人間の自己写像」に過ぎません。(このあたり、質問者様と似た発想のようですね。)  では、人間はなぜそんな回りくどいことを営々とやってきたのでしょうか。それはおそらく、我々人間が、分からないことを放置し、等閑視することのないようにするためであり、あるいはそれを模索したり吟味したりするのを厭って、不可知論者に陥ることを阻止するためであると考えます。  ゆえに、神を想定することは、最も人間らしい知的営為の1つであり、古今東西の人々の英知であるとも思います。私は特に宗教を奉じている篤信者でも何でもありませんが、上に述べたような神(的絶対者)には、こよなく親しみを覚える者です。  ですから私は、特定宗教の入信の誘いなどにはまったく関心がありませんが、仏典であれ聖書であれコーランであれ、その「教えそのもの」には大いに関心・興味を抱く者でもあります。神やその教え考えることは、「哲学する」ことでもある、と感じています。  以上、ご回答まで。

alterd1953
質問者

お礼

なるほど。 この世の根源を知ろうとする願望が「神」を生み出すのですね。 そして、それはアリストテレスが言ったように 正に「哲学」ですね。 実際、古代人が地震や雷等に接して「神」を想定したのは自然な事だったでしょうし 現在でも肝心な事は分かっていないのが現状のようですしね。 私も、そういう視点で聖書やコーランまたは仏教書等を読みます。 論理的な展開には多々首をかしげることもありますが 倫理的な側面は頷ける所もあります。 倫理と言うものは集団を形成する上で重要な要因である事は明らかですし 「助け合い」等は他の動物にも見られる行為のようです。 ただ、人類史上において、わざわざ、あのような教えが出現したと言うことは 現在のシリア等もそうですが 人類は延々と愚かで残虐だったのでしょうね。 ご回答ありがとうございました。

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