• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:夢を追いかけて生きるモチベーションって?)

夢を追いかけて生きるモチベーションって?

このQ&Aのポイント
  • 夢を追いかけるモチベーションについて考えます。自分の夢を見つけ、人生を豊かにするためにはどのような思考や行動が必要なのか、考えてみましょう。
  • 質問者は医学科の中退経験があり、現在はニートの状態です。中退の理由や将来の目標についても触れながら、夢を持ち続ける意義やモチベーションの源泉について考えます。
  • 最後に、他のアーティストたちが夢を追いかけている理由を応援することについても疑問を投げかけています。他人を応援することの意義や自身の夢を追い求めるモチベーションを見つける方法についても考えていきます。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.10

私は、質問者さんと真逆でやりたいと自分が望んだものの業界の門を叩いた人間です。 なぜその仕事をやりたいと思ったのかは、まあ社会に貢献できるとか云々ありますが、単純にやりたかったからです。好きだといってもいいでしょう。医者で例えれば、自分が病気の人の治療をしてその人が病気が治ったら、それがもう嬉しくて嬉しくてしょうがないって感じでしょうかね。 もちろん壁にはずいぶん当たりました。自分には才能がないと痛感したのは一度や二度じゃないですし、今だって人より優れた才能を持ち合わせているとは思いません。NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」に出てくる人たちを見る度に「自分はこの人たちに比べればなんと才能がないものだ」と思わされます。 だけど、私はあの番組をよく見るのは、紹介される人たちは一人の例外もなくその仕事に対しほとばしるほどの情熱を持っているからです。才能はかなわなくても、情熱は同じほど持てるはずです。だって、自ら望んだことをやっているのですから。だから、「この情熱は学ばないといけないな」と思いますし、とても刺激を受けます。 特に何度打ちのめされても起ちあがってくる人たちは素直にすごいと思います。打ちのめされたことがある人なら、また起ちあがることがどれだけエネルギーを必要とするかよく分かっていますからね。 だから質問者さんも医者の道が嫌になっちゃったのも、自分の中からやりたいと思ったことではなくて、単に虚栄心でやっていたことだからです。質問者さんが虚栄心の塊だったら、それはそれで情熱を持ったと思いますけどね。ちなみに野口英世がそういう人だったと思います。もうね、「偉い人に俺はなりたい」という情熱でひたすら生きてきた人だったと思いますよ。残念ながらいち研究者と見たときに、彼の研究に意味があったものはほとんどなかったそうですけどね。彼の研究が名声となったのは、彼自身がそういうプロデュース能力に長けていたからです。 あれこれとマイナス思考になっているのは、これはもうズバリ自分を甘やかすためだとあえて断言しますよ。現状のダメな自分を許してやるためには、理由が欲しいじゃないですか。そのためにマイナス思考になったいるのです。アレがダメだからできないんだよ。アレがダメだから無理なんだ。そういう理由が自分の中でできれば、現状の自分を許すことができますからね。バイトもしないのは怠け心があるからじゃなくて、お金を使わない生活をしていないから必要ないんだよ、って理由づけできるでしょ? 質問者さんは医学部に行けるくらいに頭はいいから、理由がないと自分に対して説明はできないし、なけりゃでっち上げ(現実的にほとんど起こりえないアクシデントなんかがそうでしょう)るだけの頭の良さがあるわけです。 あとね、本当の本気で取り組んでいる人ならこのまま勉強すると失明するとなっても勉強を続けるでしょうし、私なら失明しない程度に勉強しますね。1ページでも勉強したら失明するってわけではありません。やりすぎないさじ加減は自分自身に対してならそんなに難しいものではないです。 ミケランジェロは「最も危険なことは、高きを目指して失敗することではなく、低きを目指して達成することである」といったけど、質問者さんも優れた医師という高き目標はもちろん、あんまり優れてない医師という高くない目標どころか、医学部入学というところ(一般的には医学部入学は決して低いハードルではないですが、質問者さん自身が持つ才能からすれば低い目標であったといえるでしょう)に目標があったのでそれで達成感を得てしまったのではないでしょうか。

noname#184596
質問者

お礼

新しい返答がないようなので、質問を締め切らせていただきます。 ありがとうございました。

noname#184596
質問者

補足

eroero1919さん、返答ありがとうございます。返事が遅くなってすみません。 「なぜその仕事をやりたいと思ったのかは、まあ社会に貢献できるとか云々ありますが、単純にやりたかったからです。好きだといってもいいでしょう。」、「「この情熱は学ばないといけないな」と思いますし、とても刺激を受けます。」 やはり、好きという情熱、何か熱いものが好奇心をくすぐり、何かに熱中して、その結果、何か偉業を成し遂げるんですね。そう考えると、僕は昔から好きだったことも、今好きなこともないわけではないですが、オタッキーな感じには、今まで何もハマってこなかったし、今もハマってません。 ハマる前に、どうしても体力や気力の無さや、どうせ死んで何も残らないのだから、どうでもいいやと思ったりします。やっぱり、愛着とか情熱とか熱いものをほとんど全部触れずに(触れても、すぐに好きという感情が忘れ去られたり、満足して無くなったりして)来たから、小さいころからなんだか中途半端になりやすいみたいです。(ここら辺の好きなこと、愛着を持てないこととかに関しては、No1さん、No4さんに対する補足も見ていただけると分かりやすいかと思います) 自分には、(小中高の時とか、できなかったことも多かったし)伸びる分は人並みにいっぱいあったんだろうけど、いくらそういうのが多くても、それを伸ばすだけの湧きあがるような熱いものとかが昔からなかったもんで(あったとしても、いろんな制約を無意識にいろいろ自分に付けて押さえているようなとこもあったので、)何も(少なくとも勉強以外は少しも)開花する資格がなかったんだと自分では思ってます(ものすごい情熱を持つ人を見ても自分とは無関係だと思うので、その情熱を見習おうとか思ったことない気がします)。 「あれこれとマイナス思考になっているのは、これはもうズバリ自分を甘やかすためだとあえて断言しますよ。現状のダメな自分を許してやるためには、理由が欲しいじゃないですか。そのためにマイナス思考になったいるのです。アレがダメだからできないんだよ。アレがダメだから無理なんだ。そういう理由が自分の中でできれば、現状の自分を許すことができますからね。バイトもしないのは怠け心があるからじゃなくて、お金を使わない生活をしていないから必要ないんだよ、って理由づけできるでしょ?」 確かに、当たってる気がします。 でもお金を使わない生活をわざとしているわけではないです。 自分は小学生時代にカードダスとか死ぬほど買って、中学生くらいになってこんな意味ない(当時でもゴミ同然としか思えない)物になんでこんなにお金を使ったのかわからなくなって後悔したことがあったのと、私が幼稚園児のころ、父は読んでもない雑誌を定期購読とかしてた〈いわゆる積読状態〉の影響もあり、 自分としては無駄なもんは一切買っていないで生きてきました。 もともと家も派手に金使うもん(車とか、外食とかもあんまり昔からしないし、旅行にも行かないですし〈ここ12年くらいどこも行ってません〉、ブランドもんも持ってないですし、etc.)はほとんど買っていないです。 なので、元からそんなに余分なお金を使うような生活はしてなかったと思ってます。 「質問者さんは医学部に行けるくらいに頭はいいから、理由がないと自分に対して説明はできないし、なけりゃでっち上げ(現実的にほとんど起こりえないアクシデントなんかがそうでしょう)るだけの頭の良さがあるわけです。」 私は決して医学部に行ける人は頭がいいとは必ずしも思いませんが(自分としては、私大医学科くらいなら誰でもそれなりに努力すれば〈努力量はその人自身の定着度によって変わるので分かりにくいのですが〉それなりのところに入学できるくらいのレベルだと思っています。才能なんて私には特にこれといってない〈〉ので、相対的にみんなができるところを落とすか落とさないかだけで結果はまるっきり違います)、確かに理由付けをしないとそれを行動する気が起きないですが、別に、自分ででっち上げているとは思ってませんが、仰る通りかもしれません。 (eroero1919さんは、他の回答者さんよりも、相当深く切り込んだ鋭い意見をされてると思い、かなり参考になります) 話は変わるのですが、(No1さんに対する補足も見ていただけると分かりやすいかと思います) 母は私とは違い(父は若干私と考え方が似通ってる部分があるような気もしますが…)一生懸命に人生を私のため、人のため、社会のために捧げています。ある意味すばらしいと思ったりもしますし、いつも世話になってばっかりだから、「なんか、(自分の好きなこととかできなくて)かわいそうだな」とか思ったりもするのですが、 人の仕事を引き受けて、疲れて帰って来ても、家では冷凍食品とか使わずに夕食をせっせと作っていたりするのを見て「こんな僕みたいなどうしようもない人間とかに、なんの見返りもないかもしれんのに、なんでそんなに頑張れるのかなぁ」とも思ったりします。 でも母は、「ggyc10の健康の為なら、するのが当たり前よ」みたいなことを言ってくれます。これらはみんな、私の幸せを願い、私に対する愛情や自分を犠牲にしてまで守りたいと思うからなのでしょう。 でも私は、先日質問した時のように考えますし、自分が幸せになろうとか大して考えない人なので、母がかわいそうに思います。 問題なのは、母がいつか死んでしまった時に、私は先ほどの父や両祖母の時のようにクールにしていられるか、という事です。自分としては、母が、もしかして会社とかで何か事故とかが起きて死んでしまうかもしれない、急に心肺停止になってしまうかもしれないとか考えて、毎日、母が働いてる間や外出してる間とか、いつでも心の準備はしています(もし、亡くなっても悲しみに押しつぶされないように)。 しかし、母はいつも私のことを1番に考えて行動してくれる(かなり親バカですが)唯一の人で、私が唯一、愛着や感謝などを全ては捨てきれずにいる人です。 これは、自分にとってはすごい恐ろしいことで、(母が)亡くなった時の悲しみ、喪失感などを乗り越えられるか若干不安です。これを不安に感じなければ、人生どうでも良いことだけになり、自分の信念(先日質問した時に書いたような生き方)に基づいてテキトーに「どうでもいいや」と思って生きていけます。 どう考えれば、(先ほどの父、祖母と同じようには無理かもしれませんが、できるだけ心的ダメージを受けずに)変わらず、母の亡くなった後も悲しまずに生きていけるでしょう?(悲しみ、喪失感とかに押しつぶされ、思いもよらなく自殺など自分の規範に外れた変な行動をしたくありません) 長くなってしまい申し訳ないですが、返答宜しくお願いします。 

その他の回答 (10)

noname#212854
noname#212854
回答No.11

 あなたの質問の「夢」は、昔あなたが目指した「医大」のように空虚です.  せっかく今、あなたは踏みとどまって、考え直そうとしているのですから、ただの知識が導き出す「夢」について質問しても、的確な回答は難しいと思います.  自分の言葉、自分の疑問、自分の信念、に基づいて、夢でも何でも良いから、何らかの結論を出してから、さらに高い意見を求めるべきではないでしょうか.  夢でなく、現実問題として、世界の平和のために、世界を貧困から救うために、毎日頑張っている人なんて、いくらでもいるのです.  もう少し、自分で考えてください.

noname#184596
質問者

お礼

新しい返答がないようなので、質問を締め切らせていただきます。 ありがとうございました。

noname#184596
質問者

補足

pinaisa-laさん、返答ありがとうございます。返事が遅くなってすみません。 「せっかく今、あなたは踏みとどまって、考え直そうとしているのですから、ただの知識が導き出す「夢」について質問しても、的確な回答は難しいと思います.  自分の言葉、自分の疑問、自分の信念、に基づいて、夢でも何でも良いから、何らかの結論を出してから、さらに高い意見を求めるべきではないでしょうか.」 確かにそうかもしれません。ただ、悶々と数年自分で考えていたので(友人とか1人もいないし、別にいらないので良いですが)、ちょっと、皆さんの意見を尋ねてみたまでです。 結局は、自分が行動しないと体も動かないので、いずれ自分で何かしらするので、大丈夫です。 アドバイス、ありがとうございます。

回答No.9

本質的には質問者様も(夢を追いかけている風で実際は)生活に追われている人も似たようなもので大して違いません。 基本色々事情があるから働いているだけで、(住宅ローン、子供の教育費、世間体 近所の見栄 ETC)夢と言っても、せいぜい「会社から独立」とかであって 其れだって結局(下請け)として元居た会社に(個人ではなく)法人としてこき使われる程度です。 まあ 自分で目のまえにニンジンをぶら下げるか、ほかのひとにやって貰うか 程度のちがいです。 ぶっちゃけ働かなくても生活できて、仕事に興味が無いなら無理して働かなくて良くて、図書館で本を読んで詩を作ったり、作曲したり、子供と野球をしたりでのんびり暮らして問題ありません。 実は日本はつい最近まで貧しい国だったし、資本主義というよりは社会民主主義みたいな体制なので(働かざるもの 食うべからず)という風潮が残っています。 一方英国などはバブルが100年以上続きましたから、働かなくても平気で爵位とか有って(王位継承権200番目とか)で先祖からの土地やお城を王室教会に委託してるから、生れた時から年金暮らし なんていう人がゴロゴロしています。 何世代にもわたって(働かないのが当たり前)なのでオックスフオードやケンブリッジで 「如何に役にたたない無駄な学問をするか」がステイタスで半端に金になるテーマを選ぶと(下品だ)と親兄弟に馬鹿にされるそうです。 オーストラリアでップロのサーフアーにそういうのが居ました。 暇つぶしにブランドを立ち上げたら半端に儲かってしまって困っていました。 質問者様は日本では少数派ですが 欧州とかの旧家っぽい家には同類項の人がゴロゴロ居る訳です。 今からでも (儲からないけど 個人的に好きで楽しいこと) サーフインとか スポーツでも 音楽でも探して(死ぬまでの暇つぶし)を探してください。 独身で暇つぶしでヨットで世界を何周もしている人とか オークランドあたりにゆけばゴロゴロ居ます。 質問者様とか ごくごく普通です。

noname#184596
質問者

お礼

新しい返答がないようなので、質問を締め切らせていただきます。 ありがとうございました。

noname#184596
質問者

補足

hirotan1879さん、返答ありがとうございます。返事が遅くなってすみません。 「ぶっちゃけ働かなくても生活できて、仕事に興味が無いなら無理して働かなくて良くて、図書館で本を読んで詩を作ったり、作曲したり、子供と野球をしたりでのんびり暮らして問題ありません。」 他の回答者の方は、基本的に現状打破系の意見が多いのですが、hirotan1879さんの意見は、少し新しい感じもしました。 「今からでも (儲からないけど 個人的に好きで楽しいこと) サーフインとか スポーツでも 音楽でも探して(死ぬまでの暇つぶし)を探してください。 独身で暇つぶしでヨットで世界を何周もしている人とか オークランドあたりにゆけばゴロゴロ居ます。」 なんか色々と豆知識的な情報ありがとうございます。何となく勉強になったと思います。 私みたいなの、海外だと結構いるもんなんですね~。 でも、自分は飛行機とか嫌いで、まずしてあんな重いもんが宙に浮いてると思うと(原理的には理解できても)落ちるんじゃないかとか考えて疲れ切ってしまいますし、船は船で、タイタニック号みたいに沈むとなんか困っちゃうので、嫌です。 だから、自分から海外に行こうだなんてこれっぽっちも考えたことはないです(あと、外国は拳銃とかオッケーだったりして、いつ殺されるかもわからんし、怖くて部屋から出られない感じになって困ったりもしますし)。で、日本で生きてます(日本の色んな文化や生活とか、〈行ったことはないですが、イメージ的に〉海外と比べて嫌っていうほどでもないですし)。

noname#187921
noname#187921
回答No.8

思い当たったので二回目の回答です。 私含め周りの夢に向かって努力している方々は、それを夢とは思っていません。自分が必ずそうなると信じています。それはNo.5さんがおっしゃるように最初は子どもの好き!から始まったものかも知れません。 また劣等感も共通しているように思います、幼少期から苦手なことがあって人より劣っている部分が明確だった。となると人より少しできることが好きになる=楽しいからさらに伸びる。こんな連鎖もあるかなと。 そう考えれば、小さい頃から何でもできる方のほうが夢との出会いは遅くなるかも知れません。文章からもggyc10さんは素直で努力家で、とんでもなくできない事柄が少なかったのではないでしょうか。すごく頭の良い方だと感じるので効率とか可能性をプラスに考えたら凄そうですね、マネジメントとかアナリストとか…。無責任な発言ですね、失礼しました。

noname#184596
質問者

お礼

新しい返答がないようなので、質問を締め切らせていただきます。 ありがとうございました。

noname#184596
質問者

補足

iiiiijさん、返答(2回目)ありがとうございます。返事が遅くなってすみません。 「小さい頃から何でもできる方のほうが夢との出会いは遅くなるかも知れません。」 そういうこともあるとは思いますが、できるかできないかとは違って、どれだけその目標だけを見るだけの集中力とか根気とか、経済力があるかとかも結構係ってきそうに思います。(自分には、集中力、根気とかが足りないんだと思います) 「文章からもggyc10さんは素直で努力家で、とんでもなくできない事柄が少なかったのではないでしょうか。」 確かにある程度の努力家ではあると自分でも少しは思いますが、できないことなんか、少なかったどころか、普通よりむしろ多かったです。 運動も大体平均以下~平均くらいで(足は小学生の時はそれなりに早かったですが)、小3の頃になんだかわからんけど中学受験用の塾に(小6の卒業まで)行かされて(塾には行ってたけど頭はあんまり使ってなくて、いつも模試とかでは偏差値30~40くらいをうろついてた感じで、小学校では中の中の上くらいでした)、よくわかんないけど中学受験させられて、いっぱい受けた中の1つにやっとこさ補欠で合格して、中学に行きました(まさに、中学受験は親の受験という感じでした)。中学に入ってからは、小学校とは違い、定期試験なるものがあると初めて知って、(親は完全に放任主義なんで)初めて自分自信で勉強せざる状態になりました。 で、自分で勉強してみると勉強するだけ点が伸びるといううれしいし、点がいいとみんなにすごいねと言われるしで、勉強以外は運動とかあんまりしないで、勉強してました(このおかげで、中2→3→高1の頃はそれなりに学力は伸びた感はありました)。 高校時代も(もう既に医学科志望だったので)それなりに勉強だけはしてました。 でも今考えると、中2の時から勉強という、何もとりえのなかった自分の逃げ道が掘られてきて、でも、自分は熱しやすく冷めやすいほうなので(これについてはNo4さんに対する補足を読んでいただくと分かりやすいと思います)最高峰でない中途半端なレベルで満足してしまったのだと思います。 自分の場合、伸びる分は人並みにいっぱいあったけど、いくらそういうのが多くても、それを伸ばすだけの湧きあがるような熱いものとかが昔からなかったもんで(あったとしても、いろんな制約を無意識にいろいろ付けて押さえているようなとこもあったので、)何も(少なくとも勉強以外は少しも)開花しなかったんだと自分では思ってます。 「すごく頭の良い方だと感じるので効率とか可能性をプラスに考えたら凄そうですね、マネジメントとかアナリストとか…。無責任な発言ですね、失礼しました。」 マネジメントとか、アナリストとか少しは考えたこともなくもないのですが、数字と向き合っていないといけなくて目がかなりきつそうですし、経営とかお金の増やし方とかあんまり興味なくて、(ちょっとだけ興味あるかもしれないですがすぐに飽きてしまいそうです)(ここら辺の、愛着を持てないこと、飽きやすいこととかに関しては、No1さん、No4さんに対する補足も見ていただけると分かりやすいかと思います)。 ただ、参考にはなりました。ありがとうございます。 話は変わるのですが、(No1さんに対する補足も見ていただけると分かりやすいかと思います) 母は私とは違い(父は若干私と考え方が似通ってる部分があるような気もしますが…)一生懸命に人生を私のため、人のため、社会のために捧げています。ある意味すばらしいと思ったりもしますし、いつも世話になってばっかりだから、「なんか、(自分の好きなこととかできなくて)かわいそうだな」とか思ったりもするのですが、 人の仕事を引き受けて、疲れて帰って来ても、家では冷凍食品とか使わずに夕食をせっせと作っていたりするのを見て「こんな僕みたいなどうしようもない人間とかに、なんの見返りもないかもしれんのに、なんでそんなに頑張れるのかなぁ」とも思ったりします。 でも母は、「ggyc10の健康の為なら、するのが当たり前よ」みたいなことを言ってくれます。これらはみんな、私の幸せを願い、私に対する愛情や自分を犠牲にしてまで守りたいと思うからなのでしょう。 でも私は、先日質問した時のように考えますし、自分が幸せになろうとか大して考えない人なので、母がかわいそうに思います。 問題なのは、母がいつか死んでしまった時に、私は先ほどの父や両祖母の時のようにクールにしていられるか、という事です。自分としては、母が、もしかして会社とかで何か事故とかが起きて死んでしまうかもしれない、急に心肺停止になってしまうかもしれないとか考えて、毎日、母が働いてる間や外出してる間とか、いつでも心の準備はしています(もし、亡くなっても悲しみに押しつぶされないように)。 しかし、母はいつも私のことを1番に考えて行動してくれる(かなり親バカですが)唯一の人で、私が唯一、愛着や感謝などを全ては捨てきれずにいる人です。 これは、自分にとってはすごい恐ろしいことで、(母が)亡くなった時の悲しみ、喪失感などを乗り越えられるか若干不安です。これを不安に感じなければ、人生どうでも良いことだけになり、自分の信念(先日質問した時に書いたような生き方)に基づいてテキトーに「どうでもいいや」と思って生きていけます。 どう考えれば、(先ほどの父、祖母と同じようには無理かもしれませんが、できるだけ心的ダメージを受けずに)変わらず、母の亡くなった後も悲しまずに生きていけるでしょう?(悲しみ、喪失感とかに押しつぶされ、思いもよらなく自殺など自分の規範に外れた変な行動をしたくありません) 長くなってしまい申し訳ないですが、返答宜しくお願いします。 

  • shmra
  • ベストアンサー率14% (2/14)
回答No.7

>夢を追いかけている方は、この先何が起きるか何も分からない状況で夢を追いかけて、必死に頑張って毎日を生きる(生きたいと思える)モチベーションって何でしょうか? そのほうが、何も目指さず、何もせず、ただ食べて寝て起きての生活よりも、ずっと楽しいからです。

noname#184596
質問者

お礼

新しい返答がないようなので、質問を締め切らせていただきます。 ありがとうございました。

noname#184596
質問者

補足

shmraさん、返答ありがとうございます。返事が遅くなってすみません。 確かに、そう思う人も多いかもしれません。 ただ、別に夢を追ってないだけで、夢を追ってない人(例えば私)が何もしてないわけではありません。 それだと流石に暇過ぎて死にそうに感じるときもあるので、何かしらはしてることが多いです。 たとえば、ラジオ聴いたり、テレビ見たり、パズル解いたり、ネットサーフィンしたり、体動かしてみたり、川柳送ってみたり、etc.色々です(そんなに種類はないですけど)。

noname#246720
noname#246720
回答No.6

質問者さんが医大を目指したのと同じように、私も小さいころから夢があってずっとそれに向けて進んでいました。 そして行き詰った時に気付きました。 これは、自分の命をかけるほどのものじゃないと。 じゃあどうして長年かけて目指したのか? その理由も質問者さんと同じです。 世間からチヤホヤしてもらえるし、すごいって言ってもらえるし、なんか楽しそうだし。 でもそこに至るまでの苦労に見合わないと思ったんですよね… だから目指すのをやめました。 多分今の質問者さんと同じくらいの年齢だったと思います。 その後色々あって別の道を見つけ、これこそが本筋だったという確信があります。 もっと早く始めていればと思うこともありますが、今までの寄り道があったからできているということもあるので、後悔してるけど後悔してないというか…変な言い方ですが。 せっかく夢を追いかけても志半ばで何かあったら?という気持ちはわかります。私も高校生くらいの時に同じことを言っていました。 どんな夢にも終わりがあるのになーとか。 でもそれって結局、自分のやりたいことと向き合う勇気がなくて、本当に叶えたいことがダメになったら辛いだろうし、辛いんだったら今のうちにあれこれ理由をつけて諦めた方が楽じゃんと思ったんですよね。 基本はこれです。 「そのほうが楽じゃん」 ご質問文にもそういったニュアンスがありますよね。 医者を諦めるための要素をいくつも挙げておられました。 拝読して、確かにそれならやめておいた方が良いと思いました。 少し考えすぎな部分もありましたが、本当に人生をかけられるようなものであれば、たとえ失明すると言われてもやってしまうものなので、それを不安点に挙げているということは質問者さんにとって医者の道は本筋ではないのでしょう。 でも、タイミングはわかりませんが、多分そのうち質問者さんの本筋に出会うと思いますよ。 その時に医学部を目指して勉強したことや、短い大学生生活の中での経験、そして今ニート状態になっていることも活きてくると思います。 でも「いつかその時がくるから良いや~」と思って何もしない人には、多分何も巡ってきません。(もしくはそれこそ寿命が尽きる1分前とかに本当のことがわかっちゃったりして、それこそ時間切れに…ってなると思います) いつか来るその時のために、今は大してやりたいことじゃなくても、何かしらの収入を得て社会に加わると良いと思います。 バイトでも何でも構いません。 今生活費に困っているわけではなくとも、とにかく何かしら「お金をもらう」ことに参加すべきです。 無職期間が長いと感性が鈍るので、本当にやりたいことが見つかってしまった時の初動が遅れます。 >この先何が起きるか何も分からない状況で夢を追いかけて、必死に頑張って毎日を生きる(生きたいと思える)モチベーションって何でしょうか? 私の場合は「それをやらなくちゃいけないことに気付いたから」です。 明日死ぬとしても、とにかくやらないといけないと思っています。

noname#184596
質問者

お礼

新しい返答がないようなので、質問を締め切らせていただきます。 ありがとうございました。

noname#184596
質問者

補足

ririsakuraさん、返答ありがとうございます。返事が遅くなってすみません。 「世間からチヤホヤしてもらえるし、すごいって言ってもらえるし、なんか楽しそうだし。 でもそこに至るまでの苦労に見合わないと思ったんですよね…」 とにかく医学科時代は苦しかったので、確かにそういう思いもあったとは思いますが、それよりも、医学科は(看護とか医療技術者などを育成するところもそうですが)人の命を扱い、その人の一生を決めてしまうかもしれないという重大な責任感をこの自分が一生耐えられるとは思わなくなってしまった(人どころか,自分の心身のことが心配になり、このままでは、たとえ医師になれたとしても、自分の目指している医師にはなりえないと確信してしまった〈目が悪く、外科医になりたいと思っていた自分の希望が果たせない[目が悪いと術中も手先が安定せず、このような外科医では、患者さんに迷惑をかけてしまう役立たずになるだけ]と思いました〉)ことが結構大きい理由の一つでもありました。 「今までの寄り道があったからできているということもあるので、後悔してるけど後悔してないというか…変な言い方ですが」 私も、今までの道が無駄だとは全く思っていません(どんなことでも人生において無駄なことはないとは思っているので)。人間は止まることはできないと思ってます。たとえ止まっているようでも、時間は人間や動物すべての生き物と関係なく止まることなく流れていくので、その間に何もしなくても、年を取りますし、お腹も減ってきます。そのままにしてても老い、餓死したりしてやがて死んでいきます。だから、意味を持たないことはないと思います。 「基本はこれです。 「そのほうが楽じゃん」 ご質問文にもそういったニュアンスがありますよね。」 確かに、しなくていいんだったら、あえて(自分にとって)苦しい方を選ばずに楽な方を選ぶようなことを自分の行動規範に据えているとこはあります。でも、別にこのことを基本に据えようとしてやっているのではなく、色々な事情があってそうせざる負えないと思ってやっていることなので、(自分としては)基本ではないと思ってます。 昔から何か飛び抜けて好きなこととかできることとかあったわけじゃないし、何か自分には難しいチャレンジングなことに飛び込む勇気や気概も無いので、自分にとってそれなりに余裕でできることをと考えると、必然的にこういう今みたいな状況になってます。あくまで今まで無理ではないレベルで身近な少しチャレンジングなことは(自分なりには)頑張ってきたつもりですので、あくまでそういうスタンスを取らざるを得なかったという感じで自分としては考えています。 「いつか来るその時のために、今は大してやりたいことじゃなくても、何かしらの収入を得て社会に加わると良いと思います。」 特に、自分が何かをやりたくって仕方ないというような状態に必ずしもなりたいわけではなくて、自分自身の信念、行動規範などを崩さなくて良いレベルの中で何か見つかれば良いかもしれないくらいにしか考えてませんので、自分自身の規範などを崩さなくてはいけないような自分の気に入らないことを無理やりやらされるくらいなら、何もしないで自分の規範で人生をテキトーに生きれば良い感じで考えてます(かなり我儘な感じもあるかもです)。 「私の場合は「それをやらなくちゃいけないことに気付いたから」です。 明日死ぬとしても、とにかくやらないといけないと思っています。」 私は、こんな風には思ったこと全く無かったと思います。私が明日死ぬとしたら、何もしなくて良いことに喜び、どうせもうすぐ死ぬので、布団で寝て待つ感じです。仕事・勉強なんて全くしないです(そこまでしてする気力もないと思います)(ラジオとかは聞くかも)。 話は変わるのですが、(No1さんに対する補足も見ていただけると分かりやすいかと思います) 母は私とは違い(父は若干私と考え方が似通ってる部分があるような気もしますが…)一生懸命に人生を私のため、人のため、社会のために捧げています。ある意味すばらしいと思ったりもしますし、いつも世話になってばっかりだから、「なんか、(自分の好きなこととかできなくて)かわいそうだな」とか思ったりもするのですが、 人の仕事を引き受けて、疲れて帰って来ても、家では冷凍食品とか使わずに夕食をせっせと作っていたりするのを見て「こんな僕みたいなどうしようもない人間とかに、なんの見返りもないかもしれんのに、なんでそんなに頑張れるのかなぁ」とも思ったりします。 でも母は、「ggyc10の健康の為なら、するのが当たり前よ」みたいなことを言ってくれます。これらはみんな、私の幸せを願い、私に対する愛情や自分を犠牲にしてまで守りたいと思うからなのでしょう。 でも私は、先日質問した時のように考えますし、自分が幸せになろうとか大して考えない人なので、母がかわいそうに思います。 問題なのは、母がいつか死んでしまった時に、私は先ほどの父や両祖母の時のようにクールにしていられるか、という事です。自分としては、母が、もしかして会社とかで何か事故とかが起きて死んでしまうかもしれない、急に心肺停止になってしまうかもしれないとか考えて、毎日、母が働いてる間や外出してる間とか、いつでも心の準備はしています(もし、亡くなっても悲しみに押しつぶされないように)。 しかし、母はいつも私のことを1番に考えて行動してくれる(かなり親バカですが)唯一の人で、私が唯一、愛着や感謝などを全ては捨てきれずにいる人です。 これは、自分にとってはすごい恐ろしいことで、(母が)亡くなった時の悲しみ、喪失感などを乗り越えられるか若干不安です。これを不安に感じなければ、人生どうでも良いことだけになり、自分の信念(先日質問した時に書いたような生き方)に基づいてテキトーに「どうでもいいや」と思って生きていけます。 どう考えれば、(先ほどの父、祖母と同じようには無理かもしれませんが、できるだけ心的ダメージを受けずに)変わらず、母の亡くなった後も悲しまずに生きていけるでしょう?(悲しみ、喪失感とかに押しつぶされ、思いもよらなく自殺など自分の規範に外れた変な行動をしたくありません) 思ったより長くなってしまい申し訳ないですが、返答宜しくお願いします。 

  • nagaineko
  • ベストアンサー率28% (563/1990)
回答No.5

かなり迷い込んでいるようですね。 でも、あなたの言いたいこと、なんとなくわかります。 自分も似たようなこと考えて、でも、スッキリした答えって、 なかなか見つからなくて。 考えれば、考えるほど、落ちていく・・・・。 私が思うに、幼い子供って、自分が好きなことってわかってますよね。 それで、そのことに夢中になる。 一生懸命やるじゃない?死ぬかもしれんし、とか考えないでしょ。 なのに、大人になると、ほとんどの人が、どんよりしちゃう。 なんでだろう? きっと、途中で、そういう好きなもの、親や、周りの大人に取り上げられちゃう んじゃないかな? それに加えて、いろんな価値観や、常識や、なんかそんなもんを 吹き込まれる。 そのうち、そういうものに引っ張られて、自分の本心から遠ざかった ところへ流されていく・・・。 でも、あなたは、それに気づいたわけでしょ? ほとんどの人は、おかしいなって思いながらも、流されて行っちゃうんですよね。 でもあなたはとりあえず、流れから這い出し、今中州に立ってる。 でも、這い出したものの、どうしていいのかわからない・・・。 必死に頑張れるモチベーションって、やっぱり、好き!って気持ちじゃないかな? 多分、理屈なんかじゃないと思います。 ほとんどの人は、好きでもないことなのに、それを頑張るために、必死に 屁理屈をこねる。頑張るための理由探しをしちゃうんだと思います。 そんなことしてるうちに、人生が終わっちゃう。 僕はいつも思うんだけど、サカナくんっていつもきらきらしてる。 だって、好きなことしかしてないんだもん。 一見、あーいう生き方は、非常識だし、型破り。 そりゃ、そうでしょう。みんながやりたくもない勉強してるときに、 大好きな魚のことばかりやってるんだから・・・。 でも、普通は、あーいうの取り上げられちゃうんだよね。誰かに。 だから、目が死んでいく。 あなたにだって、好きなもの、きっとあったはず。 今もきっとある。 でも、今はそれが見えなくなってるだけだと思います。 それに気づけた時、答えが見つかるような気がします。

noname#184596
質問者

お礼

新しい返答がないようなので、質問を締め切らせていただきます。 ありがとうございました。

noname#184596
質問者

補足

nagainekoさん、返答ありがとうございます。返事が遅くなってすみません。 確かに、小学生の頃とかは、自分の将来の心配なんてこれっぽっちもしないで、校庭で大ピンしたり、ドッジボールとかしたりして遊んでました。小3の頃になんだかわからんけど中学受験用の塾に(小6の卒業まで)行かされて(塾には行ってたけど頭はあんまり使ってなくて、いつも模試とかでは偏差値30~40くらいをうろついてた感じで、小学校では中の中の上くらいでした)、よくわかんないけど中学受験させられて、いっぱい受けた中の1つにやっとこさ補欠で合格して、中学に行きました(まさに、中学受験は親の受験という感じでした)。中学に入ってからは、小学校とは違い、定期試験なるものがあると初めて知って、(親は完全に放任主義なんで)初めて自分自信で勉強せざる状態になりました。で、自分で勉強してみると勉強するだけ点が伸びるといううれしいし、点がいいとみんなにすごいねと言われるしで、勉強以外は運動とかあんまりしないで、勉強してました。高校時代も(もう既に医学科志望だったので)それなりに勉強だけはしてました。でも今考えると、中2の時から勉強という、何もとりえのなかった自分の逃げ道が掘られてきて、でも、自分は熱しやすく冷めやすいほうなので(これについてはNo4さんに対する補足を読んでいただくと分かりやすいと思います)最高峰でない中途半端なレベルで満足してしまったのだと思います。 好きだったことも、今好きなこともないわけではないですが、サカナくんみたいなオタッキーな感じには、今まで何もハマってこなかったし、今もハマってません。ハマる前に、どうしても体力や気力の無さや、どうせ死んで何も残らないのだから、どうでもいいやと思ったりします。やっぱり、愛着とか情熱とか熱いものをほとんど全部触れずに(触れても、すぐに好きという感情が忘れ去られたり、満足して無くなったりして)来たから、小さいころからなんだか中途半端になりやすいみたいです。(ここら辺の好きなこと、愛着を持てないこととかに関しては、No1さん、No4さんに対する補足も見ていただけると分かりやすいかと思います) 話は変わるのですが、(No1さんに対する補足も見ていただけると分かりやすいかと思います) 母は私とは違い(父は若干私と考え方が似通ってる部分があるような気もしますが…)一生懸命に人生を私のため、人のため、社会のために捧げています。ある意味すばらしいと思ったりもしますし、いつも世話になってばっかりだから、「なんか、(自分の好きなこととかできなくて)かわいそうだな」とか思ったりもするのですが、 人の仕事を引き受けて、疲れて帰って来ても、家では冷凍食品とか使わずに夕食をせっせと作っていたりするのを見て「こんな僕みたいなどうしようもない人間とかに、なんの見返りもないかもしれんのに、なんでそんなに頑張れるのかなぁ」とも思ったりします。 でも母は、「ggyc10の健康の為なら、するのが当たり前よ」みたいなことを言ってくれます。これらはみんな、私の幸せを願い、私に対する愛情や自分を犠牲にしてまで守りたいと思うからなのでしょう。 でも私は、先日質問した時のように考えますし、自分が幸せになろうとか大して考えない人なので、母がかわいそうに思います。 問題なのは、母がいつか死んでしまった時に、私は先ほどの父や両祖母の時のようにクールにしていられるか、という事です。自分としては、母が、もしかして会社とかで何か事故とかが起きて死んでしまうかもしれない、急に心肺停止になってしまうかもしれないとか考えて、毎日、母が働いてる間や外出してる間とか、いつでも心の準備はしています(もし、亡くなっても悲しみに押しつぶされないように)。 しかし、母はいつも私のことを1番に考えて行動してくれる(かなり親バカですが)唯一の人で、私が唯一、愛着や感謝などを全ては捨てきれずにいる人です。 これは、自分にとってはすごい恐ろしいことで、(母が)亡くなった時の悲しみ、喪失感などを乗り越えられるか若干不安です。これを不安に感じなければ、人生どうでも良いことだけになり、自分の信念(先日質問した時に書いたような生き方)に基づいてテキトーに「どうでもいいや」と思って生きていけます。 どう考えれば、(先ほどの父、祖母と同じようには無理かもしれませんが、できるだけ心的ダメージを受けずに)変わらず、母の亡くなった後も悲しまずに生きていけるでしょう?(悲しみ、喪失感とかに押しつぶされ、思いもよらなく自殺など自分の規範に外れた変な行動をしたくありません) 長くなってしまい申し訳ないですが、返答宜しくお願いします。 

noname#187921
noname#187921
回答No.4

夢を持つ人は、私も含め欲張りなんだと思います。 生きている意味がほしい、目的がほしい、達成感が気持ち良い。などなど、人それぞれだと思いますが個人的には目的の為に自分を変化させることに価値を見ています。 周りに好奇心をくすぐることが溢れていて、昨日と同じ自分でいることが我慢できないのです。ある日、ポッと死んで知識が無駄になっても構わない。刹那的思考=バカなんだと思います笑。自分をどれだけ洗脳するか、そういう意味ではggyc10さんと方向性が違うだけで同じことをしている気がします。

noname#184596
質問者

お礼

新しい返答がないようなので、質問を締め切らせていただきます。 ありがとうございました。

noname#184596
質問者

補足

iiiiijさん、返答ありがとうございます。返事が遅くなってすみません。 「周りに好奇心をくすぐることが溢れていて、昨日と同じ自分でいることが我慢できないのです。」、 すごいアグレッシブで情熱的な方だ、と思いました。自分はそんなに好奇心をくすぐられるようなこととかないし、あったとしても、あんまり持続しないことがほとんどです。 熱しやすく冷めやすいタイプな部分もあるかもしれないです。 好奇心がくすぐられたら、一定期間は、それしか見えなくなってしまう(そのこと以外見えなくなってしまう)ほうで、大体、物事は集中して一気に自分の満足する程度(これはそんなに高い水準じゃないこともあるし、比較的簡単なことはできれば最高峰まで集中的にやることもあります)にやることが多いです(凝り性なとこもあるかもです)。 例えば、提出必須の宿題やレポートは締切前にギリギリに慌てるのが嫌なので、指示が出されたその日にできるだけその日のうちに書き上げます(ただ、凝り性なとこも少しあるので、かなり調べたり、応用的なとこまで手を出したりすることもあるので、一応、終わらす速さより、内容を重視してはいます)し、 気になる子ができると何日かはその子のことばかり他の人より気になるし(ただ、勉強とか時間の制約もあるのでいつまでも気になったりして他のことに手がつかなくなるみたいな状況には陥りません)、 碁とか打ったこともないのに、急に段位認定で段位が欲しいから1日で最初から本とかで勉強して、問題解いたりと まぁ、色々です。 でも、大体はすぐに1ヶ月もすれば興味が薄れてたりします。いままでずっとやってるのは、勉強とあと趣味少し(パズルとか)です。 「刹那的思考=バカなんだと思います笑。」 別に、私は、バカだとは思いませんでした。みんな考え方は違うし、その人がどう思うかしかないと思います。

  • gooyskaao
  • ベストアンサー率30% (143/476)
回答No.3

生きるモチベーション(意欲)は、自然に沸き立つものです。 理性(左脳?)を使っても、見つかりません。 あなたが、一応暇で今勉強しているのは、なぜでしょうか? 自殺しない、傭兵にならない、という自殺行為をしないのは、 あなたの本能に生きるモチベーションが備わっている証拠です。 そして、あなたはたいへん真面目な左脳(知的)人間と思われます。 夢なんてなくても生きて行けるさ、ケセラセラ。Let it be.なるようになるさ。 親が医者で、医者になれと、言われているのでしょうか? 別に気にしなくても?と思います。 医大に合格できる学力があるのですから、大丈夫です。 とりあえず、金稼いで、独立して、気ままに暮らす(誰にもあなたに物申せない環境をつくる)のが、いいんじゃないでしょうか? 働いて、お金稼いで、自分のことは自分でできれば、誰にもあなたに物を申せません。 つまり、今言ってる、あなたの思想というか考えを貫いて、誰も文句を言えません。 (心で思うのは、止められませんが。) だからそれを目標に、適当に大学受験して合格校のうちあみだくじで進学する、もしくは、私大医学部中退で、就活するでも いいので、やってみれば? 少し甘えを感じます。このままいくと、ホントにニートになってしまいますよ。 その悩みを持ちながら、前に進みましょう。 みんな何かしら、悩みや答えの出ない問題を抱えながら、社会で働いているのです。 このサイトの質問者の内容をいくつか読めばわかるでしょう。 今わからなくても(無意識に勉強をしていて、本当は本能でわかっているあなたには) 分かった時に遅かったとか、後悔しないように、前に進んでください。 せっかくの頭脳、もったいないです。 そして、人生は(努力の大小はありますが)やり直しがききます。 見るからおばーちゃんが大学の学生として通っていたりします。 超エリート会社マンが、急に田舎で農業やったり、ペンション開いたり、喫茶店開いたり、 なんてザラです。 夢が見つかるまで、とりあえず、高給取り目標に生きていれば、医者も途中でやめて、 マンガ喫茶経営したり、ラーメン屋に転身したり、金があれば、夢持った時、 いろいろ融通が利くと思います。

noname#184596
質問者

お礼

新しい返答がないようなので、質問を締め切らせていただきます。 ありがとうございました。

noname#184596
質問者

補足

gooyskaaoさん、返答ありがとうございます。返事が遅くなってすみません。 自分が一応勉強しているのは、自分は非常に内向的で、他にやりたいこともないし、暇過ぎて死にそうに感じることもあるので何かするしかないっぺってなった時にやってるだけです。別に無意識に知らないうちに勉強っしてるってわけではないです。(そんなレベルなら、もっと勉強できて、京大医学科とかにも入れそうな気も…) 親も、全く医者でなく、まずしてうちの家系に1人も医者はいません。また、中学生頃からは完全な放任主義だったので、医者になれとか言われたことは1度もないです。でも、母は、小学生の時、病気で入院していて、その時医師に治してもらったみたいな経験があるのでそれ以来医師に憧れて医師になろうと思ったことはあるらしいのですが、色々と事情があり、なれなくて、私が医学科を目指すと決めた時はうれしそうだった気がします。 「せっかくの頭脳、もったいないです。」と言っていただいたのですが、自分は小学生の時なんか模試とかで偏差値30~40くらいでしたし、小学校で0点取ったときだって何回かありました。なので、私にはそのような元から優れた能力はないし、単に(中学2年~)努力でひとまず食らいついてきた卑しい人間だと思います。自分より頭いい人なんていくらでもいるし(例えば、東大理三・文一、京大医学科、阪大医学科etc.)、自分は取るに足らない大したことない人間だってことくらいは分かってます(No2さんへの補足も見ていただけると分かりやすいかと思います)。 「少し甘えを感じます。」、これはまさにその通りだと自分でも思います。親のお金がないと今まで生きてこれなかったし、今この文字を打っているときに使ってる電気の電気代も親が払ってくれているから打てていたりしますし。経済的には、全部親任せです。 「その悩みを持ちながら、前に進みましょう。」、できれば解決に近い形で、前に(しょうがないので)進みたい気もします。 自分は、自分の思う、自分の身の丈に合った人生の中で自分以外の人(特に家族以外の人)をできるだけ巻き込まず(背伸びをせずに)素直に仕方なく生きていけば良いんじゃないかと思ったりします。 なので、確かに高給取りになってた方が選択肢広がるのは確かだと思いますが、それが人の命に係るような職だったりするのなら、自分はするべきでないし、したら周りの人に不幸をまき散らすことになっても困るし、自分がするべき仕事だという確信が持てない限り(そんな確信もてる気がしません)は、「何でもいいから高給取りを」という気にはなりません。 話は変わるのですが、(No1さんに対する補足も見ていただけると分かりやすいかと思います) 母は私とは違い(父は若干私と考え方が似通ってる部分があるような気もしますが…)一生懸命に人生を私のため、人のため、社会のために捧げています。ある意味すばらしいと思ったりもしますし、いつも世話になってばっかりだから、「なんか、(自分の好きなこととかできなくて)かわいそうだな」とか思ったりもするのですが、 人の仕事を引き受けて、疲れて帰って来ても、家では冷凍食品とか使わずに夕食をせっせと作っていたりするのを見て「こんな僕みたいなどうしようもない人間とかに、なんの見返りもないかもしれんのに、なんでそんなに頑張れるのかなぁ」とも思ったりします。 でも母は、「ggyc10の健康の為なら、するのが当たり前よ」みたいなことを言ってくれます。これらはみんな、私の幸せを願い、私に対する愛情や自分を犠牲にしてまで守りたいと思うからなのでしょう。 でも私は、先日質問した時のように考えますし、自分が幸せになろうとか大して考えない人なので、母がかわいそうに思います。 問題なのは、母がいつか死んでしまった時に、私は先ほどの父や両祖母の時のようにクールにしていられるか、という事です。自分としては、母が、もしかして会社とかで何か事故とかが起きて死んでしまうかもしれない、急に心肺停止になってしまうかもしれないとか考えて、毎日、母が働いてる間や外出してる間とか、いつでも心の準備はしています(もし、亡くなっても悲しみに押しつぶされないように)。 しかし、母はいつも私のことを1番に考えて行動してくれる(かなり親バカですが)唯一の人で、私が唯一、愛着や感謝などを全ては捨てきれずにいる人です。 これは、自分にとってはすごい恐ろしいことで、(母が)亡くなった時の悲しみ、喪失感などを乗り越えられるか若干不安です。これを不安に感じなければ、人生どうでも良いことだけになり、自分の信念(先日質問した時に書いたような生き方)に基づいてテキトーに「どうでもいいや」と思って生きていけます。 どう考えれば、(先ほどの父、祖母と同じようには無理かもしれませんが、できるだけ心的ダメージを受けずに)変わらず、母の亡くなった後も悲しまずに生きていけるでしょう?(悲しみ、喪失感とかに押しつぶされ、思いもよらなく自殺など自分の規範に外れた変な行動をしたくありません) 長くなってしまい申し訳ないですが、返答宜しくお願いします。 

  • tomban
  • ベストアンサー率26% (2616/9771)
回答No.2

けっこう、ご尤もな事を言ってると思う。 そうだ、そのとおりだわな?って思う。 確かにそうだ。 でも、それは「考え違いの上に築いてきた城」だぞ?。 どんなに立派でも、それは間違ってる。 なぜなら、人生というものは、君が思っているほどに「重くなんか無い」からだ。 人生に特定の意味なんて無い。 ただ「生を継続するために」人は生まれたし、生きてもいるんだから。 自分の意志外で自分は生まれた来たし、自分の意志外で死んでしまう。 自分の人生なんぞというものは、実は「自分で決めること」の範疇はとんでもなく狭いものでしか無い。 夢だ理想だ、とか言ってるうちに、ほざいているうちに、コロン、と死んでしまうんだ。 医療の世界にいるのだからわかるでしょ?。 人間の命って「物凄く軽い」ってことが。 人間にかぎらず、生命というものは、なんだって軽い。 儚い、薄っぺらい、取り留めがないものだ。 …しかし「だからこそ」歯向かうんだよ。 生殖の力で継続し、愛情を持って誰かとつながって、夢を持つことで何かを残し、毎日を悔いなく生き、燃焼しようと頑張る。 これは「抵抗」だ。 生きる、ということはレジストすること…自分の特性に対して、抗っていくことが「生きること」なんだ!。 医者ってのは、その「手助け」をする商売だよ。 良くも悪くもそういうものだ。 生かすこと、生存させることが、医者の「意味」なんだ。 …どうするかね?。 君はどうしたい?。

noname#184596
質問者

お礼

tombanさん、返答ありがとうございます。 自分の書いたことに間違えがあったのを発見したので、訂正させていただきます。 補足で、 「人間1人の寿命なんて長くても120年くらいでしょう。地球の今まで生きてきた時間を1時間とすると、人間一人の寿命なんて1÷46億年=(2.173913e-10)時間=(1.30434783e-8)分でほぼ0に近い一瞬だなぁ~なんて思って、」 と書いたのですが、 正しくは、 「人間1人の寿命なんて長くても120年くらいでしょう。地球の今まで生きてきた時間を1時間とすると、人間一人の寿命なんて120年÷46億年=(2.60869565e-8)時間=(0.00000156521)分=(0.00009391304)秒でほぼ0に近い一瞬だなぁ~なんて思って、」 です。

noname#184596
質問者

補足

tombanさん、返答ありがとうございます。返事が遅くなってすみません。 自分は、人生に意味を見つけようとしてるわけではありません。(本当は、意味を見つけてイキイキと生きたいのかもしれませんが、もはやあきらめているところがあるので、意味を探そうとも特にはしてません) 自分が医学科で患者さんと触れ合った機会が影響しているのかは分かりませんが、自分も人の人生は儚いと思います。 考えると、地球はもう既に46億年近く生きていますが、人間1人の寿命なんて長くても120年くらいでしょう。地球の今まで生きてきた時間を1時間とすると、人間一人の寿命なんて1÷46億年=(2.173913e-10)時間=(1.30434783e-8)分でほぼ0に近い一瞬だなぁ~なんて思って、「もう、自分ひとりの人生くらいどうでもいいやぁ~」とかで、やる気は起きません。 それに、自分が死んでも、日本の平均寿命とかほとんど変わらないし、悲しむ人だって、家族、昔の友人だった人くらいで、(超有名人だったら、その影響は私の何倍にでもなるでしょう)自分の存在は無に等しく感じます。 ただ、自分の存在はほぼ無だからと言って、犯罪(特に、自分以外を巻き込む殺人や窃盗、暴力etc.)や反社会的行動(暴力団や暴走族、麻薬密売etc.)などをしてはいけませんし、しようとも思いません。 なぜなら、当然、自分以外は自分でないので、自分以外の人はどう考えているのか完全には分かりませんし、経験してきた(している)事だって、価値観だって全く違うと思います。なので、私は自分以外の人には(特に、家族以外の他人には)できるだけ影響を与えて迷惑をかけたりしたくないんです。 (それに、逮捕されたり、わざわざ恨まれて殺されても困りますし)そんなことするくらいだったら、(たとえホームレスのような状況でも)何も食べずに餓死したりするべきだと思っています。自分は自殺はできないのですが、自分以外の人に不幸をまき散らすぐらいだったら、そんなことしたくないので、餓死や雪山で眠るように死ぬなどの自殺をすることはある可能性はないとは言えません。 特にやりたいことはありませんが、絶対に嫌なことはあります。 まずは、必要以上の(自分にとって)無意味で嫌なことはしたくないという事です。例えば、部活やサークル(強制だったら入学・入社しませんし退学します)、 健康診断(医学科時代は人間の健康に向き合う特殊な科なので、仕方なく受けていましたが、もともと病気が見つかっても治そうとも思ってない〈むしろ末期だったら特に喜ぶような〉人に健康診断する意味が感じられないない)、 合宿(相部屋とか無理なんでとにかく休みます)、 飲み会(まずして断固として、お酒飲みませんし、タバコ吸いませんし、誰かと仲良くしようという気がないし、不健康だと思うので早めに家に帰ります)、 各種接待(そんな本質的でないことをして契約取ったり、ロビー活動して東〇オリンピックを約束させたって意味ないですし、全くもって気持ちが悪くなりそうです。)、人とのお付き合いなどです。 これらの嫌なことを「やらなければ退学・クビだ」といわれるのだったら、辞めて、他に行きます。ないんだったら、しょうがないのでテキトーに過ごして死ぬ時を待つしかないと思います。 あと、不正行為全般全く認めません。接待全般もある種の不正行為です。医学科を退学した理由の一つもこれと関係します。私は高校卒業まで定期試験の過去問題などの存在すら一切知りませんでした。普通に自分で勉強してました。 が、医学科はすごい勉強家が集まるところだろうと思って浪人して、合格し、いざ大学の授業が始まってみると、驚くばかりでした。 まず、(患者さんが不快感を示し苦情を申告しているのに)茶髪の人は結構いるし、 実習でも先輩の実習ノートを丸写しみたいなことをやり(それに、きちんと結果も出てないのに早く帰りたがる)、 小テストではカンニングもチラホラ(先生方の中には、見て見ぬふりをしていた人もいました)、 定期試験・各種テスト前にはクラスの係りが作成した(又は先輩から譲り受けた)資料の販売など、 不正がありました自分はあらゆる不正には手を染めたくないのですが、留年してもし放校でもさせられたらといつも考えて恐怖に感じていたことと、(自分はよく勉強しており、周りの勉強しない人が合格するんだったら、自分は当然合格点を取れると思っていましたが)みんなが使っているのに(効率のすこぶる悪い)自分が使ってないと、より高い点が取れなくて困るかもと思い、唯一、過去問などの資料は買わざる負えませんでした。 普通あのような代物は普段勉強せずに遊んでいる人が、試験数日前に必死に勉強するためのもののようですが、知らんことはできるだけ全部吸収してやろうと必死に勉強していた自分はそれもあえて買って全部活用してました。試験の結果は自分の思ったより良く、上位のほうになれました。 しかし、そんな勉強と進級への心配の奴隷のような毎日を繰り返すうちに、このままでは自分が、他の不正をしてるような人たちのように(言葉は悪いですが)汚れてしまい、それこそ、医師となってお金は十分に貰えるでしょうが心身は自分の規範に沿ったものでなく、死んだようになってしまうのではないかという恐怖を感じるようになってきました。 進級する・良い点を取ることに執着するあまり、医師という人の命を扱う重大な責務を負う覚悟、人の命を救うための勉強をしているという意識が希薄になり、何らかの不正(最悪、カンニングや捏造など)に手を染めるのだと思います。 自分は、医師になるのは余裕を持って医師になれるくらい能力があり、人の命を扱う重大な責務を負う覚悟、人の命を救うための勉強をしているという意識をきちんと持つ人のみが医師になるべきだと思います(私にはそのような元から優れた能力はないし、単に努力でひとまず食らいついてきた卑しい人間なので、自分は医師になるには不適格だと確信しました)。 医師による論文の捏造や患者さんに対する裏切りなどは、医師になってから始まるものではなくて、医学生の時代から平然と行われ始めており、医学生教育をもっと真面目にしなければ、無くならないと思います(あと、医学界の権威主義も影響してる気がします)。 自分は、たとえ、あらゆる抵抗することが人生だとしても、自分の思う、自分の身の丈に合った人生の中で自分以外の人(特に家族以外の人)をできるだけ巻き込まず(背伸びをせずに)素直に生きていけば良いんじゃないかと思ったりします。 話は変わるのですが、(No1さんに対する補足も見ていただけると分かりやすいかと思います) 母は私とは違い(父は若干私と考え方が似通ってる部分があるような気もしますが…)一生懸命に人生を私のため、人のため、社会のために捧げています。ある意味すばらしいと思ったりもしますし、いつも世話になってばっかりだから、「なんか、(自分の好きなこととかできなくて)かわいそうだな」とか思ったりもするのですが、 人の仕事を引き受けて、疲れて帰って来ても、家では冷凍食品とか使わずに夕食をせっせと作っていたりするのを見て「こんな僕みたいなどうしようもない人間とかに、なんの見返りもないかもしれんのに、なんでそんなに頑張れるのかなぁ」とも思ったりします。 でも母は、「ggyc10の健康の為なら、するのが当たり前よ」みたいなことを言ってくれます。これらはみんな、私の幸せを願い、私に対する愛情や自分を犠牲にしてまで守りたいと思うからなのでしょう。 でも私は、先日質問した時のように考えますし、自分が幸せになろうとか大して考えない人なので、母がかわいそうに思います。 問題なのは、母がいつか死んでしまった時に、私は先ほどの父や両祖母の時のようにクールにしていられるか、という事です。自分としては、母が、もしかして会社とかで何か事故とかが起きて死んでしまうかもしれない、急に心肺停止になってしまうかもしれないとか考えて、毎日、母が働いてる間や外出してる間とか、いつでも心の準備はしています(もし、亡くなっても悲しみに押しつぶされないように)。 しかし、母はいつも私のことを1番に考えて行動してくれる(かなり親バカですが)唯一の人で、私が唯一、愛着や感謝などを全ては捨てきれずにいる人です。 これは、自分にとってはすごい恐ろしいことで、(母が)亡くなった時の悲しみ、喪失感などを乗り越えられるか若干不安です。これを不安に感じなければ、人生どうでも良いことだけになり、自分の信念(先日質問した時に書いたような生き方)に基づいてテキトーに「どうでもいいや」と思って生きていけます。 どう考えれば、(先ほどの父、祖母と同じようには無理かもしれませんが、できるだけ心的ダメージを受けずに)変わらず、母の亡くなった後も悲しまずに生きていけるでしょう?(悲しみ、喪失感とかに押しつぶされ、思いもよらなく自殺など自分の規範に外れた変な行動をしたくありません) 思ったより長くなってしまい申し訳ないですが、返答宜しくお願いします。 

  • yasuto07
  • ベストアンサー率12% (1344/10625)
回答No.1

質問が面白いですよね、、、せっかく、イダイニ入ったのだから、精神科医でも、目指せばいいのに、、、そしたら、なぜ、自分が、、、このようなおもに、、、当たるのかを、お勉強できるのでは、、、。少なくても、、、入るまでの、費用が家にあったんでしょう。 あなたの考えが面白いし、、、若い人は、、、色々と、考えが巡っているようです。精神科医で、死にたい人はたくさんいましたし、、、絶望のふちに立っている人もいましたよ。 平行棒って、、細いじゃないですか、、落ちるかもしれないけど、ふらつきながら歩きたくなることありませんか?。 昔、線路のそばに住んでいました、、、時々線路の上を歩きたくなるんですよね、、、そこから、落ちたら、また登って、、 とぼとぼと、線路の上を歩くんです。 人生の存在や、目的、目的、未来を考えるのに、意味がいるんでしょうか、、。 生まれたから、生きている、、、とりあえず、頭がいいから、大学に行く、、、何かの役に立ちたいから、医大に行く、、、。 そこに、何か、それほど、大きな目的がひつようなのですか? 私は55さい、、、父は、幼い頃、、特攻隊で、三回出撃直前で、取りやめになって終戦と言っていました。、、、。 全然、関係ないけど、、、車、バイクで、10回以上しにそうになりました、スピンして、横転したり、、スピンして一秒後に車がきたり、道路を5mくらいノーヘルで、宙を舞い、背中から着地、、、それでもまだ生きてるんです、、、。 何が幸い、、、なのでしょうか、、、今は、、特養で、ケアマネをしています、、、沢山の年寄りが看取りで、年間、20人くらい死んでいきます、、、。人生って、なんだろう、、、。 時として、あなたの内なる心のみなもを見つめて見なよ、、、いつかは一滴の水滴が波紋を広げるかもしれません。 男性、女性、、、わからないけど、、、。 まだ、先の人生は続くわけで、あなたのいう、途中で、止められないのだから、、、。 男なら、仕事について奥さんを娶り、子供を作り、家を作り、家族をまもる、、、。 女性なら、、、愛する人を見つけて、子供を作り、、、愛すればいい、、、そして、どちらにしても、次の世代に、、、 あなたの心、思いを伝えればいい、、、立ったそれだけのことに、モチベーションも、動機も入らないのでは、、、。 イノセントな心を大切にするべきでしょう。そして、この文章を読み直してくれれば、、、と思います。 あなたがこれまでしてきた勉強、家族、、、を大切にすることからでは、、、とおもいます。 質問があれば加筆しますよ、、。世の中の若者は、、、特養で、おばあちゃんのお尻を拭く様な仕事をしている人もいるのです。 自衛隊で、銃を持っている人もいるでしょう、、。いいじゃん、、何かで、死ぬまで、、、一生懸命イキヨウヨ、、、。 と思います。長くなったので、この辺でやめますが、、、。何かの参考になれば、と思います。

noname#184596
質問者

お礼

新しい返答がないようなので、質問を締め切らせていただきます。 ありがとうございました。

noname#184596
質問者

補足

yasuto07さん、返答ありがとうございます。返事が遅くなってすみません。 実は中二の時医師を目指そうと思ったきっかけは、和田秀樹氏という精神科医でした。彼は東大医学科を卒業して、精神科医をしながら大学受験の指導などにも携わっている人で、中二の頃はまだ、医学科は偏差値が高く高収入だなんて全く知らなかったので、単純に「頭が良くて白衣もカッコいいな~」とかしか思わずに医師を志し始めました。 でも、高校生頃からは外科医の方が患者さんに尊敬されるしありがたられるしカッコいいと思い始めました(テレビとかの影響もあるとは思いますが)。それに、精神科医はその医師自身が他の精神科医に診てもらっている患者である率も低くないし、親身に話し過ぎて患者と共に心中した人がいたという話も聞いたことがあったので、精神科医になる気は一切なくなってました。 yasuto07さんは、「あなたがこれまでしてきた勉強、家族、、、を大切にすることからでは、、、とおもいます。」と仰って下さっていましたが、私は今まで本当に何かを大切にしたことはなかったと思います。 なぜなら、何か大切なこと(人でも物)をもってしまうと、その人や物を失った時に耐えきれないほどの深い悲しみや喪失感が自分の中で込み上げてきてしまい、立ち直れなくなってしまうのではないかと心配に(また、そのような心に深いダメージを与えられてしまうような体験をしたくないと)思ってしまうからです。 もし、これらの深い悲しみや喪失感などを回避するための準備〈大切なものをもたないこと〉などをせずに自分にとって大切なものを持って生きていき、どこかのタイミングで不意にそれを失った時、心にダメージを受けて自分がどうなってしまうか<[決してしたくはないのですが、悲しみに耐えられず、やむを得ず]自殺をしてしまうのではないか>とかを考えると怖いし恐ろしいので、これらのダメージを回避するには、最初から自分にとって大切なものを持たず、あらゆるものにこだわりを持たず、いつでも全てのものを捨てられる(失える)ように準備せざる負えないのだと思います。 一般的には、自分の家族(両親、祖父母、叔父、叔母etc.)、友人、恩師、形見、自分の記念品、思い出の品などに対し愛情や恩、愛着などを感じ、それを大切にして生きていくのが正しいのかもしれませんが、私にとってはある1人を除いては、(言葉が悪くて申し訳ないのですが)亡くなってもダメージは小さい存在で、亡くなっても(失っても)涙など一滴もたらさずに、何もなかったかのように次の日から平然と勉強やら、仕事やらと日常生活をしていくことができる自信があります。 実際、既に、父と(父方と母方の両方の)祖母を数年前に亡くしていますが、(誰が亡くなっても、その夜とかに枕を濡らしたりすることも一切なく、)ほとんどダメージを受けずに何ともなく生活できています。 父の場合、私が幼稚園児の時から喫煙者(ヘビースモーカーかつ酒飲み)で、母(禁煙者かつお酒を飲まない)と私(禁煙者かつお酒を飲まない)から完全に嫌がられてました。私の子育てにもあまり興味がなく、私が高校の時頃には喫煙、飲酒のことや、仕事を自分勝手に辞めてきたりで(今考えれば、がんでもう死が近いから働く気も失せたのでしょう)揉めて(また、父は揉め事が嫌いで事なかれ主義だったので)、別の場所に暮らしてました。 末期のがんで大学病院に入院してた時も、(父は素直じゃないほうなので、特に私に会いたいとか言ったこともないみたいなので)私は一度も会いに行かず、そのまま亡くなりました。 たぶん父は私に会いたかったのかもしれませんが、私は自分が悲しみとかに押しつぶされないようにするために(また、テレビドラマで死ぬ前に最後の一言を言う感動シーンみたいな人間臭いことは一切したくありませんので)、頼まれても会いには行かなかったと思います。 祖母の場合は、自分に実の母、父でもないので、特に深い思い入れもなく、入院中に1度くらい会いに行きましたが、待合室とかで普通に勉強してました。火葬場で燃やされてた時も、「人間、最後はただの骨か」と思ったくらいで、待ってる間は塾の宿題やってました。 色々不謹慎なこと書いてるという事は分かっているのですが、本心なので申し訳ありませんが、仕方ありません。 このように自分が思うのは自分の少し天邪鬼な性格だけでなく、自分が人からの愛情や恩を感じられない鈍感なところ(基本、頭の回転も速いほうではなく、医学科で実験してる時も〈私は一つ一つ確認してゆっくりと実験してたので〉[一刻も早く帰りたがる]自分のパートナーの9割方はムカつかせてしまってました)や、(自分はそれなりに不自由なく暮らしてきて、悲しみや喪失感などの負の感情に対する耐性が弱いので)自分をできるだけ悲しみ、喪失感から回避させようという強い意志、これまで1度も恋愛をしたことがないため(まずして、自分を大切にできない奴が人を大事にできるわけないですけど…)、誰かを本当に愛すること、自分を犠牲にしてまでその人を生かしたいと思うようなことがなかったことなども影響しているのではないかと思います。 このような性質は小学校の頃から変わっておらず、物事をクールに捉えがちです。 そりゃあ、小中大(高校は男子校だったのであり得ません)と「いいなぁ~」と思うような好きな子は人並みにいましたが、(もともと恥ずかしがり屋で人前で緊張しがちなもんで)自分の思いを相手に伝えたりしたことはありません。大学でも自分に対して好意を抱いていることを表すようなことを言ってきたり、してきたりする子も何人かいたのですが(自分も好意を抱いてました)、たとえその人と付き合うことになって自分にとって大切な人だと思うようになっても、もしその、自分にとって大切な人を失った時のことを思うと、先ほども書いたように悲しみや喪失感に襲われる恐怖を考えてしまい、結局、何もしないどころか、わざと避けていたような気がします。 先ほど書いた「私にとってはある1人を除いては」の1人とは、私の母です。母は私とは違い(父は若干私と考え方が似通ってる部分があるような気もしますが…)一生懸命に人生を私のため、人のため、社会のために捧げています。ある意味すばらしいと思ったりもしますし、いつも世話になってばっかりだから、「なんか、(自分の好きなこととかできなくて)かわいそうだな」とか思ったりもするのですが、 人の仕事を引き受けて、疲れて帰って来ても、家では冷凍食品とか使わずに夕食をせっせと作っていたりするのを見て「こんな僕みたいなどうしようもない人間とかに、なんの見返りもないかもしれんのに、なんでそんなに頑張れるのかなぁ」とも思ったりします。 でも母は、「ggyc10の健康の為なら、するのが当たり前よ」みたいなことを言ってくれます。 これらはみんな、私の幸せを願い、私に対する愛情や自分を犠牲にしてまで守りたいと思うからなのでしょう。 でも私は、先日質問した時のように考えますし、自分が幸せになろうとか大して考えない人なので、母がかわいそうに思います。 問題なのは、母がいつか死んでしまった時に、私は先ほどの父や両祖母の時のようにクールにしていられるか、という事です。自分としては、母が、もしかして会社とかで何か事故とかが起きて死んでしまうかもしれない、急に心肺停止になってしまうかもしれないとか考えて、毎日、母が働いてる間や外出してる間とか、いつでも心の準備はしています(もし、亡くなっても悲しみに押しつぶされないように)。 しかし、母はいつも私のことを1番に考えて行動してくれる(かなり親バカですが)唯一の人で、私が唯一、愛着や感謝などを全ては捨てきれずにいる人です。 これは、自分にとってはすごい恐ろしいことで、(母が)亡くなった時の悲しみ、喪失感などを乗り越えられるか若干不安です。これを不安に感じなければ、人生どうでも良いことだけになり、自分の信念(先日質問した時に書いたような生き方)に基づいてテキトーに「どうでもいいや」と思って生きていけます。 どう考えれば、(先ほどの父、祖母と同じようには無理かもしれませんが、できるだけ心的ダメージを受けずに)変わらず、母の亡くなった後も悲しまずに生きていけるでしょう?(悲しみ、喪失感とかに押しつぶされ、思いもよらなく自殺など自分の規範に外れた変な行動をしたくありません) 思ったより長くなってしまい申し訳ないですが、返答宜しくお願いします。