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キリスト教の普及

南蛮人は植民地支配のさきがけとして、キリスト教を布教させるなど文化侵略という偽善から食ってくるという話を聞きました。その意味ではすでにこの国は虫食い状態ですね。哀れ^^; 昔「あなたは神を信じますか?」などの言葉が出回りました。昔は露骨に宣教師がこの国で工作活動していたんですかね?いつころですか? 南蛮文化であるクリスマス、南蛮用の教会で結婚式を挙げるなど、かなり食っています。戦後の南蛮文化の普及過程を教えていただけませんかね? あと教会などが始めてできたときなどどう思いましたか?年配の方。

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  • koiprin
  • ベストアンサー率23% (72/306)
回答No.4

芥川龍之介の『神々の微笑』を読んでみると、食われているのではなく、食っていることがわかります。教会で結婚式を挙げようが、六曜の仏滅を嫌がり、クリスマスを祝ったすぐ後には、もちを食べて初詣は神社でも寺でもかまわず、これまた宮中行事であった「追儺」を節分として行い、バレンタインデーを楽しむわけです。 仏式で葬式をしても日本古来の信仰である怨霊を信じ、夏は怪談話に興じる。 神仏習合で神宮寺ができれば、廃仏毀釈で簡単に仏像を壊す。 ほとんどの日本人は、穢れを嫌い、言霊を信じ、怨霊を恐れ、話し合いで決めるというDNAを受け継いでおり、それ以外の文化に関しては、すべて表面だけを受け入れ本質は変わっていません。 漢字に訓読みを付けて、さらにひらがな、カタカナを作ってしまったりしている器用さです。 年配ではないですが、その当時の日本人は教会ができ始めたころは、きれいな建物ができたなー程度でしょうね。

その他の回答 (3)

  • uen_sap
  • ベストアンサー率16% (67/407)
回答No.3

何を言おうとしているのか意味が不明ですが、500年前と今を混同してますか? 16~17世紀宣教師は侵略の先兵として各地に出現しました。 これはヨーロッパでは旧教が宗教改革の荒波の中、新教と共存を余儀なくされていました。 結果として、宗教的に未開拓の地域、即、アメリカ大陸、アジアにも出没しました。 船に乗らなければならない、異国で身を守らなければならない、等のことがあり、世俗の権力者の傘の下で各地に派遣されていきました。 植民地を求める権力者の意向と宣教師達の活動が見事に整合していました。 現在は、世俗と宗教はそれぞれ住む場所が違っていますから500年前とは違います。 ただイスラムの世界はそうでもないかもしれませんが、日本でイスラム信者と付き合うと教条主義的動きはほとんどありません。 ラマダンにしてもアラビアでは許されぬ違反行為を上手にごまかしてやっています。 創価学会等折伏を主張する日本の宗教の方が怖いかもしれません。

  • blackhill
  • ベストアンサー率35% (585/1658)
回答No.2

blackhill  近代日本におけるキリスト教の布教は、明治6年のキリシタン禁令の廃止に始まりますが、日本にとって目新しかったのは教育と病院の分野でしょう。  キリスト教諸会派が設立したいわゆるミッション系大学には、上智、立教、青山、関西では新島八重の同志社、関学などが古い歴史があります。また従来おろそかにされた女子教育にも力を入れ、東京女子大、津田塾(非ミッション)、フェリス、平安女子大、神戸女学院などがあり、美智子皇后の母校聖心女子大もその一つです。  政界にもクリスチャンが少なくありません。戦前では原敬、高橋是清、戦後では幣原喜重郎、吉田茂、鳩山一郎、片山哲、大平正芳、羽田孜などは首相経験者であり、現役では谷垣、麻生、石破、海江田などの諸氏がいます。  南蛮文化など骨董品まがいのおとぎ話ではなく、キリスト教が日本の社会や文化にどう影響したか、視野を広げて観察することが先だと思います。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.1

    下記などに、日本国内でのキリスト教の概観があります。     http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E5%8F%B2     アジア全体から見ると、日本のキリスト教の信徒数は人口比では明治維新以後に1%を超えた事は無く、神道約1億600万人、仏教約9,200万人という数字に比すと少数派だそうです。     G8の国々の中で、人口構成上キリスト教徒が多数派でない国は東アジアの一員である日本だけという特徴もあるようです。     神道、仏教、キりスト教、などの信徒の数は、足し算すると、日本の人口よりだいぶ多いそうで、各宗教による自己申告の数値は、一つ以上の宗教に帰属してもへっちゃらという、僕から見ると非常に健康な国民性からだと思います。    別にキリスト教の結婚式を教会でやっても、キリスト教信者とは限らず、教会を貸した側が日本人の「クリスマスクリスチャン」ぶりに抗議するところもあると聞いています。    そこでご質問ですが 1。昔は露骨に宣教師がこの国で工作活動していたんですかね?いつころですか?     下記によるとトーレスが鹿児島に来た1549年(天文18年)以後です。     http://www.sanseido-publ.co.jp/publ/jesus_hdb_2/html/chapter_five_4.html 2。  戦後の南蛮文化の普及過程を教えていただけませんかね?     下記などをご覧下さい。     http://blogs.yahoo.co.jp/kurodakango/5630853.html     http://kennyjoseph.com/Japanese/Mac1.htm     http://8606.teacup.com/meizireligion/bbs/231 3。  あと教会などが始めてできたときなどどう思いましたか?年配の方。     僕年配かも知れませんが16世紀にはまだ産まれておりませんでしたので分かりません。

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