論理学を議論上で応用することについて

このQ&Aのポイント
  • 論理学を議論上で応用することについての質問です。ある人物甲が「AしたいならばBという発言は矛盾で適切ではない」という主張をし、それに対し別の人物乙が「AとかAしないという見解(ないし矛盾無矛盾を問題にすること)は誤りである」と反論もう一人の人物丙は「政治問題1の当事者はAとは言っていない」という反論をしました。それを受けて甲が「私の主張は形式論理学上「P⇒Q」に当て嵌めると真理値表上Pだけ偽でもPQ共に偽でも「P⇒Q」が真となるので乙丙の反論は妥当ではない」「乙丙の行為は前提Pを否定することによって主張全体を否定する行為であり不当、なぜならばPは論理学上「ならば」で括った仮定でありそれに反論するのは論点のすり替えになるから」という見解を下しました。
  • 甲の理論が正しいかどうかについては、論理学の観点から見ると甲の主張は一定の妥当性を持っていると言えます。形式論理学上では、条件文(P⇒Q)が真となるためには、Pが偽であってもQが真である必要があります。甲はこの原則を基にした論理展開を行い、乙と丙の反論が妥当ではないと主張しています。
  • ただし、政治問題においては、論理学の真理値表の適用だけではなく、論理的妥当性だけでなく、討論の健全性や論点のすり替えなどの要素も考慮する必要があります。政治問題の議論は複雑で特殊な要素を含むことが多く、単純に論理学の観点からだけで判断することは困難です。したがって、甲の主張が政治問題においても妥当であるかどうかは、さらなる議論や検証が必要です。
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論理学を議論上で応用することについて

あるテーマの議論中(仮に政治問題1とします)の理論についての質問です。 ある人物甲が「AしたいならばBという発言は矛盾で適切ではない」という主張をし、それに対し 別の人物乙が「AとかAしないという見解(ないし矛盾無矛盾を問題にすること)は誤りである」と反論 もう一人の人物丙は「政治問題1の当事者はAとは言っていない」という反論をしました。 それを受けて甲が 「私の主張は形式論理学上「P⇒Q」に当て嵌めると真理値表上Pだけ偽でもPQ共に偽でも「P⇒Q」が真となるので乙丙の反論は妥当ではない」 「乙丙の行為は前提Pを否定することによって主張全体を否定する行為であり不当、 なぜならばPは論理学上「ならば」で括った仮定でありそれに反論するのは論点のすり替えになるから (ここの意味はさっぱりわかりませんが、甲の主張をほぼそのまま流用しました)」 という見解を下しました。 この甲の理論は正しいのでしょうか? ※論理学云々以前に甲乙丙の議論上の誤謬詭弁関連はここでは置いておき、 甲の最終的な主張が正しいか否かの質問になります※ そもそも甲の主張は形式論理学上非命題だらけで 論理演算子では括れないはずなのでそこからもう既におかしい気がするのですが、 ならばの前件後件でPQに分ければいいだけ、という主張の一点張りです。 論理学、こと条件法や非命題論理には弱く「なんか違う気がする」以外の反論が出てこないもので。 あと、政治に関する議論などは論理学上の論理的妥当性云々以前の問題、即ち 論理・議論の健全性が主で討論が繰り返されるはずであり 健全性優先とすれば反論は一定程度妥当で、そうなったならば 論理学での真理値は必ずしも「議論上の反論行為そのもの」という領域にまで 反映可能と思えないのですが如何なのでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.2

#1の者です。 >Pだけ偽でもPQ共に偽でも「P⇒Q」が真となるので乙丙の反論は妥当ではない という時点で、Pが「偽」の場合も、「論理式が正しければ正しい」 と主張しているのですが、P自体も何らかの言明であり、それを 記号として先入化した時点で、「パラダイムの相違」が生じている のです。 「真である(Aと非Aを同時に導かない)」と「論理的に完全である (公理系の中で証明できない言明を含まない)」が必ずしも両立 しない事は、ゲーデルの不完全性定理に明らかです。 (今回のケースがそこまで拡張するものとは思いませんが)

retrodenerineri
質問者

お礼

>Pが「偽」の場合も、「論理式が正しければ正しい」と主張している そうなんです。 ”こちらは「Pならば」という言明をしてるにもかかわらず「Pである」と言ったかのように摩り替えられその上「Pは偽」と反論された、それは妥当じゃない!” というのが甲の主張の一部です・・・・・ 論理式「P⇒Q」の真偽の問い方ってそんな法則(「Pならば」と「Qである」 それぞれの真理値、というような真理値表上の見方をするのだという)だったっけ? と首を傾げているのが現在です。 (そもそも「P⇒Q」の場合、Pが偽だとすればQが真でも偽でも「P⇒Q」全体は真であるのに、何をそこまでムキになって反論し返す必要があるのか?というところも。) >「真である(Aと非Aを同時に導かない)」と「論理的に完全である (公理系の中で証明できない言明を含まない)」が必ずしも両立しない 私の解釈がその仰ることと合っているかはわかりませんが、それらの類を指摘すると ”仮定なのだから完全に証明できないのは当たり前であり、そこにつけ込んで「Pならば」を否定する乙・丙が妥当ではないのだ(しかも根拠がない、とも言っておりましたがそこは今回割愛します)” とのことなのです。もうとりあえず主張者甲の様々な説明が何もかも実はよく理解できないのですが 、その上での質問でした。申し訳ありません。 回答ありがとうございます。

その他の回答 (5)

回答No.6

「1 = 0.999999・・・」 前提:0.999999・・・は数である ─────────  a = 0.999・・・ とおく。  10a = 9.999・・・  10a - a = 9  9a = 9 ∴ a = 1 結論:1 = 0.999・・・ 論証のどこにも、《いかさま》はしていないよ。ズルはまったくしていない。 そして、 使っているのは、数学ではなく、誰もが正しいと受け入れる《加減乗除)の算数。 さて、 質問者さんは、この結論を受け入れるかどうか? 受け入れないとすれば、 どこがおかしいか、 この《論証の誤り》を指摘しなければならない。 ちなみに、わたしは、この結果を受け入れます。

retrodenerineri
質問者

お礼

前回の補足の訂正です。 >◇だから、 > (2)その前提の全てが真である。 >が必要なのでしょうが!! 健全性 と書きましたが 論証が「演繹的に」妥当 と言える条件 でした。 帰納的論証の場合はそれが健全性を持つ条件にはなりますが 形式的には妥当であります。

retrodenerineri
質問者

補足

申し訳ありませんが、その回答が元の質問 甲の主張群は正しいか の答えとどうつながるのかがわかりません。

回答No.5

☆論証の妥当性があっても健全性がない論証が存在します。  全ての動物は飛ぶことができる。  豚は動物である。  従って、豚は飛ぶことができる。 ◇だから、  (2)その前提の全てが真である。 が必要なのでしょうが!!  ───「すべての動物は飛ぶことができる」は《偽》。あるいは、「すべての動物は飛ぶことができる」を《真》とするならば、「豚は飛べないから、豚は動物でなくなる」。どのみち、「前提のすべてが《真》」ではなくなる─── 《妥当性がある》ことは《健全性がある》ことの必要条件です。 だから、 「政治に関する議論などは論理学上の論理的妥当性云々以前の問題、即ち 論理・議論の健全性が主で討論が繰り返されるはずであり」 はおかしいのではないですか、と言っています。 前提のすべてが真でなければ、そんなものは妥当性を調べるまでもなく、健全性を有していませんよ。 前提のすべてが真の時、 質問者は、《妥当性》を調べずに、どうやってその論証の《健全性》を調べるつもりなのですか?

retrodenerineri
質問者

お礼

>《妥当性》を調べずに、どうやってその論証の《健全性》を調べるつもりなのですか? 妥当性は補足の通りです。 とりあえず、この質問から得たいのは回答=甲の最終的主張は正しいか?(あるいはどこが正しいと言えるか)であり 論理学の討論や討論相手ではありません。 それ目的ならば、こう言ってはなんですがよそでします。 そこはご理解いただきたい。

retrodenerineri
質問者

補足

>◇だから、 > (2)その前提の全てが真である。 >が必要なのでしょうが!! それは健全性の話です。 前提が真で結論も真だから「妥当」な論証だというわけではななく、 論理的に提示の前提から他の結論を導くことが不可能であるという事実によって「妥当」とされる これが論証の妥当性であると学びましたが、でたらめでしたでしょうか?

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.4

>「政治に関する議論などは論理学上の論理的妥当性云々以前の問題、即ち 論理・議論の健全性が主で討論が繰り返されるはずであり 健全性優先とすれば反論は一定程度妥当で、そうなったならば 論理学での真理値は必ずしも「議論上の反論行為そのもの」という領域にまで 反映可能と思えないのですが如何なのでしょうか。」 そうですね。 論理学なんて「道具」に過ぎない、ということでしょう。 ・・・「それ」を使いこなしたとして、何をする? そういう問題ですかね。

retrodenerineri
質問者

お礼

>・・・「それ」を使いこなしたとして、何をする? 微妙なニュアンスが把握できているかわかりませんが 「何をする」がANo.2の方の仰る「パラダイムの相違」に繋がっていくのでしょうか。 ありがとうございました。

回答No.3

☆そもそも甲の主張は形式論理学上非命題だらけで…… ◇非命題? 命題でなければ、そもそも論理や論理学の対象でないと思いますが。 非命題だというのならば、それが非命題であることを示さなければならないのではないですか。 すくなくともこの文章だけからですと、わたしは、命題なのか、非命題なのか判断がつきかねます。 といいますか、何が非命題なのかがわかりません。 何が非命題なのか、わたしに教えていただけませんか? ☆あと、政治に関する議論などは論理学上の論理的妥当性云々以前の問題、即ち 論理・議論の健全性が主で討論が繰り返されるはずであり ◇健全性とは、 ───────── 健全性(けんぜんせい、英: Soundness)は、論証が次の属性を持つことと同値である。  (1)その論証は妥当である。  (2)その前提の全てが真である。 論理体系における証明(例えば自然演繹)が健全(sound)であるとは、妥当な論理式(あるいは恒真式)のみを証明することを意味する。すなわち、論理体系が健全であるとは、X_1,……、X|-Y X_1,……,X_n|=Y を含意することをいう。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%A5%E5%85%A8%E6%80%A7 ───────── ですよ。 なので、 論証の《妥当性》がなければ、《健全性》はありえないのでは? ☆「私の主張は形式論理学上「P⇒Q」に当て嵌めると真理値表上Pだけ偽でもPQ共に偽でも「P⇒Q」が真となるので乙丙の反論は妥当ではない」 ◇わたしには、まず、このPとQが具体的に何なのかわかりません。 (I)  P=「Aしたい(Aしない?」」  Q=「B」  ですか? それとも、 (II)  P=「AしたいならBという発言」  Q=「矛盾で適切でない」  ですか?  記号で書くと   ∀x(x=P⇒xはQである)  の意味ですか? 論理の質問をするのならば、もう少しきちんと書きましょう。 記号で書けるのならば、できる範囲で構いませんから、記号を使って書きましょう!! なにがPで、なにがQであるのか、わかるように書きましょう!! ☆論理学での真理値は必ずしも「議論上の反論行為そのもの」という領域にまで 反映可能と思えないのですが如何なのでしょうか。 ◇「論理学での真理値」とは、どのような意味ですか? PやQの真理値のことをいっているのですか? 推論の正しさやあやまちのことをいっているのですか? それとも、 論理は実際の議論の上で役に立たないといいたいのですか? 論理以前に、 もう少し言いたいことや質問したいことが正しく伝わるような文章を書く努力をしましょう!!

retrodenerineri
質問者

お礼

>文章だけからですと、わたしは、命題なのか、非命題なのか判断がつきかねます。といいますか、何が非命題なのかがわかりません。 それがわかる方に出来ましたら回答頂きたく思います。 >論証の《妥当性》がなければ、《健全性》はありえないのでは? 論証の妥当性があっても健全性がない論証が存在します。 全ての動物は飛ぶことができる。 豚は動物である。 従って、豚は飛ぶことができる。 このような例です。 >◇わたしには、まず、このPとQが具体的に何なのかわかりません。 それ(「AしたいならばBという発言は矛盾で適切ではない」のどこをPQに分け論理式に組み込むのが正しいのか)今回の相談内容の一つでもあるのです。 ちなみに私個人は、とりあえずPQだけには分けられないという考えです。 質問元文※以下の段落で述べたとおり >>ならばの前件後件でPQに分ければいいだけ、という主張の一点張りです。 これは甲の考えです。 >「論理学での真理値」とは、どのような意味ですか? >PやQの真理値のことをいっているのですか? そうなります。 >論理以前に、 もう少し言いたいことや質問したいことが正しく伝わるような文章を書く努力をしましょう!! それが質問の答えということでしょうか。 よくはわかりませんがありがとうございました。

回答No.1

論理学的な正しさと、社会的な正しさは、別物である。 そもそも社会的な「正しさ」は、論理的に筋が通っていると いうだけでなく、1.その記述する現象が目的に合致する、 2.その「論理的正しさ」の前提となるパラダイムが共有 されている、といった要素もある、 往々にして、立場や目的の相違を先入化した議論があり、 いくら言語的・論理的に“正しい”としても、結論は否定され得る。

retrodenerineri
質問者

補足

ありがとうございます。確かに 言語的正しさと社会的正しさは別なのですけれども、 今回は「結論が否定され得るか」ではなく「甲の主張全体が乙丙の反論で否定され得るか」が争点になっています。 甲の元の主張が「ならば(⇒)」を用いた条件法付主張であるので 例え仰る通り結論が否定されたとしても 主張全体は真理値表上真になる場合がありますよね。 PでないならばQでない←この場合です。 PならばQでない←この場合ならば甲の主張は真っ赤な嘘ということが言えますが 乙丙の意見は「P⇒¬Q」という反論を取っていないので主張を否定できず論理学上無意味なだけ=乙丙の反論は妥当でない ということなのだそうです。 あくまでも甲の最初の主張が論理学上の「P⇒Q」でいいならばですが・・・・

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