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イスラム教徒の礼拝内容は、神を讃えるだけですか?
イスラム教徒は、日に5回礼拝しますね。 この礼拝の内容は何でしょうか? 神を讃えるだけですか? あるいは、自分の要望(例えば、金が欲しい、健康になりたい、など)を含んでいても良いのですか?
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済みません、説明が少し細かくなってしまいましたが、ご了承ください。 1.礼拝の内容 内容は大雑把に言うと「アッラーの称賛」「アッラーの唯一性などや預言者ムハンマドsawsについての宣言(信仰心の宣言?)」「アッラーへの帰依・服従の宣言」「預言者ムハンマドsawsへの祝福祈願」です。 その他に、各ラカー(運動等で「1セット3回」というふうに言う時の「セット」のようなもの)でクルアーンの第1章「ファーティハ章」を必ず詠みます(詠まないと礼拝は無効)。 そしてこのファーティハ章以外にクルアーンの任意の章を詠みます。 ファーティハで章は、「アッラーの偉大さ」を述べ「アッラーを称賛」し、「信徒(章では『私達』と表現)がアッラーに完全帰依している」事を述べ、「信徒を正しい道に導いて下さい」と乞い願っています。 http://www.isuramu.com/recitation/al-fatiha.htm 2.要望を願っていいのか? 日本語で言う「お祈り」は二つに分かれます。 一つは「一日5回行う(これ以外にも任意に行う事が出来ますが)」はアラビア語で「サラー(あるいはサラート)」、日本語訳はpark123さんが書かれているように「礼拝」です。 もう一つは「あぁしてください。こうしてください」という「お願い・お祈り」で、アラビア語では「ドゥアー」と言います。 このドゥアーにも大まかに2種類あります。 一つは、「こういう時はこう唱えなさい」と言い伝えられている「定型」のドゥアー(例:起きた時のドゥアー、食事開始・終了の時のドゥアー等)です。 これも結局は「定型」とは言いますが、決まった言葉での「アッラーへのお願い・お祈り」です。 とても身近なものには、英語圏の人が、誰かがくしゃみをした時に「bless you(神があなたを祝福しますように)」と言うように、ムスリムも誰かがくしゃみをしたら(自分がした場合も)「アルハムドリッラー(全ての称賛はアッラーのために)」と言います。 もう一つは、超個人的に「私にこうこうしてください」という「個人的要望」の、いつでも自由に唱えていいドゥアー(一般に言うお願い?)があります。 サラート(礼拝)は上記に大雑把に書いたように、決まった形があります。これにはドゥアー(個人的要望)は含まれません…定型のドゥアーを加えても構わない、というオプションはあるのですが、超個人的にお願いしたい事は、サラートには含めません。 しかし、サラートの終了(右・左と顔を向ける)の後には「超個人的要望」を「お願い」して構いません。 その際「マナー」として、最初に定型の「アッラーの称賛」「預言者ムハンマドsawsへの祝福祈願」をしてから、自分の「お願い」を祈ります。
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- 雪中庵(@psytex)
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「祈り」が、神への自分の願望のため、というのは、いかにも 日本的な仏教の考え方です。 なぜ仏教が東アジアの稲作農耕圏を中心に広まったかと いうと、そのもともと集団主義的な人々において、その共同 幻想を強化する儀式宗教として、たまに一緒にお参りする ぐらいで良かったのです。 西欧的な一神教が広まった時期は、社会性が発達し、 それまでの血族的モラルでは個人の自己中心性を抑制 しきれなくなり、もともと我の強い大陸的な遊牧文化圏の 人間に社会性を強制するたのタガとして、強力な教義を 持つ(毎週教会に通う、1日何回もメッカに祈る、断食) 一神教が有効になったのです。 モスリムの祈りの時間に読み上げられるコーランには、 そうした生活上のモラルが列記されており、それによる 洗脳のために頻繁な礼拝や断食が必要だったのです。
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早急な回答ありがとうございました。 稲作農耕圏と遊牧圏とを対比して、人間性や社会、それに伴う教義などを説明して頂きました。 イスラム教の場合は、その <社会性を強制するたのタガ> が必要で、 <頻繁な礼拝や断食が必要だったのです> ね。
お礼
早急な回答ありがとうございました。 細かく体系的に説明して頂きました。 私のように似非仏教徒であり、神道にも浸っている者にとって、礼拝はちゃらんぽらんです。 しかし、イスラム教信徒は、厳格な信仰や作法を持っているのですね。神と人間の間は、完全に一線をかいているのですね。 これから、ご説明が間違いなく理解できるよう、礼拝・祈りなどの言葉についても、内容を調べて行きたいと、思っています。