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生きるとは何なのでしょうか

雪中庵(@psytex)の回答

回答No.11

生きるとは、意識を持つ事です。 それは「脳死は人の死」とかいった話ではなく、 量子論的世界像において、認識される事によって (絶対的な確定化において無限不確定に発散する 本質を階層現象表面的に(いい加減に)捉える事で)、 有限的な存在性(=宇宙)を派生させているのです。 全ての存在は、量子的な不確定性=確率波動性に 基づいており、無限につめ込むと存在確率の山が 平らになって、無と等しくなります。 この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の 闇に、認識体の仮定断面の運動を想定すれば、相対的 に無の風は光になり、認識体はその光(量子相互作用 パターン)の向うに、自己の補完(相補的不確定性) としての宇宙を認識するのです。 自我仮説性(時間の流れ=記憶=過去=時間軸)による、 時空仮説性(空間の広がり=予測=未来=空間軸)との 相補分化‥‥全てはあなたが存在するための補完なの です(ただし物理的根源にまで遡った「補完」なので、 現象表面的な肉体的自己の思い通りにはならない= 本質性において自己矛盾する)。 その「自己の補完」は階層現象表面的な雌型ではなく、 原理的に遡った「不確定性原理=量子的な不確定性の 相補性」であるために、現象的に射影を生じるのです。 その発生に、異なる認識可能性(h)の時系列化が必要だっ たという事は、宇宙は、別の認識可能性を自己同一視 するという、ある種の精神異常として発生していると 言えます。 量子的に時間性も不連続である事が知られており、実は 過去の自己と、外の他人も同じ認識可能性として共通で あり、その事が自己の環境への延長(遺伝的な連続=交配、 社会的な分業化=互助、生態系の循環)に射影しているのです。 認識の深まりは、その自我の補完としての存在性に於ける 認識可能性の他我化=愛(社会的助け合い、生態系の共生、 環境との物質循環、物理定数の人間原理)に向かい、その 自己存在の本質に根差した自律的な生において、生理的な 認識可能性の最大化とその充足の最大化=精神的充足量 の最大化は可能になるのです。