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日本史B 平安時代の荘園制度
10世紀に入ると、地方の豪族や裕福な農民も墾田を開き、 自ら【---】となった。 一問一答形式の問題で正解は開発領主だったのですが、 大名田堵と答えては間違いでしょうか? 両者の違いを明確に区別出来ず困っています。
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間違いです。 「10世紀に入ると、~となった。」の部分は従来は朝廷が主導した公共事業としての開墾が民間によって行われるようになったという変化を示しています。簡単にいえば、公から民へ、ということ。 現代は日本全国隅々まで開発されつくしていますから想像するのも難しいけど、当時の開墾というのは未開の荒野、荒地を開墾して水利も必要ですから大土木事業です。大勢の人を動員、指揮、監督、指導してやっとものになる土木工事なのです。それは誰にでもできる仕事じゃない。一種の経営者ですから。では、その後経営者はどうなったのでしょうかというのが【---】の設問の主旨です。墾田を官僚に取り上げられて、はいさようならでは馬鹿馬鹿しいですよね。それじゃ何のために苦労したのか分からない。 では、田堵とは何か。名田経営を請け負った有力農民というほどの意味です。名田経営とは、指導的立場で他の百姓の分も含めて納税を取りまとめるといったことです。百姓には能力の差があるから皆が同じように営農できたわけではない。農作業の時期を間違ってうまく収穫できなかった百姓が大勢いたということ。そういう出来の悪い百姓を指導したり、農具を貸したりして年貢を取りまとめたのが田堵なのです。そういった百姓の上下関係の上の方の階層を田堵と呼ぶ。こちらも一種の経営者です。そして、より経営規模の大きな田堵を大名田堵と呼び、小規模経営者を小名田堵と区別する場合もある。 だから開発領主も大名田堵も経営者という役割的には共通しているといえる。しかし用語としては同じ意味ではない。開発領主は、開墾事業を成功させた経営者という意味であり、大名田堵とは、大規模な名田経営を行った経営者という意味だからです。 では開発領主と大名田堵の関係はなにか。それはまちまちです。大名田堵出身で、より経営規模を広げる為に開発領主となったケースもある。この場合は同一人物が大名田堵であり開発領主であることになります。また開発領主が別な人物を田堵として契約して名田経営を任せるといったケースもある。土木工事は得意だけど農業のことはよくわからないという人もいますから。 前者においては資本家=経営者といった企業形態であり、後者においては資本家≠経営者といった企業形態という違いがあります。 質問者さんがどうして開発領主と大名田堵を区別できないかというと、質問者さんが荒地の開墾事業と、その後の農業経営を区別できていないからです。 質問者さんが土木事業と農業経営を区別できていないから「両者の違いを明確に区別出来ず困っています。」となってしまうわけです。
お礼
回答有り難うございます。