日本史が得意な方…教えてください
次の問題に答えてください><
日本史の宿題が出たのですが難しくてわかりません。。。
ネットで調べてみたりもしたのですが、特に穴埋め問題や史料問題は
調べようがなくて出来ませんでした…。
日本史が得意な方がいたら助けてくださいm(_)m
(1)源頼朝の奏請により、1185年に選定された朝廷の重要政務を担当した公家は?
(承久三年)八月七日………叛逆の卿相雲客ならびに勇士の所領等の事。
➁上の史料「卿相雲客」のうちには、3人の上皇も含まれている。3上皇の名を答えよ。
(3)1249年に引付が設置され、領地に関する訴訟を専門に担当させたが、
こういった訴訟を一般になんというか。漢字4字で答えよ。
(貞永元年)八月十日 武州造らしめ給ふ( (4) )其の篇を終へられる。
五十箇条なり。今日以後、訴論の是非は、固く此の法を守りて、裁許せらる
可きの由定めらると云々。是れ即ち淡海公の律令に比す可き歟。彼は海内の
亀鏡、是は関東の鴻なり。
(4)上の史料の( )にあてはまる語句を答えよ。
(5)上の史料内での「律令」とは具体的に何を指しているか。
(6)この法律以後に幕府が発布した単行法令を集成したものをなんというか。
(7)この史料文の中には歴史的事実と異なる部分が一箇所ある。それを指摘し、
正しい語句に直せ。
A 鎌倉時代に農村を支配したのは荘園領主であるが、実際に農村を経営したのは
( ア )である。彼らのうちでおおくの名田を持つ者は武士となっていった。
武士の所領経営は直接経営地と間接経営地が有り、直営地を佃・( イ )・内田
・手作地などと呼び、彼らの隷属民である( ウ )・( エ )に耕作させた。
残りの耕作地は( オ )と呼ばれた弱小な農民に小作させ、彼らから( カ )を徴収した。
B 税制度として田畑に課せられる( キ )は原則として米で納められ、名田を賦課
単位として徴収されるので、( ク )が貢租負担者であった、( ケ )は領主への
貢納物で、( コ )は領主の直接経営の耕作や貢租の運搬などの雑役に従事する
人夫役であった。
(8)上の文章の( ア )~( コ )に当てはまる語句を下から選び、記号で答えよ。
なお、同じ語句を何度選んでも良い。
1.地子 2.公事 3.手作田 4.所従 5.名主 6.年貢 7.下人 8.一門 9.夫役 10.作人
鎌倉時代において、為替は銭と替える( (9) )と米と替える( (10) )があり、遠隔地取引
も容易になった。また、庶民の間では一定の米や銭を掛け合って、くじで掛け銭を借りる
( (11) )などと呼ばれる相互扶助的な金融組織も生まれた。
上の文章で(9)~(11)に当てはまる語句を答えよ。
諸国の百姓田稲を苅取るの後、その跡に( )を蒔きて田( )と号す。
領主等、件の( )の所当を徴取すと云々。税租の法豈然るべけんや。自今以後
田( )の所当を取るべからず、宜しく農民の依怙たるべし。此旨を存じ、
備後、備前両国の御家人等に下知せしむべきの状、仰せに依って執達件の如し。
(12)上の資料中の4つの( )にはいずれも同じ語句が入る。それを漢字1時で答えよ。
(13)「諸国の~号す。」は農業史上、なんの成立を示しているか。
(14)「仰せに~の如し。」によって、この文書が幕府の命令文書であることがわかる。
貞永式目以後のこの種の法令を集めたものをなんというか。
元寇後、防衛施設として博多湾沿岸に防塁が築かれ、本州西部も防衛施設として
のちには長門・周防・安芸の御家人にも( (15) )を課した。
御家人は防備の負担や、貨幣経済が発達する中での支出の増大、また
( (16) )相続による所領の細分化などで、経済的に困窮する者も目立つようになった。
上の文章中の(15)、(16)にあてはまる語句を答えよ。
(17)元寇の際に日本軍の従来の戦法は元軍のてつはうなどに悩まされた。
では、日本軍従来の戦法をなんというか。
(18)高麗ではモンゴルに抵抗する動きが激しかったが、1273年に平定された反乱
をなんというか。
(19)経済的に困窮する人が増えたことから、所領を非御家人や高利貸に売却、質入
する者も現れたが、当時の高利貸業者をなんというか。
(20)反幕精神をうみおとした結果、所領を手放したものの中に財貨を略奪したりして
秩序に抗する者も横行するようになったが、このような者は荘園領主などから
何と呼ばれたか。
校庭、書を日本国王に奉る。朕惟ふに、古より小国の君境土相接するは尚講信修睦
に務む。……( )は朕の東藩なり。日本は( )に密邇し、開国以来時に中国に
通ず。しかるに朕の躬に至って一乗の使も以って和好を通ずること無し。……且聖人
は四海を以って家と為す。相通好せざるは豈一家の理ならぬ哉。以って兵を用ふるに
至るは夫れ孰か好む所ぞ。
㉑上の資料中で朕はなんという王朝の誰か。
㉒( )に当てはまる国名を答えよ。
㉓「兵を用ふる~好む所ぞ。」は結果として「兵を用ふる」こととなった。
前後二度に渡るその事件のそれぞれの名称を答えよ。
㉔ ㉓の事件当時、幕府の執権の地位にあった人物を答えよ。
㉕この史料は1266年に発せられた牒状である。その当時執権の地位にあった人物を答えよ。
長文最後まで読んでいただきありがとうございました。
1問でもわかる方はご回答いただけると嬉しいです。