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中世の荘園で・・・

中世の荘園の一種でじきふ型荘園と言うのはありますか?「じきふ」の部分の漢字は分からないのですが、是非博識な方教えてください。

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  • 6dou_rinne
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回答No.2

食封型荘園というのがどんなタイプの荘園を示しているのかがよくわかりませんが、寺社領荘園にはもともと食封として与えられた神田、寺田、神郡、神郷などがそのまま荘園に転化したものも珍しくありません。 ただ、神郡、神郷のように郡、郷、その他一円地として与えられたものについてはそのまま一円荘園になるのはたやすかったのですが、神戸、寺戸、神田、寺田などは田単位に与えられていたり、個別の田の指定がなかったりしたところもありましたが、これらについても荘園化したところも多くあります。 こういうところは、大寺社であれば周囲を侵食して一円知行にすることもありましたが、近畿地方などではいろいろな権威が並存していてひとつの田にいくつもの荘園が重層的に成立していたり、土地と人民の支配社が異なることもめずらしくはありませんでした。

zyutu
質問者

お礼

お礼遅れてスイマセンありがとうございました。

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回答No.1

封戸を支給することを食封〔じきふ)といいます。封戸からの「租」の半分、及び、「庸・調」の全ては、封戸を与えられた人の収入となります。 食封とは、律令制で貴族・社寺に支給した戸。その戸の租税が収入となる制度。大化改新で従来の私有民を解放するにあたり唐の食封制度にならい、私有民の代わりに封戸を給付。初めは封主(受給者)が封戸から租税を直接に徴収したが、天武朝頃から国司らを通じて間接に徴収することとなった。大宝令では四品以上の皇族と三位以上の貴族への品封・位封、大納言以上への職封、功臣への功封、社寺への別勅封(べつちょくふ)などがあり、封戸の租の半額と庸・調の全額が支給された。平安中期以降律令制の解体に伴って、封戸は再び私有民化し、荘園設立の一因となった とのことです。門外漢ですが。

参考URL:
http://www.page.sannet.ne.jp/gutoku2/syouensei.html
zyutu
質問者

お礼

お礼遅れてスイマセンありがとうございました。

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