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点や線分などの幾何学的対象について

点や線分などは、たとえば、車のような物理量とは違い、人間の認識とは関係なく、確固として存在しているわけではありませんが、資産や負債のような純粋な観念量とも違うと思います(もちろん、車として認識するからそこに車があるのだという東洋哲学的な考えは知っています)。 資産や負債は、純粋に観念世界に起源を持ちますが、幾何学は物理世界に起源を持つと思います。 測量などの実用的な目的のために生まれたのでしょう。 また、古代ギリシャ人は、三角形などの純粋な幾何学的対象は、地上の物質世界には存在しないけれど、天上界には存在すると考えていたようです。 つまり、単なる観念的遊戯として発達してきたわけではありませんよね。 車などのように(主観と関係なく)確固として存在しているとは言えませんが、たとえば、純粋な三角形を物理空間に見出す(というか、考える)ことはできると思われますか? 現在の数学者はどのように考えているのでしょうか。 もちろん、数学者が一つの考えでまとまっているわけではないことは承知していますが。

みんなの回答

noname#221368
noname#221368
回答No.2

>資産や負債は、純粋に観念世界に起源を持ちますが、幾何学は物理世界に起源を持つと思います。  経済をやってる人は、資産や負債も物理世界に起源を持つと考えるでしょうね。実用のためにそれらは生まれました。同じですよ(^^)。 >・・・たとえば、純粋な三角形を物理空間に見出す(というか、考える)ことはできると思われますか?  考える事ができたから、幾何学があると判断するのが妥当でしょう。 >また、古代ギリシャ人は、三角形などの純粋な幾何学的対象は、地上の物質世界には存在しないけれど、天上界には存在すると考えていたようです。  それは数学的神秘主義と言われる「一つの考え」です。思考可能なものは、全て車のように存在しなければならないとする立場です。 ※存在世界は違うけど(^^)。  立場なので、現実にそうかは別問題です。  この系譜として、思考可能なものは存在するという、西欧的な哲学もあるんですよ(観念論)。そこでは、純粋な三角形を物理空間に見出す(考える)事は可能だが、ではこの幾何学は、人間がいなければ存在しないのか?と問います。   ・人類絶滅後に宇宙人がやってきて、物理空間に純粋な三角形を見い出す事は可能だ。何故なら思考可能なものだから。    ・純粋な三角形は「考え手」に依存しないのだから、存在するとみなしても良いのじゃないか?。 という立場です。反論はできないですけど今度は、純粋な三角形は車のように存在するのか?、という話にもなります。 ※存在世界は違っててもいいから(^^)。  立場なので、現実にそうかは別問題です。  このような事柄は数理哲学の分野ですが、数理哲学が現在の数学の一部であるとは、たぶん言えない。数理哲学の中でも、数学的神秘主義や観念論の類を本気でやってる人は、たぶんいない。  でも、考える事ができたから幾何学がある、と判断できる以上、 >幾何学においても、数学が現実を近似するというよりも、現実が数学の(ひどく曖昧な)近似だと思うほうが、健全です。 という「感覚」を持つのが、現実には妥当な線だと思います。  税理士や破産管財人が、現実は資産や負債のひどく曖昧な近似だ、と思うように。だから会計検査がある(^^;)。

mijukamin
質問者

お礼

ありがとうございます。 やはり数理哲学になりますね。

  • alice_44
  • ベストアンサー率44% (2109/4759)
回答No.1

数学の対象は、車や地面に描いた三角形のように曖昧な印象に依拠した ものではなく、概念の中に確固として存在し、普遍的なものです。 幾何学においても、数学が現実を近似するというよりも、 現実が数学の(ひどく曖昧な)近似だと思うほうが、健全です。

mijukamin
質問者

お礼

ありがとうございます。

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